1998年大河ドラマ・徳川慶喜 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>349 そのどこぞのレビュアーさんは意外に、美男美女がドラマの主役をやるのは当たり前という人だったと思います。レ
ビュー(?)を見ていても「大河ドラマや朝ドラの主役は美男美女ばかりだーッ!おかしいーっ!!」とは全く言っていなかっ
たはずです(笑)。
第43回「議題草案」より
れんと寺岡が会っている。寺岡の独り言(れんがいないとき)「幕府がおぼれる寸前だと言うのに何をしている。都にさえお供
できない自分に何ができる。留守番をしているだけじゃ。日本国中大戦(おおいくさ)になればいい。さすればお供も留守番も
ない。暴れまわってやる」そこにれんが戻ってきたので寺岡の独り言は中止になるが、寺岡よかったね!この後鳥羽伏見やら会
津戦争やらで「大戦になったので思う存分暴れまわれたはず」である。しかし寺岡が戦で暴れまわるシーンってあったかなぁ?
そもそも本作鳥羽伏見はあっても、会津戦争はやらないが。しかしこの後の会津の地獄を思うと、大原麗子(笑)と酒を飲む方
が幸せな日々だったと思う。
今回の西周だが、以前の勝海舟と同じく、フランスからの借款は危険という事を慶喜に話す。こういう「フランスに頼りすぎる
のは危険」という情報が手を変え品を変え出てくるのも本作のいいところだと思う。西周の講義と老中などの面会を両立して行
ったり来たりする慶喜の忙しい感じがいい(良く分からないがこの行ったり来たりするのも史実なのだろうか)。
それにしても最後の兵庫開港の件、「朝廷の勅許が大切!」と繰り返してきた慶喜が、いきなり勅許なしでパークスに兵庫開港
を許可したので唖然として意味が分からなかったのだが、それも含めての慶喜の作戦という事なんだろうね(理解するのに時
間がかかった)。 >>352 のアンカーは、>>351 です。間違えました。 第44回「倒幕」より
勅許を取らず兵庫開港した慶喜に、公家も幕府も大騒ぎ。さらにイラついている様子の薩摩の小松帯刀と大久保一蔵。小松が
「今度こそ一橋に出し抜かれぬよう段取らねばならぬ!」大久保「ご家老!!それを仰せにならないで下さりませ。この大久保
二度も三度も出し抜かれませぬ!」うーん、ここの大久保が「策謀家のプライド」に溢れていて実にいい。これだよこれ!こう
いう大久保が見たかったんだ。何度も繰り返すが「西郷どん」の大久保は全くカッコ良くなかったし、「花燃ゆ」に至っては出
演さえしてなかったからなぁ。
松島が美賀の許しを得て(慶喜の情報が手紙しかないことに不安を募らせている)京都に行くことになる。それで・・・、何で
「徒歩」で京都に行くのだ?(どう考えても輿とか使う立場のような) しかもよしに狐扱いされてるし(いくらなんだって事
前に連絡が行くだろう)、よしが「誰?」って有り得ないだろう。まぁ松島、よし対決を面白おかしく描きたいからだろうけ
ど。
うめのピアノの上達ぶりが早い。教えているウォルトンに「彼女は天才だ」と言われている。それでウォルトン夫妻の通訳の侍
がうめのピアノに合わせてリズムを取っているのが面白い。なんかちょい役の割に無駄にイケメンで、調べたら野地将年(ちな
みに役名は松岡源三郎)というらしい。なんか体格がいいと思ったら大学時代トライアスロンをやっていたという事だった。
続きます >>354 より続き
小松と大久保が、久光に「兵庫開港より長州を許す勅許を先に貰って欲しい。長州を許すのは簡単ではないから、兵庫開港が遅
れて各国の公使が怒り狂い、我らの出番になり我らならパークスを説得できます」と平身低頭して頼んでいるが、「くどい!」
と久光はイラついて小松と大久保に八つ当たりしている。「下々の者が動き回り世の中を変えると言っているが、変わったのは
幕府だけじゃ。一橋が出てきてから幕府は軍制改革を行い、製鉄所を作り、商社を計画し、朝廷さえ思い通りに動かしている。
正論だけで世は動かぬ。小松!家老のその方の責任は重大だぞ!下の者に任せろと言い続け今になって世を引っ張り出すとは何
事じゃ!!」イヤァ、本当この江守徹の久光の怒りっぷりがいい。「我儘な殿様」が板についている。「翔ぶが如く」で久光だ
った高橋英樹も良かったが(余談になるが、高橋英樹は円満な殿さま役とかもやるが、久光のような感情の振れが大きい役の方
が生きる役者な気がする)、こちらもうまい。
小松も大久保も謝罪しまくっているが、久光は「余は一橋の顔など見たくないのじゃ!!あのものに両手をつくなど我慢なら
ん!!」「あのものを将軍後見職につけたのはこのわしじゃ!!しかし恩をあだで返した!!」「大体ろくに口のきけぬ西郷な
どに公家の屋敷に行かせるな!相手が何を聞かされたか分かるまい!!!」(興奮度マックス)→「西郷ただいま戻りました」
いやー、ここの流れが最高に面白かった。西郷がどこから聞いていたのか分からないが、普通こういう時って自分の悪口がおさ
まるのを待って入ってこないか(気まずいだろうし)。それをちょうど自分の悪口を言っているところに空気を読まず、顔色一
つ変えずに入ってくる西郷はさすがである(笑)。
続きます >>355 より続き
それにしてもこの後語った、久光の「徳川慶喜の人物評」が面白い。「あの男は何を考えていると思うのじゃ。徳川将軍家のこ
とか?朝廷のことか?それともこの日本のことか?そうではない。あの男の考えているのは自分の立場だけじゃ。立場が変われ
ばあの男そのものが変わるのじゃ。信念などないのじゃ。その方達がこれぞと思うて斬り込んでもあの男はそこにはおらん。そ
う言う男のどこを衝けば息の根を止められるのかしかと考えよ!」慶喜にたいして悪意のありまくりな久光だが、この人物評は
一面の真実だと思う。敵から見るとそう見えるんだろうね。
それで西郷は「今すぐに(我が藩だけで)兵を挙げるべきだと思います。我が藩が兵を挙げれば長州や他藩が必ず動きます。水
動かさねば波は立ちません。根回しだけでは波は立たず、濁るばかりだと存じます」久光「貴様余に物申しておるのか?」西郷
「いいえ、一橋の首をはねるのが一番と申し上げているのでございます」イヤ、結局物申しているじゃないかそれというツッコ
ミはおいておいて、久光は「考えてみる価値はある」というような顔をしている。
続きます >>356 より続き
板倉が慶喜の所に夜やって来て「申し訳ありませぬ。悪い知らせでございます」慶喜「分かっておる。良い知らせなどこの世に
あるとは思っておらぬ」とやっぱりドライである(笑)。それで悪い知らせとは「パリの万国博覧会で薩摩、佐賀も来ており
(幕府はそれを知らなかった)、幕府は日本を代表している訳ではなく、各藩がそれぞれ独立しているという事で幕府、薩摩、
佐賀がそれぞれ対等な形で展示しそれぞれ日章旗を掲げることになったということだった。
慶喜は「薩摩めー、酷いことをしやがる」「何のために万国博覧会に参加したのじゃ!!田辺などは(責任者のこと)即刻罷免
して呼び戻せ!!」「久光めー」と怒り心頭である。
しかし二条城で慶喜と久光が会った時はそれぞれ何事もなかったように平然としていた。うーむ、流石政治家である。しかし今
の大河でこういうのをやると、慶喜と久光が馬鹿正直に口論しかねない。
原市之進が殺害される。慶喜は「薩摩か長州か?」と聞くが幕臣だった。兵庫開港の勅許をもらったのが原のせいだと思われてし
まったらしい。しかし「慶喜側近」は殉職が多い職場である。中根長十郎、平岡円四郎(慶喜の仕事のせいとは言えないが、倉石
佐衛門もそうか)、しかしこんなに死んでいれば用心するだろうに「太陽にほえろ」も顔負けの殉職率である(←古い)。慶喜は
殺害したのが幕臣だという事に衝撃を受けており、「幕臣の中にまだそのような者共がいるという事は命運も尽きるはずじゃ」
と。この描き方だとこの殺害も大政奉還につながる理由の一つになっているのかね、と思う。
西郷は「倒幕の兵を挙げるべきじゃ」とさらに決意を強めたようである。 自らに向けられた切っ先を見てみたいから真剣の刃を向けよと近習に指図するのは、武田信玄の時にもあったが、
田向脚本はそれが好きなのかな >>358 ですがネットで面白い意見を見かけたのでここに書いておきます。
*****
「さくら=徳川日本」「うめ=明治以降の文明開化期の日本」「ピアノ=西洋文明」の象徴として捉えると、色々としっくりく
るんです。
西郷がさくらのところに通い続けたのは彼自身の内面にあった徳川家の処分への葛藤、通うことを止めたのは遂に倒幕への決意
を固めたため。
「家の手伝いもせず、ずーっと三味線を弾いていた」うめは泰平の眠りにあった日本、しかし西洋文明(ピアノ)に出逢えばそれ
を吸収しようとがむしゃらになる。
先の話になりますが、鳥羽伏見で敗れた慶喜を乗せて江戸に向かう開陽丸が横浜・神奈川沖に差し掛かった時に横浜で熱心にピ
アノに励むうめの姿が映ります。夜更けの甲板に一人佇む慶喜に、うめのピアノがBGMとしてかぶります(実際に慶喜にピアノ
の音が聞こえたわけではないのでしょうけど)。
あれは、去りゆく徳川日本と文明開化日本とのつかの間の交錯ではなかったかと。 第45回「大政奉還」より
本日も簡単に。
西は慶喜に「議題草案」を提出している。慶喜は出来に満足したらしく「御苦労であった。良く出来ている」と。寅之介に
も読ませている(寅之介は架空人物だが、慶喜は西の講義も聞かせたりと目をかけているようである)。
よほどうれしいようで、西と酒を飲んで、酌もしている(この作品を見て思ったが、酌は立場の偉い人がやると「とても相
手に感謝している」ことを示すことになると思う。確か家茂も参預会議の時に労をねぎらうため酌をしたことがあった)。
さらに寅之介にも酌をしている。本作慶喜はほとんど情を見せない人だが、たまにこういうシーンがあると何となくホロリ
とする(しかも寅之介も酌をしてもらった杯を懐にしまい込んでるし)。
西は大政奉還について「そのようなことになるのでございましょうか」と慶喜に聞いている。「何が起こるか分からぬ世の
中じゃ」と返したので、西は「万が一(と何度も繰り返す)大政奉還をすると、上様の立場がなくなってしまいそうしたら、
この議題草案は意味がなくなるのでしょうか?」と。慶喜は「その時には余を抜いて考えればいい。諸外国の様に大統領を選
べばいい。それでこそ外国と肩を並べられるではないか。余が新たな国家の元首の座を望むは、新たな国づくりに際して橋渡
しが必要と思うからじゃ。うまい具合に出発できれば余の役目は終わるというものじゃ」
続きます >>362 より続き
いやーここ良かった。慶喜が言っていることってよーく考えると「凄いきれいごと」なのだが(何しろ、元首の立場は新たな国のため
の橋渡しに過ぎなくて、それが終われば自分の役割は終わりと言うのだから)、今まで慶喜の立場や考えを描き、幕末の政治状況を幕
府側からと薩長側からと両方きちんと描いてきたので、「うんうん、この慶喜なら分かるよ!」と言う気持ちになる。
これが大抵の作品だと「きれいごと」をうまく描けなくて、主人公が偽善者に見えたり、話に無理がありすぎたり、主人公上げをする
ために「必要以上に悪く描かれる人」が出てきたりするものだが、本作そう言うことがなく「慶喜のきれいごと」が理解できるのがい
い。だからこの後泥酔した寅之介が「戦いましょうぞ!大政奉還など我慢なりませぬ!!」と言うのも、この慶喜を見ていればそりゃ
そう思うだろうなと納得してしまう。
そして老中たち幕臣も、倒幕側の薩長も「慶喜のきれいごと」を理解できないと言うのも分かる(慶喜の政治手腕に、西郷も大久保も
慶喜を排除しないと安心できなくなっているからなぁ)。それを「慶喜の考えが理解できない西郷大久保は馬鹿」という単純な描き方
をしないのもいい。 いつもレビューお疲れ様です
大河慶喜の魅力を再発見していくようで、読んでいてとても興味深いです
この作品は当時から二心殿と言われた慶喜を理解する一助とも言えますね 第46回「小御所会議」より
今回も簡単に。
冒頭で、慶喜が「今後起こることをそなたにだけは分かっていて欲しい」ということで、わざわざ「座るな」と言って立ち
話。これ座ってしまうと板倉との間に上下関係が出来てしまうから、対等な目線で話したいということでこうしたのだろ
う。実際の徳川慶喜がこうだったか知らないが、いい脚本だと思う(それにしても、「麒麟がくる」では将軍義昭と庶民で
ある駒が立ち話をして、それを侍女も咎めないというトンデモシーンが・・・。ああいうのがちょくちょく入りすぎると
「将軍は雲の上の人である」という感覚が亡くなっちゃうんだよねぇ。しかも信長はちゃんと廊下で座って将軍と話してい
るのに。全く身分の高さ 駒 > 信長 なのかと言う。はなしがずれたけど)。
それで慶喜は「このまま静かに引けば、薩長の者は手出しできない。なにも怒ることなく騒ぐことなく新たな国に生まれ変
わるのじゃ。余の役目はそこにある。十分な余力を残して引くことが新たな時代を生きるたった一つの道なのじゃ。余が先
頭に立って戦えばあの者たちに負けるとは思えん。されど勝てば幕府は堕落し傍若無人になる。ここで幕府が消えれば、人
々の中に新たなる国造りの喜び生まれるというものじゃ。余は敢えて苦労もあるが喜びも多い上り坂を選んだつもりじゃ。
譜代旗本に軽挙妄動を許してはならぬ。こちらから仕掛ければ朝敵となって万事休すじゃ」と。
続きます >>365 より続き
場面が飛んで小御所会議のシーンの西郷の有名なセリフだが、
大久保「土佐が一橋の肩を持ち会議を乱しているのじゃ」西郷「簡単ではないか」大久保「簡単ではないから(怒っている)
このように一休みすることになったのであろう。夜中を過ぎていると言うのに」西郷「人を言い負かすことは出来ぬ」
大久保「ではどうするのじゃ?」西郷「短刀一本あれば十分ではないか」
西郷「ただの会議ではない。決死の覚悟がなくてどうする」大久保「(少々ビビっている)御前会議じゃ。お上が目の前の
おられるのじゃ」西郷「仕方あるまい。一橋を生き返らせれば我らが死ぬことになる。岩倉殿に、ことと次第によっては、
刺し違えよと申せ。その気概がなくて王政復古などできるものか」「ついでに土佐にも耳打ちし、岩倉が刃傷に及ぶかもし
れないと伝えるのじゃ」大久保「ウン」
それで岩倉がその後熱弁して(岩倉具視は寺脇 康文だが、ここまで熱くて男らしい岩倉もなかなかいない気がする。大抵岩
倉役は高齢の役者で老獪っぽい人が多い気がするので)、小御所会議は岩倉の思い通りになるが、本作西郷の不気味さ、何を
考えているか分からなさをここまで描いてきたので、この「短刀一本あれば」のシーンが説得力があってよかった。この西郷
は「そういうことを考える奴だよね」と思える。「西郷どん」はなまじ西郷を優しくてお人好しで流される男みたいに描いて
しまったおかげで、討幕のシーンのつじつまが合わなくなってしまい、急に西郷が闇落ちしたみたいになっていたので、説得
力がなかったのが残念だった。
田向正建は「武田信玄」で「敵としての織田信長」を描き、その後「信長 KING OF ZIPANGU」で「主役である信長」を描い
たので、「徳川慶喜」で「敵としての薩長」を描いたのだから、「主役である薩長(薩摩は「翔ぶが如く」があるので長州
で)」をやって欲しかった。きっと面白いものになったと思うんだけどなぁ。「花燃ゆ」は長州に全く関心のない脚本家が描
いてしまったので惨憺たる結果に終わった。陰謀とかなら三谷幸喜もうまそうなんだけど、あの人「長州みたいな勝ち組」に
は関心なさそうだし、大体既に大河が決まっているからなぁ。後「キンジパ」には武田信玄の役者は登場しないのだが、信玄
が上洛しようとした時の、信長と織田家臣団の感じた「武田信玄という恐怖」の描写が上手で(これは「徳川慶喜」の時も桂
や久坂が出てくる前に「長州の恐怖」を感じさせる描き方をしていた)、「長州側から見た徳川慶喜を田向正建がどう描く
か」というのも興味あったんだけどなぁ(と言っても仕方がないが)。
どうでもいいことだが、中根雪江(演、石立鉄男)が出てきたが、OPのテロップでは中江雪江になっていた。NHKがこうい
う間違いをするのは珍しい気がする。 御幼帝を擁し奉り、権威を盗まんとしているのではあるまいか!
━━そのような妄言は許されませぬぞ! 第47回「朝敵」より
このドラマちょいちょい出てくる細かい描写だが、杉山寅之介が、幕臣たちが集まっているところで「上様のお出ましにご
ざる」と言うのだけど、だーれも聞いていなくてそれぞれ固まって私語(学校かい!)をしていて、寅之介は声を張り上げ
て「上様のお出ましにござる!」と言って、ようやく幕臣たちはきちんと座って平伏して慶喜を待つのだけど、こういうシ
ーンって幕府が通常状態の時はなかったことなんだよねぇ(寅之介の最初の「上様の〜」の時点で誰もが平伏していたは
ず)。幕府が大政奉還したおかげで、秩序が崩れて将軍慶喜の求心力が低下していることをうまく表現していると思う。
慶喜が大阪に行ってしまったので、朝廷は紛糾。それにしても「一橋を大阪に下してしまったのは、虎を野に放したことに
なりませぬか!!」とキンキン声で騒いでいる正親町三条実愛の森田順平は、金八先生のカンカンもそうだったが、こうい
うキンキン声で騒いでいる役が板についている気がする(調べたらこの人も田向三部作に全部出ている役者さんだったんだ
ね)。
続きます >>368 より続き
それで今回は松平容保、松平定敬兄弟が熱かった(というか大政奉還くらいから、幕臣は一部を除いて熱くなっているが。君たち、も
う少し前からそういう情熱を見せていれば、幕府がつぶれるようなことにならなかったのでは?と言う気がしないでもない。世の中そ
んなものなのだろうけど)。
容保は「何故上様が謝罪しなければならんのでございますか?大政返上を始め、将軍職返上もお上への忠誠を示すばかりでなく、日本
の行く末に争乱のなきよう堪え難きを耐えた上でのご処置でござる。それにもかかわらず、官位を奪い領地を返上せよ、と言う。この
ような理不尽は叡慮とは思えぬ。薩摩を始め君側の奸の仕業にござる。そのような者たちがいる都へ上様が行かれるは、死地へ赴くの
と同じでござる。謝罪の上、越前公や土佐公と同じ議定にするとか、領地についてはその時に討議するとか、皆まやかしでござる!」
定敬は「江戸城西の丸の火事は薩摩の者とのうわさもござる!何故これを放っておくのでござりますか?我らは何故耐えるのでござり
ますか?」
そこに大目付滝川具挙(もうすぐ終わりなのにこういうマイナー?な人物がきちんと出てくるのもいい)の一団がやって来て、江戸で
暴挙を奮っているものは薩摩の者だと判明したと。それで薩摩藩打ち払い令を発し薩摩藩邸を焼き討ちにしたと。薩摩の罪状は明々白
々で見過ごすことできないと。薩摩討伐令を発してくださいと(慶喜に頼んでいる)。
容保は「もはや言葉は無用にござる!江戸城に放火するは上様の喉元に刃を突きつけたのと同じでござる!獏軍全体を斬りつけたのと
同じでござる!にもかかわらず幕軍一万五千黙して動かなければ臆病者のそしりを免れぬ!!上様!都に駆け上り薩摩を倒しましょう
ぞ!!」
場は大騒ぎになり慶喜は、薩摩の挑発でありそれに乗っては朝敵になる。我らが動かなければ向こうには攻める大義名分がなくなる、
薩摩の挑発に乗ってはならぬ!というが、容保は「江戸城は家康公の作りしお城。そのお城に火を放つは薩摩が先に兵を挙げたことと
同じにござりまする。それに対して上様が討伐令を発しても何の落ち度がありましょうや!!」慶喜は「その方にはまだ分からんの
か!!!理の通る世の中ではないであろう!時勢を見るのじゃ!怒りに任せて動きまわれば下々の者にまで不幸が及ぶぞ!!」容保
「されば会津一藩でも参りまする!上様の命に従わぬ謀反人という事にして下され!!」
続きます >>369 より続き
この後もやり取りが続くが、結局慶喜は容保たちに「勝手にしろ!」ということで薩摩討伐を認める(朝敵になる覚悟をしている)。
うん、この容保なら会津一藩でも最後まで戦い続けるな(と言うかそう言っているし)。「怒りに任せて動きまわれば下々の者にまで
不幸が及ぶぞ!!」と言う慶喜の言葉も、こののちの会津戦争のことまで踏まえたセリフなんだろうね。本作会津戦争まではやらない
が、このキャスト、脚本のままで「会津戦争」も見てみたかった。きっと「八重の桜」とは全く違ったものになった気がする。
それでここのシーン。幕府と会津の道がハッキリ分かれたということなのだろう。このシーンの前が、江戸でれんと寺岡が別れの挨拶
をするシーンだったので、れん=幕府 寺岡=会津 という形で「通じ合う部分が多くても、一緒にはいられない別な道を歩くことに
なる」ということを表現しているのかもしれないと思った。
しかし「余を呆れ果てたる卑怯者と思うようにな」とか、本作慶喜は朝敵になることも幕臣から非難されることも全て覚悟の上で行っ
ており「いくら何でもカッコよく描きすぎだろこれ」とも思うが、「この慶喜ならそう考えてもおかしくないだろうな」という事が描
かれてきたので、ドラマを素直に受け止められるのだとと思う。 第48回「恭順謹慎」より
寅之介は慶喜に「大きなことでお役に立ちたい」と言い出す。慶喜は「そちがいなければ余は動けぬ。そちの働きは今でも大きい」
と返すが、寅之介は死んだ中根や平岡や原の様になりたいと思っているらしい。慶喜は「よく聞くのじゃ。あのものたちは余のため
に殺されたのじゃ。役に立ったのではない。あの者たちを思うたびに、申し訳ないと思っている。もう誰も死んではならぬ」寅之介
は「されば申し上げます。追討軍は上様のお命を奪うと言うているそうにござりまする」慶喜「それもよかろう。余の命を奪うこと
で全てが収まるならな」寅之介「それは理不尽にござりまする。上様は命奪われる様な事何一つしておりません。それがしがよくよ
く存じておりまする」慶喜「上に立つという事は良きにつけ悪しきにつけ、理不尽を生きるという事じゃ。死ぬ時だけ理屈通りの死
を望むのは愚かであろう。ただその前にやらねばならぬことがある。いかなる手を使っても戦になるのを避けるのじゃ。これからが
勝負じゃ。そちにも役立ってもらうぞ」
ここセリフもいいのだが(上に立つ人はこう言う心がけをして欲しいものである。どうも今の日本を見ていると上が理不尽を生きて
いるのではなく、庶民や弱者が理不尽を生きていると思う)、寅之介がこの台詞を言いたくなるような「徳川慶喜」という人物を描
いたことに対して役者や製作スタッフに拍手を贈りたいと思う。いくら役者が頑張っても脚本演出のまずさでこういう「いい台詞」
が聞いていて白けると言うか、「お前が言うな!」になる脚本が今の大河は多すぎるように思う。
続きます >>371 より続き
久しぶりに慶篤が出てくる。慶喜のことを心配しているが、自分の方が具合が悪そうである。演者の内野聖陽は近年だと「真田丸」の
家康や、主役をやった「風林火山」の山本勘助役では、男らしいと言うかしたたかさを感じさせる骨太な役者というイメージだった
が、本作の時点では若かったからなのか線の細い優しい徳川慶篤 を好演していたと思う。
今回は山岡鉄太郎(鉄舟)も出てきて、勝との話し合いや西郷との会談も見応えがあったが、途中の れんのナレーションで「その頃
都では新政府ができて早速外国との和親と尊重が布告されたっていう話だ。そりゃあ五郎左衛門さんなんか首をひねるよ」で、
岩倉→大久保→桂 とアップででてきてここまではいいとして、次が『中山五郎左衛門』が首をひねっているって・・・イヤ、ナレが
あるから意味は分かるのだが、あまりにもつり合いが取れないので爆笑してしまった。どうでもいいことなのだが何となくラストに向
けてしんみりした感じなのにここだけはおかしかった。 最終回「無血開城」より
久しぶりに永原が出てくる。それでやっぱりと言うかなんというか「戯作本の作者だった」ということがばれても吉子は気
に留めていないようで(嫌味は言っているが)何よりである(笑)。
水戸の慶篤が死去。吉子が「いい子だったのに〜」と泣くのがなんというかこの人らしさのような。この政治ばかり描いて
きた「徳川慶喜」と言う作品で、調整は少しやっているが、決断をしない政治家という立ち位置だった(そう考えると弟の
慶喜とは真逆の気がする。慶喜は決断は早いがそれゆえ調整はやっていない印象であり、それで周囲を混乱させていた気が
する)。慶篤は「いい子」ゆえに決断できず、水戸藩がうまくいかなかくなったのだろう。
それで吉子と慶喜の対面シーンだが「朝敵の汚名を被りましたこと、父上母上に深く、深くお詫び申し上げます(泣く)」
吉子は駆け寄って手を取り「そなたのことはこの母がよーく存じています。そなたは徳川宗家を救ったのじゃ。そなたの他
に誰ができましょう。よくやりました。よくやりました。外国と戦争にもならず、この国が二つに分かれて戦争になるでも
なく、江戸の街も救ったではありませんか。よくやりました。そのための汚名ならこの母も喜んでお受けします。そなただ
けを朝敵にはいたしません。斉昭公もきっとそなたを誇りに思っていることでありましょう」2人で抱き合う「ああ、そな
たのために何もしてやれなかったこの母を許して下され」
それで江戸に帰ってきて彰義隊と共に消えたさくらと、生麦村に帰ってきたうめがでてきて意図は分かるが
(>>361 のようなこと)、うめ、何もあんなにド派手に帰ってこなくても・・・。
続きます >>374 より続き
この吉子と慶喜のシーンだが、ここのシーンが感動的なのはやはり「慶喜が徳川宗家を救った」ことをきちんと描いてきた
からだろう。それで私は >>363 で慶喜の言っていることは「凄いきれいごと」だと書いたが、この「きれいごと」を上
手に描くのって難しいと思った。それと「きれいごと」と言うのは実際には人には評価されないのだと思う。慶喜はこの母
とのシーン以外で誰にも「よくやった」とは言われていない。敵には恐れられるし(まぁそれは当然だが)、幕臣たちも
「薩長と戦えないこと」が不満で「上様は何故戦ってくれないの?」という事ばかりで、慶喜の考えを正確に理解できたもの
はいなかった(春嶽辺りは理解していたかもしれないが。はっきり口に出しては言わなかったけれども)。これが近年の大河
だと「主人公の意図を皆が理解してくれて、流石○○じゃ!と言ってくれる」という作りになっていることが、薄っぺらくて
白けてしまう原因になっているのだと思う。そう考えると「だれも理解してくれなかった慶喜を理解して褒めてくれたのは母
だけ」というのはリアリティがあり、だからこそこのシーンに感動できるのだと思う。
それにしてもオリキャラのシーンがあったとはいえ、「政治、政治、政治」の大河だった。1年をかけて慶喜の目から見た幕
末、大政奉還をやるとここまで描かなければならないのかという濃密さだった。一般に「幕末が分かりにくい」のは描かなけ
ればなならないことが多すぎて、しかも近年の大河だと「政治を描かない傾向」があったので(「花燃ゆ」「西郷どん」)さ
らに分かりにくくなってしまうのだと思う。本作登場人物に人名のテロップが一々入っていたがこれがないと「えーと誰?」
になってしまうほど登場人物が多く、幕府の役人がしっかりでてきたためこのやり方は良かったと思う。 >>375
最終回までお疲れ様でした
また視聴する際には読み返しながら見たいと思います 川浜高校のマンガ部顧問教諭は、長州の断固討伐を力説していましたが、
勅命により、豊後守の官位を剥奪され、追罰として、白河10万石を召しあげられ、悪地で名高い棚倉6万石に國替えを命じられた 大河徳川慶喜、二度の挫折を乗り越えやっとレンタルで全話見終わった!
良かった。慶喜視点の政治劇に絞って、ドラマには入らないが
政治的に重要な部分はアバンできっちり説明して、「本筋」に関しては
名作だと思うわ。今年にしても幼稚な近年の大河にこの幕末政争なんて描けないよ。
最終回、本放送では母ちゃんと泣いた場面しか覚えてなかったが、
サリン事件に平成不況まで触れたのね。慶喜の大政奉還から
近代日本が始まったわけで、現代まで触れるのは良いまとめだった。
中根とか最後に関わった人たちの回想に泣ける。
ただ本放送と再見、二度途中で挫折したのはとにかく
火消しパートのオリジナル出張りすぎに耐えられなかったんだよな。
今回はそこら適度に飛ばして、やっと完走したわ。
ドラマオリジナルでもエロ本永原とか、藤木のパートも
箸休めでまあいい、ただ尺稼ぎに妖怪メナードババア出張りすぎと
辰五郎一家の家庭問題と最後の会津の間男はマジいらなかった。
将軍就任前の20話あたりまで尺取り過ぎ。主従コントは好きだけど。
鶴田真由、ご先祖が桑名藩家老の家柄だったそうで、役柄に相応しい出自だったな。 他の軽量幕末大河では無視される要素、将軍就任して幕府を
立て直し猛然と巻き返しに掛かってたこと、西周起用して勉強して
近代国家の設計図を作っていた事とか、感情に流されず戦になった場合、
国家としてのその先を見ていた事とか、慶喜の聡明と視点なら
こうなるであろう面をしっかり描いたのが良かった。
新時代・新政府のベースを慶喜と有能な幕臣達が作っていた事は伝えられるべき。 渡辺徹が演じた西郷隆盛が幕府を倒した頃、「共和政治」を検討すべきとの
発言をしていた。これから王政復古しようというのに何を言い出すのか?
脚本家がバカなのかよくこんなセリフを西郷に言わせるもんだと呆れた記憶がある。 火消しの新門の辰五郎(堺正章)と女房のおれん(大原麗子) 娘のお芳 火消のがんつむ達は
明治になってからどう暮らしたのか?火消しはどうなったのか? 徳信院が少年慶喜の顎をこちょこちょ擽ったシーンの
おれんさんの以下の解説が性教育上問題だ。
「目覚めちゃったのね。」 堀田備中、松平伊賀に代わり、太田備後守、間部下総守、松平和泉守を、新たる老中に迎えた。
聞くところによると、一橋殿は、将軍職の激務を和らげるため、西洋医から、阿芙蓉を処方されていたそうだな このドラマはあまり見ていなかったが、これの1年ほど前に同じ脚本家の作品で
月の船が好きだった。
ピアノとか、血のつながらない親子とか共通点が多い。
影響を受けた? 備中殿。あなたが蘭學に詳しいことはよおく存じております。しかし、異人の腹の底は、また別物ではございませんかな? 本木慶喜が内野演じる兄に掴みかかって「昔のわしじゃと思うな、それから父上の悪口は二度と言うな!」
っていう場面がカッコよかった…
なぜかこの場面だけ深く印象に残ってる 鶴田真由は超美人だったな
いまの大河はミムラが鶴田真由の役やってんだな
エラい違い 鶴田真由
高貴な中に可愛らしさがあり
そしてほのかにいやらしい なんで、堺正章や年寄り浪人を先生と読んで連れ回してんだ?
本木まで刀をあげたり 今日銀河で最終回観たが46、47話あたりが見応えあったな
板倉勝静役や松平兄弟役の人あまり観ない人だったが熱のこもったいい演技だった 板倉と会津桑名兄弟の演技がホント良かった
怒りや悲しみがストレートに伝わってくる
しかしほとんどのオリキャラはいらなかったな笑 確かにちゅっちゅくちゅーは要らなかったようなw
佐藤慶と岸田今日子のコミカルな演技は流石だった >>413
円熟俳優がオリキャラやると良いよな
随天とか >>414
同じ脚本家さんだな
オリキャラだと草刈正雄が昔演じた藤原玄明がカッコよかった >>412
春嶽に今ここで斬ってもいいとブチ切れるの好き
滝川もいい >>419
松平定信の孫の方がわかりやすいんじゃないかな 小御所会議で懐に短刀忍ばせた岩倉のことを容堂が「神がかり」と評していたけど
岩倉村は17世紀から精神病患者の療養場所になっていて滝行させる施設があったんだってね 阿部正外、松平宗秀、松前崇広が罷免され、小笠原壱岐守が大坂で老中格に再任。 青天の岩倉も最期はちょっと神がかり
隠棲中に身の回りの世話をした老婆の幻聴と天皇の幻を見て死んだ 鶴田真由が綺麗だった
あれが継母だぜ、たまんねーよ 今日からこの人が母親です!って紹介された人が幾ら美人でも
子供の頃にすんなり受け入れるのは無理かも 再試聴、6話まで来た
月代モックン美しすぎてずるいレベル
大河史上最も美しい主人公じゃないかな
出演当時33歳なのに不通に十代の貴公子に見える…表情や言動をそれらしく演技してるというのもあるけど
高貴で快活、およしがメロメロになるのに説得力がありすぎる >>430
>大河史上最も美しい主人公
滝沢義経も捨てがたい >>432
あそこのシーンと慶喜の好演、良いよね
大坂城内の手のつけられない狂騒感がよく表されてる 再試聴、8話まで来た
松島うざいと思ってたが新三郎がそれ以上にうざくなってきた
相手のおみよが全然いい女に見えないからさらに同情できない
それ以外では完全にモックンのPVやな
色付きの着物もいいが、黒一色の着物だとインパクトありすぎて言葉を失う >>436
このドラマは史実の人物はみんな良いのに、架空のキャラが総じてキツい >>438
およしのキャラはいいんだよね
美人ではないがはっきりした顔立ちで明るくて愛嬌あり、きっぷが良くて男前
慶喜が惚れるのもわかる
みよはチョッチョコチョを取り押さえるみたいなエピソードもないんだから余計に容姿が大事なのに徳信院なみの美女連れてこないと一目ぼれ設定も薄っぺらいわ
この徳信院がまた魅力的すぎて史実で慶喜との不倫説もむべなるかなと思ってしまうw
美香は明らかに徳信院に負けてるけど史実のイメージとは合っていて悪くはない 慶喜が生まれてくる子のために宝船の絵を描くシーン、今後の展開が分かってるから辛い あのシーンは慶喜も人間的な暖かい心を持ってるんだなと安心する
まあドラマだけど 火消しとチョッチョコチョはお🅼苦しくなりがちなドラマのコメディリリーフとしての存在意義はわかるしキャラもまあ立ってるが
不倫侍パートは根暗で低俗なだけでどうしようもないな
そもそも新三郎のキャラが全く立ってないから不倫で身を持ち崩そうと仇討ちで切られようとまったく感情移入できないわ
史実パートは言うことなしなんだけどねこのドラマ 架空キャラパートを全部切って明冶編もやってほしかった
渋沢栄一との絡みもパイオニア的にやれただろうに勿体無い あまり言われないがOP曲もとても良い
秀吉や花燃ゆのようなわかりやすい派手さはないが(むろんこれらも良い曲だが)
重厚で荘重で、でも明るさもあって、しかし最後にはやはり重厚で〆る
幕府の終焉を示してるのかな >>447
OPは終始暗いままなのがねえ
あの重苦しさは良いのんだが、もう少しキャッチーなメロディーがあればなあ ブラタモリで、江戸の大名屋敷が、明治になって、現代へと続くいろいろな施設の建設地になる流れが解説されていました。
江戸にかぎらず、日本中で城だったり武家屋敷だったりと、武士が占拠してた広い土地が、文明開化に使われております。歴史は地続きなのです。 空気なのに徳川慶勝がえらくイケメンだったドラマ
内野って月代にするとすごいモブ顔になるね
クレジットみないと誰かわからないくらい
モックンと顔の傾倒も明らかに違うし慶勝役と逆ならよかったのに
真田丸での家康役はどんなぐあいだったのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています