1998年大河ドラマ・徳川慶喜 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>295 より続き しかしトップである将軍家茂は、昼から大奥に来て和宮や猫と遊んでいる。そこへ天璋院登場。私はこの作品の天璋院が好きで この登場のシーンだけで大奥をしょって立つ威厳とか貫録が感じられていい(演者は深津絵里だが、当時25歳だったと言うのは 凄い。全然そう見えない)。天璋院は将軍のやること、御台所はその助けとなることだと話す。そして観行院と高部が朝廷と大 奥のやり方でまた対立している。しかし結局天璋院が「御台所としてそなたが公武一和をやりなされ、戦いなされ!泣いていて も花は咲きません」とかっこいい台詞で締めている。残念なのが天璋院が結構長く喋ったのは作品中ここだけなこと。もう少し 出番が欲しかったのだが。 今回も話に出てきた長州藩だが、久光が公武合体のため上京したから何か動きがありそう。横井小楠も危ないという話を慶喜と 春嶽でしている(ウーン、長州藩が主役の「花燃ゆ」より、今のところ話にしか出てこない本作長州藩の方が何となく不気味で 凄く感じられるのはどういうことなのか?)。春嶽は、慶喜個人としては父斉昭のように尊王攘夷の方向なのか?と言うが、慶 喜は自分個人の考えなどなく、立場に応じて全力を尽くすだけと言う返し方をする。 それにしても最後で慶喜が話していた「湖の底に沈んだ男の話」と言う内容の昔ばなし、きっと何か意味があるのだろうが全然 分からないよー。田向正建はこういう昔ばなしを描写に入れてくることが多い(「武田信玄」の「八千年の春、八千年の秋」と か)。これ一々全部自分で創作しているのだろうか?凄いといつも思う。 >>296 >「湖の底に沈んだ男の話」と言う内容の昔ばなし、きっと何か意味があるのだろうが全然分からない 慶喜の心象風景か何かかと思っても、イマイチぴんと来ないんですよね 第28回「上洛への道」より 将軍後見職として忙しく働く慶喜。やはり生麦事件の後始末は難航。イギリスへの賠償金を払う気はない久光。しかも長州が、 条約を破棄し、即刻攘夷を言っているため(破約攘夷)朝廷も賛同し、春嶽も破約攘夷に賛成という事である(井伊が朝廷の許 しを受けず条約を結んだことを今でもいいと思っていない)。慶喜は幕閣を集めて今は危急の時である。危機は外から来たもの ではなく自分達が被害者だと考えないように、誇りをもって職務に当たって欲しいと言っている。 吉子と永原のシーン。ここ吉子が慶喜を案じるシーンなのだが、それより永原が部屋に入った時、吉子の生け花の桔梗を見て 「桔梗ですね」というのだが、吉子が「そなたはそういう事も知らないと思っていました」って・・・。永原どれだけ吉子に自 分をボンクラに見せてるんだ(笑)。 続きます >>298 より続き 今回慶喜は上洛の準備をしているが、中根が辰五郎に同道を頼んだり(結局これは慶喜の方で「気持ちだけ」と断るが)、水戸 の武田耕雲斎、梶清左衛門を呼び、そなたたちを頼りにしていると言い、死は恐れないが何が起こるか分からないと気を引き締 めていたり、しかもラストは美賀との水盃で、「今京都に行くことがどれだけ危険なのか」ということが伝わってくる。 最も慶喜は直子に「京の美味しいもの」を聞いたりもしている。しかし直子は答えられず美賀に振るが、「紀州の梅」とか答え てしまう。そこに松島があゆだの松茸だの言い出し、「何でその方が知っておるのじゃ」と言われている。ここ以外でも松島は 色々な知識のあるところを見せている。田向大河、何気に頭のいい女性が多いと言うか、馬鹿な女と言うのがあまり出てこない 気がする(そう言えば「武田信玄」の八重も、時折「姫様、国と国の間の約束と言うものは破るまでが約束でございます」みた いな鋭い意見を言っていたと思う)。 今朝ドラの再放送で「澪つくし」をやっているが、ジェームス三木の大河で感じたのは「女は馬鹿」という感覚が強いことで、 「澪つくし」では大河よりさらに女性が描かれるので、その考え方がより強く出ている(イヤ、流石女性問題を起こした脚本家 だわ・・・。と感心してしまう)。こういう点で田向正建脚本の朝ドラ、「雲のじゅうたん」が見たい。何しろ1976年に女性が 操縦士を目指す話だし、しかも中条静夫、船越英二といった役者も出ているし、田中絹代ナレーションとか見どころありすぎ。 田向正建の大河の女性像を見る限り面白そうな気がする。「澪つくし」をやるのなら「雲のじゅうたん」もやってくれないか なぁ。 久光の率兵上洛に幕府人事介入 岩倉(攘夷派の台頭でこの後失脚)は 久光は江戸で捕縛されるだろうって思ってたそうだね 井伊が暗殺されて久光の介入許したあたりから幕府 は舐められてくる 三条勅使が上座 もっとも三条何時斬られるかと震えてたそうだけど >>179 『西郷どん』観てたらそんなシーンあってやっと理解した 慶喜ブチ切れてたけどw なるほどあれって『徳川慶喜』を揶揄してたりしてな 第29回「将軍名代」より 冒頭で慶篤が涙ぐんでいる。朝廷からの勅定を今になって水戸藩で持っていていいし、他藩に見せてもいいことになった。「空 しい、父上はこんな幕府を守ろうとしたのか。朝廷も幕府も都合よく変わる。このために多くの者が命を落とした。父上だって その一人だ」と。 今回は慶喜が孝明天皇に会い、鷹司父子、清子に会いなのだが、何と言っても長州藩である。 と言っても長州藩士自体は、最後に桂小五郎と久坂玄瑞が少し出てきただけだが、長州藩の陰の黒幕みたいな描き方が良かっ た。長州は裏で公家を操り破約攘夷を唱えているが、しかし慶喜の見るところ、長州は密貿易をしているから破約攘夷など出来 ると思っておらず内心開国だが、攘夷を唱え朝廷を味方につけ幕府を潰し、自らの手で開国をしようとしているのだと。 続きます >>302 より続き うーん、私の書き方だとうまく伝わらないかもしれないが、京で暗躍する長州の不気味な感じが慶喜たちの会話だけで伝わって くるのである。つまり本作、慶喜達幕閣も別に馬鹿には描かれておらず、それなりの能力の持ち主だと描かれるので、それに対 抗する長州藩もそれなりの能力の持ち主でないといけないが、「敵として不足なし!」みたいな感じで描かれているのがいい。 それがなぁ、「花燃ゆ」では・・・・・。おバカ松下村塾生で、「何でこいつらが明治維新を成し遂げられるんだよ!!」とい う描かれ方しかしてなかったからなぁ。そう言えば「花燃ゆ」って慶喜出てたっけ?と思って調べたら、思い出した!「どぶろ っく」の2人が慶喜と久光を一瞬だけやったあれね。長州藩士をおバカに描きすぎたおかげで、幕府はそれ以上の馬鹿に描かな くてはならなくなり、幕府の重要人物をうまく描けなくなったんだきっと。 後今回京の治安をめぐって、慶喜と松平容保が議論しており(何しろ公家の家に、家来の首やら指やらが投げ込まれる状況では ね)容保は、彼らは下級藩士や浪人で、今まで上が意見を聞かなかったからこうなった、と言い、対して慶喜は朝廷の意見、大 名の意見今まで聞いてきたが、自分勝手な意見を言うばかりである。これ以上聞いてもどうしようもない。というようなことを 言っていた。こういう場合下手な大河ドラマだと、いい意見は皆主人公が言ってしまう主人公上げみたいな感じになるが、本作 はそういうことがなく、それぞれがそれぞれの意見を持ち、どの意見も一理あるみたいなのがいいと思う。 >>303 ふむ、そういう意味では「八重」もそれなりに上手く描いていたような。 たいかう鷹司政通には、水戸藩から斉昭の姉が嫁いでいる。政通の子の 鷹司輔煕、九条幸経が出ているが、残念ながら側室の子であった 第30回「奇策」より 春嶽は慶喜との間に深い河がある(それに対して慶喜は海ではありませんか、と言っていたが)と言って政事総裁職を辞任。 れんのナレーションで敵の顔を知っておかないとということで毛利慶親、毛利定広が座った姿で登場(田向大河では人物紹介の時にこ ういうことをよくやる)。しかし長州藩で本当に恐いのってこいつらじゃなく、桂とか久坂とか高杉晋作あたりでは?(最も本作高杉 は出てこない) 江戸湾には英仏艦隊が来ており(生麦事件のせいである)、会津の寺岡勘十郎が訪ねて妻子はどこかへ非難させたらと言うが、れんは 拒否(火消しの時は送り出す形をとらないとと言っている)。中山五郎左衛門も来ているが、いつ出てきてもどうでもいいと言うか、 武士の意地や誇りにこだわる姿が常にうざいのが凄いと思う(新三郎やみよを生麦村に送るときに護衛を頼んで役に立った時もあった のに、関係なくうざく見えるのが凄い)。 続きます >>307 より続き 長州藩の策略の結果、将軍は帝が行幸の度に供をさせられて幕府の権威を下げる形になっており、慶喜はこんなことはやめさせ ないとと言っているが、将軍家茂いつ上洛したんだっけ?しかも今回は慶喜たちの会話の中にしか出てこない。たまに出てくれ ば和宮と遊んでいる姿だし、慶喜主役だからか結構割を食った形になっている気がする(田向大河、特にこの「徳川慶喜」は、 比較的割を食う人はいないように思うが、家茂はあまりいいシーンがなかった気がする)。 孝明天皇は行幸できたことを喜んでいる(なんでも後水尾天皇以来のことだとか)。鷹司太閤は長州は攘夷に見せかけているが 実は開国という話(>>302 で書いたこと)を伝えると、孝明天皇は驚き、長州は長年朝廷に仕えてくれている。心無い噂では ないかと言っている。 それで良く分からなかったのが(笑)、慶喜の策略で5月10日に攘夷の期限を決め、将軍は大阪に行かせ、自分は攘夷を決行す ると言って江戸に帰り、こっそり老中小笠原に生麦事件の賠償金を払わせ、慶喜本人は攘夷をできなかった責任を取って将軍後 見職を辞任した、という事でいいのかな?(それで長州が下関で外国艦隊を砲撃する事態になっている) 後、松平容保に誘われて慶喜は飲みに行き、失踪していたさくらに会うが、そんなことよりも、将軍後見職と京都守護職が一緒 に行動しているのが長州にばれたら襲撃されると思うがそうなったらどうするんだ?と思った。いっぺんに2人死んでしまったら 幕府にとって大打撃である。ここは危機管理はしっかりとと思ったシーンであった。 第31回「孝明天皇の立場」より 慶篤がいつのまにやら将軍目代(?)という役職になって慶喜をフォローしている。何か本作あれ、こんなのあったっけ?とい う事が時々出てくるが、これだけ複雑な情勢を描いているとそうなるのはある程度仕方がないのかもしれない。 姉小路公知が暗殺される。攘夷派の公家なのに殺害されている。三条実美も危ないらしい。そんな中松平容保は新選組を呼び出 して、今までは浪人たちの言うことを聞くように努めたがそれでは駄目だという事が分かった。後見職も総裁職も京にはいな い、自分達だけだ。力を発揮してもらいたいと言っている。ここ近藤勇の勝野洋(何気に大河の出演が多い俳優だが、田向作品 は花柳寿楽と共に、全て出演しており「武田信玄」は大熊朝秀、「信長 KING OF ZIPANGU 」は細川藤孝をやっている)と、 土方歳三の橋爪淳は分かったが、もう一人は沖田か?分からなかった。 続きます >>309 より続き 平岡が再度慶喜に仕えることになる。色々大変な状況なので、信の置けるものが欲しいと。 将軍家茂は京にいるが、長州派の公家のためかなかなか江戸に戻れない。結局慶喜が計画を立て、老中小笠原が兵を率いて京に 迫り、老中板倉がそれを朝廷に報告。小笠原は将軍から直接指示をもらいたいという事で、三条は軍が都にはいるのはだめで、 将軍が出向いて指示をすればいいという事になり、家茂は京から出られ、江戸に帰ることになる。しかし家茂は軍艦で空を見上 げながら「星が綺麗じゃ」とのんきなことを言っている。オイ、あんたを江戸に戻すためにどれだけの人間が苦労したのか分か ってんのかコラァと言う(笑)。 それで長州に続いて薩摩も薩英戦争を起こしているが、結局負けて攘夷は無理!ということになる。これを受けて慶喜は、直子 や美賀に小石川の水戸藩藩邸に移ることになるかもしれないと言う。ここ(一橋家)は江戸城にあり、戦になれば江戸城が一番 の戦場になるだろうからと。美賀はここにいたい、死ぬときは慶喜と一緒にと。松島も私もと言うが、美賀は「息絶える時まで そなたに邪魔されたくない」とはっきりにべもない返事をする。直子は皆で一緒に残ればいいではないかととりなす。直子、美 賀、松島のやり取りはいつもユーモアがあって面白い。 真木和泉、桂小五郎、久坂玄瑞が、朝廷は我らの掌中にある。お上に攘夷を申請し、幕府を倒すと。やっぱりこの作品の長州藩 士はかっこいい。 孝明天皇は自分の知らない所で勅定が出たことで激怒しており、幕府は偽りの言葉をいくつも言っていたが政は幕府に任せてい ると。長州は幕府には代われないと。我が臣下が勝手なことをするのは自分の不徳であると反省している。 ということで朝廷の門(九門)は締められ、長州藩は朝廷から締め出されることになる。 英国公使への十万ポンドの履行は、余の独断で行う。ちょっと待って!このことは、神奈川奉行に言わずともよい。 とことん責任を負う慶喜 こんな上司はみたことないな 第32回「慶喜の悪酔い」より 慶喜は後見職の辞表は提出したが、朝廷の許しは得られず辞任は出来なかったという事である。 水戸では那珂川で吉子が釣り(吉子の釣りは趣味であるが、江戸の藩邸にいた頃は藩邸内の池でしか釣りができなかったみたい だから、ようやく外の川で釣りができるようになったらしい)。彼女はもっと遅くまで釣りがしたかったようだが、侍女に言わ れて止めている。しかし釣りをするのに侍女やらお供の武士やらで何人も来ている。不自由だなぁと思う反面、水戸の内部抗争 で藩内が物騒になっていることを考えると、お供を連れて釣りができる吉子はやはり特権階級ということなのだろう。 水戸では(しかし幸吉の家は慶喜、慶篤の密会に使われたりと大物の会う場所になりすぎであるw)藤田小四郎と桂小五郎が会 っている。東西で鬨の声を上げ(桂が)都を攻めお上を救うと言っている。何故か新三郎がいる。それで桂は斉昭や藤田東湖の 書物を読み尊王を学んだ。その弘道館にこれたということで感激している。この時期に桂って本当に水戸に来てたのか?と思っ てちょっと調べてみたら少し前だが(今は1863年の八月十八日の政変の後)、この年の1月に「長州藩主の代参として徳川斉昭 の墓に詣で祝賀使の使命を果たす」とあるから一応この年に水戸藩には来てるんですね。本作は水戸についての描写が多いが、 長州、水戸の繋がりってこの頃の大河では描かれないことが多いので「へえ、桂って水戸藩ともつながりがあるんだね」と思っ たが、史実の桂も結構水戸藩には関わっていた。 続きます >>313 より続き そして、京に行く慶喜の身を案じていた中根が人斬りに逢いあの世に・・・・・。しかしその後何事もなかったように慶喜たち は仕事をしているので、世の中こんなものだと思う反面何となく寂しい。 慶喜は勝海舟に、軍艦なら2日で大阪に行けると聞いて驚いている。夜でも航行できるのは羅針盤や六分儀などがあるからと言 う説明に、自分を重ねたようで(暗闇の中を進むという事に対して)あやかりたいものじゃと言っている。 それでこの後の話が分かりにくいが、幕府は開国の方針だったが、前年の長州の働きで孝明天皇が攘夷の勅諚を出し、幕府はそ れを受けて、せめて横浜港は閉鎖して攘夷の意志を示すことにした。しかしその後薩摩が京都での実権を握ったため再度開国路 線になっている。老中の板倉と酒井は慶喜に、情勢が変わったからと言ってまた攘夷から開国にするのは反対と言うのが幕閣の 意見で、慶喜はそれに反対の意見を出すが、将軍家茂の意見を伺うと、「老中たちに同意じゃ」という。それでこの後の春嶽、 久光、山内容堂との会談で慶喜が「幕府は開国に反対」と言い出したから、他の者は混乱してしまい激論になる(こういう流れ だと思うが、今回録画していたから良かったようなものの、1回見ただけじゃ何で慶喜がいきなり開国反対になったのか分から なかったよー)。 それで久光の提案で席を変えて飲みに行くが、慶喜自身鬱屈した思いがあったからだと思うが、酒の飲み過ぎでぐでんぐでんに 酔っ払ってしまう。で、次回に向けて池田屋に人が集まっている。 第33回「池田屋騒動」より 今回も色々あったのだがうまく説明できない(笑)。 慶喜は中川宮に「幕府は横浜港閉鎖は難しい」と書くので、お上から「横浜港を閉鎖せよ」と言って欲しいと。その後二条城で、 慶喜がその件について話そうとすると、久光が「我が家臣の高崎猪太郎に中川宮が、それはお上の叡慮ではないと言ってきた」と 言い、「何でそれを自分ではなく、高崎などに言うのか?!」と慶喜怒る。 中川宮の屋敷に皆(慶喜以外は、久光と、春嶽と、伊達宗城)で行って慶喜が問いただすと、中川宮は高崎とは会ったが叡慮かど うかという話はしていないと。それでさらに慶喜が激怒してしまい「自分とこの3人の愚物といっしょにするな!!」といい、酔 っ払ってフラフラしながら帰っていく。慶喜が帰った後で久光は「この侮辱生涯忘れぬ」とやはり怒っている。 ここ、本木雅弘は迫真の演技だが、何故慶喜がこんなに怒ったのか良く分からなかったので(中川宮と薩摩の繋がりをけん制する ためか?)、そこがピンとこなかった。 それにしてもこの酔っ払って「愚物」と言ったのって史実なんですね(最も史実では中川宮の屋敷に押しかけたのではなく、中川 宮が招いたようだが)。後、高崎猪太郎も実在の人物で久光に仕えて明治になってからは東京府知事になっているんですね。 続きます >>315 より続き その後慶喜はさくらと酒を飲み「余は変わっただろう」「日々悪しきことを考えている」と言っているから、「自分は悪いこと をしている」という認識なのだろうけど。 それで場面は変わって、久光は大久保に今後どうしたらいいか相談している(久光のやっていることは、元々大久保が考えてる んだろうなと思わせるシーンである)。大久保はいったん兵を引いて考えた方が良いという意見。で、大久保は西郷を許してく れたことに礼を言っているが、久光は「許した訳ではない。下の者たちがうるさいから島から呼び戻しただけじゃ」と強がって いる。で、大久保に連れられて久しぶりの西郷登場。この作品の西郷はホントーに何を考えているか良く分からないポーカーフ ェイスであり、渡辺徹が好演している。久光は嫌そうに(ここら辺の江守徹の演技もいい)西郷に藩の方針に従って朝廷、幕府 長州の動向に目を光らせる事を命じている。ナレーションでぐんぶやく(軍賦役と書くのかな?)は大して高い役職ではない が、西郷は京で薩摩の中心人物になったと言っている。 水戸の吉子が永原から、筑波山で天狗党が兵を挙げたという報告を受けている(どうでもいい話だが、永原は吉子の部屋にため らわずに入っているからかなり慣れたらしい)。それにしても面白いのが、こういう水戸の重大事に藩主の慶篤のシーンがない こと(今までも、斉昭や吉子のシーンばかりで慶篤のシーンってなかったような)。 >>316 より続き 慶喜の所に梅沢孫太郎と原市之進がやって来る。原市之進の山口祐一郎は分かったが、梅沢孫太郎の中原丈雄は全然分からなか った。「真田丸」の高梨内記 の人だったんですね。それで水戸の天狗党の事と長州は示し合わせていることが語られている。 場面代わって池田屋。桂小五郎は古高が新選組に捕まった。都にこのまま居続けるのは危険。と言うが、宮部鼎蔵は水戸が兵を 挙げたのだから自分達も挙げるべきだというし、他の者は同志を見捨てる訳にはいかない、新選組を皆殺しにして古高を助ける んだとか、また他の者は古高は死を覚悟している、それより京の街に火を放ち中川宮と守護職に天誅を咥えようではないかとか 言い出し、とにかく決行すべきじゃそうじゃー!!と盛り上がる(桂以外は)。 しかし桂は、火をつけるのは北風が強い日という事だったが、今日は蒸し暑いばかりで無風だ。大火にならねばこの人数では戦 えん。将軍家と兵は去ったが、京には会津や薩摩の兵がまだ数万いる。どう戦うのじゃ。一気に喉元に迫らないと失敗は許され ん!!と言う。この作品風向きと火の話は辰五郎でやって来たからね。しかしこの桂はやはりカッコイイ。だから長州物はこの 「徳川慶喜」を長州側から作った様な話にしてくれればよかったのに。「花燃ゆ」なんて作るから・・・はぁ。 それで内通者(?)があったのか中から鍵を開け、新選組側に場面が代わり、守護職の兵は遅れると言う報告に、近藤は「これ 以上待てぬ!」ということで池田屋の前へ。 続きます >>317 より続き で、近藤たちは池田屋に入り「新選組でござる」と言ってその後はひたすら斬り合いになる。この作品では桂は屋根を伝って逃げたと いう設定を使ったようで、サっと逃げだす桂がいい。流石「逃げの小五郎」である。ここは近藤勇役勝野洋の独壇場な気がするが、勝 野洋って殺陣も結構上手だったんですね(そう言う目で見たことがなかったので)。 それでその後で、慶喜が容保から池田屋事件の報告を受けている。そして長州萩の海。かなり荒れた海である(田向大河は結構こうい う海が入る演出が多い。「武田信玄」でも上杉謙信や北条氏康が出る前に海を映すシーンがあった。しかし田向大河ではない朝ドラ 「澪つくし」でも初回こういう海のシーンから入ったので、この頃のNHKはこういう演出が好きだったのか?と言う)。それで池田屋 事件は1864年7月8日だから夏のはずだが、夏の萩の辺りの海としては荒れすぎでは?これではまるで「越後の海」である(まぁ、こ このシーンだと穏やかな海は似つかわしくないか)。どうでもいいことが気になってしまった(笑)。 で、藩主の毛利敬親にも池田屋事件の報告は入り「我らの願いも聞かずこのような暴挙。あのような者たちからお上をお救い申し上げ るのじゃ。京を攻めよ!!」で、慶喜が映り「戦いになる」で今回はオシマイ。まぁ長州からすれば敬親のような感想になるのかもし れないが、あなたたちが京で好き勝手やって、しかも京を大火にする計画を立てていたのだからそれはしょうがないでしょ、と言うし か(笑)。 ちなみに今回慶喜は将軍後見職を辞任し、禁裏御守衛総督、摂海防禦指揮となる。 第34回「御所突入」より 平岡円四郎が、水戸の林忠五郎と江幡貞七郎に斬殺される。皮肉なことに平岡は殺される直前まで、今の幕府は信念がないし、 上の方は何を考えているのやらとか言っていたのに、林と江幡は「幕府の手先になって一橋公の攘夷を封殺し、勝手なことを世 に言いふらしている。よって一橋公の名誉のためにその方を成敗いたす」って・・・・・。違う!それは濡れ衣だー!!と私は 思ったがもちろんそんなことは関係なく斬られてしまった。それにしても平岡ってかなりの使い手だったはずなのに、こんなに あっさりやられるとは相手は凄腕なのか?と思って調べたが、林と江幡の剣の腕前は分からなかった。ただ平岡について色々調 べても「剣が強い」という事は書いていないから、それは本作の創作なのかもしれない。 慶喜は平岡の死に、平岡を襲えば余が変わると思っているのか余は変わらん、と。原市之進は幕府が攘夷の件を横浜港のことに 限定しようとしているのが(林、江幡のような)攘夷激派には不満だと言う。慶喜は、幕府は開国するしかないのを知ってい る。それは攘夷を唱える長州藩も同じで、彼らは自分の手で開国したいだけ。尊王攘夷を信じているのは水戸の激派だけで、彼 等は世間を敵に回しても戦い続けるしかない哀れな者たちじゃと。 慶喜は長州が「攘夷ができないことを知っており、攘夷を言うのは朝廷を味方につけて倒幕をするため」と言っているが、実際 の長州ってどこで「攘夷ができない」という事を知ったのだろうか?やはり下関戦争の後くらいだろうか(本作で慶喜は、それ 以前から長州は攘夷ができないことを知っているとは言っているが)。後倒幕をハッキリさせたのもいつなのだろう(これも本 作かなり早い内から慶喜は「長州は倒幕したいのだ」と言っているが)。しかしまた「花燃ゆ」の話になるが、あれは「倒幕」 ということがはっきりしていなくて、「何のためにこいつら暴れてるんだ?」という印象になってしまっていた。敵をはっきり 描かないと単に馬鹿が暴れているようにしか見えないからやめろと言うのに。その点本作は「何が敵か?」ということが描かれ ているので安心して見られる。 続きます(後になります) >>319 より続き 吉子(貞芳院)は永原から、幕府が筑波勢の討伐を決め、川越以下11藩に命令したと報告を受ける。吉子は誰か筑波勢を説得で きるものはいないのか?と言うが永原は武田耕雲斎あたりにさせるしかないかとと言い、吉子は耕雲斎は攘夷派だから取り込ま れるのではないか?と。永原は自分が藤田のところに行って、説得できなければ腹斬ってお詫びを!と言うが、吉子はそなたの 変わり果てた姿など見たくもありませんと言って、重要なのは死ぬことではなく争いを止めることじゃと言う。それで吉子の手 紙を永原が持っていき、返事を必ず持って帰ってくるようにと永原に言う。 永原は水戸天狗党の陣所に行き、藤田小四郎と田丸稲之衛門(演、田口計を見て、「ワー、時代劇のワルをやっている人だー」 と思った。もしかしてこういう悪役じゃない役は珍しいかも)に会う。2人とも貞芳院様の気持ちはありがたいが、もう引き下が れないと。永原は勝ち目はないと言うが、藤田は勝ち目があるから立ったのではない。国の行く末を思ってのことじゃ。国体護 持のためじゃ。お上のご心痛を思え、幕府の裏切りを思え!帰れ!!となってしまう。 このシーンを見て田丸稲之衛門について少し調べたが、驚いたのが、この天狗党の乱の後に田丸本人が処刑されたのは分かるとし ても、田丸の母(82歳)、妻、娘3人(一番下は10歳)、2歳の長男すべてが獄死、斬首になっていること。長州藩なんかも内ゲ バで人は死んでいるが、女子供をここまで処刑したって例がないような?水戸藩は諸生党と天狗党の間で明治以後も殺し合いにな ったと聞くが、そりゃあこんなに殺していればそうなるだろうと言うしか。何でこんなことになったのか、私がちょっと調べたく らいでは分からなかったが、一つの原因は慶篤だろう。本作でも彼がリーダーシップを発揮している場面がほぼないし、この「天 狗党の乱」でも天狗たちが頼ったのは慶喜で(結局慶喜は討伐側に回ったので無駄だったが)慶篤ではないし、どうも史実でも 「頼りにならない藩主」だったというのは事実らしい。 続きます >>320 より続き そしてたみが新三郎を見つける(イヤ、今回平岡は死ぬし、天狗党の乱だし、禁門の変も勃発するのにこいつらもかよ!?と思ってし まった)。たみは新三郎をバシバシ叩き、みよもひっぱたき「佐衛門殿はお前のせいで殺された(あれ?あの時点では殺されたのかは っきりしていなかったはずだが女の勘か?第11回 >>228 参照)。中根殿も平岡殿もお殿様のために亡くなったが、お前は何をしてい る!!」と言うが、中根はともかく、平岡って死んでそんなにたっていない筈なのにたみが知っているのは、一橋家の誰かとこまめに 文のやり取りでもしていたのだろうかと思った。そうでないとわからないはずと変なことが気になった。 さらにたみは新三郎に「恥を知りなされ!お殿様の所に行って中根殿や平岡殿の分まで働くのじゃ」と言うが新三郎は帰らないと言う。 それにしてもたみは気の毒である。何となくすぐ泣いたりとうざく見えるが、慶喜が彼女と新三郎を強引に結婚させなければ、こんなこ とにならなかったわけで、全く慶喜には責任を取って欲しいものである(笑)。 場面は変わって、慶喜の所に京都所司代松平定敬(松平容保の弟)と老中稲葉正邦(前京都所司代)が来る。長州藩は京の外まで来てい て、藩主と七卿の赦免嘆願をするため京に入れて欲しいと言うが、慶喜は許さず帰藩するように言っている。松平定敬も稲葉も長州を討 伐した方がいいと言うが、慶喜は長州は攘夷を守り異国を追い払おうとした。お上の叡慮を一番守っている藩と言えるので討伐やむなし と言うところで動かないと、長州を許せと言うものもいるから、討伐の判断は早くても遅くても駄目だと言う。定敬によると容保の容態 は良くないが、お上を守れるよう御所に移ったと。 その後水戸の天狗党の件で、原と梅沢が話に来る(見ている方も情勢を理解するのが大変である)。慶喜は兄慶篤はどうしているのかと 聞くが、幕府寄りの市川三左衛門、天狗寄りの武田耕雲斎と幕閣の意向に挟まれて身動きできない状態ですとのこと(こんなのばっかり の慶篤である)。水戸は内乱になると。 続きます >>321 より続き で、その後は朝廷での公家たちの議論というか口論。幕府側の者と、長州側の者で割れている。 そしてキター!慶喜と西郷の対面が(「西郷どん」ではろくでもなかったからなぁ。こういう風に簡単には会えないと言うのが普通だ ろう)。西郷の自己紹介とか、薩摩は兵は出さないのか?とか長州の出方をどう見る?とか通り一遍の話だったが、最後に慶喜が「薩 摩は暑いそうじゃな。余も外で日焼けがしたい」とか言うのは単なる世間話だったのだろうか?意図が良く分からなかった。 で、その後各藩の御所の配置が細かく説明されるのだが、めんどくさいので省略。 元治元年(1864)7月18日 とテロップが入り、正親町三条実愛が手紙を持ってバタバタと走ってきて、長州派の公家たちと相談して 長州の正しさをお上に訴えて勅定をもらい、幕府勢力を一気に追い払おうとしている。 続きます >>322 より続き 慶喜は長州の本隊が出発したという事を受けて、「もう何度も説得した。本隊が来る前に討伐せねば」「明朝兵を動かそう」と。 そこに長州派の公家たちが参内したと報告があり動きがありそうという事で、慶喜は鎧は後で届けさせよと馬に乗って一人駆けて いく。 御所に行き、孝明天皇から再度長州討伐の件の許可をもらう。そして激しい戦闘になる。慶喜は指示を次々に出している(戦場で のこういう指示の出し方が上手なのが田向大河の特徴だと思う)。しかし慶喜は初めてする戦争の指揮のはずだがしっかりできて いるのが凄い。 慶喜は小御所にいる正親町三条実愛に「小御所まで攻められるのは総督の失態。早く和睦を結びなされ!!」と言われるが、「何 故敵に手を差し伸べようとするのですか。和睦など有り得ませぬ!!」と返す。 さらに慶喜は中川宮と会い、「お上を移したほうがいいのでは?」と言われるが「必要ありません!」と言い、孝明天皇のいると ころへ行って(容保もそばにいる)、「長州の者たちが攻めてきているがいましばらくの辛抱を。まもなく成敗して京から追い出 します」と。 長州が鷹司の屋敷に忍び込んで鉄砲で撃ちかけているということで、慶喜は怪しい屋敷は火をかけてあぶりだすのじゃと命令する。 慶喜が自ら戦ったと言うのは史実の様だが、こんなに激しい戦いだったのだろうか?多分このシーン室内撮りなのだろうが、脚本演 出がいいせいか迫力のあるシーンに仕上がっていると思う。それで慶喜が銃弾に倒れるシーンで今回はオシマイ。 >>321 たみの中の人、リアルタイムで観たときはなんかわざとらしくて気持ち悪い感じがしましたけど、 「ひらり又四郎危機一髪」のヒロインとか、いくつかの現代劇を見たら違和感なかったんですよね。 演じやすい演じにくいがあるからか、はたまたいま観たら印象が変わるのか。 >>325 いや確かに、印象は「わざとらしい」「気持ち悪い」だと思います、私も。ただ新三郎との結婚の経緯を考えると(新 三郎がみよに入れ込んでいたので、それを忘れさせるために強引に慶喜が結婚させた上に、みよのことはたみには全く話してい ない)、たみがこうなっちゃったのは、こういう結婚をさせられて理由も分からず、夫が消えてしまったせいなので、そういう意 味では、水野真紀はそこまで考えてああいう演技をしているのかもしれないです。 第35回「母の苦悩」より 前回銃弾に倒れた慶喜は、単に弾がかすっただけの様ですぐに復活。大勢で殿を運ぼうとしていたところに気付いたので、「何を するか下ろせ―!」「おお!生き返られた」と言うのが何となくおかしかった(田向大河、この後起こった永原の撃たれたシーン もそうだが、真面目なシーンでも「間」で感じるおかしさみたいなものがある。「武田信玄」でも「キンジパ」でもそうだった)。 鷹司邸では屋敷が焼けて、太閤政通が茫然。しかも清子の亡霊を見てしまい、息子の輔熙がその場から避難させようとしても動か ず人を呼ぶ事態になっている。 結局長州勢を追い払うことには成功したが、そのために火をかけたので2万1千件の家が焼け、都の中心は焼け野原となる。ちょっ と考えて思ったが、これ皮肉にも長州が池田屋で立てた作戦を幕府の手でやってしまったということになるのでは・・・。 それにしてもこの作品久坂の死はやらなかったのね。そこはちょっと見たかった。鷹司邸も輔熙も出てきたのだからついでに(?) 輔熙が久坂を振り払うところもやってくれればよかったのに。 続きます >>326 より続き うめが横浜で、ピアノでバッハのメヌエットを弾くのを、窓にかじりついて聞いている。父の与兵衛は怒っているが、そこに外 国人女性が通りかかって与兵衛に注意したので、彼はびっくりして逃げている。ここ何と言うこともないシーンなのだが、「麒 麟がくる」でオリキャラの駒が、全く説得力のない描写でどんどん偉くなっているのを見てしまうと、この「うめの描写」はい いなと思う。うめは元々三味線が好きで、両親に怒られようが何だろうが家の手伝いもせず、ずーっと三味線を弾いていた。そ してここではピアノに夢中になっている。「ああこの子は本当に音楽が好きなんだな」というのがわずかなシーンで良く伝わっ てくると思う(以前はそれほどそんなことは思わなかったのだが。それにしてもあれだけ時間を使いまくっているのに駒描写の 説得力のなさは問題だと思う)。 で、今回は何と言っても吉子(貞芳院)若尾文子の独壇場だった。吉子は諸生党の市川三左衛門、佐藤図書に城下にいる武田耕 雲斎たちを城に入れるように言うが反対され、彼らの話を聞いている内に鉄砲の音が聞こえ戦闘が始まってしまう。吉子は自分 が話をするといい、永原や侍女、市川達にとめられながらも水戸城の城門を開けさせ、話しかける。 それで市川も佐藤図書も無役なのに藩内を取り仕切っているみたいだし、天狗党の方も武田耕雲斎や藤田が「撃つのを止めよ」 と言っても止まらないし(止まったのは吉子が演説をした時だけだった)、本当に統制がとれていないのが良く分かる描写であ る。さらに江戸にいるからと言うのもあるだろうが、今回一瞬も藩主の慶篤が出てこない(史実の慶篤は病弱だったらしく、吉 子が後見していたらしい)。 続きます 京都で命懸けで戦ってた慶喜に対して江戸の老中達のあの言い草… 聞いていてほんま腹立つわ >>327 より続き で、吉子は「やめるのじゃ。皆々顔見知りではありませぬか。話し合えばわかることではありませぬか。何故殺し合ってまで争 うのじゃ?刀を収めなされ。親兄弟を思いなされ。我が子を思いなされ!何のための争いなのじゃ。憎みおうて生まれるものは 何一つとしてありませぬ。やめるのじゃ」と敵味方問わず話しかける。これは史実ではないようだが、史実の水戸に吉子位リー ダーシップを発揮できるものがいたら、それこそ女子供まで殺す水戸の悲劇はなかったのかもしれない。 しかし結局その後のシーンでは、吉子の呼びかけにも関わらず戦闘は続いており、吉子は「だれか中に入って話してくれるもの はいない者ものか」とつぶやいている。追討軍は19藩に増えたと侍女の綾小路から報告があり、武田耕雲斎たちを救えないとい うことじゃなと言っている。綾小路は一橋公なら救えるかもと言うが、吉子は即座に慶喜は禁裏御守衛総督であり、天狗党は長 州と同じく朝廷に逆らうものだから慶喜にとっても敵じゃと。 それで永原は吉子が城門を開けさせて話しかけた時に、吉子の盾になろうとして撃たれたので、吉子と綾小路はその容体につい て話しているが、そこへ「呼ばれたような気がして」と永原がふらふらしながらやって来てばたりと倒れる。 それで慶喜は長州征伐について進めているが、江戸の老中たちは禁門の変で負け、異国の艦隊に砲撃されてお台場まで壊された 長州はもう終わりだと思っているようだが、今回のラストで長州は異国と和睦したという報告が慶喜の所に届いており、長州は 油断できないと言っている。 今回最初の8分くらい見そびれた(泣)。 第36回「仇討ち」より 慶喜は老中稲葉正邦と話している。慶喜は今が長州を攻める時と言うが、稲葉は征長総督を尾張慶勝にお願いしているが受けてくれな いと。それで 稲葉「恐れ入り奉ります」→慶喜「恐れ入り奉りますと言っている場合ではない」 稲葉「恐れ多いことにございます」→慶喜「そうではない」 とドライな慶喜である(というか田向大河の主役の特徴ともいえるが)。慶喜はお上は幕府を信頼しようとしているし、外国は幕府の 出方を見ているからここが正念場と言うが、稲葉は、御所で長州に勝ったことや、長州が外国に負けているので江戸城では喜びに沸い ていてこの京の空気が伝わらないと。 原が慶喜の所に来て、水戸は幕府の応援を受けた諸生党が有利となり、天狗党は水戸城下から追い払われた。武田耕雲斎は天狗党を説 得できず、水戸城にも入れず天狗党と一緒に戦っている。慶喜は「間に入る者はおらぬと申すか」と吉子と同じことを言っている。 吉子は永原のけがが長引いているので(しかし綾小路にも怠け者と言われてしまう永原、どこまで周囲を騙しているのか)、見舞いに 行くと言う。ということで戯作者「恋思川永春」だという事が吉子にも侍女たちにもばれてしまっている。 続きます >>330 より続き 今回は勝、西郷の対面もあったが、勝は「幕府に方針などない。全国から優秀なものを集めて議会を開いた方がいい。長州はそ の時に役に立つだろう。幕府は政治を私(わたくし)している」と言い、その時の西郷の表情が珍しく驚いたような表情を見せ ている(今まではポーカーフェイスだったから)。こういう無言の中に興味を惹かれた表情をする渡辺徹の演技がいい。 天狗党は慶喜に助けを求めているが、それは出来ないと言う慶喜。 その天狗党の藤田小四郎と武田耕雲斎は、藤田が「京に絶対に行く。一橋公に会って尊王攘夷を訴える。朝廷も味方してくれる かも」と言うが、武田耕雲斎は「我らは世間から見れば暴徒。一橋公も我らの味方は出来ない。尊王攘夷の志を示すためここで 死んだ方がいい」と意見が割れている。 新三郎とみよは天狗党の一行からはぐれてしまった。2人で死のうとするが、そこへ早川良介(みよの主人で新三郎が切り殺し た、重吉の弟)が現れて切りあいになり相討ちとなる。 慶喜は天狗党の討伐をお上に願い出ている。 最近オンデマンドで見たからスレあって嬉しい 長文の人の流れ読まずに書きますがお公家さんの中ですごくセルフ回しの変な人がいませんか? 外国の人がカタコトの日本語しゃべってるような あの人が気になって気になって 禁門の変の慶喜は間近で見た薩摩の小松帯刀が「古今無双の豪傑」と書き残してる その公家は大原重徳(演、岡村喬生)岡村はオペラ歌手という。だけど喪黒福造みたいな感じだった >>334 そうなんだ!本職はオペラ歌手のかただったんですね それでセリフに特徴があったのか ありがとうございます! 第37回「慶喜の頭痛」 体調が悪くうまくまとまらないかもしれないが、とりあえず昨日分。 新三郎が死に、みよはすぐ後を追おうとするが、たみはとめる。このシーンのたみ(水野真紀)の新三郎を見る顔が良かった。 感慨深い顔というかあきらめのような、うまく言えないがとにかくよかった(説明になっていない)。 慶喜は表向き天狗党に何もできないと声を荒げつつ、辰五郎に手紙を持たせるのがいい。天狗党を解散し少人数で行動すれば一 人二人は生きられるかもと。それにしてもこういうシーンを見ると、辰五郎が手紙を持って武田耕雲斎に会いに行く道中とか描 いても面白そうな気がするが(もちろん本作そこまで描いていないけれども)、そういうシーンをずーっとやっていたはずの 「麒麟がくる」の描写はそれほど面白くなかった。あれだって戦国時代なのだからスリルある展開にいくらでもできるはずだが、 何となく光秀って何をやっても死ななさそうというか(一応怪我もしてるのだが)、緊張感が足りない気がする。 続きます >>336 より続き 長州征伐について、松平容保と弟の松平定敬がやってくる。長州藩が責任者である三家老を切腹させ四人に死を命じ、彼らが勝 手にやったことにしたと容保は報告。それを聞いた定敬は「それはおかしい!藩主敬親の軍令書があったではありませんか!!」 と慶喜の目の前で兄弟で言い合っているのが楽しい(笑)。さらに長州藩に潜入してきたと言う近藤勇が、薩摩と長州は犬猿の 仲なのに、西郷が説得できたのが不思議だと。こういう「近藤勇の目から見た西郷」が語られるのも本作のいいところだと思 う。下手な大河ドラマだとこういう語られ方をするのが主人公だけという事になりかねないので。それでそれをうけた慶喜が、 あのものは命を捨てていたと言い、西郷から目を離すなと近藤に言っている。後このシーンで、容保が天狗党のことを気遣うセリ フがあって、慶喜の内心を気遣って言っているのだろうな、と言うことが分かる。 たみが慶喜の所に来て、新三郎が死んだことを報告。優しく聞いている慶喜だが、こうなったのはアンタのせいだからな(←まだ 言っている)。たみとみよは結局よしに預けられることになる。 寺岡勘十郎がを組に来ている。そこで町内が火事になり、れんが男達を送り出している。寺岡も「男勝り」と感心しているが、こ のシーンのれんはいなせでカッコイイ。大原麗子は色気と共にこういうきっぷのいい感じを出しても独特だったなぁとしんみりす る。 続きます >>337 より続き 天狗党の武田耕雲斎と藤田小四郎が対立している。耕雲斎は「逃げるのは恥ではない」といい小四郎は「逃げる者は許さん」 と。本作藤田小四郎(演、田辺誠一)は、なんというか「過激な尊王攘夷の志士」というイメージがピッタリである。「花燃 ゆ」や「西郷どん」でもこんな感じの志士が見たかった。いや演技がどうこうと言うより(演技なら、「花燃ゆ」で吉田松陰 を演じた伊勢谷友介は結構良かったと思う)「尊王攘夷」ということをきちんと描いているか描いていないかの差なのだと思 う。「徳川慶喜」だと当初から尊王攘夷を色々な面から描いてきたが、「花燃ゆ」「西郷どん」はそれが描かれていないので、 伊勢谷友介のように熱演すると「思想が見えてこないので不気味」という事になってしまうのだと思う。本作藤田小四郎は純 粋で正義に満ち溢れ、頑固で不器用な感じで感情移入して見ていられた。それで結局天狗党は降伏。武田耕雲斎含め半数以上が 死罪となった。 最後は薩摩にいる西郷と大久保。西郷は長州は生かす、幕府はいらぬと思う、共和政治を考えていると大久保に話している。 そこでナレーションで、慶喜の周囲から人が消えて、後は敵が増えていくばかりだったということで今回はオシマイ。 体調が悪くてうまくまとめられないことが続きますが。 第38回「条約勅許」より 何故か幕閣大奥では、慶喜が長州攘夷派の公家と結んで長州征伐を中止したことになっている。 しかも何故か将軍家茂役が変更になっている(水橋研二から進藤健太郎へ。何か事情があったのだろうか)。観行院倒れる。 当初家茂は上洛しないということになっていたが、結局上洛となる。しかし戦争はせず。長州を甘く見ており、謝罪に来させ ようとしている。 兵庫開港を幕閣の一存で決めてしまい、慶喜は通商条約だって違勅状態である。幕府は長州と戦うつもりなのに朝廷を敵にし てしまうのは長州の思うつぼと。 話は飛ぶが笑ったのが、イギリス公使パークスが「幕府は嘘ばかりだ!!」と怒っているのを「大層お怒りにございます」と 通訳が言って「たわけが!怒っているのは相手を見ていれば分かる!」と言う返事。この時の通訳はどうしたんだろう?と思 った。後、大坂町奉行の井上義斐が血判を示そうとして刀を抜くと、パークスたち公使はビビっていて、この後どうなったの かな?と思ったが(その後の描写がなかったから)、井上義斐のウィキを見たらこれ、史実だったんですね。「自らの薬指を 切って血判を押して約すると威嚇して同意を得た」とあるから血判は作らなくて良かったらしい。 続きます(それにしても時間がかかる悪にまとまらない) >>339 より続き ※339の最後の文章は「時間がかかる割に」ですね。 慶喜は勅許を得るために言葉を尽くすが、そこに朝廷側に伝言が届き、伝言ゲームの様に耳打ちし何かと思えば、老中二人を(朝廷が) 罷免したことに、将軍が職を辞して江戸に帰ると知らされ、慶喜はすぐに追いかける。将軍は年寄りたちがそう言えと言うからと答え、 慶喜は老中たちは無責任だと言うが、老中たちは朝廷に罷免されたことでこれは幕府の専権事項であり、こんなことでは自分達は何もで きない。将軍職は中納言様(慶喜のことね)にと。慶喜は上様は京に戻りそこで相談だと。勅許は自分が全力でもらうと言い、その言葉 通り勅許をもらう。 何か分かりにくい気がするが、どうも体調が悪くて文章がうまくまとまらない。 第39回「将軍急死」より 今回も簡単に。 中山五郎左衛門が京の町のことを慶喜に細かく伝えているが、「こういうことをするために彼がいたのか」と思った。なんせ町 人の生活に詳しいだろうなと言うのは今まで見てて分かっているし。 江戸ではれんが火消しの指揮をしているが、そこに寺岡勘十郎が来て、れんが泣きだす。寺岡がどうしたのかと聞き、「ここに ガンツム辺りが来たらやばいぞー」と思ったら本当にその通りで(笑)、勘違いしたガンツムと寺岡の喧嘩。それにしても寺岡 は架空の会津藩士で、もう少し「会津藩士の目から見た世界」を描くのかと思ったが、そこはあまり描いていない気がする(今 後描かれるのかもしれないが)。今のところ何で出てきているのか分からないキャラになっている。 続きます >>341 より続き そして西郷、桂の会談、薩長同盟だー(と一人で盛り上がる)。2人で囲碁を打ち、西郷は自分の番になると出て行きしばらく 帰ってこない。桂が待っている間に夕暮れになっている。しかも戻ってきた西郷は順番を相手からと間違って、桂に指摘されて いるし。 桂:私はあなたに招かれて会ったのです。酒を飲み囲碁を打つためではありません。今日で3日でござる。待たせるばかりで何 の話もないとは無礼ではありませんか 西郷:まことに申し訳ないことでござった。 桂:間に入る者があり、是非ということであった。もしさしたる話がないなら、それがしはごめんこうむりたい。 西郷:話はござる。 桂:それならなぜ3日も待たせるのか。それがしをからかうおつもりか。 西郷:どういう風に切り出せばいいか考えていたのでござる。やはり単刀直入がよい。まず我が藩と貴藩の間に長年横たわって いるわだかまりを水に流してもらいたい。 桂:それがしは長州藩の一藩士にすぎません。そのような重大なるお話をこの場でお約束することはできますまい。無意味でご ざる。 西郷:長州藩全体の約束などそれこそ無意味でござる。あなたの約束を頂きたいのでござる。あなたが水に流すと言えばあなた を信じましょう。それがしも今この時をもってすべてを水に流します。それがしを信じて下され。もしそれがしを信じら れぬならこの場で斬り、帰って下され。我が藩と貴藩の間に和が生まれなければ、新しい日本などできませぬ。あなたを 信じることがその第一歩にござる。 続きます >>342 より続き 桂:水に流しましょう。 西郷:では(と言って碁を打つ) そこでテロップ。「慶応二年(1866)一月二十一日薩長同盟成立」 薩長密約は六か条からなる軍事同盟である。 長々と書いたが、主人公側ではない本作の「薩長同盟」は良かった。どうも近年の2作品(「花燃ゆ」「西郷どん」)の薩長 同盟の出来が良くなかったせいか、シンプルではあるが(慶喜主役の本作だとここにそんなに時間をかけられないので)、 良くまとまっていたと思う。 その後、板倉とか小笠原の老中再任とか、慶喜と春嶽との「幕府をどうするか」と言う議論などもあったが省略。それで将軍 家茂が急病で倒れ、亡くなってしまう。 慶応二年(1866)七月二十二日家茂死去、明治維新まであと二年 というところで今回はおしまい。 勝 「上様は土佐の坂本龍馬という名をお耳にしたことはごさいませぬか」 慶喜 (一言)「無い」 ここのやり取りほんとすこ もし今の令和の大河だったら慶喜と龍馬無理矢理絡ませてファンタジー大河になっちゃうんだろうな 第40回「徳川家相続」より 体調が悪く遅れていますが面白いと思ったところだけ簡単に。 慶喜は馬を使って、京大阪を往復しているが、疲れたとのことで寅之介に腰をもんでもらっている。長時間乗馬なんて したことがないから(というか馬に乗ったこと自体、子供の頃テーマパークで乗っただけなので、そんな私に乗馬のこ とが分かる訳もないが)、考えたことがないが、確かにきつそうだよね、とここを見て思った。 それでラストの大阪城のシーンだが、慶喜は「長州藩主毛利親子は亡き公方様の敵にござる。此度余が出馬するからに は、例え千騎が一騎になっても山口城まで侵入し、戦いを決する覚悟じゃ。これは死をもってしても価値のある正義の 戦いでござる。覚悟のないものは去ってよい」 →老中小笠原長行登場(ボロボロ、腹斬ってお詫びを!と騒いでいる) 小倉城は持ちこたえられず長州の物に。小倉 を奪われたということは下関海峡を奪われたということ。肥後、久留米、柳川が兵を引いたという事は九州はほぼ長州 寄りに。そこに薩摩が加わるので九州は難しいことになった。 →慶喜「よし、長州のことを片付けよう、征伐は止めじゃ!」 ・・・。これじゃあ誰も納得できないでしょ。いや、状況が変わったと言うことは分かるんだけどさー、さっきまで 「死をもってしても価値のある正義の戦い」とか言っていたのは何だったのさ(笑)。案の定この後老中板倉に「長 州征伐をさせて下さい!!」とか泣きつかれているし、孝明天皇も(天皇は慶喜が将軍職に就くことを期待していた のに)「慶喜は何をしておるのじゃ!長州を征伐せよ!!」と怒っているし。確か司馬遼太郎の原作でも「慶喜は先 が見えすぎる」みたいなことを書いてあったと思うんだけど、実際こうなったら「この人、付き合いきれん・・・」 と思うだろうね。 第41回「将軍慶喜」より 今回も簡単に。 長州と交渉するための下準備として勝海舟が選ばれて慶喜と打ち合わせする。その中で「このところ西郷は大久保と組んで共和 政治を主張しております。共和政治と言うのは」「そのことは知っている」と慶喜に遮られているが、そもそも西郷に共和政治 のことを吹き込んでその気にさせたのは、勝、あんたでは?と思ったらそうだった(>>331 の時)。人が悪いと言うか何とい うか(笑)。まぁこんなところでそんなことをばらす方がおかしいか。 王政復古を求めて公家たちが押し寄せてくる(多分、廷臣二十二卿列参事件だろう)。天皇は関白二条斉敬に「あの者たちに罰 を与えるのじゃ!(二条関白は辞意を示すが)そなたが辞めること許さん。将軍職を慶喜が受けないなら、勅命を出し、それで も従わないなら、直に申し渡す!幕府がしっかりしなくてどうするのか!」と怒っているが、この役の花柳寿楽は怒っていると ころが上品だと思う。キンジパの時の将軍義昭もそうだったし、「武田信玄」の北条氏政もそうだった(氏政の時は独特なキン キン声がうるさくて、いつも怒ってたけど)、何か目立つ人だなぁと思ったら、花柳流の日本舞踊家だったんですね。これを知 った時「ああ通りで」と思ったものである。 天皇の勅命もあり、慶応二年(1866)十二月五日、慶喜は第十五代征夷大将軍となる。 第42回「孝明天皇の死」より どうでもいい話だが、この作品の二条斉敬(演、小林勝也)は麻生太郎氏に似ていると思う(口がまがっているところとか、声 も何となく似ているような気がする)。 前も書いたことだがこの作品のうめはいい(今回は、ピアノを習うために家であれだけ手伝いをしなかった彼女が、雑巾がけを していてぐっと来た)。音楽をやりたくて一生懸命なところがいい。失礼ながらあまりきれいな女優さんでもないし可愛いタイ プでもないがそこがまたいい(日本のドラマを見ていて感じる事だが、男子はまだ普通にイケメンではない人が結構出てくる が、女子はほぼ美人とか可愛い子しか出てこない。大河ドラマの主役も、男性は西田敏行とか松山ケンイチとか古くは中村梅之 助等、イケメンタイプではない主役がいるが、女性はいない。「八重の桜」とか「花燃ゆ」とかヒロインは史実では「美人でな い」はずだが、演じたのは綾瀬はるか、井上真央だった。個人的にたまには一般的美人ではない主役がいた方が、「美人とは言 われない女子」の希望になると思うのだが)。再放送中の朝ドラの話になるが「澪つくし」のかをるを見ていると、なんせ沢口 靖子なので誤魔化されてしまうが、恋愛のことしか考えていないわ、なら好きな人と一緒になろうとするかというとそうでもな いわ、両親の顔を立ててお見合いするのはいいが、半端に好きな人のことを考え(口には出さないが、ろくすっぽ見合い相手の 顔も見ないで、好きな人のことばかり考えていて、失礼過ぎると思う。親のために見合いすると決めたのなら、もう少し見合い 相手のことを知る努力をするべきではないのか)、ふらふらしていると言う。そういうのを見ると両親に呆れられても好きなこ とに一生懸命なうめはいい。話がズレまくったけど。 続きます >>349 より続き それにしてもさくらのところに通い続ける西郷が不気味だった。わざわざ「わしは徳川慶喜殿の敵じゃ」と言っているから、慶 喜とさくらが懇意なのを知っているのだと思うが、西郷が何をしたいのかよく分からなかった。 今回独り言を言いながら政治のシュミレーションをしている慶喜が面白い。何か難しい問題に当たった時ああなるのは良く分か る(笑)。 西郷、大久保、桂、小松帯刀の密談というか悪だくみのシーンがいい。本当にこの作品の維新三傑は「政治家だなぁ〜」という 感じである(繰り返すが「花燃ゆ」「西郷どん」の彼等は今一つ政治家には見えなかった)。それでここで「お上が痘瘡になっ た」というニュースがもたらされるが、彼等の「これをうまく使えば有利に運べるかも」というのを押し隠しながらも、さり気 なく嬉しそうな表情が印象的だった。 慶喜は西周に西洋の政治の講義を受けているが、西は「人民に仕事を与え給金を払えば、人民は少しずつ豊かになり、ますます 仕事に対する気概を持ちまする」と言っているが、これ現代にも言えることだよねぇ(西の講義は何度か出てくるが、今の時代 でも通じる内容だと思う)。しかし今だと「働いても豊かになっていない」から、仕事に対する気概の持ちようがないという日 本の現状なのが悲しい。 >>349 その話題、なんかどこぞのレビュアーさんと波長が合いそうで悔しいんですよねぇ。 >>349 そのどこぞのレビュアーさんは意外に、美男美女がドラマの主役をやるのは当たり前という人だったと思います。レ ビュー(?)を見ていても「大河ドラマや朝ドラの主役は美男美女ばかりだーッ!おかしいーっ!!」とは全く言っていなかっ たはずです(笑)。 第43回「議題草案」より れんと寺岡が会っている。寺岡の独り言(れんがいないとき)「幕府がおぼれる寸前だと言うのに何をしている。都にさえお供 できない自分に何ができる。留守番をしているだけじゃ。日本国中大戦(おおいくさ)になればいい。さすればお供も留守番も ない。暴れまわってやる」そこにれんが戻ってきたので寺岡の独り言は中止になるが、寺岡よかったね!この後鳥羽伏見やら会 津戦争やらで「大戦になったので思う存分暴れまわれたはず」である。しかし寺岡が戦で暴れまわるシーンってあったかなぁ? そもそも本作鳥羽伏見はあっても、会津戦争はやらないが。しかしこの後の会津の地獄を思うと、大原麗子(笑)と酒を飲む方 が幸せな日々だったと思う。 今回の西周だが、以前の勝海舟と同じく、フランスからの借款は危険という事を慶喜に話す。こういう「フランスに頼りすぎる のは危険」という情報が手を変え品を変え出てくるのも本作のいいところだと思う。西周の講義と老中などの面会を両立して行 ったり来たりする慶喜の忙しい感じがいい(良く分からないがこの行ったり来たりするのも史実なのだろうか)。 それにしても最後の兵庫開港の件、「朝廷の勅許が大切!」と繰り返してきた慶喜が、いきなり勅許なしでパークスに兵庫開港 を許可したので唖然として意味が分からなかったのだが、それも含めての慶喜の作戦という事なんだろうね(理解するのに時 間がかかった)。 >>352 のアンカーは、>>351 です。間違えました。 第44回「倒幕」より 勅許を取らず兵庫開港した慶喜に、公家も幕府も大騒ぎ。さらにイラついている様子の薩摩の小松帯刀と大久保一蔵。小松が 「今度こそ一橋に出し抜かれぬよう段取らねばならぬ!」大久保「ご家老!!それを仰せにならないで下さりませ。この大久保 二度も三度も出し抜かれませぬ!」うーん、ここの大久保が「策謀家のプライド」に溢れていて実にいい。これだよこれ!こう いう大久保が見たかったんだ。何度も繰り返すが「西郷どん」の大久保は全くカッコ良くなかったし、「花燃ゆ」に至っては出 演さえしてなかったからなぁ。 松島が美賀の許しを得て(慶喜の情報が手紙しかないことに不安を募らせている)京都に行くことになる。それで・・・、何で 「徒歩」で京都に行くのだ?(どう考えても輿とか使う立場のような) しかもよしに狐扱いされてるし(いくらなんだって事 前に連絡が行くだろう)、よしが「誰?」って有り得ないだろう。まぁ松島、よし対決を面白おかしく描きたいからだろうけ ど。 うめのピアノの上達ぶりが早い。教えているウォルトンに「彼女は天才だ」と言われている。それでウォルトン夫妻の通訳の侍 がうめのピアノに合わせてリズムを取っているのが面白い。なんかちょい役の割に無駄にイケメンで、調べたら野地将年(ちな みに役名は松岡源三郎)というらしい。なんか体格がいいと思ったら大学時代トライアスロンをやっていたという事だった。 続きます >>354 より続き 小松と大久保が、久光に「兵庫開港より長州を許す勅許を先に貰って欲しい。長州を許すのは簡単ではないから、兵庫開港が遅 れて各国の公使が怒り狂い、我らの出番になり我らならパークスを説得できます」と平身低頭して頼んでいるが、「くどい!」 と久光はイラついて小松と大久保に八つ当たりしている。「下々の者が動き回り世の中を変えると言っているが、変わったのは 幕府だけじゃ。一橋が出てきてから幕府は軍制改革を行い、製鉄所を作り、商社を計画し、朝廷さえ思い通りに動かしている。 正論だけで世は動かぬ。小松!家老のその方の責任は重大だぞ!下の者に任せろと言い続け今になって世を引っ張り出すとは何 事じゃ!!」イヤァ、本当この江守徹の久光の怒りっぷりがいい。「我儘な殿様」が板についている。「翔ぶが如く」で久光だ った高橋英樹も良かったが(余談になるが、高橋英樹は円満な殿さま役とかもやるが、久光のような感情の振れが大きい役の方 が生きる役者な気がする)、こちらもうまい。 小松も大久保も謝罪しまくっているが、久光は「余は一橋の顔など見たくないのじゃ!!あのものに両手をつくなど我慢なら ん!!」「あのものを将軍後見職につけたのはこのわしじゃ!!しかし恩をあだで返した!!」「大体ろくに口のきけぬ西郷な どに公家の屋敷に行かせるな!相手が何を聞かされたか分かるまい!!!」(興奮度マックス)→「西郷ただいま戻りました」 いやー、ここの流れが最高に面白かった。西郷がどこから聞いていたのか分からないが、普通こういう時って自分の悪口がおさ まるのを待って入ってこないか(気まずいだろうし)。それをちょうど自分の悪口を言っているところに空気を読まず、顔色一 つ変えずに入ってくる西郷はさすがである(笑)。 続きます >>355 より続き それにしてもこの後語った、久光の「徳川慶喜の人物評」が面白い。「あの男は何を考えていると思うのじゃ。徳川将軍家のこ とか?朝廷のことか?それともこの日本のことか?そうではない。あの男の考えているのは自分の立場だけじゃ。立場が変われ ばあの男そのものが変わるのじゃ。信念などないのじゃ。その方達がこれぞと思うて斬り込んでもあの男はそこにはおらん。そ う言う男のどこを衝けば息の根を止められるのかしかと考えよ!」慶喜にたいして悪意のありまくりな久光だが、この人物評は 一面の真実だと思う。敵から見るとそう見えるんだろうね。 それで西郷は「今すぐに(我が藩だけで)兵を挙げるべきだと思います。我が藩が兵を挙げれば長州や他藩が必ず動きます。水 動かさねば波は立ちません。根回しだけでは波は立たず、濁るばかりだと存じます」久光「貴様余に物申しておるのか?」西郷 「いいえ、一橋の首をはねるのが一番と申し上げているのでございます」イヤ、結局物申しているじゃないかそれというツッコ ミはおいておいて、久光は「考えてみる価値はある」というような顔をしている。 続きます >>356 より続き 板倉が慶喜の所に夜やって来て「申し訳ありませぬ。悪い知らせでございます」慶喜「分かっておる。良い知らせなどこの世に あるとは思っておらぬ」とやっぱりドライである(笑)。それで悪い知らせとは「パリの万国博覧会で薩摩、佐賀も来ており (幕府はそれを知らなかった)、幕府は日本を代表している訳ではなく、各藩がそれぞれ独立しているという事で幕府、薩摩、 佐賀がそれぞれ対等な形で展示しそれぞれ日章旗を掲げることになったということだった。 慶喜は「薩摩めー、酷いことをしやがる」「何のために万国博覧会に参加したのじゃ!!田辺などは(責任者のこと)即刻罷免 して呼び戻せ!!」「久光めー」と怒り心頭である。 しかし二条城で慶喜と久光が会った時はそれぞれ何事もなかったように平然としていた。うーむ、流石政治家である。しかし今 の大河でこういうのをやると、慶喜と久光が馬鹿正直に口論しかねない。 原市之進が殺害される。慶喜は「薩摩か長州か?」と聞くが幕臣だった。兵庫開港の勅許をもらったのが原のせいだと思われてし まったらしい。しかし「慶喜側近」は殉職が多い職場である。中根長十郎、平岡円四郎(慶喜の仕事のせいとは言えないが、倉石 佐衛門もそうか)、しかしこんなに死んでいれば用心するだろうに「太陽にほえろ」も顔負けの殉職率である(←古い)。慶喜は 殺害したのが幕臣だという事に衝撃を受けており、「幕臣の中にまだそのような者共がいるという事は命運も尽きるはずじゃ」 と。この描き方だとこの殺害も大政奉還につながる理由の一つになっているのかね、と思う。 西郷は「倒幕の兵を挙げるべきじゃ」とさらに決意を強めたようである。 自らに向けられた切っ先を見てみたいから真剣の刃を向けよと近習に指図するのは、武田信玄の時にもあったが、 田向脚本はそれが好きなのかな >>358 ですがネットで面白い意見を見かけたのでここに書いておきます。 ***** 「さくら=徳川日本」「うめ=明治以降の文明開化期の日本」「ピアノ=西洋文明」の象徴として捉えると、色々としっくりく るんです。 西郷がさくらのところに通い続けたのは彼自身の内面にあった徳川家の処分への葛藤、通うことを止めたのは遂に倒幕への決意 を固めたため。 「家の手伝いもせず、ずーっと三味線を弾いていた」うめは泰平の眠りにあった日本、しかし西洋文明(ピアノ)に出逢えばそれ を吸収しようとがむしゃらになる。 先の話になりますが、鳥羽伏見で敗れた慶喜を乗せて江戸に向かう開陽丸が横浜・神奈川沖に差し掛かった時に横浜で熱心にピ アノに励むうめの姿が映ります。夜更けの甲板に一人佇む慶喜に、うめのピアノがBGMとしてかぶります(実際に慶喜にピアノ の音が聞こえたわけではないのでしょうけど)。 あれは、去りゆく徳川日本と文明開化日本とのつかの間の交錯ではなかったかと。 第45回「大政奉還」より 本日も簡単に。 西は慶喜に「議題草案」を提出している。慶喜は出来に満足したらしく「御苦労であった。良く出来ている」と。寅之介に も読ませている(寅之介は架空人物だが、慶喜は西の講義も聞かせたりと目をかけているようである)。 よほどうれしいようで、西と酒を飲んで、酌もしている(この作品を見て思ったが、酌は立場の偉い人がやると「とても相 手に感謝している」ことを示すことになると思う。確か家茂も参預会議の時に労をねぎらうため酌をしたことがあった)。 さらに寅之介にも酌をしている。本作慶喜はほとんど情を見せない人だが、たまにこういうシーンがあると何となくホロリ とする(しかも寅之介も酌をしてもらった杯を懐にしまい込んでるし)。 西は大政奉還について「そのようなことになるのでございましょうか」と慶喜に聞いている。「何が起こるか分からぬ世の 中じゃ」と返したので、西は「万が一(と何度も繰り返す)大政奉還をすると、上様の立場がなくなってしまいそうしたら、 この議題草案は意味がなくなるのでしょうか?」と。慶喜は「その時には余を抜いて考えればいい。諸外国の様に大統領を選 べばいい。それでこそ外国と肩を並べられるではないか。余が新たな国家の元首の座を望むは、新たな国づくりに際して橋渡 しが必要と思うからじゃ。うまい具合に出発できれば余の役目は終わるというものじゃ」 続きます >>362 より続き いやーここ良かった。慶喜が言っていることってよーく考えると「凄いきれいごと」なのだが(何しろ、元首の立場は新たな国のため の橋渡しに過ぎなくて、それが終われば自分の役割は終わりと言うのだから)、今まで慶喜の立場や考えを描き、幕末の政治状況を幕 府側からと薩長側からと両方きちんと描いてきたので、「うんうん、この慶喜なら分かるよ!」と言う気持ちになる。 これが大抵の作品だと「きれいごと」をうまく描けなくて、主人公が偽善者に見えたり、話に無理がありすぎたり、主人公上げをする ために「必要以上に悪く描かれる人」が出てきたりするものだが、本作そう言うことがなく「慶喜のきれいごと」が理解できるのがい い。だからこの後泥酔した寅之介が「戦いましょうぞ!大政奉還など我慢なりませぬ!!」と言うのも、この慶喜を見ていればそりゃ そう思うだろうなと納得してしまう。 そして老中たち幕臣も、倒幕側の薩長も「慶喜のきれいごと」を理解できないと言うのも分かる(慶喜の政治手腕に、西郷も大久保も 慶喜を排除しないと安心できなくなっているからなぁ)。それを「慶喜の考えが理解できない西郷大久保は馬鹿」という単純な描き方 をしないのもいい。 いつもレビューお疲れ様です 大河慶喜の魅力を再発見していくようで、読んでいてとても興味深いです この作品は当時から二心殿と言われた慶喜を理解する一助とも言えますね 第46回「小御所会議」より 今回も簡単に。 冒頭で、慶喜が「今後起こることをそなたにだけは分かっていて欲しい」ということで、わざわざ「座るな」と言って立ち 話。これ座ってしまうと板倉との間に上下関係が出来てしまうから、対等な目線で話したいということでこうしたのだろ う。実際の徳川慶喜がこうだったか知らないが、いい脚本だと思う(それにしても、「麒麟がくる」では将軍義昭と庶民で ある駒が立ち話をして、それを侍女も咎めないというトンデモシーンが・・・。ああいうのがちょくちょく入りすぎると 「将軍は雲の上の人である」という感覚が亡くなっちゃうんだよねぇ。しかも信長はちゃんと廊下で座って将軍と話してい るのに。全く身分の高さ 駒 > 信長 なのかと言う。はなしがずれたけど)。 それで慶喜は「このまま静かに引けば、薩長の者は手出しできない。なにも怒ることなく騒ぐことなく新たな国に生まれ変 わるのじゃ。余の役目はそこにある。十分な余力を残して引くことが新たな時代を生きるたった一つの道なのじゃ。余が先 頭に立って戦えばあの者たちに負けるとは思えん。されど勝てば幕府は堕落し傍若無人になる。ここで幕府が消えれば、人 々の中に新たなる国造りの喜び生まれるというものじゃ。余は敢えて苦労もあるが喜びも多い上り坂を選んだつもりじゃ。 譜代旗本に軽挙妄動を許してはならぬ。こちらから仕掛ければ朝敵となって万事休すじゃ」と。 続きます >>365 より続き 場面が飛んで小御所会議のシーンの西郷の有名なセリフだが、 大久保「土佐が一橋の肩を持ち会議を乱しているのじゃ」西郷「簡単ではないか」大久保「簡単ではないから(怒っている) このように一休みすることになったのであろう。夜中を過ぎていると言うのに」西郷「人を言い負かすことは出来ぬ」 大久保「ではどうするのじゃ?」西郷「短刀一本あれば十分ではないか」 西郷「ただの会議ではない。決死の覚悟がなくてどうする」大久保「(少々ビビっている)御前会議じゃ。お上が目の前の おられるのじゃ」西郷「仕方あるまい。一橋を生き返らせれば我らが死ぬことになる。岩倉殿に、ことと次第によっては、 刺し違えよと申せ。その気概がなくて王政復古などできるものか」「ついでに土佐にも耳打ちし、岩倉が刃傷に及ぶかもし れないと伝えるのじゃ」大久保「ウン」 それで岩倉がその後熱弁して(岩倉具視は寺脇 康文だが、ここまで熱くて男らしい岩倉もなかなかいない気がする。大抵岩 倉役は高齢の役者で老獪っぽい人が多い気がするので)、小御所会議は岩倉の思い通りになるが、本作西郷の不気味さ、何を 考えているか分からなさをここまで描いてきたので、この「短刀一本あれば」のシーンが説得力があってよかった。この西郷 は「そういうことを考える奴だよね」と思える。「西郷どん」はなまじ西郷を優しくてお人好しで流される男みたいに描いて しまったおかげで、討幕のシーンのつじつまが合わなくなってしまい、急に西郷が闇落ちしたみたいになっていたので、説得 力がなかったのが残念だった。 田向正建は「武田信玄」で「敵としての織田信長」を描き、その後「信長 KING OF ZIPANGU」で「主役である信長」を描い たので、「徳川慶喜」で「敵としての薩長」を描いたのだから、「主役である薩長(薩摩は「翔ぶが如く」があるので長州 で)」をやって欲しかった。きっと面白いものになったと思うんだけどなぁ。「花燃ゆ」は長州に全く関心のない脚本家が描 いてしまったので惨憺たる結果に終わった。陰謀とかなら三谷幸喜もうまそうなんだけど、あの人「長州みたいな勝ち組」に は関心なさそうだし、大体既に大河が決まっているからなぁ。後「キンジパ」には武田信玄の役者は登場しないのだが、信玄 が上洛しようとした時の、信長と織田家臣団の感じた「武田信玄という恐怖」の描写が上手で(これは「徳川慶喜」の時も桂 や久坂が出てくる前に「長州の恐怖」を感じさせる描き方をしていた)、「長州側から見た徳川慶喜を田向正建がどう描く か」というのも興味あったんだけどなぁ(と言っても仕方がないが)。 どうでもいいことだが、中根雪江(演、石立鉄男)が出てきたが、OPのテロップでは中江雪江になっていた。NHKがこうい う間違いをするのは珍しい気がする。 御幼帝を擁し奉り、権威を盗まんとしているのではあるまいか! ━━そのような妄言は許されませぬぞ! 第47回「朝敵」より このドラマちょいちょい出てくる細かい描写だが、杉山寅之介が、幕臣たちが集まっているところで「上様のお出ましにご ざる」と言うのだけど、だーれも聞いていなくてそれぞれ固まって私語(学校かい!)をしていて、寅之介は声を張り上げ て「上様のお出ましにござる!」と言って、ようやく幕臣たちはきちんと座って平伏して慶喜を待つのだけど、こういうシ ーンって幕府が通常状態の時はなかったことなんだよねぇ(寅之介の最初の「上様の〜」の時点で誰もが平伏していたは ず)。幕府が大政奉還したおかげで、秩序が崩れて将軍慶喜の求心力が低下していることをうまく表現していると思う。 慶喜が大阪に行ってしまったので、朝廷は紛糾。それにしても「一橋を大阪に下してしまったのは、虎を野に放したことに なりませぬか!!」とキンキン声で騒いでいる正親町三条実愛の森田順平は、金八先生のカンカンもそうだったが、こうい うキンキン声で騒いでいる役が板についている気がする(調べたらこの人も田向三部作に全部出ている役者さんだったんだ ね)。 続きます >>368 より続き それで今回は松平容保、松平定敬兄弟が熱かった(というか大政奉還くらいから、幕臣は一部を除いて熱くなっているが。君たち、も う少し前からそういう情熱を見せていれば、幕府がつぶれるようなことにならなかったのでは?と言う気がしないでもない。世の中そ んなものなのだろうけど)。 容保は「何故上様が謝罪しなければならんのでございますか?大政返上を始め、将軍職返上もお上への忠誠を示すばかりでなく、日本 の行く末に争乱のなきよう堪え難きを耐えた上でのご処置でござる。それにもかかわらず、官位を奪い領地を返上せよ、と言う。この ような理不尽は叡慮とは思えぬ。薩摩を始め君側の奸の仕業にござる。そのような者たちがいる都へ上様が行かれるは、死地へ赴くの と同じでござる。謝罪の上、越前公や土佐公と同じ議定にするとか、領地についてはその時に討議するとか、皆まやかしでござる!」 定敬は「江戸城西の丸の火事は薩摩の者とのうわさもござる!何故これを放っておくのでござりますか?我らは何故耐えるのでござり ますか?」 そこに大目付滝川具挙(もうすぐ終わりなのにこういうマイナー?な人物がきちんと出てくるのもいい)の一団がやって来て、江戸で 暴挙を奮っているものは薩摩の者だと判明したと。それで薩摩藩打ち払い令を発し薩摩藩邸を焼き討ちにしたと。薩摩の罪状は明々白 々で見過ごすことできないと。薩摩討伐令を発してくださいと(慶喜に頼んでいる)。 容保は「もはや言葉は無用にござる!江戸城に放火するは上様の喉元に刃を突きつけたのと同じでござる!獏軍全体を斬りつけたのと 同じでござる!にもかかわらず幕軍一万五千黙して動かなければ臆病者のそしりを免れぬ!!上様!都に駆け上り薩摩を倒しましょう ぞ!!」 場は大騒ぎになり慶喜は、薩摩の挑発でありそれに乗っては朝敵になる。我らが動かなければ向こうには攻める大義名分がなくなる、 薩摩の挑発に乗ってはならぬ!というが、容保は「江戸城は家康公の作りしお城。そのお城に火を放つは薩摩が先に兵を挙げたことと 同じにござりまする。それに対して上様が討伐令を発しても何の落ち度がありましょうや!!」慶喜は「その方にはまだ分からんの か!!!理の通る世の中ではないであろう!時勢を見るのじゃ!怒りに任せて動きまわれば下々の者にまで不幸が及ぶぞ!!」容保 「されば会津一藩でも参りまする!上様の命に従わぬ謀反人という事にして下され!!」 続きます >>369 より続き この後もやり取りが続くが、結局慶喜は容保たちに「勝手にしろ!」ということで薩摩討伐を認める(朝敵になる覚悟をしている)。 うん、この容保なら会津一藩でも最後まで戦い続けるな(と言うかそう言っているし)。「怒りに任せて動きまわれば下々の者にまで 不幸が及ぶぞ!!」と言う慶喜の言葉も、こののちの会津戦争のことまで踏まえたセリフなんだろうね。本作会津戦争まではやらない が、このキャスト、脚本のままで「会津戦争」も見てみたかった。きっと「八重の桜」とは全く違ったものになった気がする。 それでここのシーン。幕府と会津の道がハッキリ分かれたということなのだろう。このシーンの前が、江戸でれんと寺岡が別れの挨拶 をするシーンだったので、れん=幕府 寺岡=会津 という形で「通じ合う部分が多くても、一緒にはいられない別な道を歩くことに なる」ということを表現しているのかもしれないと思った。 しかし「余を呆れ果てたる卑怯者と思うようにな」とか、本作慶喜は朝敵になることも幕臣から非難されることも全て覚悟の上で行っ ており「いくら何でもカッコよく描きすぎだろこれ」とも思うが、「この慶喜ならそう考えてもおかしくないだろうな」という事が描 かれてきたので、ドラマを素直に受け止められるのだとと思う。 第48回「恭順謹慎」より 寅之介は慶喜に「大きなことでお役に立ちたい」と言い出す。慶喜は「そちがいなければ余は動けぬ。そちの働きは今でも大きい」 と返すが、寅之介は死んだ中根や平岡や原の様になりたいと思っているらしい。慶喜は「よく聞くのじゃ。あのものたちは余のため に殺されたのじゃ。役に立ったのではない。あの者たちを思うたびに、申し訳ないと思っている。もう誰も死んではならぬ」寅之介 は「されば申し上げます。追討軍は上様のお命を奪うと言うているそうにござりまする」慶喜「それもよかろう。余の命を奪うこと で全てが収まるならな」寅之介「それは理不尽にござりまする。上様は命奪われる様な事何一つしておりません。それがしがよくよ く存じておりまする」慶喜「上に立つという事は良きにつけ悪しきにつけ、理不尽を生きるという事じゃ。死ぬ時だけ理屈通りの死 を望むのは愚かであろう。ただその前にやらねばならぬことがある。いかなる手を使っても戦になるのを避けるのじゃ。これからが 勝負じゃ。そちにも役立ってもらうぞ」 ここセリフもいいのだが(上に立つ人はこう言う心がけをして欲しいものである。どうも今の日本を見ていると上が理不尽を生きて いるのではなく、庶民や弱者が理不尽を生きていると思う)、寅之介がこの台詞を言いたくなるような「徳川慶喜」という人物を描 いたことに対して役者や製作スタッフに拍手を贈りたいと思う。いくら役者が頑張っても脚本演出のまずさでこういう「いい台詞」 が聞いていて白けると言うか、「お前が言うな!」になる脚本が今の大河は多すぎるように思う。 続きます >>371 より続き 久しぶりに慶篤が出てくる。慶喜のことを心配しているが、自分の方が具合が悪そうである。演者の内野聖陽は近年だと「真田丸」の 家康や、主役をやった「風林火山」の山本勘助役では、男らしいと言うかしたたかさを感じさせる骨太な役者というイメージだった が、本作の時点では若かったからなのか線の細い優しい徳川慶篤 を好演していたと思う。 今回は山岡鉄太郎(鉄舟)も出てきて、勝との話し合いや西郷との会談も見応えがあったが、途中の れんのナレーションで「その頃 都では新政府ができて早速外国との和親と尊重が布告されたっていう話だ。そりゃあ五郎左衛門さんなんか首をひねるよ」で、 岩倉→大久保→桂 とアップででてきてここまではいいとして、次が『中山五郎左衛門』が首をひねっているって・・・イヤ、ナレが あるから意味は分かるのだが、あまりにもつり合いが取れないので爆笑してしまった。どうでもいいことなのだが何となくラストに向 けてしんみりした感じなのにここだけはおかしかった。 最終回「無血開城」より 久しぶりに永原が出てくる。それでやっぱりと言うかなんというか「戯作本の作者だった」ということがばれても吉子は気 に留めていないようで(嫌味は言っているが)何よりである(笑)。 水戸の慶篤が死去。吉子が「いい子だったのに〜」と泣くのがなんというかこの人らしさのような。この政治ばかり描いて きた「徳川慶喜」と言う作品で、調整は少しやっているが、決断をしない政治家という立ち位置だった(そう考えると弟の 慶喜とは真逆の気がする。慶喜は決断は早いがそれゆえ調整はやっていない印象であり、それで周囲を混乱させていた気が する)。慶篤は「いい子」ゆえに決断できず、水戸藩がうまくいかなかくなったのだろう。 それで吉子と慶喜の対面シーンだが「朝敵の汚名を被りましたこと、父上母上に深く、深くお詫び申し上げます(泣く)」 吉子は駆け寄って手を取り「そなたのことはこの母がよーく存じています。そなたは徳川宗家を救ったのじゃ。そなたの他 に誰ができましょう。よくやりました。よくやりました。外国と戦争にもならず、この国が二つに分かれて戦争になるでも なく、江戸の街も救ったではありませんか。よくやりました。そのための汚名ならこの母も喜んでお受けします。そなただ けを朝敵にはいたしません。斉昭公もきっとそなたを誇りに思っていることでありましょう」2人で抱き合う「ああ、そな たのために何もしてやれなかったこの母を許して下され」 それで江戸に帰ってきて彰義隊と共に消えたさくらと、生麦村に帰ってきたうめがでてきて意図は分かるが (>>361 のようなこと)、うめ、何もあんなにド派手に帰ってこなくても・・・。 続きます >>374 より続き この吉子と慶喜のシーンだが、ここのシーンが感動的なのはやはり「慶喜が徳川宗家を救った」ことをきちんと描いてきた からだろう。それで私は >>363 で慶喜の言っていることは「凄いきれいごと」だと書いたが、この「きれいごと」を上 手に描くのって難しいと思った。それと「きれいごと」と言うのは実際には人には評価されないのだと思う。慶喜はこの母 とのシーン以外で誰にも「よくやった」とは言われていない。敵には恐れられるし(まぁそれは当然だが)、幕臣たちも 「薩長と戦えないこと」が不満で「上様は何故戦ってくれないの?」という事ばかりで、慶喜の考えを正確に理解できたもの はいなかった(春嶽辺りは理解していたかもしれないが。はっきり口に出しては言わなかったけれども)。これが近年の大河 だと「主人公の意図を皆が理解してくれて、流石○○じゃ!と言ってくれる」という作りになっていることが、薄っぺらくて 白けてしまう原因になっているのだと思う。そう考えると「だれも理解してくれなかった慶喜を理解して褒めてくれたのは母 だけ」というのはリアリティがあり、だからこそこのシーンに感動できるのだと思う。 それにしてもオリキャラのシーンがあったとはいえ、「政治、政治、政治」の大河だった。1年をかけて慶喜の目から見た幕 末、大政奉還をやるとここまで描かなければならないのかという濃密さだった。一般に「幕末が分かりにくい」のは描かなけ ればなならないことが多すぎて、しかも近年の大河だと「政治を描かない傾向」があったので(「花燃ゆ」「西郷どん」)さ らに分かりにくくなってしまうのだと思う。本作登場人物に人名のテロップが一々入っていたがこれがないと「えーと誰?」 になってしまうほど登場人物が多く、幕府の役人がしっかりでてきたためこのやり方は良かったと思う。 >>375 最終回までお疲れ様でした また視聴する際には読み返しながら見たいと思います 川浜高校のマンガ部顧問教諭は、長州の断固討伐を力説していましたが、 勅命により、豊後守の官位を剥奪され、追罰として、白河10万石を召しあげられ、悪地で名高い棚倉6万石に國替えを命じられた 大河徳川慶喜、二度の挫折を乗り越えやっとレンタルで全話見終わった! 良かった。慶喜視点の政治劇に絞って、ドラマには入らないが 政治的に重要な部分はアバンできっちり説明して、「本筋」に関しては 名作だと思うわ。今年にしても幼稚な近年の大河にこの幕末政争なんて描けないよ。 最終回、本放送では母ちゃんと泣いた場面しか覚えてなかったが、 サリン事件に平成不況まで触れたのね。慶喜の大政奉還から 近代日本が始まったわけで、現代まで触れるのは良いまとめだった。 中根とか最後に関わった人たちの回想に泣ける。 ただ本放送と再見、二度途中で挫折したのはとにかく 火消しパートのオリジナル出張りすぎに耐えられなかったんだよな。 今回はそこら適度に飛ばして、やっと完走したわ。 ドラマオリジナルでもエロ本永原とか、藤木のパートも 箸休めでまあいい、ただ尺稼ぎに妖怪メナードババア出張りすぎと 辰五郎一家の家庭問題と最後の会津の間男はマジいらなかった。 将軍就任前の20話あたりまで尺取り過ぎ。主従コントは好きだけど。 鶴田真由、ご先祖が桑名藩家老の家柄だったそうで、役柄に相応しい出自だったな。 他の軽量幕末大河では無視される要素、将軍就任して幕府を 立て直し猛然と巻き返しに掛かってたこと、西周起用して勉強して 近代国家の設計図を作っていた事とか、感情に流されず戦になった場合、 国家としてのその先を見ていた事とか、慶喜の聡明と視点なら こうなるであろう面をしっかり描いたのが良かった。 新時代・新政府のベースを慶喜と有能な幕臣達が作っていた事は伝えられるべき。 渡辺徹が演じた西郷隆盛が幕府を倒した頃、「共和政治」を検討すべきとの 発言をしていた。これから王政復古しようというのに何を言い出すのか? 脚本家がバカなのかよくこんなセリフを西郷に言わせるもんだと呆れた記憶がある。 火消しの新門の辰五郎(堺正章)と女房のおれん(大原麗子) 娘のお芳 火消のがんつむ達は 明治になってからどう暮らしたのか?火消しはどうなったのか? 徳信院が少年慶喜の顎をこちょこちょ擽ったシーンの おれんさんの以下の解説が性教育上問題だ。 「目覚めちゃったのね。」 堀田備中、松平伊賀に代わり、太田備後守、間部下総守、松平和泉守を、新たる老中に迎えた。 聞くところによると、一橋殿は、将軍職の激務を和らげるため、西洋医から、阿芙蓉を処方されていたそうだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる