1998年大河ドラマ・徳川慶喜 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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最近オンデマンドで見たからスレあって嬉しい
長文の人の流れ読まずに書きますがお公家さんの中ですごくセルフ回しの変な人がいませんか?
外国の人がカタコトの日本語しゃべってるような
あの人が気になって気になって 禁門の変の慶喜は間近で見た薩摩の小松帯刀が「古今無双の豪傑」と書き残してる その公家は大原重徳(演、岡村喬生)岡村はオペラ歌手という。だけど喪黒福造みたいな感じだった >>334
そうなんだ!本職はオペラ歌手のかただったんですね
それでセリフに特徴があったのか
ありがとうございます! 第37回「慶喜の頭痛」
体調が悪くうまくまとまらないかもしれないが、とりあえず昨日分。
新三郎が死に、みよはすぐ後を追おうとするが、たみはとめる。このシーンのたみ(水野真紀)の新三郎を見る顔が良かった。
感慨深い顔というかあきらめのような、うまく言えないがとにかくよかった(説明になっていない)。
慶喜は表向き天狗党に何もできないと声を荒げつつ、辰五郎に手紙を持たせるのがいい。天狗党を解散し少人数で行動すれば一
人二人は生きられるかもと。それにしてもこういうシーンを見ると、辰五郎が手紙を持って武田耕雲斎に会いに行く道中とか描
いても面白そうな気がするが(もちろん本作そこまで描いていないけれども)、そういうシーンをずーっとやっていたはずの
「麒麟がくる」の描写はそれほど面白くなかった。あれだって戦国時代なのだからスリルある展開にいくらでもできるはずだが、
何となく光秀って何をやっても死ななさそうというか(一応怪我もしてるのだが)、緊張感が足りない気がする。
続きます >>336 より続き
長州征伐について、松平容保と弟の松平定敬がやってくる。長州藩が責任者である三家老を切腹させ四人に死を命じ、彼らが勝
手にやったことにしたと容保は報告。それを聞いた定敬は「それはおかしい!藩主敬親の軍令書があったではありませんか!!」
と慶喜の目の前で兄弟で言い合っているのが楽しい(笑)。さらに長州藩に潜入してきたと言う近藤勇が、薩摩と長州は犬猿の
仲なのに、西郷が説得できたのが不思議だと。こういう「近藤勇の目から見た西郷」が語られるのも本作のいいところだと思
う。下手な大河ドラマだとこういう語られ方をするのが主人公だけという事になりかねないので。それでそれをうけた慶喜が、
あのものは命を捨てていたと言い、西郷から目を離すなと近藤に言っている。後このシーンで、容保が天狗党のことを気遣うセリ
フがあって、慶喜の内心を気遣って言っているのだろうな、と言うことが分かる。
たみが慶喜の所に来て、新三郎が死んだことを報告。優しく聞いている慶喜だが、こうなったのはアンタのせいだからな(←まだ
言っている)。たみとみよは結局よしに預けられることになる。
寺岡勘十郎がを組に来ている。そこで町内が火事になり、れんが男達を送り出している。寺岡も「男勝り」と感心しているが、こ
のシーンのれんはいなせでカッコイイ。大原麗子は色気と共にこういうきっぷのいい感じを出しても独特だったなぁとしんみりす
る。
続きます >>337 より続き
天狗党の武田耕雲斎と藤田小四郎が対立している。耕雲斎は「逃げるのは恥ではない」といい小四郎は「逃げる者は許さん」
と。本作藤田小四郎(演、田辺誠一)は、なんというか「過激な尊王攘夷の志士」というイメージがピッタリである。「花燃
ゆ」や「西郷どん」でもこんな感じの志士が見たかった。いや演技がどうこうと言うより(演技なら、「花燃ゆ」で吉田松陰
を演じた伊勢谷友介は結構良かったと思う)「尊王攘夷」ということをきちんと描いているか描いていないかの差なのだと思
う。「徳川慶喜」だと当初から尊王攘夷を色々な面から描いてきたが、「花燃ゆ」「西郷どん」はそれが描かれていないので、
伊勢谷友介のように熱演すると「思想が見えてこないので不気味」という事になってしまうのだと思う。本作藤田小四郎は純
粋で正義に満ち溢れ、頑固で不器用な感じで感情移入して見ていられた。それで結局天狗党は降伏。武田耕雲斎含め半数以上が
死罪となった。
最後は薩摩にいる西郷と大久保。西郷は長州は生かす、幕府はいらぬと思う、共和政治を考えていると大久保に話している。
そこでナレーションで、慶喜の周囲から人が消えて、後は敵が増えていくばかりだったということで今回はオシマイ。 体調が悪くてうまくまとめられないことが続きますが。
第38回「条約勅許」より
何故か幕閣大奥では、慶喜が長州攘夷派の公家と結んで長州征伐を中止したことになっている。
しかも何故か将軍家茂役が変更になっている(水橋研二から進藤健太郎へ。何か事情があったのだろうか)。観行院倒れる。
当初家茂は上洛しないということになっていたが、結局上洛となる。しかし戦争はせず。長州を甘く見ており、謝罪に来させ
ようとしている。
兵庫開港を幕閣の一存で決めてしまい、慶喜は通商条約だって違勅状態である。幕府は長州と戦うつもりなのに朝廷を敵にし
てしまうのは長州の思うつぼと。
話は飛ぶが笑ったのが、イギリス公使パークスが「幕府は嘘ばかりだ!!」と怒っているのを「大層お怒りにございます」と
通訳が言って「たわけが!怒っているのは相手を見ていれば分かる!」と言う返事。この時の通訳はどうしたんだろう?と思
った。後、大坂町奉行の井上義斐が血判を示そうとして刀を抜くと、パークスたち公使はビビっていて、この後どうなったの
かな?と思ったが(その後の描写がなかったから)、井上義斐のウィキを見たらこれ、史実だったんですね。「自らの薬指を
切って血判を押して約すると威嚇して同意を得た」とあるから血判は作らなくて良かったらしい。
続きます(それにしても時間がかかる悪にまとまらない) >>339 より続き ※339の最後の文章は「時間がかかる割に」ですね。
慶喜は勅許を得るために言葉を尽くすが、そこに朝廷側に伝言が届き、伝言ゲームの様に耳打ちし何かと思えば、老中二人を(朝廷が)
罷免したことに、将軍が職を辞して江戸に帰ると知らされ、慶喜はすぐに追いかける。将軍は年寄りたちがそう言えと言うからと答え、
慶喜は老中たちは無責任だと言うが、老中たちは朝廷に罷免されたことでこれは幕府の専権事項であり、こんなことでは自分達は何もで
きない。将軍職は中納言様(慶喜のことね)にと。慶喜は上様は京に戻りそこで相談だと。勅許は自分が全力でもらうと言い、その言葉
通り勅許をもらう。
何か分かりにくい気がするが、どうも体調が悪くて文章がうまくまとまらない。 第39回「将軍急死」より
今回も簡単に。
中山五郎左衛門が京の町のことを慶喜に細かく伝えているが、「こういうことをするために彼がいたのか」と思った。なんせ町
人の生活に詳しいだろうなと言うのは今まで見てて分かっているし。
江戸ではれんが火消しの指揮をしているが、そこに寺岡勘十郎が来て、れんが泣きだす。寺岡がどうしたのかと聞き、「ここに
ガンツム辺りが来たらやばいぞー」と思ったら本当にその通りで(笑)、勘違いしたガンツムと寺岡の喧嘩。それにしても寺岡
は架空の会津藩士で、もう少し「会津藩士の目から見た世界」を描くのかと思ったが、そこはあまり描いていない気がする(今
後描かれるのかもしれないが)。今のところ何で出てきているのか分からないキャラになっている。
続きます >>341 より続き
そして西郷、桂の会談、薩長同盟だー(と一人で盛り上がる)。2人で囲碁を打ち、西郷は自分の番になると出て行きしばらく
帰ってこない。桂が待っている間に夕暮れになっている。しかも戻ってきた西郷は順番を相手からと間違って、桂に指摘されて
いるし。
桂:私はあなたに招かれて会ったのです。酒を飲み囲碁を打つためではありません。今日で3日でござる。待たせるばかりで何
の話もないとは無礼ではありませんか
西郷:まことに申し訳ないことでござった。
桂:間に入る者があり、是非ということであった。もしさしたる話がないなら、それがしはごめんこうむりたい。
西郷:話はござる。
桂:それならなぜ3日も待たせるのか。それがしをからかうおつもりか。
西郷:どういう風に切り出せばいいか考えていたのでござる。やはり単刀直入がよい。まず我が藩と貴藩の間に長年横たわって
いるわだかまりを水に流してもらいたい。
桂:それがしは長州藩の一藩士にすぎません。そのような重大なるお話をこの場でお約束することはできますまい。無意味でご
ざる。
西郷:長州藩全体の約束などそれこそ無意味でござる。あなたの約束を頂きたいのでござる。あなたが水に流すと言えばあなた
を信じましょう。それがしも今この時をもってすべてを水に流します。それがしを信じて下され。もしそれがしを信じら
れぬならこの場で斬り、帰って下され。我が藩と貴藩の間に和が生まれなければ、新しい日本などできませぬ。あなたを
信じることがその第一歩にござる。
続きます >>342 より続き
桂:水に流しましょう。
西郷:では(と言って碁を打つ)
そこでテロップ。「慶応二年(1866)一月二十一日薩長同盟成立」 薩長密約は六か条からなる軍事同盟である。
長々と書いたが、主人公側ではない本作の「薩長同盟」は良かった。どうも近年の2作品(「花燃ゆ」「西郷どん」)の薩長
同盟の出来が良くなかったせいか、シンプルではあるが(慶喜主役の本作だとここにそんなに時間をかけられないので)、
良くまとまっていたと思う。
その後、板倉とか小笠原の老中再任とか、慶喜と春嶽との「幕府をどうするか」と言う議論などもあったが省略。それで将軍
家茂が急病で倒れ、亡くなってしまう。
慶応二年(1866)七月二十二日家茂死去、明治維新まであと二年 というところで今回はおしまい。 勝
「上様は土佐の坂本龍馬という名をお耳にしたことはごさいませぬか」
慶喜
(一言)「無い」
ここのやり取りほんとすこ
もし今の令和の大河だったら慶喜と龍馬無理矢理絡ませてファンタジー大河になっちゃうんだろうな 第40回「徳川家相続」より
体調が悪く遅れていますが面白いと思ったところだけ簡単に。
慶喜は馬を使って、京大阪を往復しているが、疲れたとのことで寅之介に腰をもんでもらっている。長時間乗馬なんて
したことがないから(というか馬に乗ったこと自体、子供の頃テーマパークで乗っただけなので、そんな私に乗馬のこ
とが分かる訳もないが)、考えたことがないが、確かにきつそうだよね、とここを見て思った。
それでラストの大阪城のシーンだが、慶喜は「長州藩主毛利親子は亡き公方様の敵にござる。此度余が出馬するからに
は、例え千騎が一騎になっても山口城まで侵入し、戦いを決する覚悟じゃ。これは死をもってしても価値のある正義の
戦いでござる。覚悟のないものは去ってよい」
→老中小笠原長行登場(ボロボロ、腹斬ってお詫びを!と騒いでいる) 小倉城は持ちこたえられず長州の物に。小倉
を奪われたということは下関海峡を奪われたということ。肥後、久留米、柳川が兵を引いたという事は九州はほぼ長州
寄りに。そこに薩摩が加わるので九州は難しいことになった。
→慶喜「よし、長州のことを片付けよう、征伐は止めじゃ!」
・・・。これじゃあ誰も納得できないでしょ。いや、状況が変わったと言うことは分かるんだけどさー、さっきまで
「死をもってしても価値のある正義の戦い」とか言っていたのは何だったのさ(笑)。案の定この後老中板倉に「長
州征伐をさせて下さい!!」とか泣きつかれているし、孝明天皇も(天皇は慶喜が将軍職に就くことを期待していた
のに)「慶喜は何をしておるのじゃ!長州を征伐せよ!!」と怒っているし。確か司馬遼太郎の原作でも「慶喜は先
が見えすぎる」みたいなことを書いてあったと思うんだけど、実際こうなったら「この人、付き合いきれん・・・」
と思うだろうね。 第41回「将軍慶喜」より
今回も簡単に。
長州と交渉するための下準備として勝海舟が選ばれて慶喜と打ち合わせする。その中で「このところ西郷は大久保と組んで共和
政治を主張しております。共和政治と言うのは」「そのことは知っている」と慶喜に遮られているが、そもそも西郷に共和政治
のことを吹き込んでその気にさせたのは、勝、あんたでは?と思ったらそうだった(>>331 の時)。人が悪いと言うか何とい
うか(笑)。まぁこんなところでそんなことをばらす方がおかしいか。
王政復古を求めて公家たちが押し寄せてくる(多分、廷臣二十二卿列参事件だろう)。天皇は関白二条斉敬に「あの者たちに罰
を与えるのじゃ!(二条関白は辞意を示すが)そなたが辞めること許さん。将軍職を慶喜が受けないなら、勅命を出し、それで
も従わないなら、直に申し渡す!幕府がしっかりしなくてどうするのか!」と怒っているが、この役の花柳寿楽は怒っていると
ころが上品だと思う。キンジパの時の将軍義昭もそうだったし、「武田信玄」の北条氏政もそうだった(氏政の時は独特なキン
キン声がうるさくて、いつも怒ってたけど)、何か目立つ人だなぁと思ったら、花柳流の日本舞踊家だったんですね。これを知
った時「ああ通りで」と思ったものである。
天皇の勅命もあり、慶応二年(1866)十二月五日、慶喜は第十五代征夷大将軍となる。 第42回「孝明天皇の死」より
どうでもいい話だが、この作品の二条斉敬(演、小林勝也)は麻生太郎氏に似ていると思う(口がまがっているところとか、声
も何となく似ているような気がする)。
前も書いたことだがこの作品のうめはいい(今回は、ピアノを習うために家であれだけ手伝いをしなかった彼女が、雑巾がけを
していてぐっと来た)。音楽をやりたくて一生懸命なところがいい。失礼ながらあまりきれいな女優さんでもないし可愛いタイ
プでもないがそこがまたいい(日本のドラマを見ていて感じる事だが、男子はまだ普通にイケメンではない人が結構出てくる
が、女子はほぼ美人とか可愛い子しか出てこない。大河ドラマの主役も、男性は西田敏行とか松山ケンイチとか古くは中村梅之
助等、イケメンタイプではない主役がいるが、女性はいない。「八重の桜」とか「花燃ゆ」とかヒロインは史実では「美人でな
い」はずだが、演じたのは綾瀬はるか、井上真央だった。個人的にたまには一般的美人ではない主役がいた方が、「美人とは言
われない女子」の希望になると思うのだが)。再放送中の朝ドラの話になるが「澪つくし」のかをるを見ていると、なんせ沢口
靖子なので誤魔化されてしまうが、恋愛のことしか考えていないわ、なら好きな人と一緒になろうとするかというとそうでもな
いわ、両親の顔を立ててお見合いするのはいいが、半端に好きな人のことを考え(口には出さないが、ろくすっぽ見合い相手の
顔も見ないで、好きな人のことばかり考えていて、失礼過ぎると思う。親のために見合いすると決めたのなら、もう少し見合い
相手のことを知る努力をするべきではないのか)、ふらふらしていると言う。そういうのを見ると両親に呆れられても好きなこ
とに一生懸命なうめはいい。話がズレまくったけど。
続きます >>349 より続き
それにしてもさくらのところに通い続ける西郷が不気味だった。わざわざ「わしは徳川慶喜殿の敵じゃ」と言っているから、慶
喜とさくらが懇意なのを知っているのだと思うが、西郷が何をしたいのかよく分からなかった。
今回独り言を言いながら政治のシュミレーションをしている慶喜が面白い。何か難しい問題に当たった時ああなるのは良く分か
る(笑)。
西郷、大久保、桂、小松帯刀の密談というか悪だくみのシーンがいい。本当にこの作品の維新三傑は「政治家だなぁ〜」という
感じである(繰り返すが「花燃ゆ」「西郷どん」の彼等は今一つ政治家には見えなかった)。それでここで「お上が痘瘡になっ
た」というニュースがもたらされるが、彼等の「これをうまく使えば有利に運べるかも」というのを押し隠しながらも、さり気
なく嬉しそうな表情が印象的だった。
慶喜は西周に西洋の政治の講義を受けているが、西は「人民に仕事を与え給金を払えば、人民は少しずつ豊かになり、ますます
仕事に対する気概を持ちまする」と言っているが、これ現代にも言えることだよねぇ(西の講義は何度か出てくるが、今の時代
でも通じる内容だと思う)。しかし今だと「働いても豊かになっていない」から、仕事に対する気概の持ちようがないという日
本の現状なのが悲しい。 >>349
その話題、なんかどこぞのレビュアーさんと波長が合いそうで悔しいんですよねぇ。 >>349 そのどこぞのレビュアーさんは意外に、美男美女がドラマの主役をやるのは当たり前という人だったと思います。レ
ビュー(?)を見ていても「大河ドラマや朝ドラの主役は美男美女ばかりだーッ!おかしいーっ!!」とは全く言っていなかっ
たはずです(笑)。
第43回「議題草案」より
れんと寺岡が会っている。寺岡の独り言(れんがいないとき)「幕府がおぼれる寸前だと言うのに何をしている。都にさえお供
できない自分に何ができる。留守番をしているだけじゃ。日本国中大戦(おおいくさ)になればいい。さすればお供も留守番も
ない。暴れまわってやる」そこにれんが戻ってきたので寺岡の独り言は中止になるが、寺岡よかったね!この後鳥羽伏見やら会
津戦争やらで「大戦になったので思う存分暴れまわれたはず」である。しかし寺岡が戦で暴れまわるシーンってあったかなぁ?
そもそも本作鳥羽伏見はあっても、会津戦争はやらないが。しかしこの後の会津の地獄を思うと、大原麗子(笑)と酒を飲む方
が幸せな日々だったと思う。
今回の西周だが、以前の勝海舟と同じく、フランスからの借款は危険という事を慶喜に話す。こういう「フランスに頼りすぎる
のは危険」という情報が手を変え品を変え出てくるのも本作のいいところだと思う。西周の講義と老中などの面会を両立して行
ったり来たりする慶喜の忙しい感じがいい(良く分からないがこの行ったり来たりするのも史実なのだろうか)。
それにしても最後の兵庫開港の件、「朝廷の勅許が大切!」と繰り返してきた慶喜が、いきなり勅許なしでパークスに兵庫開港
を許可したので唖然として意味が分からなかったのだが、それも含めての慶喜の作戦という事なんだろうね(理解するのに時
間がかかった)。 >>352 のアンカーは、>>351 です。間違えました。 第44回「倒幕」より
勅許を取らず兵庫開港した慶喜に、公家も幕府も大騒ぎ。さらにイラついている様子の薩摩の小松帯刀と大久保一蔵。小松が
「今度こそ一橋に出し抜かれぬよう段取らねばならぬ!」大久保「ご家老!!それを仰せにならないで下さりませ。この大久保
二度も三度も出し抜かれませぬ!」うーん、ここの大久保が「策謀家のプライド」に溢れていて実にいい。これだよこれ!こう
いう大久保が見たかったんだ。何度も繰り返すが「西郷どん」の大久保は全くカッコ良くなかったし、「花燃ゆ」に至っては出
演さえしてなかったからなぁ。
松島が美賀の許しを得て(慶喜の情報が手紙しかないことに不安を募らせている)京都に行くことになる。それで・・・、何で
「徒歩」で京都に行くのだ?(どう考えても輿とか使う立場のような) しかもよしに狐扱いされてるし(いくらなんだって事
前に連絡が行くだろう)、よしが「誰?」って有り得ないだろう。まぁ松島、よし対決を面白おかしく描きたいからだろうけ
ど。
うめのピアノの上達ぶりが早い。教えているウォルトンに「彼女は天才だ」と言われている。それでウォルトン夫妻の通訳の侍
がうめのピアノに合わせてリズムを取っているのが面白い。なんかちょい役の割に無駄にイケメンで、調べたら野地将年(ちな
みに役名は松岡源三郎)というらしい。なんか体格がいいと思ったら大学時代トライアスロンをやっていたという事だった。
続きます >>354 より続き
小松と大久保が、久光に「兵庫開港より長州を許す勅許を先に貰って欲しい。長州を許すのは簡単ではないから、兵庫開港が遅
れて各国の公使が怒り狂い、我らの出番になり我らならパークスを説得できます」と平身低頭して頼んでいるが、「くどい!」
と久光はイラついて小松と大久保に八つ当たりしている。「下々の者が動き回り世の中を変えると言っているが、変わったのは
幕府だけじゃ。一橋が出てきてから幕府は軍制改革を行い、製鉄所を作り、商社を計画し、朝廷さえ思い通りに動かしている。
正論だけで世は動かぬ。小松!家老のその方の責任は重大だぞ!下の者に任せろと言い続け今になって世を引っ張り出すとは何
事じゃ!!」イヤァ、本当この江守徹の久光の怒りっぷりがいい。「我儘な殿様」が板についている。「翔ぶが如く」で久光だ
った高橋英樹も良かったが(余談になるが、高橋英樹は円満な殿さま役とかもやるが、久光のような感情の振れが大きい役の方
が生きる役者な気がする)、こちらもうまい。
小松も大久保も謝罪しまくっているが、久光は「余は一橋の顔など見たくないのじゃ!!あのものに両手をつくなど我慢なら
ん!!」「あのものを将軍後見職につけたのはこのわしじゃ!!しかし恩をあだで返した!!」「大体ろくに口のきけぬ西郷な
どに公家の屋敷に行かせるな!相手が何を聞かされたか分かるまい!!!」(興奮度マックス)→「西郷ただいま戻りました」
いやー、ここの流れが最高に面白かった。西郷がどこから聞いていたのか分からないが、普通こういう時って自分の悪口がおさ
まるのを待って入ってこないか(気まずいだろうし)。それをちょうど自分の悪口を言っているところに空気を読まず、顔色一
つ変えずに入ってくる西郷はさすがである(笑)。
続きます >>355 より続き
それにしてもこの後語った、久光の「徳川慶喜の人物評」が面白い。「あの男は何を考えていると思うのじゃ。徳川将軍家のこ
とか?朝廷のことか?それともこの日本のことか?そうではない。あの男の考えているのは自分の立場だけじゃ。立場が変われ
ばあの男そのものが変わるのじゃ。信念などないのじゃ。その方達がこれぞと思うて斬り込んでもあの男はそこにはおらん。そ
う言う男のどこを衝けば息の根を止められるのかしかと考えよ!」慶喜にたいして悪意のありまくりな久光だが、この人物評は
一面の真実だと思う。敵から見るとそう見えるんだろうね。
それで西郷は「今すぐに(我が藩だけで)兵を挙げるべきだと思います。我が藩が兵を挙げれば長州や他藩が必ず動きます。水
動かさねば波は立ちません。根回しだけでは波は立たず、濁るばかりだと存じます」久光「貴様余に物申しておるのか?」西郷
「いいえ、一橋の首をはねるのが一番と申し上げているのでございます」イヤ、結局物申しているじゃないかそれというツッコ
ミはおいておいて、久光は「考えてみる価値はある」というような顔をしている。
続きます >>356 より続き
板倉が慶喜の所に夜やって来て「申し訳ありませぬ。悪い知らせでございます」慶喜「分かっておる。良い知らせなどこの世に
あるとは思っておらぬ」とやっぱりドライである(笑)。それで悪い知らせとは「パリの万国博覧会で薩摩、佐賀も来ており
(幕府はそれを知らなかった)、幕府は日本を代表している訳ではなく、各藩がそれぞれ独立しているという事で幕府、薩摩、
佐賀がそれぞれ対等な形で展示しそれぞれ日章旗を掲げることになったということだった。
慶喜は「薩摩めー、酷いことをしやがる」「何のために万国博覧会に参加したのじゃ!!田辺などは(責任者のこと)即刻罷免
して呼び戻せ!!」「久光めー」と怒り心頭である。
しかし二条城で慶喜と久光が会った時はそれぞれ何事もなかったように平然としていた。うーむ、流石政治家である。しかし今
の大河でこういうのをやると、慶喜と久光が馬鹿正直に口論しかねない。
原市之進が殺害される。慶喜は「薩摩か長州か?」と聞くが幕臣だった。兵庫開港の勅許をもらったのが原のせいだと思われてし
まったらしい。しかし「慶喜側近」は殉職が多い職場である。中根長十郎、平岡円四郎(慶喜の仕事のせいとは言えないが、倉石
佐衛門もそうか)、しかしこんなに死んでいれば用心するだろうに「太陽にほえろ」も顔負けの殉職率である(←古い)。慶喜は
殺害したのが幕臣だという事に衝撃を受けており、「幕臣の中にまだそのような者共がいるという事は命運も尽きるはずじゃ」
と。この描き方だとこの殺害も大政奉還につながる理由の一つになっているのかね、と思う。
西郷は「倒幕の兵を挙げるべきじゃ」とさらに決意を強めたようである。 自らに向けられた切っ先を見てみたいから真剣の刃を向けよと近習に指図するのは、武田信玄の時にもあったが、
田向脚本はそれが好きなのかな >>358 ですがネットで面白い意見を見かけたのでここに書いておきます。
*****
「さくら=徳川日本」「うめ=明治以降の文明開化期の日本」「ピアノ=西洋文明」の象徴として捉えると、色々としっくりく
るんです。
西郷がさくらのところに通い続けたのは彼自身の内面にあった徳川家の処分への葛藤、通うことを止めたのは遂に倒幕への決意
を固めたため。
「家の手伝いもせず、ずーっと三味線を弾いていた」うめは泰平の眠りにあった日本、しかし西洋文明(ピアノ)に出逢えばそれ
を吸収しようとがむしゃらになる。
先の話になりますが、鳥羽伏見で敗れた慶喜を乗せて江戸に向かう開陽丸が横浜・神奈川沖に差し掛かった時に横浜で熱心にピ
アノに励むうめの姿が映ります。夜更けの甲板に一人佇む慶喜に、うめのピアノがBGMとしてかぶります(実際に慶喜にピアノ
の音が聞こえたわけではないのでしょうけど)。
あれは、去りゆく徳川日本と文明開化日本とのつかの間の交錯ではなかったかと。 第45回「大政奉還」より
本日も簡単に。
西は慶喜に「議題草案」を提出している。慶喜は出来に満足したらしく「御苦労であった。良く出来ている」と。寅之介に
も読ませている(寅之介は架空人物だが、慶喜は西の講義も聞かせたりと目をかけているようである)。
よほどうれしいようで、西と酒を飲んで、酌もしている(この作品を見て思ったが、酌は立場の偉い人がやると「とても相
手に感謝している」ことを示すことになると思う。確か家茂も参預会議の時に労をねぎらうため酌をしたことがあった)。
さらに寅之介にも酌をしている。本作慶喜はほとんど情を見せない人だが、たまにこういうシーンがあると何となくホロリ
とする(しかも寅之介も酌をしてもらった杯を懐にしまい込んでるし)。
西は大政奉還について「そのようなことになるのでございましょうか」と慶喜に聞いている。「何が起こるか分からぬ世の
中じゃ」と返したので、西は「万が一(と何度も繰り返す)大政奉還をすると、上様の立場がなくなってしまいそうしたら、
この議題草案は意味がなくなるのでしょうか?」と。慶喜は「その時には余を抜いて考えればいい。諸外国の様に大統領を選
べばいい。それでこそ外国と肩を並べられるではないか。余が新たな国家の元首の座を望むは、新たな国づくりに際して橋渡
しが必要と思うからじゃ。うまい具合に出発できれば余の役目は終わるというものじゃ」
続きます >>362 より続き
いやーここ良かった。慶喜が言っていることってよーく考えると「凄いきれいごと」なのだが(何しろ、元首の立場は新たな国のため
の橋渡しに過ぎなくて、それが終われば自分の役割は終わりと言うのだから)、今まで慶喜の立場や考えを描き、幕末の政治状況を幕
府側からと薩長側からと両方きちんと描いてきたので、「うんうん、この慶喜なら分かるよ!」と言う気持ちになる。
これが大抵の作品だと「きれいごと」をうまく描けなくて、主人公が偽善者に見えたり、話に無理がありすぎたり、主人公上げをする
ために「必要以上に悪く描かれる人」が出てきたりするものだが、本作そう言うことがなく「慶喜のきれいごと」が理解できるのがい
い。だからこの後泥酔した寅之介が「戦いましょうぞ!大政奉還など我慢なりませぬ!!」と言うのも、この慶喜を見ていればそりゃ
そう思うだろうなと納得してしまう。
そして老中たち幕臣も、倒幕側の薩長も「慶喜のきれいごと」を理解できないと言うのも分かる(慶喜の政治手腕に、西郷も大久保も
慶喜を排除しないと安心できなくなっているからなぁ)。それを「慶喜の考えが理解できない西郷大久保は馬鹿」という単純な描き方
をしないのもいい。 いつもレビューお疲れ様です
大河慶喜の魅力を再発見していくようで、読んでいてとても興味深いです
この作品は当時から二心殿と言われた慶喜を理解する一助とも言えますね 第46回「小御所会議」より
今回も簡単に。
冒頭で、慶喜が「今後起こることをそなたにだけは分かっていて欲しい」ということで、わざわざ「座るな」と言って立ち
話。これ座ってしまうと板倉との間に上下関係が出来てしまうから、対等な目線で話したいということでこうしたのだろ
う。実際の徳川慶喜がこうだったか知らないが、いい脚本だと思う(それにしても、「麒麟がくる」では将軍義昭と庶民で
ある駒が立ち話をして、それを侍女も咎めないというトンデモシーンが・・・。ああいうのがちょくちょく入りすぎると
「将軍は雲の上の人である」という感覚が亡くなっちゃうんだよねぇ。しかも信長はちゃんと廊下で座って将軍と話してい
るのに。全く身分の高さ 駒 > 信長 なのかと言う。はなしがずれたけど)。
それで慶喜は「このまま静かに引けば、薩長の者は手出しできない。なにも怒ることなく騒ぐことなく新たな国に生まれ変
わるのじゃ。余の役目はそこにある。十分な余力を残して引くことが新たな時代を生きるたった一つの道なのじゃ。余が先
頭に立って戦えばあの者たちに負けるとは思えん。されど勝てば幕府は堕落し傍若無人になる。ここで幕府が消えれば、人
々の中に新たなる国造りの喜び生まれるというものじゃ。余は敢えて苦労もあるが喜びも多い上り坂を選んだつもりじゃ。
譜代旗本に軽挙妄動を許してはならぬ。こちらから仕掛ければ朝敵となって万事休すじゃ」と。
続きます >>365 より続き
場面が飛んで小御所会議のシーンの西郷の有名なセリフだが、
大久保「土佐が一橋の肩を持ち会議を乱しているのじゃ」西郷「簡単ではないか」大久保「簡単ではないから(怒っている)
このように一休みすることになったのであろう。夜中を過ぎていると言うのに」西郷「人を言い負かすことは出来ぬ」
大久保「ではどうするのじゃ?」西郷「短刀一本あれば十分ではないか」
西郷「ただの会議ではない。決死の覚悟がなくてどうする」大久保「(少々ビビっている)御前会議じゃ。お上が目の前の
おられるのじゃ」西郷「仕方あるまい。一橋を生き返らせれば我らが死ぬことになる。岩倉殿に、ことと次第によっては、
刺し違えよと申せ。その気概がなくて王政復古などできるものか」「ついでに土佐にも耳打ちし、岩倉が刃傷に及ぶかもし
れないと伝えるのじゃ」大久保「ウン」
それで岩倉がその後熱弁して(岩倉具視は寺脇 康文だが、ここまで熱くて男らしい岩倉もなかなかいない気がする。大抵岩
倉役は高齢の役者で老獪っぽい人が多い気がするので)、小御所会議は岩倉の思い通りになるが、本作西郷の不気味さ、何を
考えているか分からなさをここまで描いてきたので、この「短刀一本あれば」のシーンが説得力があってよかった。この西郷
は「そういうことを考える奴だよね」と思える。「西郷どん」はなまじ西郷を優しくてお人好しで流される男みたいに描いて
しまったおかげで、討幕のシーンのつじつまが合わなくなってしまい、急に西郷が闇落ちしたみたいになっていたので、説得
力がなかったのが残念だった。
田向正建は「武田信玄」で「敵としての織田信長」を描き、その後「信長 KING OF ZIPANGU」で「主役である信長」を描い
たので、「徳川慶喜」で「敵としての薩長」を描いたのだから、「主役である薩長(薩摩は「翔ぶが如く」があるので長州
で)」をやって欲しかった。きっと面白いものになったと思うんだけどなぁ。「花燃ゆ」は長州に全く関心のない脚本家が描
いてしまったので惨憺たる結果に終わった。陰謀とかなら三谷幸喜もうまそうなんだけど、あの人「長州みたいな勝ち組」に
は関心なさそうだし、大体既に大河が決まっているからなぁ。後「キンジパ」には武田信玄の役者は登場しないのだが、信玄
が上洛しようとした時の、信長と織田家臣団の感じた「武田信玄という恐怖」の描写が上手で(これは「徳川慶喜」の時も桂
や久坂が出てくる前に「長州の恐怖」を感じさせる描き方をしていた)、「長州側から見た徳川慶喜を田向正建がどう描く
か」というのも興味あったんだけどなぁ(と言っても仕方がないが)。
どうでもいいことだが、中根雪江(演、石立鉄男)が出てきたが、OPのテロップでは中江雪江になっていた。NHKがこうい
う間違いをするのは珍しい気がする。 御幼帝を擁し奉り、権威を盗まんとしているのではあるまいか!
━━そのような妄言は許されませぬぞ! 第47回「朝敵」より
このドラマちょいちょい出てくる細かい描写だが、杉山寅之介が、幕臣たちが集まっているところで「上様のお出ましにご
ざる」と言うのだけど、だーれも聞いていなくてそれぞれ固まって私語(学校かい!)をしていて、寅之介は声を張り上げ
て「上様のお出ましにござる!」と言って、ようやく幕臣たちはきちんと座って平伏して慶喜を待つのだけど、こういうシ
ーンって幕府が通常状態の時はなかったことなんだよねぇ(寅之介の最初の「上様の〜」の時点で誰もが平伏していたは
ず)。幕府が大政奉還したおかげで、秩序が崩れて将軍慶喜の求心力が低下していることをうまく表現していると思う。
慶喜が大阪に行ってしまったので、朝廷は紛糾。それにしても「一橋を大阪に下してしまったのは、虎を野に放したことに
なりませぬか!!」とキンキン声で騒いでいる正親町三条実愛の森田順平は、金八先生のカンカンもそうだったが、こうい
うキンキン声で騒いでいる役が板についている気がする(調べたらこの人も田向三部作に全部出ている役者さんだったんだ
ね)。
続きます >>368 より続き
それで今回は松平容保、松平定敬兄弟が熱かった(というか大政奉還くらいから、幕臣は一部を除いて熱くなっているが。君たち、も
う少し前からそういう情熱を見せていれば、幕府がつぶれるようなことにならなかったのでは?と言う気がしないでもない。世の中そ
んなものなのだろうけど)。
容保は「何故上様が謝罪しなければならんのでございますか?大政返上を始め、将軍職返上もお上への忠誠を示すばかりでなく、日本
の行く末に争乱のなきよう堪え難きを耐えた上でのご処置でござる。それにもかかわらず、官位を奪い領地を返上せよ、と言う。この
ような理不尽は叡慮とは思えぬ。薩摩を始め君側の奸の仕業にござる。そのような者たちがいる都へ上様が行かれるは、死地へ赴くの
と同じでござる。謝罪の上、越前公や土佐公と同じ議定にするとか、領地についてはその時に討議するとか、皆まやかしでござる!」
定敬は「江戸城西の丸の火事は薩摩の者とのうわさもござる!何故これを放っておくのでござりますか?我らは何故耐えるのでござり
ますか?」
そこに大目付滝川具挙(もうすぐ終わりなのにこういうマイナー?な人物がきちんと出てくるのもいい)の一団がやって来て、江戸で
暴挙を奮っているものは薩摩の者だと判明したと。それで薩摩藩打ち払い令を発し薩摩藩邸を焼き討ちにしたと。薩摩の罪状は明々白
々で見過ごすことできないと。薩摩討伐令を発してくださいと(慶喜に頼んでいる)。
容保は「もはや言葉は無用にござる!江戸城に放火するは上様の喉元に刃を突きつけたのと同じでござる!獏軍全体を斬りつけたのと
同じでござる!にもかかわらず幕軍一万五千黙して動かなければ臆病者のそしりを免れぬ!!上様!都に駆け上り薩摩を倒しましょう
ぞ!!」
場は大騒ぎになり慶喜は、薩摩の挑発でありそれに乗っては朝敵になる。我らが動かなければ向こうには攻める大義名分がなくなる、
薩摩の挑発に乗ってはならぬ!というが、容保は「江戸城は家康公の作りしお城。そのお城に火を放つは薩摩が先に兵を挙げたことと
同じにござりまする。それに対して上様が討伐令を発しても何の落ち度がありましょうや!!」慶喜は「その方にはまだ分からんの
か!!!理の通る世の中ではないであろう!時勢を見るのじゃ!怒りに任せて動きまわれば下々の者にまで不幸が及ぶぞ!!」容保
「されば会津一藩でも参りまする!上様の命に従わぬ謀反人という事にして下され!!」
続きます >>369 より続き
この後もやり取りが続くが、結局慶喜は容保たちに「勝手にしろ!」ということで薩摩討伐を認める(朝敵になる覚悟をしている)。
うん、この容保なら会津一藩でも最後まで戦い続けるな(と言うかそう言っているし)。「怒りに任せて動きまわれば下々の者にまで
不幸が及ぶぞ!!」と言う慶喜の言葉も、こののちの会津戦争のことまで踏まえたセリフなんだろうね。本作会津戦争まではやらない
が、このキャスト、脚本のままで「会津戦争」も見てみたかった。きっと「八重の桜」とは全く違ったものになった気がする。
それでここのシーン。幕府と会津の道がハッキリ分かれたということなのだろう。このシーンの前が、江戸でれんと寺岡が別れの挨拶
をするシーンだったので、れん=幕府 寺岡=会津 という形で「通じ合う部分が多くても、一緒にはいられない別な道を歩くことに
なる」ということを表現しているのかもしれないと思った。
しかし「余を呆れ果てたる卑怯者と思うようにな」とか、本作慶喜は朝敵になることも幕臣から非難されることも全て覚悟の上で行っ
ており「いくら何でもカッコよく描きすぎだろこれ」とも思うが、「この慶喜ならそう考えてもおかしくないだろうな」という事が描
かれてきたので、ドラマを素直に受け止められるのだとと思う。 第48回「恭順謹慎」より
寅之介は慶喜に「大きなことでお役に立ちたい」と言い出す。慶喜は「そちがいなければ余は動けぬ。そちの働きは今でも大きい」
と返すが、寅之介は死んだ中根や平岡や原の様になりたいと思っているらしい。慶喜は「よく聞くのじゃ。あのものたちは余のため
に殺されたのじゃ。役に立ったのではない。あの者たちを思うたびに、申し訳ないと思っている。もう誰も死んではならぬ」寅之介
は「されば申し上げます。追討軍は上様のお命を奪うと言うているそうにござりまする」慶喜「それもよかろう。余の命を奪うこと
で全てが収まるならな」寅之介「それは理不尽にござりまする。上様は命奪われる様な事何一つしておりません。それがしがよくよ
く存じておりまする」慶喜「上に立つという事は良きにつけ悪しきにつけ、理不尽を生きるという事じゃ。死ぬ時だけ理屈通りの死
を望むのは愚かであろう。ただその前にやらねばならぬことがある。いかなる手を使っても戦になるのを避けるのじゃ。これからが
勝負じゃ。そちにも役立ってもらうぞ」
ここセリフもいいのだが(上に立つ人はこう言う心がけをして欲しいものである。どうも今の日本を見ていると上が理不尽を生きて
いるのではなく、庶民や弱者が理不尽を生きていると思う)、寅之介がこの台詞を言いたくなるような「徳川慶喜」という人物を描
いたことに対して役者や製作スタッフに拍手を贈りたいと思う。いくら役者が頑張っても脚本演出のまずさでこういう「いい台詞」
が聞いていて白けると言うか、「お前が言うな!」になる脚本が今の大河は多すぎるように思う。
続きます >>371 より続き
久しぶりに慶篤が出てくる。慶喜のことを心配しているが、自分の方が具合が悪そうである。演者の内野聖陽は近年だと「真田丸」の
家康や、主役をやった「風林火山」の山本勘助役では、男らしいと言うかしたたかさを感じさせる骨太な役者というイメージだった
が、本作の時点では若かったからなのか線の細い優しい徳川慶篤 を好演していたと思う。
今回は山岡鉄太郎(鉄舟)も出てきて、勝との話し合いや西郷との会談も見応えがあったが、途中の れんのナレーションで「その頃
都では新政府ができて早速外国との和親と尊重が布告されたっていう話だ。そりゃあ五郎左衛門さんなんか首をひねるよ」で、
岩倉→大久保→桂 とアップででてきてここまではいいとして、次が『中山五郎左衛門』が首をひねっているって・・・イヤ、ナレが
あるから意味は分かるのだが、あまりにもつり合いが取れないので爆笑してしまった。どうでもいいことなのだが何となくラストに向
けてしんみりした感じなのにここだけはおかしかった。 最終回「無血開城」より
久しぶりに永原が出てくる。それでやっぱりと言うかなんというか「戯作本の作者だった」ということがばれても吉子は気
に留めていないようで(嫌味は言っているが)何よりである(笑)。
水戸の慶篤が死去。吉子が「いい子だったのに〜」と泣くのがなんというかこの人らしさのような。この政治ばかり描いて
きた「徳川慶喜」と言う作品で、調整は少しやっているが、決断をしない政治家という立ち位置だった(そう考えると弟の
慶喜とは真逆の気がする。慶喜は決断は早いがそれゆえ調整はやっていない印象であり、それで周囲を混乱させていた気が
する)。慶篤は「いい子」ゆえに決断できず、水戸藩がうまくいかなかくなったのだろう。
それで吉子と慶喜の対面シーンだが「朝敵の汚名を被りましたこと、父上母上に深く、深くお詫び申し上げます(泣く)」
吉子は駆け寄って手を取り「そなたのことはこの母がよーく存じています。そなたは徳川宗家を救ったのじゃ。そなたの他
に誰ができましょう。よくやりました。よくやりました。外国と戦争にもならず、この国が二つに分かれて戦争になるでも
なく、江戸の街も救ったではありませんか。よくやりました。そのための汚名ならこの母も喜んでお受けします。そなただ
けを朝敵にはいたしません。斉昭公もきっとそなたを誇りに思っていることでありましょう」2人で抱き合う「ああ、そな
たのために何もしてやれなかったこの母を許して下され」
それで江戸に帰ってきて彰義隊と共に消えたさくらと、生麦村に帰ってきたうめがでてきて意図は分かるが
(>>361 のようなこと)、うめ、何もあんなにド派手に帰ってこなくても・・・。
続きます >>374 より続き
この吉子と慶喜のシーンだが、ここのシーンが感動的なのはやはり「慶喜が徳川宗家を救った」ことをきちんと描いてきた
からだろう。それで私は >>363 で慶喜の言っていることは「凄いきれいごと」だと書いたが、この「きれいごと」を上
手に描くのって難しいと思った。それと「きれいごと」と言うのは実際には人には評価されないのだと思う。慶喜はこの母
とのシーン以外で誰にも「よくやった」とは言われていない。敵には恐れられるし(まぁそれは当然だが)、幕臣たちも
「薩長と戦えないこと」が不満で「上様は何故戦ってくれないの?」という事ばかりで、慶喜の考えを正確に理解できたもの
はいなかった(春嶽辺りは理解していたかもしれないが。はっきり口に出しては言わなかったけれども)。これが近年の大河
だと「主人公の意図を皆が理解してくれて、流石○○じゃ!と言ってくれる」という作りになっていることが、薄っぺらくて
白けてしまう原因になっているのだと思う。そう考えると「だれも理解してくれなかった慶喜を理解して褒めてくれたのは母
だけ」というのはリアリティがあり、だからこそこのシーンに感動できるのだと思う。
それにしてもオリキャラのシーンがあったとはいえ、「政治、政治、政治」の大河だった。1年をかけて慶喜の目から見た幕
末、大政奉還をやるとここまで描かなければならないのかという濃密さだった。一般に「幕末が分かりにくい」のは描かなけ
ればなならないことが多すぎて、しかも近年の大河だと「政治を描かない傾向」があったので(「花燃ゆ」「西郷どん」)さ
らに分かりにくくなってしまうのだと思う。本作登場人物に人名のテロップが一々入っていたがこれがないと「えーと誰?」
になってしまうほど登場人物が多く、幕府の役人がしっかりでてきたためこのやり方は良かったと思う。 >>375
最終回までお疲れ様でした
また視聴する際には読み返しながら見たいと思います 川浜高校のマンガ部顧問教諭は、長州の断固討伐を力説していましたが、
勅命により、豊後守の官位を剥奪され、追罰として、白河10万石を召しあげられ、悪地で名高い棚倉6万石に國替えを命じられた 大河徳川慶喜、二度の挫折を乗り越えやっとレンタルで全話見終わった!
良かった。慶喜視点の政治劇に絞って、ドラマには入らないが
政治的に重要な部分はアバンできっちり説明して、「本筋」に関しては
名作だと思うわ。今年にしても幼稚な近年の大河にこの幕末政争なんて描けないよ。
最終回、本放送では母ちゃんと泣いた場面しか覚えてなかったが、
サリン事件に平成不況まで触れたのね。慶喜の大政奉還から
近代日本が始まったわけで、現代まで触れるのは良いまとめだった。
中根とか最後に関わった人たちの回想に泣ける。
ただ本放送と再見、二度途中で挫折したのはとにかく
火消しパートのオリジナル出張りすぎに耐えられなかったんだよな。
今回はそこら適度に飛ばして、やっと完走したわ。
ドラマオリジナルでもエロ本永原とか、藤木のパートも
箸休めでまあいい、ただ尺稼ぎに妖怪メナードババア出張りすぎと
辰五郎一家の家庭問題と最後の会津の間男はマジいらなかった。
将軍就任前の20話あたりまで尺取り過ぎ。主従コントは好きだけど。
鶴田真由、ご先祖が桑名藩家老の家柄だったそうで、役柄に相応しい出自だったな。 他の軽量幕末大河では無視される要素、将軍就任して幕府を
立て直し猛然と巻き返しに掛かってたこと、西周起用して勉強して
近代国家の設計図を作っていた事とか、感情に流されず戦になった場合、
国家としてのその先を見ていた事とか、慶喜の聡明と視点なら
こうなるであろう面をしっかり描いたのが良かった。
新時代・新政府のベースを慶喜と有能な幕臣達が作っていた事は伝えられるべき。 渡辺徹が演じた西郷隆盛が幕府を倒した頃、「共和政治」を検討すべきとの
発言をしていた。これから王政復古しようというのに何を言い出すのか?
脚本家がバカなのかよくこんなセリフを西郷に言わせるもんだと呆れた記憶がある。 火消しの新門の辰五郎(堺正章)と女房のおれん(大原麗子) 娘のお芳 火消のがんつむ達は
明治になってからどう暮らしたのか?火消しはどうなったのか? 徳信院が少年慶喜の顎をこちょこちょ擽ったシーンの
おれんさんの以下の解説が性教育上問題だ。
「目覚めちゃったのね。」 堀田備中、松平伊賀に代わり、太田備後守、間部下総守、松平和泉守を、新たる老中に迎えた。
聞くところによると、一橋殿は、将軍職の激務を和らげるため、西洋医から、阿芙蓉を処方されていたそうだな このドラマはあまり見ていなかったが、これの1年ほど前に同じ脚本家の作品で
月の船が好きだった。
ピアノとか、血のつながらない親子とか共通点が多い。
影響を受けた? 備中殿。あなたが蘭學に詳しいことはよおく存じております。しかし、異人の腹の底は、また別物ではございませんかな? 本木慶喜が内野演じる兄に掴みかかって「昔のわしじゃと思うな、それから父上の悪口は二度と言うな!」
っていう場面がカッコよかった…
なぜかこの場面だけ深く印象に残ってる 鶴田真由は超美人だったな
いまの大河はミムラが鶴田真由の役やってんだな
エラい違い 鶴田真由
高貴な中に可愛らしさがあり
そしてほのかにいやらしい なんで、堺正章や年寄り浪人を先生と読んで連れ回してんだ?
本木まで刀をあげたり 今日銀河で最終回観たが46、47話あたりが見応えあったな
板倉勝静役や松平兄弟役の人あまり観ない人だったが熱のこもったいい演技だった 板倉と会津桑名兄弟の演技がホント良かった
怒りや悲しみがストレートに伝わってくる
しかしほとんどのオリキャラはいらなかったな笑 確かにちゅっちゅくちゅーは要らなかったようなw
佐藤慶と岸田今日子のコミカルな演技は流石だった >>413
円熟俳優がオリキャラやると良いよな
随天とか >>414
同じ脚本家さんだな
オリキャラだと草刈正雄が昔演じた藤原玄明がカッコよかった >>412
春嶽に今ここで斬ってもいいとブチ切れるの好き
滝川もいい >>419
松平定信の孫の方がわかりやすいんじゃないかな 小御所会議で懐に短刀忍ばせた岩倉のことを容堂が「神がかり」と評していたけど
岩倉村は17世紀から精神病患者の療養場所になっていて滝行させる施設があったんだってね 阿部正外、松平宗秀、松前崇広が罷免され、小笠原壱岐守が大坂で老中格に再任。 青天の岩倉も最期はちょっと神がかり
隠棲中に身の回りの世話をした老婆の幻聴と天皇の幻を見て死んだ 鶴田真由が綺麗だった
あれが継母だぜ、たまんねーよ 今日からこの人が母親です!って紹介された人が幾ら美人でも
子供の頃にすんなり受け入れるのは無理かも 再試聴、6話まで来た
月代モックン美しすぎてずるいレベル
大河史上最も美しい主人公じゃないかな
出演当時33歳なのに不通に十代の貴公子に見える…表情や言動をそれらしく演技してるというのもあるけど
高貴で快活、およしがメロメロになるのに説得力がありすぎる >>430
>大河史上最も美しい主人公
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