>>358 ですがネットで面白い意見を見かけたのでここに書いておきます。

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「さくら=徳川日本」「うめ=明治以降の文明開化期の日本」「ピアノ=西洋文明」の象徴として捉えると、色々としっくりく
るんです。
西郷がさくらのところに通い続けたのは彼自身の内面にあった徳川家の処分への葛藤、通うことを止めたのは遂に倒幕への決意
を固めたため。
「家の手伝いもせず、ずーっと三味線を弾いていた」うめは泰平の眠りにあった日本、しかし西洋文明(ピアノ)に出逢えばそれ
を吸収しようとがむしゃらになる。
先の話になりますが、鳥羽伏見で敗れた慶喜を乗せて江戸に向かう開陽丸が横浜・神奈川沖に差し掛かった時に横浜で熱心にピ
アノに励むうめの姿が映ります。夜更けの甲板に一人佇む慶喜に、うめのピアノがBGMとしてかぶります(実際に慶喜にピアノ
の音が聞こえたわけではないのでしょうけど)。
あれは、去りゆく徳川日本と文明開化日本とのつかの間の交錯ではなかったかと。