第48回「恭順謹慎」より

寅之介は慶喜に「大きなことでお役に立ちたい」と言い出す。慶喜は「そちがいなければ余は動けぬ。そちの働きは今でも大きい」
と返すが、寅之介は死んだ中根や平岡や原の様になりたいと思っているらしい。慶喜は「よく聞くのじゃ。あのものたちは余のため
に殺されたのじゃ。役に立ったのではない。あの者たちを思うたびに、申し訳ないと思っている。もう誰も死んではならぬ」寅之介
は「されば申し上げます。追討軍は上様のお命を奪うと言うているそうにござりまする」慶喜「それもよかろう。余の命を奪うこと
で全てが収まるならな」寅之介「それは理不尽にござりまする。上様は命奪われる様な事何一つしておりません。それがしがよくよ
く存じておりまする」慶喜「上に立つという事は良きにつけ悪しきにつけ、理不尽を生きるという事じゃ。死ぬ時だけ理屈通りの死
を望むのは愚かであろう。ただその前にやらねばならぬことがある。いかなる手を使っても戦になるのを避けるのじゃ。これからが
勝負じゃ。そちにも役立ってもらうぞ」

ここセリフもいいのだが(上に立つ人はこう言う心がけをして欲しいものである。どうも今の日本を見ていると上が理不尽を生きて
いるのではなく、庶民や弱者が理不尽を生きていると思う)、寅之介がこの台詞を言いたくなるような「徳川慶喜」という人物を描
いたことに対して役者や製作スタッフに拍手を贈りたいと思う。いくら役者が頑張っても脚本演出のまずさでこういう「いい台詞」
が聞いていて白けると言うか、「お前が言うな!」になる脚本が今の大河は多すぎるように思う。

続きます