第23回「和宮下向」より

中根が一人の若者を慶喜に紹介。杉山寅之介という杉山権之介の三男で武術を学んでいるという(平岡円四郎も亡き土岐
が、武術の達人という紹介をしていたので、慶喜がそばに置く者の条件が「武術が出来る事」なのかもしれない)。中根
が忙しくなったので、慶喜の身の回りのことをすることになる。

やはりこういう細かい描写がいい。「麒麟がくる」を含めた近年の大河は、主人公が側用人ではないが、大物に関わって
あちこちお使いに出かける物が多いが、皆「大物に会って簡単に気にいられました〜」みたいな感じで、「お使いの苦労
とか大変さ」が具体的に描かれているものが少ない気がする(その中で「真田丸」の信繁は割とうまく描いていたと思う
が)。中根や永原を見ていると、側用人も「主人の望む情報をいかに持ってくるか」とか「主人は何を好むか」とか周囲
との関係構築も必要だし、水戸藩の様に内部分裂している藩だと下手に動くと危険が及ぶし、かなり苦労が多いものだと
思う。この作品を見ていると、中根を主人公にしても面白そうな作品が描けそうな気がするが、「中根のような人間を主
人公にしているこの頃の大河」にいいものが少ないのは残念なことである。特に「麒麟がくる」の光秀の越前浪人時代
は、浪人の苦労も朝倉義景の用事を言いつけられる苦労も、ほとんど描いていなかった。それなのに結局光秀は義景を裏
切っているので、「義景気の毒に」「光秀は酷い」という印象にしかならなくなる。

続きます