>>319 より続き

吉子(貞芳院)は永原から、幕府が筑波勢の討伐を決め、川越以下11藩に命令したと報告を受ける。吉子は誰か筑波勢を説得で
きるものはいないのか?と言うが永原は武田耕雲斎あたりにさせるしかないかとと言い、吉子は耕雲斎は攘夷派だから取り込ま
れるのではないか?と。永原は自分が藤田のところに行って、説得できなければ腹斬ってお詫びを!と言うが、吉子はそなたの
変わり果てた姿など見たくもありませんと言って、重要なのは死ぬことではなく争いを止めることじゃと言う。それで吉子の手
紙を永原が持っていき、返事を必ず持って帰ってくるようにと永原に言う。

永原は水戸天狗党の陣所に行き、藤田小四郎と田丸稲之衛門(演、田口計を見て、「ワー、時代劇のワルをやっている人だー」
と思った。もしかしてこういう悪役じゃない役は珍しいかも)に会う。2人とも貞芳院様の気持ちはありがたいが、もう引き下が
れないと。永原は勝ち目はないと言うが、藤田は勝ち目があるから立ったのではない。国の行く末を思ってのことじゃ。国体護
持のためじゃ。お上のご心痛を思え、幕府の裏切りを思え!帰れ!!となってしまう。

このシーンを見て田丸稲之衛門について少し調べたが、驚いたのが、この天狗党の乱の後に田丸本人が処刑されたのは分かるとし
ても、田丸の母(82歳)、妻、娘3人(一番下は10歳)、2歳の長男すべてが獄死、斬首になっていること。長州藩なんかも内ゲ
バで人は死んでいるが、女子供をここまで処刑したって例がないような?水戸藩は諸生党と天狗党の間で明治以後も殺し合いにな
ったと聞くが、そりゃあこんなに殺していればそうなるだろうと言うしか。何でこんなことになったのか、私がちょっと調べたく
らいでは分からなかったが、一つの原因は慶篤だろう。本作でも彼がリーダーシップを発揮している場面がほぼないし、この「天
狗党の乱」でも天狗たちが頼ったのは慶喜で(結局慶喜は討伐側に回ったので無駄だったが)慶篤ではないし、どうも史実でも
「頼りにならない藩主」だったというのは事実らしい。

続きます