【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
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>>368
休夢叔父出演の「軍師官兵衛」は再放送中だから
朧月のみそぎは済んだということで DVD再販されたから、Blu-rayの再版もちかいと思ってたのになあ。 「平清盛 ゆかりの地を行く」の空撮がシャイニングみたいでかっこよかったわ。 朧月さんは怖ろしそうな映画にいま出ておるぞ。単館系配給作品で見れない人多そうだけど。
映画「私は絶対許さない」公式サイト
http://watashihazettaiyurusanai.com/
それと、基房さんは事務所を辞めて(辞めさせられて)、かえってのびのびしてるみたい。
朝日新聞にも連載もったし、彼のインスタグラム短歌もなんちゅうか謎の世界しとるよ。
繚乱の夜桜我に降り注ぐ生ある限り心咲かせる だそうだ。
https://www.instagram.com/p/BhRM3WuAX8D/?taken-by=shigeki_hosokawa 皇室絡みでは、「女院が顔を出すとは何事ぞ。無知な制作側がー」と元気な婆が吠えてたのを思い出す。
顔を出さない大河なんて過去にあるの?と何度聞いても答えてくれなかったが・・・
(清盛に限らずーただし、昔は良かったーや礼賛すると決めた作品については問題とならないー
何かアレンジするや、作り手の「無知」を罵倒冷笑し始める偉そーな態度がたいそう痛い。
アレンジにせよ果てはトンデモと言われる改竄にせよ、作り手は「分かってやっている」のだから)。
ところで、新平家総集編では確か待賢門院は出てこなかったような。
美福門院は出てきたが、そこで見られる女院はモブ以上の存在ではなかった。
それでも、彼女が顔を見せずに常に御簾越しに会話していたかと言うと、そんなことはドラマである以上あり得ない。
まして、平清盛における女院たちは、>>364が指摘するように、保元の乱へと連なる縺れ爛れた人間模様が
展開された宮廷ドラマの主要アクターであり、姿の見えない人形のような存在ではない。
実際上も、公式の場面ではともかく、プライベートな空間では女の激しい情念を戦わせただろうし、鳥羽との愛憎も
あったに違いない。すなわち、彼女たちは歴史劇からも人間ドラマからも、生々しい感情をもつ「生きた人間」
でなければならず、それは単に顔を見せないとドラマにならない、といった便宜上の問題に止まるものではなかった。
もっとも、逆に「常に顔を出して話した」かと言えばそうではなく、改まった場面では何度も御簾越しでの会話が
行われた(鳥羽、崇徳、後白河についても同じ)。
これらは官職読みやつけ眉、古語ーex「とく死なばや。早う死にたいござります」などにも通ずる折衷的手法といえる。
作り手は「無知」どころか、<当時の有り様>とそれを<ドラマという媒体>を使って<現代の視聴者>に見せ理解させる
という両立困難な課題の数々に対して、行き届いた熟慮とセンスを披露したと評価できる。 死ぬじゃと?長文様がか?さような事には断じてならぬ、
長文様はこのスレにて、とこしえに生き続ける、このスレの有り様は
昨日が今日でも
今日が明日でも
明日が昨日でも
まるで変わらぬ
変わることなど、とこしえに訪れぬのだとこしえに・・・ >>361
埃っぽくて汚らしかったし松ケンの演技は下手くそだったし
「朕を射てみよ」とか「みな我が子なり」みたいなキテレツなシーンも少なからずあったけど
面白いよな カメレオン型憑依俳優松ケン以外に、「あの清盛」を「最初から最後まで」やれる俳優を挙げてくれやー、
こうお願いし続けて早6年。まともな回答は未だにない。
ちなみに、遊びをせんとやを美声で歌えない松ケンは後白河NGで、演技の幅の狭い松田は清盛NG。
他の入れ替えも同様で、要するに、当初言われたらしい4人の主役級(清盛、後白河、義朝(頼朝?)、西行)は皆、
適材適所だった。長瀬という人の演技は良く知らないけど、カメレオン型には見えない。
可能性があったとしたら、妖精万吉も強面後藤も出来て、目下マザコン・ブラコンから国父様へと
イメチェン中の青木ぐらいだろう。こちらも当時はまだ(今も?)大河主役という柄ではないし、
弁慶が素晴らしかったので、想像するのは野暮というものだろう。
エア矢や和歌もどきは、「キテレツ」でもたいそう意味のある創作だったことは、もはや多言を要しない。
というか、今はコピペできないw
前者のキーワードは、祇園社事件の核心とは?〜清盛ピンチ、合理的精神、公卿会議紛糾→平氏処遇への態度から
朝廷は二つの勢力に分かれていく(byナレ朝)→保元の乱へ。及び【治天鳥羽が有した「罪刑専断性」=院政の恣意性】
と鳥羽が発した【「そちこそが朝廷のど真ん中(にいる私)に放たれた一本の矢じゃ」】→三十数年後に
弁慶の記憶に運ばれて頼朝in鎌倉に突き刺さる→朝廷という岩盤に対するドリル=清盛を再確認しリスペクトを
新たにする→自ら京へ向けてエア矢を放つ。遂に源平合戦本戦ラウンド最終タイマン対決の時が来た・・・が熱病に倒れる。
後者は、「和歌下手」(史実)、歌会の政治性、逆転の発想で歌会を異化して所信表明の場へ〜ピンチをチャンスに変える
逆転の清盛の誕生→平治の乱 松山は今じゃホリタレのバーター
草加でなけりゃ廃業レベル もうじきテレビショッピングに出てくる。
食レポも上手そうだ。 高橋昌明「武士の日本史」(岩波新書)ゲト。
大日本帝国の崩壊までを武士の観点から通史的に考究するユニークな一書で、今後の必読書となりそうだ。
新書といえ準研究書レベルなので、寝っ転がって気楽には読めそうもない。
パラパラ眺めていたら、院政の開始という項目のところで荘園公領制の成立を述べた上で、次のような記述が。
この時期政治の面では、外戚である藤原道長直系(御堂流)の親族関係に包摂されていた天皇家族が、
そこから自立してイエ(王家)の形成を進め、それと連動しながら院政が始まっている。
すなわち退位した天皇(上皇、出家して法皇、院ともいう)で王家の家長である治天の君が、国政に強力な発言権を
有する政治の形である。
王家が分離独立していったため、御堂流のイエは臣下のイエに純化し、院権力に追随を余儀なくされてゆく。
このイエは摂関・関白を恒常的に出すイエという意味で、摂関家と呼ばれるようになった。
★王権の独立とイエの成立から発生論的に院政を特徴づける学問用語が「王家」であることがわかるだろう。
それまでの「天皇家族」とは外に対しても内においても存在形態と機能を異にする、一つの「王のイエ」が誕生した〜
この歴史事実を捉えるためのコトバである。 イエは「家業」をもち、社会的分業の中で位置を占める。
摂関家が摂関と関白を家業とするイエとすれば、王家は王=天皇を再生産するのを家業とするイエ。
このイエを主宰するのが家長たる院。その院が国政上、事実上の最高権力者となった政体が院政
というわけね。
天皇家では、摂関家に包摂されたそれまでの「天皇ファミリー」との差異を捉えられないのに加えて、
「天皇が主宰するイエ」となってしまい、核心部分を表現できない。
王家に代わるより適切な用語はあるのかもしれないが(専門家に任せます)、少なくとも一つの学問用語
としては十分成り立つことがはっきりした(ドラマで採用する用語として適切かはまた別問題)。
王家がーの方々、そろそろおわかり?中国皇帝様の家来なんかじゃないからさw >>387
王家ガーを相手にしたいなら、他スレに打ってでないと。
清盛スレは「王家」なんて端から乗り越えている住人ばかりでしょ。 清盛は銅山開発に興味なかったのかな?大陸や半島から技術者を呼べなかったものか。
鋳銭原料を探し出すより、銭を輸入する方が遥かに安上がりだったのかも知れんが、後代、大陸に棹銅を大量に輸出する一大鉱業国だったのに勿体ない。
いちいち作り出すより運んでくる、その辺りが彼の限界か。 >>389
王家がーが始まればちゃんと打って出てるから。おたくも頼むよ。
まあ最近は大人しくなっちゃって芸スポとかで喚く。俺の行動範囲はそこまでで、
あそこも見たくないのでできれば大河板でやってもらいたい(清盛攻撃はどさくさ紛れに
あっちでやるのが主流なので覗かざるを得ない)。
包摂された御堂流からの分離・独立→イエ=王家、摂関家の成立という視点が鮮やかだったため、
紹介した次第。 >>390
日本の銅山開発はせいぜい近世になってからでしょう。
いくら清盛が時代に先んじた男でも、資本・技術・組織・品質・コストその他の面で、
銅銭輸入に取って代わる大量の国産銭を鋳造普及させる条件はまだなく、困難だったのでは。
前代までの皇朝十二銭も結局流通しなかったし。 942 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2018/05/30(水) 01:52:46.47 ID:BT0XFNIu0 [2/2]
ただ怒鳴るだけのプロポーズとか酷いのあったよな
今年はそれよりは随分とマシだよ
954 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2018/05/30(水) 09:00:07.12 ID:FqCm2qGW0
へえー、お前らあの「お笑い系プロポーズ」が「唾まき散らして喚く主人公」というババアどもの定番攻撃で、
真っ先にあげるべきシーンなんだ?どこまで阿呆なの?
たまこの荘重な死から一転して「二組のろくでもない求婚」のシーン。コミカル風味はこれと鮮やかなコントラストをなした。
義朝&由良は「俺の子を産め」。この単刀直入な求婚で、上西門院との繋がりをもつ名門熱田大宮司の娘を娶る
メリットを計算した義朝の手前勝手な思惑が伝わった。露骨な政略結婚であり、一途な由良が気の毒であったが、
その後由良は武士の妻の鑑=頼朝の母へと変貌していった。最後は、荘重な最後「と父が・・・(これもコミカルをシリアスに転位)」
で両者は永久に結ばれる。
一方、清盛の「ろくでもないあっさりプロポーズ」は、最愛明子へのメロメロぶりと熱心なプロポーズとの対比が鮮やか。
時子とは恋愛ではなく、「後妻をもたなければ周囲が納得しない」立場におかれた清盛の苦し紛れの責任の履行であった〜
「もうそなたで良い」。
もっとも、その後時子は控えめながらも清盛に寄り添い、彼を支え、両者は愛情を育んだ。時子もまた賢妻へと成長していった。
こちらは清盛最愛の妻と言われる明子との対比が重要で、尺をとって描いた明子への求婚との対比は、後々、時子&宗盛vs重盛の
水面下での確執と葛藤描写に大きな意味をもった。麗しい恋とは無縁のババアどもが通常の恋バナを見たいのはやまやま
だろうけど、あそこでまた明子なみの尺とラブをやったら、作劇上は台無しとなっていただろう
(もう2組〈歴史上〉重要な恋愛がある。紹介するまでもなく、平治の乱後に清盛と後白河との仲を取り持った滋子。そして駆け落ち頼朝と政子。
大河清盛は、清盛&明子とこの2組、計3組についてのみ、歴史劇という観点からその重要性を認めて恋バナを主題化した)。
まとめ:たまこの荘重な死に続けて延々と恋バナをやるような野暮とは無縁であり、シリアスとコミカルのコントラストが鮮やか。
その上で、2組の求婚の本質とドラマ上の意義(清盛については明子との対比)がクリアに示されたーそれがあのシーンである。
956 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2018/05/30(水) 09:08:34.46 ID:FqCm2qGW0 [2/2]
>私は女性だけどこの手の愛だの恋だのの大河ドラマは好きじゃないな
なんだババア。お前が大好きな昔は良かった―大河にマストの本筋と関係ない恋バナなんぞには見向きもせず、
また女子会トークなんぞにもまるで無縁だった稀有な大河である清盛の愛好家じゃないのかよ(爆
えっ?呪詛し毒を吐きまくりました?ああそうでっか(爆 >>390 >>392
宋銭に関しては、高橋・本郷両先生(後、さおだけ屋のイケメン会計士)が
清盛を扱った番組でも語っていたな
治承・寿永の内乱の頃は養和の飢饉で価値暴落、平家滅亡直後は異国の貨幣に対する抵抗で禁止されるも、
鎌倉政権が安定期に入ると盛んに使われるようになったってのは、
清盛個人には皮肉な結末だが、日本にとって決して無駄じゃない大仕事だったのがわかるね 平家滅亡後も親平家だった近衛、西園寺らへんは近現代に至るまでリベラル・商業重視なのに対して、
反平家の源氏や九条、鷹司は今も右派・保守で農業重視なんだよな
源氏が土着の武士たちのための政策をとってきたんだからしょうがないんだけど 宋銭絡みで印象に残った場面に、白山鵜川寺で師経(西光の息子。同じく息子である加賀守師高の目代)
が引き起こしたイザコザのシーンがある。
風呂を要求した師経は、対価として宋銭を差し出した(「礼なら遣わすぞ。そなたたちは
知るまいが、これで馬1頭の値打ちがあるたいそう便利なものじゃ」)。
信西の使徒を自認する西光は、同じく信西の国造りから影響を受けた清盛の宋銭普及構想に
関心をもち協力を約束したものの、その後決定的に対立し清盛を激しく憎悪する間柄となってしまった。
ところが、今まさに鹿ケ谷の破局が訪れようとしているその時(ドラマ上は、この事件は清盛の挑発
がまずあり、既に鹿ケ谷事件の一コマをなしている)、西光は私怨を乗り越えて息子たちを通じて
宋銭の地方への普及に努めていたのである。トリビアかもしれないが、清盛の構想力には及ばずとも、
西光もまた(頼長と同じく)立派な国士であったことに感銘を受けた。
それにしても、清盛の謀略には謀略をもって返す後白河との息詰まる鹿ケ谷へのプロセスは素晴らしく、
新説・珍説に飛びつかなくとも、誰もが知っている大事件はかくも斬新なものになりうることを証明した
(後白河の陰謀という通説的見解に、清盛が仕組んだ出来レース説をアレンジ。これに、中期的には
蝶番滋子の重要性と死の痛手が描かれ、さらに遥か昔の家成死去のシーン「成親に師光よ、今後も
しっかり平氏を支えろ」まで遡及するロングスパン〜「我ら親不幸者でござりますな」と成親は自嘲)。 「翔ぶが如く」があるのに、何故今再び「西郷どん」なのか?
この切実な問いに答える「新しい西郷」が生成しつつあるとは、残念ながら思えない。
島編に新機軸を見いだすしかないのが、現時点での到達点だ。
清盛はまったく逆。歴史劇としての限界を露呈している「新平家」を一気に更新して、
「今何故平清盛か?」に対する見事な回答を与えることに成功した。
豊富な歴史情報と資料を駆使して創造性豊かに論理的に構築された精緻な脚本。
シンボル操作やメタファーも多用され、時空間も頻繁に行き交うハイテク脚本ゆえ、
伝統的な大河層からはろくに理解もされないまま罵倒を浴びた(ウヨからの攻撃とは別に〜
>>735のような阿呆には永遠に手は届かない)。
しかしその結果、歴史劇の深度、人間ドラマの熱量において歴代屈指のクオリティーを誇る
大河が、挑戦的な演出に斬新な映像・・・等々と相まって誕生したのである。
なお、斜め上とはどういうことだ?革新的で新しい大河を創造したという意味ならイエス。
しかし、王道から外れて「歴代を描かない」という意味で使ったのならばナンセンスだ。
「新平家」と比べ物にならないほど、歴史とそこに生きた人物たちをきちんと描いている。 ちょっとさ、目下都内の酔っ払いでこれから帰らなきゃ怒られるんだけど
断りなく俺の恥ずかしいやつコピペしないでお父さん! 酔っ払ったついでに、最終行を肉付けすると
「混迷を深めながらも躍動感溢れる体制変動期であった平安末期の諸相について、
王朝文化の静的な美的世界に矮小化することなく、それがもった動的なダイナミズムを捉え、
併せて主人公清盛始め、そこに生きた人々の激しくも清冽なしかし矛盾に満ちた生き様に肉薄した」
となる。酩酊一歩前ゆえ文責なしwおやすみーー ふむ。
「何故今平清盛か」が分からん。
なぜ2010年に制作発表し、2012年に放映したか。企画自体は2010年より前であった筈。
やるなら生誕900周年の2017年とかが安直な現代的考えか。
薨去何周年だと、2012年は切りが悪い。
稀に見る名作大河であったのは疑いない。
しかし、なぜ2012年だったかというと、企画が残ったからとしか言いようがない。分からん。 如何なる根拠で何をやるか?
いくつかやれそうなものから何を選択するか?
いずれにおいても制作局のNHKは自由な判断の余地(裁量)をもつ。
そこで「時代を切り拓いた清盛を今新たな視点でやるのが相応しい」と判断された。
残るは「いつどのタイミングでやるか」である。
この「時」という点についてもNHKは様々な事情を斟酌して判断している。
それが2012年だったということだろう。
タイミングについて考慮された事情は聞いてみないと分からない(戦国、幕末ループ
の狭間期なんかもかなり重要のはず)が、少なくとも「相応しい年ではなかった」
と外野が判断するのは困難だろう(何を取り上げるかの根本問題で不透明な選択経緯が
疑われたりすると、外野からあれこれ言われてしまうー某おんな長州ものとか)。
ぶっちゃけ西郷どんは、「如何なる根拠で何を目的として」の部分が弱いと思う。 そもそも清盛を書ける人がいないと話にならないよね。
ちりとてちんで「人を動かす群像劇が得意」(当時のP、現在ドラマ部長。高橋教授に
こう紹介したという)であることを証明し、長丁場にも耐えうるというか長ければ長いほど
驚異的な俯瞰力を発揮する藤本女史を見出したのも大きいだろう(この人と森下女史は、
おそらく書き始めた時点でラストまでのプロットが大方出来上がっていた)。
それが2007年。大河清盛の企画は2008、9年ぐらいから動き出したんだろう。
NHKの二大看板である「朝ドラ評価→大河起用」の流れは、今では脚本家にとって、
「主計局長」→「事務次官」みたいなエリートコースとなっている(たまに外れが出るw)。 「今何故平清盛か?」については>>399眉雪の講釈を待ちたい。
「見事な回答を与え」云々と言うからには、理由が分かっているんだろう。
残念ながら、昨夜のレスには何らそれが書いてないけれど。 お前がまず何か書けよ。
Pのコンセプト、抱負、脚本家の意気込み、そしてそれがどう作品に投影されていたか。
それは新平家(これも単なる悪人清盛ではもちろんない)と違うのか違わないのか。
新平家のままで清盛の真価は十分伝わっておりこれ以上付け加えるのは冒涜だ、などなど。
ぜんぜんなってないとまず書いてからにしろ。何でいつも俺が長文駄文で面倒みてやらんとならんのだ。
待っとるでー >>408
まずは>>399が書いてくれるのを待つよ。
見事な回答というからには、分かっているだろう。
こちらは分からないので。 >「混迷を深めながらも躍動感溢れる体制変動期であった平安末期の諸相について、
>王朝文化の静的な美的世界に矮小化することなく、それがもった動的なダイナミズムを捉え、
>併せて主人公清盛始め、そこに生き(運命に翻弄された)人々の激しくも清冽なしかし矛盾に満ちた生き様に肉薄した」
簡単にまとめると酔っぱらって書いたコレに集約されるんじゃない?
じゃまたねー だから何がわからないか書けよババア
せめて、Pが打ち出したコンセプトとか、大好きな新平家が最高ーな点を、ここ読んでいる人に紹介しろ。
そんぐらいできるだろ。 具体的内容抜きで問いを立てれば実に簡単な話
これまでの源平大河、ドラマ映画等では、清盛の真価や平安末期の時代相は十分伝わってこなかった。
また、基本的な史実すら明らかな間違いが多々あり、誤解を与える人物解釈も多い。
しかも、時代考証、映像や美術、芸能考証面でも格段に進歩して、平安末期をよりリアルに再現できる
ようになった(「このドラマほど、平安末期の儀式やあらゆる階層の公私の生活を詳細に映像化
したものはかつてなかった」「このドラマ自体が歴史的価値がある」by儀式儀礼考証&芸能指導」)
→「だから今再び平清盛にチャレンジする意義がある」
簡単だろ?翔ぶが如くの西郷はあれこれ間違ってる、幕末維新描写も物足りない。
「だから?違う方向で?誰からも好かれたモテモテの西郷さんで改めてエンタメしたい」
とはまるっきり出発点が異なるのね。 >>413
「何故今平清盛か」という問い自体、そもそも無かったんだよね? ハイハイそろそろ5行ぐらいで良いから何か書いてねお嬢さんw
国士西光の話をしたついで。
悪態つかれても余裕かましてた清盛だったのに、「負け犬の復讐じゃー」の一言で俄かにブチ切れ、
院の近臣西光を凄絶なリンチの末、葬った。
重盛が必死で止めたその場に落ちていたのが、国家のために徹夜で精勤した信西の証しであるあの算木だ。
見つけた清盛は自ら算木をへし折り、忌々しそうに「燃やせ」と命じた後、立ち去った。
師の遺品を肌身離さず精進してきた西光に、我こそは信西の遺志を継いで豊かな国を建設しているのだ
と自負する清盛・・・
平家物語の著名な西光被斬のシーンは、ドラマにより、我こそは信西の衣鉢を継ぐと自負する2人の弟子間の
妥協を許さない自己主張がぶつかり合う修羅場へとその意味が拡張された(突如出てきて舌を抜かれるだけの西光
とは比べ物にならない、厚みのある人物造型が西光にも施された)。
しかし、そういった激烈なコトバのやりとりと暴力以上に(不屈の闘志西光<by石母田正>は決して負けていない)、
この算木の顛末は、2人の弟子たちのどちらが正義の体現者であり、また信西の真の弟子であるのか
判定することは困難である所以を、無言のうちにしかし雄弁この上なく我々に訴えかけたのである。
「清盛はその場限りの思いつきによる直情的な描写しかなーい」「何でもペラペラ喋らせて余白がなーい」
数ある頓珍漢の中でも目が点・級の頓珍漢であるこの難癖に対して、驚くべき息の長い線的描写を
成し遂げた鹿ケ谷事件、さらに最期となったモノ言わぬ算木の顛末は、格好の反証となるだろう。
清盛は自在な台詞、饒舌なコトバと共に、シンボリックな描写、暗喩にも満ち満ちていた。 ほんっと描かれてすらいなかったことを
描かれていたって書く間抜けだなこの糞長文w
馬鹿じゃないの? ただいま、今日は早い。しかし早く寝るからアベのようなご飯論法すんなよw
>>417
問いがない?なぜ清盛かの問いなくしてなぜ清盛をやったのだ?
>>404のプロセスには必ず制作目的があり、それは動機でありやる理由であり、
明示されていようとなかろうと、それらへの問いかけがまずもって存在する。
>>418
西光のことで実際は描かれてないこととは? >>419
自分が発した問いだろう。
2012年にやったことに回答できたの?できていないよね。 オマエが擁護すればするほど誰も見なくなるわこんな糞大河w
馬鹿じゃないの?こんなくっそ軽いセリフの応酬で最初から最後まで終始させてよ
昔ながらの大河ファンすら逃げ出させたようなこんなゴミ大河
擁護する価値もない ババアさ、ご飯論法やるなといったばかりだろ。
あらゆる大河には、
「松陰の妹で長州大河ができるのか?」→彼女をいわば狂言回しに松陰と若者をめぐる群像劇がやれそうだ
「真田太平記があるところ、真田信繁で大河をやる意味はあるのか?」→忍者ものでない真田物語を新たに作るべきだ
「翔ぶが如くとは異なる西郷大河の存在意義は如何?」→あちらとは異なる人間西郷を現代の視聴者の好みに
合わせてやってみようではないか
このような問いかけと回答がかならずある。俺が発した問いではなく自明の問いだ。問題意識のない大河はない。
清盛についても、
「新平家から40年、清盛像も平安末期の姿もずいぶん研究の進展があって変わってきているようだ。この辺りで新たな源平物を
清盛主人公でやってみる価値があるのではないか?」→先見性と躍動感あふれる清盛、リアルな京といったキャッチフレーズ
こうした問いかけと回答があったことは、磯氏の発言からも明らかだ。
お前は何故平清盛をテーマとしたと考えているのだ?Pの閃きか?有名人を数名並べてくじでもやって選んだのか?
>>421
それが答え?ゴミゴミ喚いたところで、清盛の美味は失われないってばw 清盛の美味は親父が強うなれ!っていう
安っぽいセリフを発する前の一話だけ
一話目だけは本当に良かった・・・ そりゃ黙れ小童!とか、あんたちそれでいいのぉーとか、チロリンチロリンニャーゴとかいうのは清盛にはないよ。
しかしなあ、アホウヨ運営始め2ちゃん与党たち、すなわち自称歴史系ブロガー&ツイッタラーたちさ。
毎年毎日仲良く集団バッシングに集団礼賛に大変お忙しいようで何よりですがね
(中にはツイ方面では現実逃避してしまったババアもいてすまぬが・・・)。
反日漫画駄作大河とケリをつけ葬り去ったつもりが、そうはなっていないのは明らかなのだから、
も一度、ちゃんと大河清盛を批判し直したらどう?ダンマリ決め込んでないでさ。
結局今回もなーに一つ問題となってる中身を語れない。そーゆーのを批判とは言わないし、この間の党首討論を
「論戦」といえないのと同じで、本日の展開は「議論」ではない。
おやぬみ >>424
後白河の糞みたいなセリフは阿呆ほど記憶に残ってるけどなw 清盛と義朝のくだらぬ言い争いに思わず失笑する常磐であった 暦の数字だけだと、今日は本能寺の変。
平氏つながりということで。 長文さんって、アンチ安倍なの?
文章の端々に感じる。
書いていることも北朝鮮の平壌放送みたいな修飾語ばかりの礼讃、しかも後付けだし。 ネオリベ&極右日本会議の複合パペット=アベをどうやって擁護するんだ教えてケロ。俺には無理w
で、鹿ケ谷のオーソドックスでありながら捻りを入れた息の長い線的描写の非凡さや、
主要人物とまでは言えない西光レベルに対しても分厚いキャラ造りがなされていたことを、
実際のシーンを挙げながら具体的に語った。
しかしそれらは、同じく擁護しようがないキタとキムの体制を支える国営御用放送並みの提灯レスだと言う。
ならば、上び書いたことがただのプロパガンダにすぎない所以を、おたくの方も具体的に語るべきだろう。 豊富な歴史情報と資料を駆使して創造性豊かに論理的に構築された精緻な脚本。
シンボル操作やメタファーも多用され、時空間も頻繁に行き交うハイテク脚本
これ、「脚本」の前に「偉大なる首領様の」って入れてみたらいいかも。 ババアお前さ、問われたことに何故答えないのだ?またご飯論法でトンズラかよ。
お前が語るべきは、俺が具体的に語った西光と鹿ケ谷についてだ。他でも良いが。
鹿ケ谷については、さらに具体的に長々と書いたこともある。
そして、今まで山ほど具体的に語ってきたことをまとめて評すれば、そのような抽象的な言い方となる。
それともあれか、長文基地とか嫌悪しながら、抽象的に短く纏めるのはダメで、俺については常に
それを十倍ぐらいの例証で埋め尽くせとでも要求するのか?
逆立ちしても藤本女史のオツムに届かないと、いつまでもイジケて憎悪の炎を滾らせてないで、
いいから西光と鹿ケ谷が何故平凡だったか、今度はお前の方で長文してみな。 そうそう思い出した
「最低の忠盛と忠実を嫌々やらされた中井さんと國村さん。無能な脚本家からコケにされたお二人は、
見事雲霧で見事リベンジされました」
と、全力で演じた俳優に対して、およそこれ以上ない侮辱を吐いた超絶勘違いマッチョババアによると
(史上最低の駄作平清盛に対して、「こんなもんしか書けない無能が起用されるとはNHKの深い闇を感じざるをえません」
と1年間「毒を吐き続け罵り倒した」アタシが誇りなのだそうだ)、
鹿ケ谷の陰謀は「何が新しい清盛よ、何の変哲もない平板で下らないテンプレ展開にアタシ言葉もありません」
なのだそうです。 というか、鹿ケ谷は何の前触れもなく突如勃発するのがデフォ(大河アルアルパターン)。
「その時密かに陰謀の企てが進行していたのでございます」とかいうナレで。
では、「何の変哲もない鹿ケ谷の陰謀」はどうだったか?また書きましょう。
「清盛と後白河との提携は滋子の死をきっかけとして崩壊した。以降、時代は雪崩を打ったかのように
鹿ケ谷の破局へと突き進んでいく」
この核心命題を捉えた鹿ケ谷を清盛以外に見たことはない。ましてや、平治の乱後の地味だが重要な
平家の上昇過程と清盛の権力奪取への階梯そのものを、政治ドラマとしてテーマ化したのも初めてだろう。
上の命題は、この部分(とりわけ滋子を媒介とする清盛と後白河(院の近臣)の関係)をきちんと描いて
初めて説得力をもつものだ。
平家凋落の最初の徴候である鹿ケ谷事件をきちんと描くとは、かくも周到なプロセス描写が必要なのである。
このもっとも重要なマクロな枠組みを描いた上で、直接の勃発過程と事件そのもの、そして顛末についても
史実と複数ある解釈を巧みにアレンジしつつ非凡な描写がなされたことも述べた。
さらに、「親平氏を代表する院(鳥羽)の近臣であった家成の子息たちが、後白河院の近臣となり
二重権力状態となった平家清盛と激しく対立した結果引き起こしたのが鹿ケ谷事件である」
〜歴史がもつこの皮肉なパラドックスを、家成死去のシーンとリンクさせることで想起させた。
繰り返すが、このような長大な射程で描かれる鹿ケ谷事件は、平清盛をもって最初で最後となるだろう。
「歴史に無知で能無し、[こんなものしか書けない]女脚本家」・・・大したものですね! 大河ドラマの評価はネットの意見ではなく視聴率で決まります。
いくら工作しても無駄ですよ、残念でしたね。 >>362
楠木正成を大河でやってもらいたいけど、この時代も両統迭立、建武の親政といった
皇室のgdgdっぷりを描かないといけないからアウトかな?
真実から目を背けて耳障りの良い妄想に陶酔する。
ネトウヨが日頃揶揄する朝鮮人の姿ってネトウヨそのものだよな。 厳島へ経典を納めに行く船の中で最後まで立っていたのが、清盛、盛国、西行なのが印象深い
この3人は清盛が壊れた時、頼朝挙兵の報せを受けた時にも一緒にいたんだよなあと思うと感慨深い 怨霊と化して荒れ狂う崇徳の呪詛が、いよいよ激しく平家納経を厳島へ運ぶ船上の清盛一行を襲う。
弱気になる一門。西行は無心の境地で読経を続け、崇徳のパワーを鎮めようと必死だ。
あわや壇ノ浦に先んじて平家一門は海の藻屑となってしまうのか?
そこに清盛の声が鳴り響いた「鱸丸、お前が頼りぞ行けーー」
盛国はハッとなり海に生きる者の矜持が呼び起こされた。「お任せあれ!」
装束を投げ捨てた鱸丸は、もう一人の海の男ー兎丸らと力を合わせ、嵐に煽られる船を操り危機を救った。
沈着冷静な頭脳と気配りで清盛をサポートする盛国が、屈強な元漁師鱸丸に戻った瞬間である。
ここで重要だったのが、キーワードの一つでありシンボル操作の一つでもある「体の軸と心の軸」。
1話で忠盛は、舟の揺れにフラつく平太に、鍛え抜いた鱸丸の体の軸と心の軸、両者の相補関係を説いた。
その鱸丸は、海賊討伐の軍議の場で、舐めてかかる忠清に思わず口を挟んで海の怖さを説いたものだから、
激怒した忠清から「胸ドン」を喰らってしまう。しかし、鍛えた鱸丸はビクともしない。
これらの前史を踏まえて、筆頭家人となった盛国が、再び持ち前の「体と心の軸」を船上で発揮して
平家の危機を救ったのがこの場面である。
しかも軸問題はこれで終わらない。かつて脳筋の力持ちだった忠清は、上昇平家が貴族化するにつれ次第に
居場所を失っていく。veteranの悲哀を若い世代の知盛や重衡から実感させられた以降、老いの色を一層
深めた白髪だらけの忠清が、死を賭して発した諌言こそ、あの「殿はもはや武士にあらず」である。
そして、立場が逆転した盛国が今度は忠清を「逆胸ドン」する場面がやってくる。「お前が殿を支えずに何とする。
これまで通り武により殿をお支えせよ」ー叱正する盛国から胸ドンされた忠清は、ビクともしなかった・・・
かくも驚きのスパンで俯瞰された人間ドラマを見せられると、伏線回収!などと軽々しく言うことはできなくなる。
清盛は、即席一過性のお涙頂戴的感動からはおよそ遠いドラマであった。逆胸ドンはしっかり見てきた者のそれこそ
胸を強く打ち、さらにさらに、最終回では「盛国、いいや鱸丸」にダメ押しされる展開が待っている・・・ 平家納経回は、苦心を重ねて作った渾身の作品だったのに、ファイナルパーティーでとったアンケート
だかで人気上位に入らなかったということで、人物デザイン柘植氏が残念がっていた。
この回は、
・崇徳怨霊伝説を崇徳没年が平家納経時と合致することに着目して(1164)、生霊崇徳へモデファイした
発想がまず傑出していた※
その上で
・国芳の著名な画に学んで、リアルで怖ーい怨霊を再現した美術班、演出班の尽力
・崇徳に入れ込んだ井浦新畢生の名演
・精密な作業で再現した平家納経がもつ複製とは思えない美ープロ中のプロの仕事だろう
・難産だった平家納経制作(ここでは収納)を崇徳の呪詛に絡めた船上での熱い人間ドラマ
などが見応え十分の秀作回。
※既出だが
崇徳が怨霊とならざるをえなかった所以、怨霊の現象形態、怨霊を慰撫して鎮め人間化するプロセスが、
きちんと捕捉されていた。
崇徳が怨霊となって「出現」したのは、鹿ケ谷事件の前後。怨霊は社会心理的な現象だから(社会が作り出し
沈静化させ不安と動揺を鎮める)、社会不安が高まったその時代に「実在化」したのだろう。
しかし、ドラマ上、鹿ケ谷への怒涛の歴史展開が始まった時に、怨霊崇徳をテーマ化する余地はもはやない。
そこで、息子の死と怨みマックスとなった写経ビリビリ事件を直接の契機として、「生霊崇徳」となったのだろう。
一晩中暴れ狂った挙句、民の声と差し込む曙光、そして西行の祈りによって人間に戻って最後を迎えた崇徳の、
穏やかな表情が忘れがたい。 しばらく見てないものの平家納経、殿下乗合、鹿ヶ谷は録画残してるが、人気無いのか、残念
前進と感謝の写経、破滅と怨念の写経の対比に最後に差し込む希望の光(解釈あってんのか?
写経制作は一時停止して見入ったよ
圧倒される感動回だった
意図はわかるが西行はうざかった 清盛では若い頃から登場するので単純比較はできないが
平泉は世の転変から無縁であらねば…だったか
じーんと来た
あってんのか知らないがまさしくイメージ通りの西行
ただただ柳生翁に合掌…と思いつつ念のため調べたら
ご存命であらせられた…
しかも大和柳生家の末裔におわすとは…
ただただご健康を念じ奉るのみ >>449
うぉ。
一瞬びっくりした。本当に柳生博が死んだかと思った。
息子の柳生真吾氏に先立たれたのは残念だが、ご本人は存命だよね。
あの西行、心優しいがなかなかの辣腕イメージがあったよ。 驚かせて申し訳ございもはん
柳生翁の西行には聖俗いずれの境地も極めたオーラを感じたことおぼろげながら覚えておりもす
(以上今年に敬意を表して怪しげな薩摩弁
お体が許すならば
来年なら西園寺公望公として強引に登場し主人公たちに日本の将来を託すとか
再来年なら光秀に天命を悟らしむる高僧とか
とにかく柳生翁を今一度拝見したい auの高杉くんと細杉くん上手すぎる
やはり地頭と演技の才能だな
彼らの半分でも清盛の人にあればよかったのに 西行がウザいと感じた人に噛みつきはしない。実際ウザかったから
(「西行を海に投げ込め」と一斉に揶揄する清盛おばさんたちは好かん、スンマセン)。
ただ、天才歌人にして崇高な宗教者・・・この一般的に流布されたイメージとは異なる、もう一つの顔を持つ西行。
すなわち、聖俗の境界線上で暗躍する「生臭坊主」の側面に本作が果敢に踏み込んだことは、大いに評価されるべきだ
(伊勢で庵を結んだのは、戦乱回避の面もあるが、彼の地が「インフォメーションセンター」であったからby五味。
清盛の最晩年に至るまで、西行は時代を観想するだけでなく、政治にコミットする出家者であり続けた)。
文武両道無双のイケメン義清時代から謎の出家。出家後もいざという時には清盛の前に現れて的確親身なアドバイス
をするコンサルタント西行(歴史上、最初の大仕事となった高野山造塔事業を完遂するには、ドラマ上、
一門内で孤立してやる気を失った清盛を、高所から励まし導く西行の存在が不可欠だった。
その後も仏事に絡む行事に同道したー平家納経回はコレ。さらに、脱線した清盛を唯一正せる友人して現れもした
ーその西行がドン引きしてしまったのが「ここはわしの世じゃー」)。
このように出家後も出し入れ自由に動かされた西行は、最終盤ではキーマンの重責を担ってドラマを締めた
(最終回の「平清盛の一生まばゆいばかりの美しさでござります」と死にゆく清盛を慰撫したシーン、
及び勝敗が決まったのち、ユーレイ清盛と頼朝との「会見」をセッティングをしたシーンがその白眉
〜これ無くして無念の死を迎えた清盛は成仏できず、また頼朝への「志の承継」(←頼朝助命シーン)
もなされず、したがって大河平清盛は完結できなかった)。
そしてこの西行に藤木氏はドンピシャであった。何故、西行と藤木氏が評判を取らないどころか批判されたのか、
小生未だに謎なのである。 >>451
今や名脇役の中原丈雄演ずる藤原基顕が、西行に出家の思いを熱く語るが、柳生西行が「俗世を離脱するのは難しいものじゃ。この世の現実をいかに嫌悪しておってもな。」と、溜息と共に聖俗双方への諦念混じりに篤と諫めるシーン。
これには柳生博でないと出せない人生の味わい深さがあった。
出家せずとも極楽さながらの平泉を守り住むことで往生できると諭すが、結局基顕は庵を結び出家。
食を減らして、最後は彼が都で見た死体と同じく餓死。
一本気の熱情で極端に走っても、所詮は俗を生きるしかないことが経験でわかり切っていて、かつ平泉の置かれた微妙な立場に危うさを予感していたんだろう。
藤原基成の子をみすみす出家させるよりは、秀衡、泰衡と結束させて奥州の基盤を固めるのが先々の為と考えてもいたか。 藤木みたいな大根ですら褒めなきゃならんのかこのスレは だからさ
あの清盛を演じた松ケン
あの時子を演じた深キョン
あの西行を演じた藤木
について、ボロクソ貶してみろよ。お前が捉えた当該キャラを語った上で、役者の特性を述べろ。
藤木が上手いとか下手とかの一般論はいらない。
寝るから書いとけやー ついでにこんな感じで、でわ
高貴な雰囲気を湛え、エロチックな美声により今様を歌えないと雅仁は務まらない。
よって後白河に松ケンは論外。
他方、めくるめく変貌していった清盛はカメレオン型でないと務まらない。
よっていい意味で棒系、演技の幅のない松田弟は論外。松ケンぐらいしか若手に適任者はいない。
久光は後藤系なので青木は適任。一方、弁慶、万吉など「むさ苦しい妖精」枠も青木の大得意とするところ。
演技の幅の広さからは清盛をやれたかもしれないが、今さら松ケンとの適性比較をしてみたところで意味がない。 50代の演じ方が分からないとか情けないこと書いてた松ケンがカメレオン型www 盛国と忠清が生涯、太くて硬い体と心の軸をいささかも失わなかったというのに、
肝心の主人清盛が見失ってしまった(もっとも、頼朝挙兵によってようやく清盛は目を覚ました。
忠清が諫言した清盛は、正確には本来の武士性を取り戻そうと再生中の清盛。宋剣はいまだ錆びたままで、
古風な老兵忠清との距離は埋まっていない〜維盛を大将とするなど戦を見くびっている)。
覚悟を決めた忠清に錆びた宋剣を振り上げたは良いが、その重さにフラついて尻餅をついてしまった清盛。
「(軸を鍛えて)強くなれと父上から授かったこいつを、俺は鍛錬により自在に操られるようになった」
こう自負した精悍な清盛の姿はそこにはない。肉体の衰えだけではなく、忠清を斬れる武士の身体と精神が
定まってなかったのである。
このように「体の軸、心の軸」は、2人の忠臣の変わらぬ忠義を伝える一方で、時々の清盛の武士性
(ゼロ→鍛錬→獲得→喪失→蘇生)を測る物差しの役割をもたせられた。 >>459
本人がどう「失敗商法」でダメだったーと反省しても、老人清盛に対する高い評価は揺るがない。 だいたい評価とは他人が下すものであり、「自己評価」をしたいのならば、
即刻出した便乗本なんかで「告白」するのではなく、自分の「ココロ」の内でやっとけ、ということ。 もうお手上げで固まってたら偶然老衰っぽくなっただけだろ
>ジジイ清盛
子作り以後は経験ないからマンガの顔真似したとか言ってなかったか? 成海璃子ですら自分のホンの読み方についてインタビューで語ってたのに
ホンの読み方が今だに分かりません・・・って
山本耕史に聞きに行ってびっくりされた松ケンw 何度か話題になったように
・自ら資料にあたるなど周辺情報収集に熱心、「研究ノート」まで作って役作りする杏タイプ。
・外からの情報を遮断、テクスト=台本だけに集中して読み込み、そこから立ち上がってくる
物語世界とキャライメージを大切にする松ケンタイプ。
この2つの接近方法に優劣はつけられない。論理的に順を追って構築された清盛像に対しては、
杏アプローチの方が向いてそうだが、松ケンの動物的?ともいえる直感的なアプローチは、
清盛の基底的部分と変貌していった部分をちゃんと捉えていた。
本人がなんと言おうと、迷いが生じて誰かに相談しようと(そういうエピが大袈裟に伝えられようと)、
そんなことは完成作品及び役者の演技に対する評価とは何の関係もないことだ。 丹波哲郎みたく、そこら中にカンペ貼ってたんじゃないかな。 西郷どんも西行どん見習って菊次郎にキック食らわせて去っていけばよかったんだよ >>469
5ちゃんと清盛にこれほど執着し
見えない敵とのジハードにみを焦がし
誰も読まない長文を書き散らす
ナントカ真理党もかくやと思う狂気
傍目にはすでに神罰がくだってるとしか思えない
が本人は有頂天、恐ろしい神罰だ 神罰が降るぞー
200叩きにせよ
どっちでも良いから泣きべそかいてないでババアども「無能で無知な以下ry」待ってるでー。元気出せや。
5ちゃんに執着って、他のメディアの「悪影響」はほとんど感じないしな。
ツイは同好者がワイワイ仲良くやってれば良い。ブログなんてほぼ影響力ないからまず読まない。
ただ歴史系ブロガー&ツイッタラーたちが、タッグ組んで2ちゃんで流れを作り出すと相当ヤバい。
ほとんど漏れなくマスコミは2ちゃんで作られる「ネット世論」に飛びついて安直なバッシングを
開始したりする。だからここが俺の唯一の「戦場」なのだ。
清盛に限らず優れた作品がお前ら如きによって葬り去られるなんて俺は許せない。
分かった?ババアたち 310
汚盛の工作員よりマシだと思うが
三谷を叩いているのが汚盛の工作員なのかな
313
三谷と田渕を特に叩いてるよ。
来年、いだてんも視聴率が良ければ攻撃される。
汚盛の工作員よりマシだと思うが
三谷を叩いているのが汚盛の工作員なのかな
313
清盛ヲタはババアどもとは違い、他人の不幸を弄んだりはしない。西郷どんも批判はするが、
お前らの一斉バッシングに対しては擁護もする。
なお、真田丸については、俺は根拠を挙げて批判するが(汚盛婆さん=310のような惨めな中傷はしない。
アンチスレの常連は別人)、清盛おばさんたちの圧倒的多数は真田丸大好きだから安心しろ。
江も篤姫もお前らのように口汚く罵倒なんてしないから(篤姫は好みではないが名作。
江のヘンテコな部分は肩の力抜いて楽しみましょうや、と言ってきた)。残念ですた
やってもない「いだてん」を今からあれこれ言っても始まらないが、清盛同様チャレンジングな大河
に対しては応援する気満々だ。残念ですた
【参照】
>21回目までの数字は平清盛よりも低いよ。せごどん
>この後、挽回して平清盛に勝つことを願う
うむ清盛ファンたちもそう願ってるよ。
最低視聴率と最高クオリティの逆説が売りでもあるからな。
勲章奪ってもらっては困るw
もっとも、保元の乱でシリアス劇やった今頃から、10%から11%へと駄々下がりした清盛の先例を
踏襲することなく、これからが歴史の主役となる西郷さんの視聴率を盛り上げるにはどうしたら良いか?
ザッツはクエスチョン。大奥イケメン美女パラダイスで釣るわけにもいかんしなw
しかし今度はいだてんスレで汚盛がーかよトホホ
清盛スレで積もりに積もった憎しみをブチまけてもいいんだよババアたち? 「汚盛」って、長文さんが使い始めたのではないかな。 ナントカ実現党の間違い
二、三十万票取るんだからカルト政党といえどもあなどれん ちゃうちゃう
長文は信濃町の糞カルト
松山と滝沢と井上真央擁護だよ >>479
長文は犬つーか草加そのもの
石原さとみのドラマも好き で、結局ソウカがーw
石原ひとみってあれか、ソウカ成分3倍の義経で静やってた彼女か?
主人公のソウカがーもそうだったがありゃとんでもなく下手だったわ
最近大女優になったらしいな
ところで新潟の池田さん、ソウカがーと二階の組織戦に負けずに頑張ってくれなんしょ。 滝沢のドヘタが分かるなら松山のドヘタも分かるだろうに 宇野壽倫(葛飾区青戸6)の告発
宇野壽倫「文句があったらいつでも俺にサリンをかけに来やがれっ!! そんな野郎は俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 TSUTAYAからDVD借りてきて半年ほどかけて全13巻見終わった。
面白かった。何で視聴率稼げなかったんだろうね。
よく出来た物語だと思うけど。 まああまりに超天才的頭脳より生み出された、高次元なレベルの作品のため
一般に理解されなかったということだろう。
長文様の文章にも相通じるところがあるな。 取り上げた時代、人物ともに見る者を選ぶドラマで、もともと大河ドラマとしては苦戦が予想された。
井戸県知事はじめ実際はほとんど視聴していないくせに腐す人の言葉が文脈無視で報じられる。
それらが前後と関係なく切り取られた果てにひとり歩きしてしまい、王家騒ぎとあわせてネットでひたすら書き捨て、こき下ろしされた状態。
マスコミも視聴率という物差しだけで測り、その結果と都合良く抜き出した言葉をもってドラマ中身までダメという報じ方をし、それが最後まで続いた。
一部の、恐らく昔から大河を視聴し続けているファンは除いて、脚本や役者、スタッフについては議論にすらならなかった。
大河視聴が習慣化している旧来からのファンにとっては、こんなの待ってましたと言わんばかりのある種のピークを極めたドラマだったよ。
篤姫からの主人公完璧超人、ファンタジー路線が行き過ぎていたので、ちょうど揺り戻しが必要だったので特に。 マジメな話。どうしてこんなことを考えつくのだろう、あれとこれ(史実と史実、史実と創作)
とをリンクできるのだろう、と唸る場面てんこ盛りで、それはほとんど謎レベルだぞ。
しかも、少なくとも平安の歴史(文学は別として)には素人だったというではないか。
組んだ歴代Pも口々に「この人どーゆーオツムしてるの?」とたまげてる。
自称フェミの俺は、才能ある異性の方々がどんな分野でも大好き。ババアたちが嫉妬に狂い、
憎悪の炎を燃やすのとは真逆で、才能を見せつけられると心地よい快感を覚えるんだ。
[揺れる]漁師の[小舟]をしかと操縦してブレない鱸丸に、フラついて転んでしまう平太。
これを見て「お前との違いが何だか分かるか?[心と体の軸]がお前には出来ちょらんのだ」と諭すパパ盛。
この1話のシーンが、崇徳の呪いによって荒れ狂う波浪のため[揺れに揺れる][大型船(おそらく唐船)]を
「お任せあれ」と操り、清盛の大ピンチを救った「元漁師鱸丸=現筆頭家人盛国」無双のシーンへと
バージョンアップされるとは、誰も予想しなかっただろう。
盛国が平家に負う責任はいまや巨大なものとなっており、それに応えるべく盛国の体と心の軸はさらに
強固なものになっていたということだ。
しかも、「軸」はそれだけには止まらない長大な射程をもっていたのだから、もう降参します。
しかし、軸関係で言うと、たぶん脇キャラ10には入ってこない忠清までもが、初期の脳筋系から
時代遅れとなった老兵の悲哀を漂わせるグッと深みのある人間へと変貌していったことにも感銘した。
怒られるが、作兵衛がいつ如何にして信繁に殉じるほどの主従関係を結んできたのか、小生には不明
なのだが、侍大将忠清が歩んだ無骨にして不器用な忠臣小一代記はこれまた説得力抜群で、
にもかかわらず、藤本隆宏氏の大河代表作として忠清ではなく作兵衛が挙げられるとしたら(まず間違いない)、
わたくしは諸行無常の響きに悟りを開くしかないのである。 長文くんもなー
まとめる能力がなかったりちょっとしたことで煽ったり
上から目線で語ったり人を見下したりと
だから支持されない野党のようなものだな 地下鉄でたぶんID変わった酔っ払いの俺。
>>489
おたくが大好きなきりちゃんみたいに 、俺の駄文をきちんとまとめてキリっとした模範文を示してくれよ。
寸鉄人を刺す短文能力ゼロなことは、再三自白済み。
なお、俺が「ワザと」見下すのは、「いとも簡単に他人の営為を腐してドヤ顔するばかりか、
それで〈稼いでいる〉アホウヨ、ババア、オッチャンたち」限定。
世の善男善女が文句言ってくれたら、誠心誠意、紳士的に対応させていただきます。 二人とも飢えているようだな、友と存分にやりあうことに 中高年にもなって、あるいは親からお小遣い、あるいは不労所得の恩恵を享受し、
時には働いてるフリまでして、365日朝から晩まで見まくって、食べまくって、遊んで呟いて、
2ちゃんで与党組んで「ネット世論」作りに励んで、広告収入ごっつあんですのオメデタイ人生。
おまけに何をトチ狂ったか、働く女性を「上から目線」で「論評」するとかお笑いを振りまき、
「お一人様人生」で終わる現実から逃避したいのか、毎日毎日セックス、体位がどーのこーの。
こういうかわうそーな連中に対しては、生暖かく接してあげるのが大人の態度ですよね。
それができない長文は、たしかに幼稚だってことです。 東日本大震災の罹災地を天皇皇后両陛下が回っている中で、
白河上皇から始まる平安朝の崩壊をあれだけ描いたんだから、
磯智明プロデゥーサーも凄腕だったんでしょう。
視聴率が出なかったことで日本の国体が改めて露わになったともいえるドラマ 東日本大震災の罹災地を天皇皇后両陛下が回っている中で、
白河上皇から始まる平安朝の崩壊をあれだけ描いたんだから、
磯智明プロデゥーサーも凄腕だったんでしょう。
視聴率が出なかったことで日本の国体が改めて露わになったともいえるドラマ 脚本は一人で組んでいくものではないし、三人もよれば文殊菩薩並みのオツムとなろう。
あとはセンスと覚悟、説得力。周りの理解。
平清盛は、一般視聴者(という者が本当にいたのかは不明)にはなかなか分かってもらえなかった。残念ながら。
しかし、続けて視ていた人は、毎回キャッチアップしようとそれなりに入れ込んだに違いない。 ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
一生海賊王がー、王家がーと喚き続けて終わるオツムすっからかんのアタシは
「オモチャの宋剣」と戯れせんとや生まれけん♪
【オモチャの宋剣】
も一つ、ほとんど何もろくな難癖ができなくなってしまった連中が、芸スポなどでしがみついている例の「オモチャの宋剣がー」。
既出すぎるが再掲しますね。
・清盛の武威を象徴するアイテムは何か?
・保元平治の乱で身に纏った唐皮の鎧は、忠盛から実際伝わったアイテムであっても、肌身離さず常時携帯するアイテム
とはなりえない(あくまで戦乱という非常時にのみ有効)。
・それゆえ武威の象徴はあくあくまでも刀剣でなければならない。
・しかるに平氏重代の名刀抜丸は史実上正妻の子頼盛に伝わっており、これを動かすのはNG(そのようなインチキとは無縁)。
・では無名の日本刀をでっち上げるのは適当か?
一門内では頼盛が抜丸を保持し、ライバル源氏はかの髭切を棟梁のシンボルとしているのに、平氏棟梁清盛が身につける太刀が
何の由来ももたず、したがって無個性とならざるをえない無名の日本刀であってよいはずがないだろう。
・したがって、清盛必携の太刀は無名の日本刀を捏造することから離れて、清盛の個性を強く刻印する
何らかの太刀・剣を創作する必要があった。
・それこそが宋剣である。生涯宋趣味を持ち続けた清盛にとって宋剣は、偏頗な国粋主義なんぞ一笑に付すであろう
平安版グローバリスト清盛の個性をこの上もなく刻みつける最上のアイテムなのである
(実際、福原では宋女に似せた内侍を侍らせ、高倉厳島行幸に際しては、院のためにのみ唐船を準備した。 さらに、世界に開かれた視野をもつ帝に成長することを願い、当時の代表的世界情報誌「太平御覧」を言仁(安徳)にプレゼントした)。
・すなわち宋剣は、アホウヨどもがアホ面晒して必死こいて罵倒した「おもちゃ」どころか、清盛の個性と武威を
ズバりシンボライズした必携アイテムである。
小烏丸は無理だよ。
頼盛が平治の乱で使用したとされる抜丸と違って、こちらは天皇から下賜された一門の家宝であり、
実戦で使う太刀ではなかったものと思われる(文字通り家にお飾りして崇める)。
しかも、あまりにも有名な太刀のため、肌身離さず清盛が携行するには、、両者の結びつきをうかがわせるような逸話が
多少でもないと、いっそう不自然な便法と思われてしまう。
清盛が用いるべき太刀(剣)は、あくまでも平氏(平家)棟梁の武威と彼の個性を刻印するものでなければならなかった。
しかも、この意味でシンボルとなった太刀は、1話で忠盛から平太に「授与」され(この段階ではまだ後継者への期待)、
棟梁就任以前においても活躍すべき太刀であり、忠盛の「遺言」の場で初めて登場するような太刀ではない
(その場で小烏丸伝授というのも史実と反し苦しい)。
だからといって、それ以前からこの平家の名宝をガキンチョ高平太が振り回す、という設定もやはり苦しい。
このように考えると、宋剣というフィクションを設定したことには十分な理由がある。 【海賊王がー】
死ぬまで海賊王がーと喚き続ける阿呆に、100万1回目ぐらいとなるが教えてあげよう。
アレは松ケンのアドリブな。脚本家に対するPの介入(書き直し)でも何でもない。
で、せっかくだからもう一度確認しますね(海賊王でアタシたち「コアな歴史ヲタ、固定大河ファン」は清盛を見放したのだそうだ)。
そもそも、2ちゃんを牛耳る「歴史に詳しいコアなアタシたち」が漫画好きを兼ねるとして、
もっとも視聴率を左右するらしい昔ながらの固定大河ファン、すなわちジジババ様たちは、
皆そのワンピースとかいう漫画のこと知っていたのかよ?
知らないとしたら、なぜ大勝利を収め凱旋したガキンチョ清盛が、高揚して発したたった2秒の不規則発言※だけで、
その後も延々と続きシリアスさを増していくだろう作品を見放すのだ?
最後まで青春活劇パートのノリが続くと即断するほど「固定大河ファン」なるものは幼稚なのか?※※
しかも、一斉バッシングを開始した(漫画好きの)「アタシたちコアな歴史クラスター」どもときたら、
「清盛平家にとって海賊家人化がもった歴史的意味※※※」を、オリキャラ兎丸を通じてものの見事に追求していった
ーこの肝心要の点について理解することはついぞなかったのである
(海賊たちの多くは検非違使に差し出されることはなく、それぞれがもつ《知恵や能力を生かす道を与えられた》by頼朝ナレ)
※昨日の敵の属性に同化することで、身分を異にする両者は志を共にする生涯の盟友となった(昨日の敵は今日の友)。
※※清盛のが戯言でありしかも松ケンのアドリブであったのに対して、兎丸のやつは脚本家の「お遊び」だ。
本物の海賊が西海に覇を唱える野望を語ること自体はいたって自然な発言。
ゆえに、ワンピースとやらを知らない大多数の大河視聴者層にとっては、「ヘン」とも何とも思わなかったシーン。
知っているお前ら漫画脳たちを一瞬ニヤリとさせるためのリップサービスであり、隠し芸であった。 ところが、お前ら漫画脳たちの餌食となり、バッシングネタとして盛大に利用されてしまった。
結果的にみれば、手ぐすね引いて待ち受けていたアホウヨとババアどもを利しただけであり、遊び心とはいえ、
挿入しない方が良かった。こいつらがそんな遊び心を理解するはずがないのだから(少年ジャンプがー)。
※※※委細省略するが、家人となった兎丸は、以降反発・喧嘩しつつも清盛の忠実なパートナーそして従者であり続けた。
常に清盛の意思を体現し行動した兎丸は、不自然に歴史に介入して無双する凡百のオリキャラとは真逆の存在である。
さらに、京の義賊の遺児で孤児という設定を付加することで、オリキャラ退場という難題を極めて自然な形で軽々とクリアしてみせた。
(庶民的正義をブラック企業主清盛にぶつけ両者は決別→同じ不幸な孤児集団であるゲシュタポ禿への無警戒からあっけなく刺殺。
最後は経ヶ島人柱伝説と接合)
なお、父の志は小兎丸に引き継がれ、その小兎丸は無念の還都を余儀なくされた清盛の志をも承継した。
←庶民の子供に深々とお辞儀する最高権力者清盛。身分秩序の外にあったことが、逆に兎丸らとの「水平的関係」を可能とした。
そして、大輪田にとどまり大海へと漕ぎ出す小兎丸によって、かつての同志清盛と兎丸は再結合したのだった(最終回)。 346日曜8時の名無しさん2018/06/10(日) 14:06:53.45ID:jOuND2Sk
オリキャラ一つとっても、昔のはただの恋バナ要員だったり、画面を賑やかにする要員であったり、歴史を改ざんしちゃったり、酷いのがかなりある。
ウザいしかし人情にも厚かった兎丸のように、歴史的背景をもって作られ、歴史上の意味を担ったケースは滅多にない。
海賊討伐と海賊家人化は、その後の平氏の興隆と清盛生涯の大事業となった日宋貿易にとって重大な意味をもった(単なる青春スペクタル回ではない)。
彼らが有した海や気候、造操船、海賊勢力地図、港湾インフラ等に関する知識と技術がなければ、瀬戸内海航路の開拓と安全確保、さらに大輪田泊建設は
未達成に終わった可能性が高い点で、その貢献度は大きい。
兎丸は、清盛の交易国家構想を現場で下支えすることで貢献した、元海賊たちの集合体を表象し代表するオリキャラであった。※
※ただ一人の海賊ではなく匿名の海賊総体が重要な役割を果たしたのだから、歴史的背景をもつオリキャラとしてこれほど相応しい人物も珍しい。
併せて京の下層民(盗賊の息子)、非人的要素も巧みに取り入れていた(当時の京では、孤児や寡婦への転落は身分的転落をも意味したのだというby考証高橋)。
こうした複雑な背景と歴史の重みを担って造型された兎丸を、脚本家はドラマ終盤に至るまで縦横に動かし、意味深長に機能させた※※
※※志を共にする盟友。タメ口をきく対等性=身分制の飛び地。博多交易の代理人。屈強な用心棒の親分。博多を都の隣へという発想を示唆。
難工事となった泊建設請負。人道を顧みないブラック企業主清盛との齟齬・決裂。ダークな面を引き受けた時忠との対峙→視聴者の思考を誘った
ミステリアスな「兎丸、平家にあらずんば人にあらずじゃ」。
同じく孤児であった不幸な禿たちに対する庶民的正義観念と親分的任侠心を体現した同情。外ならぬ彼らによってもたらされた死。 最後は、清盛の合理的人間像を示すエピの一つである経ヶ島人柱拒絶エピと巧みに接合させて、清盛&兎丸の息の長い人間ドラマは幕を閉じた。
これほど史的背景を持ちながらオリジナリティ溢れる有意なオリキャラを、他で見出すことはほぼない。
【王家がー】
高橋昌明『武士の日本史』(岩波新書)
大日本帝国の崩壊までを武士の観点から通史的に考究するユニークな一書で、今後の必読書となりそうだ。
新書といえ準研究書レベルなので、寝っ転がって気楽には読めそうもない。
パラパラ眺めていたら、院政の開始という項目のところで荘園公領制の成立を述べた上で、次のような記述が。
この時期政治の面では、外戚である藤原道長直系(御堂流)の親族関係に包摂されていた天皇家族が、
そこから自立してイエ(王家)の形成を進め、それと連動しながら院政が始まっている。
すなわち退位した天皇(上皇、出家して法皇、院ともいう)で王家の家長である治天の君が、国政に強力な発言権を
有する政治の形である。
王家が分離独立していったため、御堂流のイエは臣下のイエに純化し、院権力に追随を余儀なくされてゆく。
このイエは摂関・関白を恒常的に出すイエという意味で、摂関家と呼ばれるようになった。
★王権の独立とイエの成立から発生論的に院政を特徴づける学問用語が「王家」であることがわかるだろう。
それまでの「天皇家族」とは外に対しても内においても存在形態と機能を異にする、一つの「王のイエ」が誕生した〜
この歴史事実を捉えるためのコトバである。 そして、国司など国制上の地位を掴んだ武家平氏であったが、この段階では国家の公的な軍事機構を掌握していたのではない。
すなわち、その軍事力は王家の傭兵であることを本質とする私的なものであり、しかも「雇用主」である王家への従属性を脱していなかった。
「王家の犬」はこの従属性の表現であり、摂関家の私兵であった源氏と対照されるものである。
イエは「家業」をもち、社会的分業の中で位置を占める。
摂関家が摂関と関白を家業とするイエとすれば、王家は王=天皇を再生産するのを家業とするイエ。
このイエを主宰するのが家長たる院。その院が国政上、事実上の最高権力者となった政体が院政
というわけね。
天皇家では、摂関家に包摂されたそれまでの「天皇ファミリー」との差異を捉えられないのに加えて、
「天皇が主宰するイエ」となってしまい、核心部分を表現できない。
王家に代わるより適切な用語はあるのかもしれないが(専門家に任せます)、少なくとも一つの学問用語
としては十分成り立つことがはっきりした(ドラマで採用する用語として適切かはまた別問題)。
王家がーの方々、そろそろおわかり?中国皇帝様の家来なんかじゃないからさw
なお、「日王」なるアチラのコトバを使った事実はもちろんない。誰と戦ってんだバカウヨたち? >現在の象徴天皇制では天皇は人であることが当たり前だけど
>戦前の国語の読本に「神の御裔(みすえ)の天皇陛下」云々と
>あったわけで、【異国の王と天皇家を同一視】されるのが
>我慢ならないと思う人 【】部分は何度も強調したように、誤解に基づくそれこそ特定のイデオロギーによる難癖にすぎない。
日本という領域国家(拡大された共同体)の首長を王と呼び、これを天皇に比定することは、
象徴に止まらない(建前上は)権力主体たり得た時代の天皇の存在様式を、正しく捕捉するものだ。
現に本作も取りあげた「王者議定」は学説でも何でもなく、当時実際に用いられた実定法上の用語なのである。
いかなる意味においても、ここでいう王は華夷秩序において中国皇帝に臣下の礼をとる「王」ではなかった
(天皇家ではなぜ不十分か〜本当の権力主体は、王を再生産するイエを主宰する家長たる院にあった。この二重権力状況を表現)。
しかるに、何らそのような意図を持たない「王家」の用法を勝手にでっち上げて、それに対して「王家がー」
なる組織的な中傷がなされたのである。これが王家問題の実体(実態)であり、本質であり、大河史上に残る汚点となった。 結局長文くんに聞きたいんだけどさ
なんで数字取れなかったの? 毎度毎度、頭痛くなるような頭悪そーな比較やる前に、清盛と花燃ゆの似てる点を教えてくれよババアw
そういう話なら、これ↓を紹介しますね。もうお馴染みでしょうけど(花燃ゆの再評価ってどこで
誰がやってんだ?まさか、ここで西郷どん攻撃のために持ち出したお前らのことか?)
清盛は脚本と映像のクオリティが高すぎて一般視聴者を逃したby大根仁
(誹謗中傷業を営むお前らクズどもはそこには入らない)
大河清盛のスーパークオリティが評価されて、その後3・11ドラマ(芸術祭参加)、織田作之助生誕100年を記念した
夫婦善哉(ギャラクシー賞)と続き、西郷どんPと組んだちかえもんで衝撃を与え(向田邦子賞、ギャラクシー賞、芸術祭優秀賞)、
そして、新設された土曜時代ドラマ枠では、「新しい時間帯で新規のファンを開拓したい」と意気込むエースP(カーネーション)が、
「みをつくし料理帖」にはキャラ造型と構成力抜群のこの人しかいないとトップバッターに指名した藤本有紀女史のことですか?
アホウヨどもからの中傷や世間の謂れなきバッシングから作品を守り抜き、当時のドラマ部長から「平清盛は素晴らしいドラマだった」
と評価されて、次は記念すべき朝ドラ100作目担当の大命が降った磯智明P率いる制作陣のことですか?
また、落合Pも「本格志向」の麒麟に抜擢されました。
坂の上の雲のチーフ演出はその後、経世済民の男、夏目漱石の妻といった重要作品を担当し、再び「もっとも信頼する」
藤本とみをつくしでタッグ。
セカンド演出はおんな城主のチーフ演出へと昇進。三番手演出は話題のアシガールのチーフ演出。
優れた大河に関わった皆さんたちが報われている姿を拝見すると、何だかんだでNHKはたいした組織だと思います!。 自分的には、清盛と後白河の政治的駆け引きがうーん・・・
って感じだったから視聴意欲が減退したんだよな・・・ コラコラ何か盛り上がってると思ったら勝手に長文はダメ!
著作権はございませんがね
清盛と後白河との政治的駆け引きが物足りない?
あんなに辛気臭い心理戦やったのに?大天狗後白河が平家源氏双方を振り回すのは清盛死後の話ね。
平治の乱後は、vs源氏頼朝、vs朝廷後白河、この二つの軸(摂関家は衰退)を交差させながら物語は進んだ。
後白河との駆け引き面で特に注目されるのが
・あなたこなた→二条との両面作戦、後白河鬱憤
・太政大臣への道→権力を手にし箔をつけたい清盛、清盛の援助が必要でありながら抑えたい後白河。
上がりポスト太政大臣のを巡る思惑合戦〜封じ込め成功!vs殻を破って中から出てみせます!
・日宋貿易推進→宿敵ながら因習に囚われる上級貴族を抑える側で清盛を支援
・徳子入内→涙の別れ(新平家)には目もくれず、ひたすら入内のもつ政治的意義に集中
〜外戚=朝廷簒奪への野望、これを見抜き警戒しつつも高倉の庇護者清盛を必要とする後白河。
まさに両者の息詰まる政治的駆け引きを、「より大きなものを食べたものが勝ち」win-winゲーム風に作劇。
・鹿ケ谷での挑発・謀略合戦
・治承クーデター→重盛と盛子の死に乗じた後白河の暴走(駆け引きをすっ飛ばし)とついに堪忍袋が切れた
清盛が下した鉄槌
など
(vs頼朝に関しては、平家の急上昇と急転落とに反比例させる対比構造で、ゼロから再出発、政子によって再生し、
以後急上昇する頼朝が描かれたー平家凋落の一歩である鹿ケ谷がターニングポイントで、ボコられる西光と
駆け落ちする頼朝と政子・・・歴史上もこの時期に二人は結ばれた)
455 名無しさん@恐縮です[] 2018/05/28(月) 14:53:56.04 ID:CfblyDeE0
ミズラの雅仁から大天狗一歩前までの後白河を無視して、大天狗だけを見てないか?
どの時点の後白河の「政治面」が犠牲にされたのだ?
清盛における後白河の人物造型が、資料・学説に基づき驚異的な精度で施され、それらが
各シーンで如何に生き生きと具体的に描出されたかについては、何度も本スレで紹介した。
しかもそれは政治面とも無縁ではない。
常駐してるのだから読んだだろう。読んでないのなら夜中にまた落とす。
ホント俺が答えてダラダラ長くなる前に自分の考えをちっとは披露してよ! 【後白河】
・清盛と性格面で共通点があるのは、あるときは同盟者、別のときには最大の敵手となる後白河である。
棚橋光男は彼のことを「政争の修羅場において酷薄と謀略、行動において遍歴・漂泊と神出鬼没、
気質において癇癖と躁性、芸道精進において真摯と偏執、美意識において新奇とバロックを本領とした」
と形容している。とくに感情の起伏が激しく、目新しいものを好み、時の法令に拘束されない点は清盛と好一対である(考証1)
・後白河はまるでゲームにでも熱中するかのように、政治を命がけの一種の知的遊戯に転換させた(加藤周一)
・好奇心から突然庶民の生活の場に現れては彼らを弄んだり人の気持ちを傷つけても何とも思わないアスペ(遠藤基郎)
・奥州後三年記の残虐な描写を見るとこれを描かせて嬉々としたという後白河の嗜虐性を痛感する(下向井龍彦)
★平清盛を真剣に視聴した者ならば以上の記述が驚くべき精度で後白河の造型に反映されていたことを直ちに認めることだろう
●修羅場における酷薄:平治の乱で寵臣信頼を見捨ててトンズラして生き残り
●謀略:鹿ケ谷の陰謀での清盛との謀略合戦
●神出鬼没・突然思い立ち下賤と交わった青墓巡礼
●癇癖と躁性:( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \、双六叩きつけ、ゾクゾクするわー、黙っておれ!
●芸道:偏執狂的な今様狂い、真摯な執念で実らせた今に残る梁塵秘抄編纂
●新奇・好奇心:清盛と共通する宋趣味→孤立した宿敵清盛の宋外交を支援(時の法令=先例第一の上級貴族を抑える)
●バロック:成人式で白拍子ダンシングをセルフコーディネート、鐘太鼓を乱打する悪僧を引き連れて二条の弔問に訪れる
●庶民に接する:上記青墓、悪所に出入りして博打に興じ身ぐるみ剥がされる
●知的ゲーム:双六遊び!(重盛を賭けの対象、鹿ケ谷の謀略)
●人の心を弄び傷つけるアスペ:保元の乱戦勝記念嫌がらせパーティー、二条との親子の情いっさい無し。
●嗜虐性:凹む清盛へ追い打ちをかける嫌がらせ、瀕死の重盛嬲り殺し
これらに加えて迷信嫌いも清盛と共有した→滋子巻毛を何ら変とは思わず寵愛(清盛は発想の転換を求めた〜和歌もどき回でも見られた「逆転の清盛」)。
さらにドラマで強調されたのが孤独でピュアな後白河像(要らぬ皇子、グレる皇子→乙前@青墓の遊びをせんやの歌で再生し帝位を欲するに至る、
滋子への純愛)。
未来のゴッドマザー時子が、その片鱗を見せつつも棟梁の妻らしく平時は清盛の背後に退いていたのと似て、
未来の日本一の大天狗後白河についても、前段階における清盛との拮抗に力点をおきラスボス感は控えめにしていたのが本作の特徴である
(アスペ独特の異常な勘や鋭い洞察力、状況コントロール能力は存分に見せた)。
源平合戦一歩手前の院政期を主要舞台とする平清盛に首尾一貫した、人物造形(配役も)に対する力点の置き方といえよう。 本放送時はさんざ、平家に関しては義経の平家パートが圧勝。平治の乱後を知るにはくだらない清盛なんかより
義経を見るべし!
と意気盛んだったのだから、これらについて比較検討してもらいたいね。新平家でも他の源平物でも良い。 1993年から始まった五部構成の人形劇 平家物語。
大河清盛がかなり参考にしているとみた。 他にもライアーゲーム、カイジ、愛の流刑地、銀英伝、ワンピース、
大奥、天と地と(映画版)、家康の恐れた男真田幸村、私をスキーに連れてって、
武蔵坊弁慶(NHK版)、源氏物語等を彷彿させるシーンもあり参考にしているとみた
、おそらくスタッフにこれらの作品のファンがいてオマージュと遊び心から
取り入れたのではないだろうか、個人的にはこういう(特に遊び心)のは
大好きなので非常に良かった。 2015年は大河ドラマはお休みだったんだよ
花燃ゆなんて知らん >あけっちーの反論に見る批判に対するトンチンカンな解釈を鑑みると、
>こういう色んな業界で見られる「言ってることを曲解してわけわからん自論で批判する人」
>への対処法ってもう「物理的に処す」しかないんじゃないかなとか思ったりする時がある(´・ω・`)
その前にお前のトンチンカンな曲解を、じっくりと凝視めた方が良いとちゃう?
センセーセンセーウットリしてないで。気に食わんのはシケーイ!はいかにもだけどさ。 よくあった批判に、「とっ散らかった」「大風呂敷を広げて畳めず終了」「ジャンプの打ち切り」というのがある(おんなネトウヨ)。
どこをどう見れば、多彩な構成要素が配置されながら、それらが緊密に連結された群像劇に対して、そのような戯言が出てくるのか
不思議でならないのだが、ともかく連中はこう元気に吠えていた。
清盛後半は、
清盛vs後白河及び清盛vs頼朝という2本の主軸を設け、これらを交差させたストーリーが、広げた大風呂敷に統一感と凝集性を与えていた。
朝廷簒奪を目指して後白河との提携と政争を繰り広げる京の清盛と、伊豆の田舎でスローライフを送る頼朝。
清盛が後白河との政治ゲームに熱中している時、伊豆では頼朝がスローライフを送りつつ密かにマグマを貯めていた。
2人は異なる空間で接点のない人生を歩んでいるとしても、いずれ一本の線上で再び対峙する運命にあったのだ。
したがって、vs後白河との息詰まるドラマだけでは、歴史の半面を捉えたに過ぎないのである。
この2つの軸を交差させる群像劇スタイルが、物語の振幅を大きなものとする一方で求心力を高め、頼朝のラストワード〜
「平清盛無くして武士の世はなかった」(=キーコンセプト)へ向けて、すべての要素を収斂させてゆく展開を可能にした。 後半の清盛vs後白河はwin-winゲームを強調する展開が続いた(対立を抱えた協調)。しかし、いずれ臨界点に達すれば両者の関係は破綻する。
それが鹿ケ谷事件であり、治承クーデター。
他方、京の清盛vs伊豆の頼朝は助命時以降、一度も会うことのない疎遠な関係となったが、両者の関係性の推移を構造化することで
ドラマ上、常に両者は「密接な関係」を保持し続けた(=反比例→ex平家が絶頂に向かう時、頼朝は千鶴丸の悲劇に遭遇して、
グランドゼロからさらにマイナス地点へと沈む※。この悲劇は、大番役祐親が清盛の「虚像」を伊豆にもたらしたことで惹き起こされた。
さらに、伝播する日招き伝説&清盛危篤の報、平家の横暴ー臨時課税を心ならずも伝える伊豆守目代仲綱、三浦・佐々木・上総の会話、
弁慶の記憶、そして政子が解釈した髭切「返還」の本意など、京と伊豆を繋ぐメディアとして使える事象やアイテムが最大限活用された)。
※清盛平家と頼朝源氏の関係は、一方が上昇すれば他方が下がる、下がれば上がる、というようにzero-sumゲーム的に捉えるのを基本とした。
頼朝が上昇を始めるドラマ上の起点が(自らは無関係の)鹿ケ谷事件。
作用上は、長らく一方的な清盛からのベクトルに終始したが、挙兵によって反転し、清盛は頼朝の鎌倉都市建設に刺激を受けるなど、
頼朝からのベクトルが作用し始め、両者は相互に作用する関係となっていく。そして、鳥羽エア矢を受け止めた頼朝※※が京へ向けてエア矢を放ち、
これを受け止めたのだろう、清盛は最後の双六を挑むべく後白河を訪った。
曰く「今や平安は終わりを告げ、貴族の世は去ろうとしている。これからは武士の世が始まるのだ。
(俺は頼朝との決戦に集中するから)あんたとの双六遊びは終了!」
この清盛の言葉に双六をひっくり返すかと思いきや、後白河はシミジミと詠嘆し(「もう左様な時代となったのか・・・」)、
深々と一礼して去るライバルの後ろ姿を万感の思いで見送った。清盛ー後白河ー頼朝の三者が見事に繋がった名場面である。
※※義朝とは異なり、清盛と頼朝は共同で朝廷に立ち向かう関係にはない。むしろ頼朝は、長きに渡り貴族体制に抗して孤軍奮闘し、
その内部に食い込んで大きな穴を開けた清盛が切り拓いた道を、タダで進むフリーライダー的受益者と言える。
弁慶の記憶が運んだ「鳥羽エア矢」を追体験することで、頼朝はこのことを自覚し、不信を募らせていた清盛へのリスペクトを新たにした。
長らく無気力低徊した後、政子によって覚醒した頼朝は、ここで意を決したかのように「暫定王者清盛」に対して挑戦状を突きつけた。
それが「頼朝エア矢」のシーン。
しかし、その前史においては、忠盛と清盛が源氏とのwin-winの関係を志向したことが重要で、このことを理解することが
平治の乱での「一騎討ち」を適切に位置づけるためにも必要だ。もっとも理解されず嘲笑されたのが一騎討ちゆえ再論する。 源平ライバルは、武家の覇者という一つの椅子を巡り、いずれはNo.1決定戦を挙行して決着をつける運命にあった。
しかし、武士の総体が未だ堅固な貴族体制に劣位する段階では、下手に戦って共倒れしては、旧体制を利するだけだ。
そのことを、深謀遠慮の人忠盛はきちんと自覚していた。
「為義殿、斬り合いとならば共に終わりぞ。源氏と平氏、どちらが強いか、それはまた先にとっておくことはできぬか?
[その勝負は武士が朝廷に対して十分な力をつけてからでもよいのではないか]」
この4話殿上闇討ち回(【源平棟梁間最初のタイマン対決】)における忠盛発言は、その後の源平間の関係を強く規定した
〜視聴者がずっと頭に入れて何度も反芻しなければならない台詞の一つ。
やがて軍事力を発揮して保元の乱を制したものの、清盛には未だ国政を担う力量もなければ、貴族を圧倒できるだけの力はない。
父の言葉をしかと受け止めて戒めとした清盛は、信西の知力を頼りながら国造りに参加し力をつけることが、何よりも大事な
喫緊の課題であると考えた。
他方、父親殺しに手を染めたというのに報われず、恩賞他あれこれ不満を覚え焦る義朝は、
「今は貴族たちに対して互いに力を蓄える時だ、早まるでない」と自重を求める清盛からの再三の忠告を撥ねつけて、
ついに信頼の甘言に乗せられる形で、クーデターという途方もない軽挙妄動に走ってしまった。
【源平棟梁間二度目のタイマン対決】となった平治の乱での一騎討ちは、武士の力の総体が未だ貴族を圧倒するに至っていない、
したがって、武士の長者決定戦(歴史上の平治の乱の決着とは区別される)は未だ時期尚早の段階において、
「親の教えを守った清盛」と「守れなかった義朝」との間で挙行された「〈早すぎる〉源平合戦第1ラウンド」と位置づけることができる
(3話の競べ馬以上に4話からの帰結が重要。リアリティを欠く異次元空間は、この仮装現実ちっくな一騎討ちの場に相応しかった)。
そして、平治の乱後20年の時を経て、朝廷の内部に食い込んだ清盛の奮戦によって、時代はようやく
「武士が十分な力をつけた歴史段階by忠盛」へと突入した。
この段階で挙行された「源平合戦本戦ラウンド」こそ〈歴史上の源平合戦〉に他ならない。
ところが、頼朝の挑戦を受けて立ち直接出馬しようとした矢先に、清盛は熱病で倒れてしまい、頼朝との【源平棟梁間三度目のタイマン対決】
の機会(最終決戦)を永遠に失ってしまった。
清盛の死後、唯一無比の大黒柱を失った平家一門は運命に抗することができず、壇ノ浦に沈んだ。
かつて助命時に「俺の国造りを指を咥えて眺めておれ!、真の武士とは如何なるものか見ておれ!」と暫定敗者頼朝を突き放した清盛は
(髭切突き刺し=返還→這い上がって来いとの真意を政子が見抜く)、すべての勝敗がついて最終敗者となった後、
イタコ西行に導かれて陰府から現れ、サバサバとした表情で武士の世の建設を頼朝に託した〜「真の武士とは如何なるものか見せてみよ!」
【敗者から勝者への志の継承】。
そして長大な清盛物語は、ついに頼朝のラストワード〜「平清盛無くして武士の世はなかった」によって大団円を迎えたのだった
【勝者から敗者へのオマージュ】。
以上、源平三世代が繰り広げた関係性の全体を、源平vs旧貴族体制の対立軸にも留意しつつ俯瞰することで、
さらにその中間点に一騎討ちを位置づけることで、それは「荒唐無稽なファンタジー」※※※どころか、平清盛という一個の論理的構築物に
不可欠な構成要素であったことが明晰判明するのである。
しかしまあ、「広げた風呂敷を畳めずに終わった」ってアンタ・・・
※※※歴史上の平治の乱について、原因、勃発までの経緯、勃発後二転三転する戦況、六波羅の後衛で戦況を完全にコントロールする清盛、
一人勝ちとなった歴史的意義、などを的確に描いた上での一騎討ちであったことを忘れるべきではない。 今までがんばって長文読んできたけどさすがにこれは読む気せんわ
と言いつつ何とか読んだけど
清盛の良さをわかってほしいという思いを微塵も感じない
ただただ自己顕示欲としかとれない
ほんとに清盛好きなの?
清盛が好きな自分が好きなだけなの? >>521
夏コミに向けて書きためているんでしょう。
と言っても、前に出てきたのをほとんどまた繰り返しているだけ。 ありがと
この人夏コミに出してんの?こんなのが売れんの? 夏コミ、KWSK?長文様の文章は発見次第全部保存しているがまとめたものが
あるなら少々高くても是非買いたいので情報くれ >>524
長文さんの記事を裏紙に印刷して、唐果物を食べる時の懐紙代わりにすればよい。
ムシャムシャ、鳥羽か誰か知らんがエア矢の重い味〜♪
ウメー、勝者からのオマージュ的な瀟洒の抹香臭さ〜♪
何とかが何たらかんたら色んな餡が詰まっていたのであった〜、ウメーわ。これホント。
脚本家のスタッフだった長文さん、清浄歓喜団の味も一入だね。 上の方のレスでも、チーム藤本の清盛メインライターと書かれているが、
長文さんはやはり、中の人だったのか >>526
ライターではなく、脚本家スタッフの一人かと。
出入りする内にもれ聞いたこと、ライターの下書きから拾ったのをネタに繰り返し書いているんだろう。 アレ穴吹一郎なる架空ユニットのメンバーじゃなかったの俺?w
夏コミってなんだよ?wなんか金になる美味しい商売なんか?
お前らが2ちゃんでツイでブログでやってる小遣い稼ぎみたいにさ!
ババアに運営爺たち。王家がー、オモチャの剣がー、海賊王がーのみならず、
一騎討ちがーやる時も、これからはせめて上に書いたことを踏まえて攻撃するこった。
ところで、ツイ界隈では、発狂したネトウヨどもが、その筋の親分の↓に猛リツイートの嵐。
もう結構な数になってるだろ【反差別界隈による表現弾圧】。「二度目の人生」「HINOMARU」
「欅坂46の衣装」「のうりんポスター」「うな子」「駅乃みちか」「碧志摩メグ」…
他にもあっただろうか。愛国関連でも【「平清盛」】とか「国が燃える」とかあった。
2ちゃんと連動したチャンネルなんちゃらによる、挙げ句の果てに国会議員まで乗り出した中傷キャンペーンは、
「正しい表現行為」だけども、根拠のないことを根拠を示して明かした俺の王家がーに対する反論は、
「表現弾圧」なんだろうか???まあアホウヨどもに「表現の自由」を語ってみても始まらないけれど。
お前らがこいつら並みの惨めな一党でないのなら、王家がーに対しても、せめて「反日がー」「チョンがー」
とは異なるマトモな批判をするこった。 中の人?
中の人は架空、「藤本有紀」なる「女性人格」は存在しないとする誹謗中傷はもうやめたのか?
と思って検索したら、まだ中傷スレが生き残ってる。
いくら明々白々、名誉毀損が成立すると忠告してもこれだ。
そんなお前らにアレコレ言われる筋合いはないし、俺が「藤本有紀」その人ということは、ババアどもの
100万倍高性能頭脳ということを意味するから、それはそれで光栄でありますw スタッフ?
粗製乱造はよろしくないが、そろそろ次が見たい。まずはみをつくしの続編。
しかし、もう1年以上音沙汰無し。
大作執筆中と想像したいところが、NHKでもスタッフでもないのでわかりまシェーンw 長ロングパスや伏線自慢はイクないが、
清盛はもっと地味な、ダンドリをキチッとつけるという点にこそ本領発揮した大河だ。
およそいきなり、唐突というところがない。
これだけ仕込み上手な大河は滅多にないだろう。
本日の西郷さん寺田屋回を単体では堪能しつつも、これまでの経緯や人物描写が圧倒的に
足りてないのを惜しむ声が上がっているが、いつもは喧嘩売る連中と同意見と相成った西郷どんw ああすまん、酔っ払った地下鉄の中でツイを読む。唐突絡みなのか↓
>突然出てきた木村多江さんとかにいろいろ振るのは見てて無理があったし。
は?仏御前をそれ以前に出すべき必然性と場面があるのか?
とうとう世の頂きに立ち(治承クーデター)、何らの外的掣肘を受けない絶対権力を握った途端に、
逃れることのできない内なる専制君主=白河の血が噴きだした(白河なるものの再帰ー「ここはわしの世じゃー」)。
そして、白河の暴君性は、その途方もない性的パワーを内実の一つとした(災いの種を撒き散らす→保元の乱)
それがすなわちエロ爺清盛だ。
平家物語の祇王、祇女、そして仏御前エピは、清盛の堕落が極まったこの局面において、女性の尊厳を踏みにじる
暴君清盛にまさに相応しいエピであった。
それは、清盛落胤説からのそれこそスーパーロングパスによる厳格な演繹的帰結であり、その意味で、
仏の登場は「突然」ではなく「必然」なのである。 オエ
書いたやつ、上で上げたネトウヨの親分やったw王家ガーーーー
さすがというべきか・・・ここ絶対見てるw と思ったら
食べて見て呟いてお小遣い貰っての遊び人が早速飛びついて禿げどーやってた
何とも分かりやすい
おやぬみー >本良かったしいろいろと野心的で面白かった「平清盛」が低視聴率でぶっ叩かれて当時は
>ネットによる盛り上がりの影響も小さかったから現場のテンションが下がってしまったという例もある。
>そのせいか終盤にかけて失速してた感は否めないもんな。
何のこっちゃネトウヨの親分。まずはフェイク無しで行こうな。
磯Pは、「視聴率が低迷して正直折れそうになりましたが、ツイッター等での盛り上がりが大いに励みになりました」、
「関わった全ての人間が、最後まで全身全霊を込めてやり抜きました」と述懐している。
考証1、ディレクター、人物デザイン、役者たちも口々にやりきった達成感を述べている。
士気が下がって途中からはやっつけ仕事という裏事情は伺われないし、何よりも作品自体が「士気低下→終盤失速」
なるフェイクを完全否定している(本郷発言については既述)。
なるほど終盤失速したは当時もよく聞いた。
中には、平家が劇的に凋落して呆気なく滅亡した史実を指して失速と捉えるしょうもないのもいた。
もう少しまともなのは、清盛には達成感がなく中途半端に店じまいしてしまった、「武士の世の礎を築いた」ことを描けていない、
といった批判。
しかし、「古い皮袋に新しい酒を注いだ」清盛は、武士の世も交易国家もその緒を開いた先駆者であっても完成者ではない。
武士の世に目に見えるような明確な形を与えないまま、志半ばで無念の死を迎えた清盛の一生にカタルシスを求めても始まらない。
残るは純粋にドラマの充実度のことか。これもまた「最後回想多目なのは、話を作れなくなったための手抜き」とか、
アホくさい因縁に充ちていた。再三紹介したように「広げた大風呂敷を畳めず、最後はジャンプの打ち切り」と宣う頓珍漢も相当いた。
これらはとりわけ最終回のあり方に関わることで、この最終回がいかに一分の隙もない構成で「平清盛物語」をフィナーレに導いた
かについては、繰り返し述べてきた。
素朴に振り返って鹿ケ谷事件以降は、中盤最大の山場となった保元・平治の乱にも勝るとも劣らない、
音楽担当吉松隆氏が「シェークスピア劇場」と呼んだ濃いドラマに満ち溢れていたと思うのだが、「終盤ドラマとして失速した」
とは如何なることを言うのだろうか?改めて指摘してもらいたいものだ。 >>349
王家がー反日がーチョンがーソウカがー海賊王がーオモチャの宋剣がー
に
無知で無能な作り手がー
大変お元気だったアホウヨ&=ババア連合、すなわち自称歴史系何ちゃらたち、すなわちお前らw
すっかり大人しくなってしまいましたが、どうしたのですか?(爆 お父さん、もっと分析的に補ってくださいまし。
清盛自身「武士の世を目指す」と宣言したが、新しい政体の姿を具体的に描けていたわけではない。
たしかに、朝廷簒奪で武士の世とはいかにも分かりにくい。しかし、それは歴史上の清盛に
起因する限界であって、この清盛を等身大に描いたことに対して、「どこが新しい清盛なん?」と
疑問をもつのはごもっともだが、「これが清盛」と答えるしかない。
そんな中、考証高橋教授の「六波羅幕府論」(頼朝の鎌倉幕府のいわば「原型」)に、きちんとご挨拶していた
ことに着目されたい〜とりわけ京とそこに根を下ろす朝廷との物理的・心理的「距離」の問題。
まだ明確な形を取っていないが、これこそが清盛が描いた新しい武士政権の「カタチ」だろう。 コラコラまたまた勝手にコピペすんでない。
そのネトウヨ界のスター様もちゃんと清盛を評価した上での批判。
だから真面目にお答えした。正直喧嘩売ってすまない。
本来は清盛評価に右も左も関係ないのよ。ところが2ちゃんのこいつらときたら以下ry。
でわこれから帰るw でも正直後半の大天狗後白河の描写だけは
もっと事細かに書けたんじゃないのか?どうなんだ
意味不明の哄笑で全部有耶無耶にされていた記憶しかない 清盛は武家であって武士ではない。
恐らくは武士たる意識もなかったであろう。 >>544
北面の武士が武士ではないとはこれいかに? 昨日の池田屋じゃなかった、寺田屋騒動はよく描けてたねー
あの緊張感と殺陣は久々に大河清盛に迫るものがあったな
最初の血糊プッシャアアは吃驚したのと同時に演出GJと思ったw
グロ演出でお馴染み?清盛でも流血表現はあまりなかったような >>545
北面の武士なんていう呼び方は当時一般的ではなく、かつ正衡流の清盛は北面でも下臈に非ず。 何度でも書くが
兎丸の死体を見つけた時は松ケンの表情は初めて血が通った
叔父を斬り殺した時なんかとはレベルが違う気合の入りっぷりだったな
あのシーンだけは本当に絶賛するわ・・・ そーか?
俺は初期より中盤、中盤より後半の方が、松ケンも作品そのものも好きなのだが、
今見直すと、当時そのような言い方に反発し、今でも安直にキャラを決めつける
マジックワードの弊害が大きいと否定的な「厨二病」清盛に、正面から向き合った
ナイーブで荒々しい青年清盛を演じた松ケンに感心するよ(なおソウカがーのリアクションは
省略されたし)。
一筋縄ではいかない「厨二病」の中身(落胤設定&無頼伝説&考証の捉える清盛像が基調)。
そこからの高平太の成長物語ー拙い棟梁から保元の乱の過酷体験、そしてタフさを爆発させた平治の乱。
これらを実に綿密に、清盛の成長物語として追っていった(父子の物語でもある)。
しかも、平治の乱で一人勝ちした清盛は、そこからさらにめくるめく変貌していくのだから、
とんでもない難役と言わざるを得ない(大河義経では、最初から最後まで一つの義経であったのみならず、
清盛も後白河も登場した時点で既に「完成体」であったことを想起されたい)。
カメレオン型、憑依型の若手しか演じられない、そうなると松ケンぐらいしか適任はいないだろう、
というのが、永遠に噛み合わない拙者の主張(俳優に詳しくないので、異論大いに結構)。 周りをdisって主人公を持ち上げ、結局は善人に小さく綺麗にまとめてジエンド・・・
ババアたちがちかえもん の実況にまで押しかけて、清盛恨めしやーをやってたのを思い出す。
昨今の大河はーとネガキャンに狂奔する連中(の有力部分)は、何と清盛についてもこう「総括」したのだった。
こうなると、もはやお互いパラレルワールドの住人ゆえ、対話可能性なんぞ絶望的に思えてくる。
願わくば、本当にこの清盛は、よくあるような小さくまとまった善人主人公に過ぎなかったのか?
仲代清盛や渡清盛とは比べものにならないほどスケールの小さな平板な清盛であったのか?
もう一度、世間の人々に触れ回って説得してもらいたい。 言われないなーw
男無しで終わるシコメが体位がー破水がーと一日中夢物語に熱中してるのを見ると、
もしかしてとご同情申し上げることはあるけどさw
ついでに逆方向で、主人公を悪く描きさえすれば、あるいは登場人物が悪人だらけだったら、
ただそれだけで歓喜して名作呼ばわりする単細胞たちからも無縁でありたい(コインの裏表)。
清盛は偉い人、良い人、魅力ある人だったから、大河の主人公に選ばれたのだ。
842 日曜8時の名無しさん[] 2018/04/22(日) 07:26:01.19 ID:yAM0BZuF
はっ?平清盛は
堅牢な貴族体制に果敢な戦いを挑んで武士の世を切り開いた偉人。
政策体系としては、日本で初めて今に通ずる交易国家の礎を築いた偉人に描かれましたが?
逆に言えば、志半ばのところで退場せざるを得なかった、政体論的にも朝廷機構の内部に食い込む
旧套の手法に留まったため、中途半端な達成点で終わった男に(率直な形で盛らずに)描かれましたが?
(他方、<朝廷との距離>というテーマにも取り組み〜「六波羅幕府論」〜志と共に頼朝に承継された)
晩年の「老人特有の頑迷さ」「精神の硬直」(高橋)をよりドラマチックに展開させましたが、
それは若き日から綿密に描いてきた「躍動的で柔軟で粘り強い精神の持ち主」であった清盛からすれば、
一時の逸脱にすぎません。悪人、謀略家にさえ描けば歓喜するような単細胞たちに阿ったわけではないのです※
平清盛は1年を通じて、作品のキーコンセプト=「平清盛無くして武士の世はなかった」(by頼朝)
を執拗に追い求め、この命題に見事な回答を与えることに成功した大河なのです。
なお、崇徳怨霊伝説と接合させて伝説となった「平家納経」回では、美術班によるプロフェッショナル中の
プロフェッショナルな仕事〜平家納経制作過程〜が見られました。
美しい厳島ロケ、また若き日の安芸守時代の旧厳島神社エピと合わせて、広島の人々も喜んだことでしょう。
※考証高橋先生が捉える清盛像を再度確認すると、合理的(迷信嫌い)、激情の主(感情過多)、下々にも優しい、
先見性、常識に縛られない、新し物好き、果断な決断力・行動力、外向的、包容力など。
これらすべての特性が、各種エピによって描出された。
おやぬみ >>550
>周りをdisって主人公を持ち上げ、結局は善人に小さく綺麗にまとめてジエンド・・・
これに清盛が該当せんのか
オマエの脳内ってのは本当にどうなってんだw ほーら、実に本気なんだよねこのババア・、。そして捨て台詞にて終了の無限ループ。
他所では
悪役に徹しきれない無能な作り手、武田信玄を見習え!みたいなお笑い振りまいていたけどね。
実際は「さすがは清盛」とは程遠かったから、叩くにしても「主人公上げがー」とか
「スイーツがー」やってたのは、さすがにババア一人二人限定だった。 ちなみに552のコピペは
「清盛をただの悪人に描きおって広島人は許さん」なるレスへの応答。
ホント「主人公美化」「主人公下げ」どっちなのよ皆様方?
も一つ
「史実を並べるだけで精一杯」(執念の人)
「歴史がすっぽり抜けて心理ドラマに終始した」(北の将軍)
こちらもどっちなのよ?・・・ >>552
多分、ASD的こだわりの強さがあるね。繰り返しが頻繁なのと、粗暴な書き込みが目立つし。
一度受診を。 周到なダンドリの裏面で、唐突感を出すべき場面についての判断がしっかりしていたことも特筆される。
典型的には次の3つ。
1 西行出家の際の娘キック
2 突然思い立った後白河青墓巡礼
3 滋子の死
1→醜い濁世が嫌になった。ややこしい人間関係に疲れた。待賢門院との道ならぬ恋に敗れた。反面で仏道に帰依する情熱が高まった。
など、背景事情についてあれこれ挙げることはできる。しかし、これらと家族を棄てる出家との間にはなお断絶がある。
ドラマでは、然るべき準備を経て各方面への挨拶を済ませた西行ではなく、西行の内面における「突然の閃き」が強調された。
この強調ポイントから見ると、
「本人以外、いや本人も説明できない」いきなりの娘キックは(伝統的な「未練を断ち切るため」といった解釈をとってない)、
動機を説明しきらず余白を与えることで、俗世からの離脱を求める西行の〈跳躍した決断〉をいっそう謎めいたものとするのに効果抜群だった。
2→後白河の真骨頂である〈神出鬼没性〉&庶民が生きる世界に対する〈好奇心〉。
そこで雅仁は、乙前の歌う「遊びをせんとや」によって生き返った。
あたかも乙前との出会いを求めていたかのように、「近衛帝の容態芳しからず」となったその時、雅仁は青墓巡礼を「閃いた」
(行く前:私には関係のないことだ=要らぬ皇子→帰った後:生まれたこと自体バクチじゃ=帝位への意欲満々)。
これまた雅仁を特徴づける〈鋭い勘〉が、後白河帝を爆誕させ、崇徳をローリング卒倒へと押しやったと言って間違いない。
3→実際は突然死ではないが、両巨頭の間を取り持った滋子の死が人々に与えた喪失感及び危機感は大きなものがあった。
政治的には、滋子の不在によって生じた空洞が、清盛と後白河との間に辛うじて保たれていたパワーバランスを一挙に崩壊させ、
ここに風雲急を告げた時代は、アクセルを踏み込んだかのように鹿ケ谷のカタストロフへと雪崩れ込んでいく。
この相対的安定期から、抑えられていた危機がいっぺんに顕在化する時代への劇的変化を強調する上で、すなわち、
バランサー滋子の死が意味した〈政治的損失〉、及び人々の意識レベルにおける〈喪失感や空虚感〉といった危機感情を明らかにするために、
滋子を「突然死」とした演出はたいそう効果的だった。 タマキン木南晴夏をゲト
単刀直入波多野娘方式かロクでもないプロポーズ方式かは不明 1について
※ドラマでは相性最悪だった悪左府(スカした奴が大嫌い)は、「公私何も憂いがないのに何で?でも偉いやっちゃ」と惜しんだという。
当時の人々にとっても、リア充に見えた義清の出家は意外だったようだ。
この点、仏道と歌道への抑えがたい帰依を読み取ることも可能だが、外からは窺い知れない秘密を内面に抱えていた義清
と解釈しても、両者は矛盾しない。出家に至る義清の動機をあえて特定しなかった「西行出家物語」は優れものだろう。
2について
※※棚ぼたではなく、乙前から命を吹き込まれた雅仁の意志が帝位を手繰り寄せた。このドラマ的アレンジが秀逸。
3について
※※※後白河畢生の事業となった梁塵秘抄編纂のシーンは、とことんエキセントリックな君主であった後白河と滋子との、
夫婦水入らずで睦じい、大河清盛屈指の情感溢れるシーンでもあった。
その次のシーンが、滋子「いきなりの死」。以下、ノベを引用する。
「突然の悲劇が後白河院を襲ったのは、〈この日から数ヶ月が過ぎた〉7月だった」→そして頼朝による解説ナレ
「安元2年(1176)7月8日、建春門院滋子様が35歳の若さで〈突如〉この世を去られた」
←ここで分かるのは、「突然死」と言っても、時系列を歪めて滋子の死を前倒ししたのではないということ。
清盛と後白河との決裂という劇的な歴史的展開を演出するために、「死までのプロセス」を省略した作劇であった。
何ヶ月もすっ飛ばすやり方を、とりわけ後半取らなかった「年表大河・逐条大河清盛」において、数ヶ月を省略した効果は
すこぶる大きいものがある。 バランサーって、そんな描写やナレーションあったかな? 何故NHKは、誰も見なくなるヒドイ内容の大河を制作放送したの? マクドナルドのハンバーガー食ってコカ・コーラ飲んで糞して寝ろ 整理して再掲する。
周到なダンドリの裏面で、唐突感を出すべき場面についての判断がしっかりしていたことも特筆される。
典型的には次の3つ。
1 西行出家の際の娘キック
2 突然思い立った後白河青墓巡礼
3 滋子の死
1→醜い濁世が嫌になった。ややこしい人間関係に疲れた。待賢門院との道ならぬ恋に敗れた。反面で仏道に帰依する情熱が高まった・・・
背景事情についてあれこれ挙げることはできる。しかし、これらと家族を棄てる出家との間にはなお断絶※がある。
ドラマでは、然るべき準備を経て各方面への挨拶を済ませた西行ではなく、西行の内面における「突然の閃き」が強調された。
この強調ポイントから見ると、
「本人以外、いや本人も説明できない」いきなりの娘キックは(伝統的な「未練を断ち切るため」といった解釈をとってない)、
動機を説明し尽くさず余白を与えることで、俗世からの離脱を求める西行の〈跳躍した決断〉を
いっそう謎めいたものとするのに抜群の効果があった。
※
ドラマでは相性最悪だった悪左府(スカした奴が大嫌い)は、「公私何も憂いがないのに何で?でも偉いやっちゃ」と惜しんだという。
当時の人々にとっても、リア充に見えた義清の出家は意外だったようだ。
この点、仏道と歌道への抑えがたい帰依を読み取ることも可能だが、外からは窺い知れない秘密を内面に抱えていた義清
と解釈しても両者は矛盾しない。出家に至る義清の動機をあえて特定しなかった「西行出家物語」は優れものだろう。
2→後白河の真骨頂である〈神出鬼没性〉&庶民が生きる世界に対する〈好奇心〉。
そこで孤独な皇子雅仁は、乙前の歌う「遊びをせんとや」によって生き返った。
あたかも乙前との出会いを求めていたかのように、「近衛帝の容態芳しからず」となったその時、雅仁は青墓巡礼を「閃いた」。
(行く前:私には関係のないことだ=要らぬ皇子→帰った後:生まれたこと自体バクチじゃ=帝位への意欲満々)
こちらも雅仁を特徴づける〈鋭い勘〉が、後白河帝を爆誕させ※※、崇徳をローリング卒倒へ押しやったと言って間違いない。
※※
棚ぼたではなく、乙前から命を吹き込まれた雅仁の意志が帝位を手繰り寄せた。このドラマ的アレンジが秀逸。
さらに、「何でござりますかその歌は。私も海賊船上で(母が歌う)この歌が聞こえてこなんだら生きていなかった」・・・
こう告白した清盛との会話(「ほー其方もかー」)も、キーコンセプト=「遊びをせんとや」=生への意志の核心に迫った場面である。
3→実際は突然死ではないが、両巨頭の間を取り持った滋子の死が人々に与えた喪失感及び危機感は大きなものがあった。
政治的には、滋子の不在によって生じた空洞が、清盛と後白河との間に辛うじて保たれていたパワーバランスを一挙に崩壊させ、
ここに風雲急を告げた時代は、アクセルを踏み込んだかのように鹿ケ谷のカタストロフへと雪崩れ込んでいく。
この相対的安定期から、抑え込まれていた危機がいっぺんに顕在化する時代への劇的変化を強調する上で、すなわち、
バランサー滋子の死が意味した〈政治的損失〉、及び人々の意識レベルにおける〈喪失感や空虚感〉といった危機感情を明らかにするために、
滋子を「突然死」とした演出はたいそう効果的だった。※※※
※※※
後白河畢生の事業となった梁塵秘抄編纂のシーンは、とことんエキセントリックな君主であった後白河と滋子の、
夫婦水入らずで睦じい、大河清盛屈指の情感溢れるシーンでもあった。
その次のシーンが、滋子「いきなりの死」。以下、ノベを引用する。
「突然の悲劇が後白河院を襲ったのは、〈この日から数ヶ月が過ぎた〉7月だった」→そして頼朝による解説ナレ
「安元2年(1176)7月8日、建春門院滋子様が35歳の若さで〈突如〉この世を去られた」
←ここで分かるのは、「突然死」と言っても、時系列を歪めて滋子の死を前倒ししたのではないということ。
直前の幸福なシーンとの落差を際立たせ、ここから生ずる清盛と後白河との決裂という劇的な歴史展開を演出するために、
「死までのプロセス」を省略したのだろう。
事象を逐一追っていった(しかし、出来事をただ並べていく昔ながらの大河とは似ても似つかぬ)「年表大河清盛」において、
バッサリと数ヶ月を省略した効果はすこぶる大きなものがある。 >>560
「滋子は後白河と清盛との間を取り持つ蝶番の役割を務めました」
みたいな、ナレで説明していっちょ上がりの手法を清盛は採らない。
滋子のポジとその重要性は、あくまでもストーリーと映像の説得力によって訴えかけられた。
そんな場面あったっけ?と言われても、滋子はほとんどバランサー描写のために出てきました、
と答えるしかない。
例えば、平家と王家の「合作」である憲仁(高倉)立太子のために、弟であり清盛の腹心である時忠を
巻き込んだ場面。あるいは、清盛に反感を抱く院の近親=成親と西光を接待したシーン、
などを思い出して欲しい。 >>564
あーっと、ナレーションや説明はちゃんとあったね。
40話のアバンでは、「清盛と後白河院のかけ橋」という視聴者に大変親切で分かりやすいテロップが初っ端から最後まで出ていた。
目に優しく「かけ橋」を赤で強調してる。
同じく井上あさひアナが、「(滋子が)平家一門の為に立ち回る一方で、平家の財を王家にもたらし、双方を支えてきました。」、「清盛と後白河院、二人の権力者の均衡は滋子によって辛うじて保たれていたのです。」とナレーションで言い切っているね。
さすがはNHKの大河。
ストーリーと映像の説得力に、製作者自ら不安を覚えちうのを隠さんのは潔かこんで、こいは慶喜公にも通ずるように思いもす。
何もかんもドラマだけで描くち、元来が無理難題じゃ。そげなもんは作り手の約束にはならん。 そっか、覚えてないw
ありがとん。
ただ、ずばりの説明ナレはないに越したことはない。
なくても滋子のポジションは伝わった。
リコ太夫は頑張ったが、まあ難役すぎた。
こんなところでゴワス。 やっぱりさ、壮年から晩年は渡辺謙がやればよかったんじゃないか?
で、時子は始め深キョン、後から寺島しのぶ。 >>567
渡辺謙は通販タレントがお似合い
すごいぜ!ハズキルーペ >>567
松ケン交代をお望みの方は、「いつ、どのタイミングで交代させるべきか。それは可能か」
について、統一感を破壊するデメリットにも言及しながら述べないと(晩年は年食ったナベケンのが
相応しい、というだけでは理由にならない)。つかこの話、果てしなく秋田わw
深キョンはいっそう必要性を感じない。
壇ノ浦ダイビング除いて、ゴッドマザー一歩手前の時子で終了なんだから。
(一門を差配するほど前面に出るのは清盛死後。後家権力の行使=ゴッドマザー) 海賊船でのピンチから清盛を救ったのが、嬰児記憶に刷り込まれていた母舞子の歌う「あそびをせんとや生まれけん」。
舞子が歌う遊びの歌は、忠盛の人生にも大きな影響を与えた(どうしょうもなく気楽で呑気な歌だな→舞子自らが真髄を語る(→なんとこの舞子による「解説」が、
最終回で清盛を讃え慰撫する西行によってリフレインされる〜清盛は母が理想とする〈面白き〉人生を全うしたのだった―「お点前の〈面白き〉人生、何と〈美しい〉!」)
→その後、遊びの歌の精神を密かに自らの指針としてきた忠盛であったが、これを口ずさむところを宗子に聞かれてしまい(鹿爪も見つかって・・・)夫婦の危機。。。
→さらに、どんなに頑張っても越えられない貴族の厚い壁。そこに追い打ちをかけるかのように鬼畜頼長から愛息家盛への凌辱をぶっちゃけられて
(「おたくの息子とはすべてにおいてしかと結ばれたのさ」)、人生の最後で酷く弱気になってしまった忠盛のセリフがコレ
〜「家貞。近ごろしきりに思い出すのじゃ。舞子に言われたことを。【夢中で生きていればいつかわかる】。なんのために太刀を振るっているのか。
なにゆえ武士が今の世に生きているのか。【わしは夢中で生きてきた】。だが未だわからぬ・・・」
このように、舞子が歌う「遊びをせんとや」は、清盛と忠盛に重大な作用を及ぼした。そして、この歌を舞子に仕込んだのが、白拍子界の大先輩にしてスーパースター
祇園女御=乙前であった。彼女が歌う「遊びをせんとや」もまた、、とんでもなく大きな意味を担った。
まずもって、雅仁ボーンアゲインは、まさに乙前@青墓が歌う「遊びをせんとや」が齎した。どちらに転ぶかわからない緊迫した王者議定の実況中継(史実にほぼ忠実)は、
非常にエキサイティングなシーンであったけれど、本作の雅仁は「なるべくして帝位に就いた」王者なのである(史実と創作との「虚実皮膜」を示す好例)。
それだけではない。母舞子が歌う「遊びをせんとや」に救われた清盛は、生死の境を彷徨った「白河院の伝言回」において、駆けつけた乙前が枕元で歌う「遊びをせんとや」
の歌によって励まされることで生への意志を高め、遠い昔の嬰児(胎児、幼児)記憶へと遡及していき、、そこで母舞子と出会い、父白河と対峙した
(あなた様を超えて見せますると宣言したところで蘇生)。その意味で清盛も雅仁同様、、乙前が歌う「遊びをせんとや」によって再度生を得て帰還したと言うことができる。
こうして振り返ると、「遊びをせんとや生まれけん」が、どんだけ重要なキーコンセプトであったことか、今さらながら痛感するしかない。
この歌の「総元締め」祇園女御=乙前の重要性もわかるだろう。そして祇園女御=乙前の重要性は、何よりもこの「生命の歌」を美声で歌うことにあるのだから、
セリフ回しその他の演技力よりも歌唱力が求められる役柄であったことが明らかである。
昭和の歌姫にしてセレブな聖子を、平安の芸能民のトップにして白河の寵姫、セレブな祇園女御=乙前に抜擢した磯Pの慧眼に恐れ入った。 転生ゴッシーが変態的政才を発揮し始めたようで何より 一応どっちでも良いんでなかったっけ?>お点前とお手前
しかし今回の弁慶久光はやり過ぎだなー。
デフォルメするにも戯画化手前まで行くのは好きでない。
清盛で言えば、経宗さんの顔芸キャラは面白かったが、やり過ぎ感があって好みではなかった。
どちらもキャラ設定と演出の問題で、青木氏と有薗氏の演技は要求されたことに応えたものだ。 ゴッシーの変態ぶりは別にデフォルメではない
というところが何とも・・・ 弁慶久光と正に「幕末の後白河」慶喜、最初からあんな仲が悪いわけないべ。
というか、当初は良好なはず。
政事総裁職を拝して何故か喜んでいる津田寛治、相変わらず軽く見えるな〜。 >>567
晩年の「助けてくれい」の演技が好きなんで途中交代なんてありえんわ ・石清水八幡臨時祭で荒らしいダイナミックな舞を奉納。〈白河を〉睨みつけた、巨人に挑みかかる青年清盛
・意識と無意識、夢と現実の狭間で再度〈白河と〉対決。「あなた様を超えてみせまする」と睨みつけた、瀕死の壮年清盛
挙げ句の果て
・「ここはわしの世じゃー」と〈白河その人〉に成り果てた、狂える老人清盛
これら「三者「は「別人」であってはならない。
人格の同一性が保たれないようでは、「1人の人間の内なる変貌」を目の当たりにしたことで
我々視聴者が受けた「驚き」の大半は、減殺されてしまったに違いない。 後白河も同様。
1 清盛との初めての双六勝負で、清盛を追い詰めながらも、幼児清太のせいで逆転負けを食らってマジ切れした雅仁
2 衰弱して死期が近づいた重盛を嬲り殺すかのように、双六勝負を強要し虐待した後白河
この「2人」は「同一人格」でなければならなかった。
「この先、清太に害をなしたら命はないと思え!」
双六盤を投げつけようとする雅仁に、清盛は剣を抜いて雅仁に釘を刺した。
その30年後、偏執狂であり、また驚異的な記憶力の持ち主(by信西)でもあった後白河は、「せっかくの楽しみを邪魔した」
この重盛を決して忘れていなかった。
一方で、鹿ケ谷事件で近臣西光、成親を失い窮地の後白河は、次なる反撃の駒を重盛に見出した。
和歌もどきによって、清盛の弱点が家族愛にあることを雅仁は見抜いていたからだ(多くが呆れた中、
真剣な表情で清盛の意図を読み取ろうとし、平氏の新棟梁清盛を見定めようとしていた)。
このような背景の下、サディストの本性も露わに双六で重盛をいたぶったシーンが、あの痛ましい2の場面。
ここで執念深い後白河は往年のお返しを果たし、併せて「重盛愛」で判断が鈍るであろう清盛を再び強烈に挑発した。
程なくして重盛は死んだ。待ってましたとばかりに、間髪入れず越前国没収の挙に及ぶ後白河。
しかし、今度ばかりは暴走する後白河に清盛の堪忍袋がプッツン切れた。大咆哮を上げた清盛は、大軍を率いて上洛し、
後白河一党を一網打尽とする。治承クーデターの勃発である。
以上を踏まえて、清盛ー後白河ー重盛の関係性から治承クーデターの勃発要因を探れば、
【客観的要因】
・重盛死に先立つ盛子(基実妻)の死→横領した摂関家領を後白河の管理下に置く(摂関家領横領と共に描いた)
・重盛死→越前国没収
→清盛平家の経済的基盤に対する重大な挑戦であるこの2つの歴史的要因をきちんとフォローした上で、さらに、
【主観的要因】
=30年前に後白河に忠告した約束を反古にされた
ことが、ドラマ上はいっそう重要な意味をもった。すなわち、
「あれだけ重盛に手を出したらタダでは済まん、と忠告したではないか。俺を舐めんなよ」と下した〈鉄槌〉(←30年前に剣で予告)
こそ、大河清盛における治承クーデターの核心部分である(究極の「虚実皮膜)。
である以上、1の雅仁と2の後白河は不可分一体の関係にあった。
この「マジ基地後白河」を、松田翔太を超えて演じられる役者がいるのやら存じ上げぬが、仮に唐沢氏ならもっと凄いと想像できたとしても、
雅仁を演じていない以上、そのような仮定の話は只々虚しいとしか言いようがない。 ・悪魔的な哄笑で仰け反らせる
・流行歌=今様を歌う美声のシンガー
この2つがゴッシー役に不可欠な必要条件。
唐沢氏は?知らんw >>583
哄笑はもちろんだが、唐沢寿明は歌唱力が高いことで知られている。音楽活動をしているし。
ダンスも上手い。
しかし、松ケンに比べたらキャリアも貫禄もずっと上だから、後白河として出てしまったらば清盛が位負けして翳むから無理だろう。 >>583
哄笑はもちろんだが、唐沢寿明は歌唱力が高いことで知られている。音楽活動をしているし。
ダンスも上手い。
しかし、松ケンに比べたらキャリアも貫禄もずっと上だから、後白河として出てしまったらば清盛が位負けして翳むから無理だろう。 >>583
哄笑はもちろんだが、唐沢寿明は歌唱力が高いことで知られている。音楽活動をしているし。
ダンスも上手い。
しかし、松ケンに比べたらキャリアも貫禄もずっと上だから、後白河として出てしまったらば清盛が位負けして翳むから無理だろう。 あらら、Mateの調子が悪くて三連投になった。
許されよ。 ハイハイ、おばさまの唐沢ラブはよーうわかりました
次の源平大河の折は是非、みずらの雅仁君になって日がな一日歌い狂い踊り狂ってくださいね、唐沢殿。
なお、清盛より10歳若い雅仁君に、当時50近い唐沢氏が起用される可能性は限りなく低かったと
言わざるを得ず、「一番の適任は唐沢氏だが、彼が後白河をやると松ケンが霞む」云々説かれても、
それは「心配ご無用」とお答えするしかありません。
もし、途中交代した後の唐沢氏の優位性を主張したいのなら、毎度のお願い飽きましたけど、
清盛同様、「いついかなるタイミング」でそれは可能なのか、>>581を踏まえて論じていただかないと。
もっとも、清盛は代わらないのに後白河は交代。あるいはその逆とかありなんでしょうか?
もし両者代わるのならば、唐沢氏と比較して「位負け」してしまう清盛役は、誰かもっと中年の
貫禄タップリの著名俳優ということになリませんかね?
さらに言えば、滝沢御大のように「貫禄ありすぎ」の後白河は、今ではもう通用しないでしょう。
唐沢氏が「立派すぎても」それはそれで問題です。
以上、昼間からネチネチ意地悪スンマセンでした。 私が視聴した中で、平清盛に最も近いというか、前駆大河として「信長」があると思う。
40話の浅井長政ドクロの話と信長、ロレンソとの対話、夢の安土城プロットなど、革新者が併せ持つまるで違う側面を深く掘り下げている。
キャストは派手だが、抑揚を抑え、時間の経過をしっかり辿る非常に稠密な脚本。
清盛にも通じるものがある。 >>589
同じく私も!緒形直人さんのですよね?の、織田信長思い出しました。子供の時に観たきりだから脚本がどうとかまでは覚えてないですが、抑えた演技でも信長の狂気や孤独が滲み出てて凄みがあったのを覚えています。清盛と似てると感じました。
清盛も信長も、パイオニアはみな孤独なのかな?しかも武士だと文化や技術のパイオニアと違ってバッサバッサ敵を倒していかないといけないから、より孤独だったのかな >>591
そうです。緒形直人主演の「信長」です。
同じ感覚を持った人がいたとは。
普段は概ねまともだけど、孤独でエキセントリックなところがあるゆえに言動の振幅が大きく、宗教の保護者であると同時に破壊者でもあるところなど、清盛で描かれた人物像と通底していると思いました。 孤独でエキセントリック?
本来の人間性という面からはちょっと違うような。後白河ならわかるけど。
しかし、時代に先駆けて修羅の道を歩む、孤独な権力者清盛の姿が確かに見られた。
清盛像に関しては、1落胤=初期設定、2無頼エピ、3考証高橋の学説、によって基本形が与えられ、
この基本形が本質的部分で不変であり続けながらも、大きく変貌していった。
当初はウジウジ出自に悩む孤独な青年でもあったが、同時にヤンチャで荒々しく開放的で人なつこい清盛でもあった。
自我危機は早々に脱してしまったこともあり、どちらかといえば、好奇心溢れ行動的なツッパリ青年
のイメージの方が印象に残った(武士とはどうあるべきか、忠盛に反抗しながら模索した部分含めて)。
精力的な壮年清盛はタフガイであり、規格外であっても、人間性や行動に異常さを伺わせるところがほとんどない。
出家後の冷酷なマキャベリスト清盛は、残された時間とやるべき仕事とを計算した上でのことで、
狂気ではなく清盛の合理性がもたらした変貌だろう。この時期の清盛が「修羅の道を一人行く」孤独な清盛※。
そうすると最晩年、狂気の闇に閉ざされた清盛は、「白河化」による一時的な逸脱と考えた方が良い。
現に最後は、静かなファイトを燃やす透徹した武士清盛へ戻っていった。
ということで、トータルで眺めた場合の清盛は、「孤独」「変」「狂気」といったキーワードよりも、
「豊かな発想をもち行動力も伴う、スケールの大きな常識人にしてタフな政治家」と評するのが相応しいと思っている。
粘り強い精神と努力の人清盛は(文武双方特記事項なし)、決して天才型ではなく、白河落胤説に立っても、
清盛の出世と栄達そして業績は、あくまでも人間力含めた本人の実力によって勝ち取り、
成し遂げたものであることに注意したい(忠盛が遺した大きな遺産=軍事力&財力を活用する才能も重要)。
※人間性の次元というより、巨大なものを背負った権力者に通有する姿だろう。 >>593
西郷どんスレからお戻りですか。
翔ぶが如くや太平記、花の乱スレとか、いろいろとボヤージュされてはいかが。 松ケンはうどんのCMみたいな頭のネジの足りない兄ちゃんが合ってるよ >>594
無内容な長文評論家やってないでたまには何か反論しないと、「清盛を見てみたい」と思い立った奇特なご新規さんが、
昨日も5人ぐらい生まれてしまったかもしれないぞ。
せっかく、一致団結して「反日駄作大河」「漫画大河」「ネタ大河」で2ちゃん世論を「確立」させたつもりだったのにさ。
「わたくしが悪ぅーございました」タマコ >>596
「どこまでも福々しげで憎らしいお方じゃ」ナリコ 長文様がカムロの職務に精励されているおかげで大河板の秩序が
たもたれているようやね乙 >>598
やはり碌な大人にならなかったですね。
長文さんは。 7月1日といえば「平治の乱」
ひとつの合戦を三週間にわたって取り上げるなんて
もう二度とないのかなぁと思った超高速生麦事件&ナレ薩英戦争 >>593
長文さんが元気でなによりです。このスレ立てたかいがあったなと。
しかし、麻生太郎によると、総理大臣とは「どす黒い孤独」に包まれてすごす生活なのだそうで、
最高権力者としての清盛が孤独だったという説には一理あるのではと思いますよ。 >>589-591
キンジパはあのOP曲が素晴らしいんだよな〜。
宣教師たちがどんな気持ちでジパングにやってきたのかというのを
現わしててさ。
戦闘シーンの凄さは流石にバブルw >>605
あんまり戦闘シーンには拘らない方だが、信長のは地味だが広さを感じて秀逸。 「ここから先は一本も通さん!」
一門じゃなかったイレブンが粘ってPK戦に持ち込み、
宗盛じゃなくって川島がドヤ顏で敵を睨みつけて弁慶の立往生してたら、
赤い源氏じゃなかった赤い悪魔ベルギーに絶対勝ってたよ。
残念無念
お疲れ様 誰が良かったか?清盛、後白河については、この議論はエンドレス。
もう2人挙げるとしたら、まさに頼朝と滋子だろう。
頼朝は、明らかに「京貴族のシティボーイ頼朝」をイメージした岡田マ起用であり、結果的に大正解。
反面で、覚醒後の頼朝には不向きとなってきそうだけれども、最後のほうの岡田マは日増しに逞しさを増して、
眼光鋭い武将頼朝へ成長していった(さらに続けて老獪な政治家頼朝となると、中井頼朝に軍配が上がるだろう)。
あっかんべーするお転婆少女から、政治に首を突っ込む強い国母までやらなければならなかった滋子役。
おそらく清盛と並ぶ難役であった。璃子ちゃんは頑張った、それで吉(雨に打たれながらの舞などは、納得いくまで
続けたという)。誰か適任の女優がいたら教えてほしい。
あさひ太夫は良かったのに、ブーイングばっかりで気の毒だった。シコメたちによるブス攻撃は論外として、
誰々と比べて妖艶さが足りないとか的外れの言いがかりに晒されて腹たったのでw、擁護した
(店の顔である妖艶で熟れた花魁ではなく、めったに顔を見せない幻の花魁であり、実像は20にいかない硬さの残る少女)。
まあ、恥ずかしながらその作品は初めて知ったw。2人とも頑張ってちょんまげ。 以前、滋子役の成海璃子にはもうちょっと頑張って欲しかったと
ボソッっとつぶやいていた長文さんが認識を改めてくれたようでなにより 棒読みもあれだが
そもそも声がダメ
あの優美さのかけらも色艶皆無のガラガラ声では
姫とか格式高い設定のキャラは無理
素がタバコすっぱすぱの下品なねーちゃん丸出し
見た目で言うと狭い額も貧乏臭そうで頭も悪そう ウェディングドレス姿の璃子ちゃん美しかったでー
西洋式がーのババアさまたち、諦めないで! byエア矢ミキ 義経で常盤、八重で照姫やった稲森いづみのもう少し若い頃が似合ってたかもとふとオモタ。
絶世の美女、気品、強い母、一面で策略家・・・
ただ、あっかんべーと豪放磊落な大酒飲み滋子はチト似合わないかな。
となると尾野真千子。しかし、庶民的ながらっぱちとはこれまたチト違う。
やっぱ理想の滋子役を探し出すのはたいそうむずい。 お馴染みババア連合に暇なオッチャンから成る愉快な仲間たちって、朝ドラの趣味まで一枚岩で団結するのね。
ある時は凄絶なバッシング、ある時はひたすらヨイショ。
半分青いは1秒も見てないので何も言えないが、みんなが絶賛する奇妙な光景に、八重前半と真田丸の既視感ありあり。
それで、どさくさ紛れでちりとてを「構成力がなってない」「カタルシスを得られない終結」と腐すスケートババアと来た。
平清盛とは一桁違うフリークを生んだちりとて、朝ドラらしからぬ緻密な作りが評判を呼んだちりとて対して大した度胸、
えらい頼もしいではないの。
しかし、俺は別にフリークではないが、「お母ちゃんのようになりたくない」と故郷を飛び出したB子が、
落語家の一生を断念して平凡な主婦に収まるであろうことは(密かに憧れる母ちゃんのようになりたい)
藤本ワールドからは至ってナチュラルな帰結だ。朝ドラは、カタルシスを齎して終わらなければならないのか?
実際賛否両論だったらしく、不満をもった視聴者が出て当然だけれども、「構成力がないので落とし前をつけられなかった」
などという難癖はまるで成り立たない。もちろん、フェミ的見地から怪しからんどうのこうのやるのはナンセンス。
そして平清盛もまた、「ジャンプの打ち切り」どころか、完全解に近い終結=落とし前をつけるフィナーレが用意されていた。
新平家の相当ショボい源平合戦を持ち出したり(一ノ谷の忠度を省略するなんてありえません。どこぞの駄作とは違いますドヤ!)、
あるいは、最終回合戦で死ぬ主人公を、しかもダラダラ引き延ばした大河を持ち出したりして、
清盛死後を清盛物語の完結という一点から隙なく纏め上げた清盛最終回を「ジャンプの打ち切り」と腐す光景は、
実に片腹痛かった(大河清盛は、その肉体的死では終わらない。しかし、清盛物語と離れて死後の出来事は意味をもたない)。
内容面からも、中途半端な達成度で終わった清盛の人生にカタルシスを求めるのは、本来筋違いであるのにもかかわらず、
哀れ盲目の琵琶法師に身をやつした羅刹が奏でる「祇園精舎の鐘の声」から、一気に「族滅の悲劇」を「希望の物語」
へと転調させて、海の底での喜ばしい一門の再会で閉じられた大団円は、本物のカタルシスを我々に齎したのだった。 おい長文。そんなにB子が好きならミスシャーロックも見たれや。
真田の淀様と一緒に事件解決頑張ってるぞ。
しかしA子はどこに行ったんだろ。美人なのに 長文様他スレの名文コピさせていただきます。どうか堪忍してくりしゃり
龍・平治の乱後の地味な政治時過程をフォローしつつ、昇竜の如き京の清盛と低徊する伊豆の頼朝を鮮やかな対比構造で連結した
【伊豆の流人(7.8%)、五十の宴(9..3%)】
・史上屈指の有意なオリキャラ兎丸の退場を、考え抜いた設定によりスムーズに成し遂げ、併せて時忠が発したミステリアスな
「平家にあらずんば」によって魅せた【兎丸無念(9.7%)】
・直接の事件描写のみならず、中期的な背景構造、長期的な因縁まで、長大なスパンで描かれた鹿ヶ谷事件。このような鹿ヶ谷描写は
最初で最後となるだろう【はかない歌(9.6%)、賽の目の行方(7.9%)、鹿ヶ谷の陰謀(8.9%)】
・治承クーデターによって頂点に立った「そこからの眺め」は漆黒の闇であった。内乱勃発の狼煙をあげた【以仁王の令旨(7/3%)】
・長大な清盛物語を一分の隙もなく締めるにふさわしいフィナーレとなった【双六が終わるとき(9.2%)、遊びをせんとや生まれけん(9.5&)】
なんとまあ素晴らしい一桁回のオンパレーだったのでしょうか?お前ら残念でしたw コラコラ、5分で書き殴った迷文コピペはダメ!
ついでに誤字恥ずかしいから訂正ね
・政治時過程→政治過程
・以仁王の令旨7/3%→7.3%
・生まれけん9.5&→9.5%
というか何で一桁だったんだ?これらの回。オリンピックとかは除いて。
何やっても20%いく朝ドラ。ブーブー言われた回でも何とか10%はキープできるその後の大河。
清盛だけ何でああ無情なんよ?謎謎謎
お父さん、オババ様たちおせえて! 尾崎豊みたく、ファンがこっ恥ずかしく、気持ち悪くて敬遠された大河ドラマ。
平清盛。 戦国や幕末だと「その時代だから見る」というベース視聴者層があるのが強いわな
昔は忠臣蔵や平家物語も基礎教養だったから戦国幕末のサイクルに混ざれたけど
今や平家物語は序文と那須与一の名前くらい知ってればいい方だし
忠臣蔵に至っては史実厨によって物語自体が破壊されてしまう始末
そんなわけで「忠と孝」の回は戦前戦中教育世代からとても反響が大きかったらしい
もし平清盛が10年前に製作されていたら数字はもっと底上げされていたかもしれないね プラスして戦国や幕末は漫画やゲームなんかのメディア展開も多いから
にわか層が入ってきやすいからな
天地人や真田丸ではあまりに無知なやつが多くてワラタわ 酔っ払って帰宅中、割と重要かなと思って書いたので再掲
>史実に忠実に作った平清盛は散々だったが
まーたそうやってオモチャの剣がーやるんか?
もう秋田よその臭っせーやり口。大河板に限らない煽りのための常套手段だけどな。
清盛は史実部分も創作部分も「同時に」分厚いんだよ。
これらがハイレベルで融合されている。
なので情報量が半端なく、史実部分を繋ぎ合せていけば、日本史上屈指の体制変動期であり、
時代相の目まぐるしい転変が観察される平安末期についての、立派な「お勉強大河」が出来上がる。
しかしそ一方で、その背後では、完全オリジナルと言って良い、極めて作家性の強い
フィクションとしての「一つの清盛物語」によって貫かれていた。
歴史を一生懸命再現しました止まりでもなければ、歴史はさて置いて人間ドラマを分厚くやりました
でもない。主客融合による虚実皮膜の物語。これこそが他に何処にも見られない大河平清盛の個性である。 銅銭を輸入した清盛、撰銭で通貨を統一しようとした信長。 「四女だな」
「グフッ」
不謹慎をお詫びした上で、どうにもこうにも思い出してしまった。
信西から忠正死刑の宣告を受けて言葉がでない清盛が発した「コトバらしきもの」がコレ。
人間茫然となった時に出てくるヴォキャというか発生音なのか。。。 >そういう層や頭弱、更には特亜に媚びることしか考えてないなら、もうNHKに用は無い
>「海賊王に俺はなる!」呆れ
>若年層を掘り起こしたいんだけど、ずっと駄々滑りなんだよね
>覗き屋シエでさえ良作に思えてくる
>日本とは思えないような乾燥した空気感と
特亜とか平気で使うババアどもが、海賊王がーって喚き続ける正体なわけね。
何ともわかりやすいでしょ。王家がー、反日がーも同じ連中ってこと。もうこちらではダンマリこいてるけどさ。
情けないババアども、正々堂々とこちらでやれ!
ちなみにラディヲ体操第2ヨーイのツイ婆さんも、常々「京を乾燥地帯に描いた無能がー」が口癖ですw
「今から2年前、中世研究の先生方にさまざまなお話をうかがいました。たとえば、平安京は当時、都としての耐用年数を過ぎ、内裏や焼け落ち、
都の西半分は水没、【日照りが続くと砂埃が舞って大変だった】とか、
清盛は自家用の宋船を持ち、福原と築島神社の間を乗り回していました。当時の貴族は中国語も話せた超エリート集団だったなど、
お話はどれも新鮮なものばかりで、遠い平安時代を身近に感じるようになりました。」
ドラマストーリーで、磯Pはこう述べている。つまり、白い粉による砂埃描写は、作り手が自分勝手に創作したものでもなんでもなく、
専門家の助言に基づいたものだ。もしそんなにデタラメだと主張したいのならば、平氏研究の権威である高橋教授始め、「中世研究の先生方」
に論争を挑んでこい。もっとも、その前提として、砂埃が舞ったからといって京を「乾燥地帯」に描いたことになるはずもなく、
アホらしい飛躍を改めてからにしたほうが良い。伏流水だかなんだかが豊富であろうと、巨大人工都市京は砂埃が舞う世界なのだ。 【参照】
まーた始まった。
京は湿地帯だからアスファルトの舗装があろうとなかろうと埃なんて舞わないーキリッ
万世一系のお上が住まわれる神聖な都が隣の国のように汚いわけないーキリッ
右京の湿地帯はとうの昔に宅地化されたが早くから衰退した、朱雀大路はペンペン草が生えていた、
羅城門はとっくの昔に破門となっており貧民の根城と化していた、インフラ未整備のため糞尿垂れ流し状態、
飢饉となれば疫病が猖獗し生き地獄、街は貧者・病者・孤児で溢れかえった・・・
しかし、このような有り様は反日制作陣のでっち上げにすぎず、本当の京は王朝絵巻から飛び出してきたかのような
綺麗で衛生的な都市だった・・・
そんなに出鱈目と否定するのならば、「真実の京の姿」を紹介してよ。
「アタシのキレイな平安どーしてくれるのヨォ」の婆さんさ。 >>629
いったい誰に対してわめいているのだろう。 >>631
毎度ながらわけわからんわな。このスレ以外の話題なら対象を示してくれんと
いきなり発狂して吼えてるようにしか見えん
>もうこちらではダンマリこいてるけどさ。
と書くならちゃんとダンマリこけよ
清盛ファンとしては迷惑以外の何ものでもない
本人意識では清盛護持する白馬の騎士なんだろうけど >>620
平清盛は現時点でNHKがつくった最後の大河らしい大河だった。
大河とはどんなドラマなのか、評者の定義によって解釈が異なるかもしれないが、
日本の歴史の表舞台の中心に一度は立った人を描くドラマだ、と定義すれば、
平清盛は充分有資格者だと思う。
ところが、とても悲しいことにこの大河は視聴率をとれなかった。それは御指摘の通り。
なぜ視聴率がとれなかったのか、NHK大河制作部門の混迷と原因究明の模索期、
(または空白期)が5年続き、試行錯誤の果てにつくったのがいまの「西郷どん」だろう。
現時点では、西郷が維新政府の中心人物に登り詰めるまではまだ時間が掛かる。
留守政府の事実上の首相として頂点に立ったあとが西郷どんの勝負所だろうね。
歴史上の人物としての西郷にしても、大河ドラマ西郷どんの後世の評価にしてもだ。 >>624
> 忠臣蔵に至っては史実厨によって物語自体が破壊されてしまう始末
この感覚にはある程度共感するけれど、しかし現代日本は様々な意味で移行期であります。
だから、昭和の前半までに確立した「物語」から、大河だけを聖域化できるかどうかは疑問。
第二次世界大戦以降の新史料発掘や網野史観など新しい歴史解釈を取り入れた史実オンリー
でもなく、だからといってオールファンタジーでない、例えば近松門左衛門提唱の「虚実皮膜」を
自由に行き来する「おとなのための、おとぎばなし」のような傑作大河ドラマがぞくぞく生まれる
ことを期待はするが、それは今はないものねだり、または時期尚早なのかもしれませんね。 >>629-630
> 伏流水だかなんだかが豊富であろうと、巨大人工都市京は砂埃が舞う世界なのだ。
> そんなに出鱈目と否定するのならば、「真実の京の姿」を紹介してよ。
長文さんがまた吠えてるけど、それでもおじいちゃん・おばあちゃんにとって「花の都」の京が
土埃の舞う荒んだ町として清盛で描かれたのは、おそらくものすごいショックだったのだろう。
すこしは彼らの心境を分かってあげなよ。
歴史学的に見て正しい再現が、演劇として受け容れられない者が続出したのは事実だから。
長文さんに燃料投下するようになって申し訳ないけど、地球の気温の長期的変動については
世界各国で研究が進んでいる。オーストラリアの研究チームがはじきだした過去2000年分の
地球の平均気温のグラフは、以下のようになっている。清盛が生きていた頃(1118年-1181年)
の平均気温は、実は現代よりも高い。
http://jennifermarohasy.com/wp-content/uploads/2017/08/Fig12.png
過去2000年間の気温変動曲線(青)とAIが出力した曲線(オレンジ)。
from
http://jennifermarohasy.com/2017/08/recent-warming-natural/
Most of the Recent Warming Could be Natural|Jennifer Marohasy
だから当時の日本の京も、ものすごい干魃とものすごい豪雨が繰り返す準ヒプシサーマル期
(=高温期)だったはずだ。そういう天候なら埃が舞っていなければ(歴史学的には)おかしい。
そんな気象条件の京を含む西国は、飢饉と疫病の蔓延に苦しめられた。
そして、この高温期は、京の都の支配者である貴族たちや通称・西国国家にとっても凶と出た。
平安時代中期以降、より北方の関東や東北南部への移民と開墾が加速的に進み、平泉には
黄金の寺が建ち、力をつけた坂東武者が鎌倉幕府を樹立して、西国国家から権力を奪取した。
大河平清盛には、そのペアとなる坂東武者の物語を、制作部門でおそらく準備していたはずだ。
でないと、源平合戦にならないし、大河平清盛という物語が、真の意味で完結しないからね。
いまは叶わぬ願いだろうけど、たとえば『草燃える』のリメイクとか、焦点を絞って「尼将軍政子」
(この人は賊軍の朝敵にされたにもかかわらず、逆に朝廷の官軍を打倒してしまう日本史上初の
快挙を達成したドラゴンレディーでしょう。女主人公が大好きなNHKがなぜ北条政子を主人公に
できないのか、私には理解しかねる)とか、いつか制作してくれないかな・・・
クーラーが故障して寝付きが悪く、長文さんに匹敵するくらいの長話をついつい書いてしまった。
いやはや。 >>636
あら、夜中に寝付きの悪い人がもうひとりいてますな。こんな時間に怒ったら駄目よ。
羊さんの数を数えながらでいいから、ちゃんと寝なさい >犬や猫、おもちゃの刀等で視聴者を釣るような姑息なドラマは悉く失敗に終わる。
>馬鹿な視聴者にも見透かされることをする大河はアホ。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
一生海賊王がー、王家がーと喚き続けて終わる、オツムすっからかんのアタシ
善男善女を「馬鹿な視聴者」と馬鹿にする、100万倍ど阿呆のババアのアタシは
「オモチャの宋剣」と戯れせんとや生まれけん♪ (大笑い)
しかし、オウムちゃんの働きは偉大やった。。
>しょーもない伏線に頼ることもないし
>一桁連発はないやろ
そりゃ、伏線を支える時空間構造が非常な強固な上に、その伏線たるや予測可能性ゼロ、
おまけに異なるシチュエーションで新たな意味を付与される難易度Aランクのものが目白押し。
なもんで、お前の足りない脳ミソはショートしてヒューズが飛んでパッパラパー・・・ご愁傷様でしたw
あれだ、100%信之が倍返しするだろうとみんなが予想し、実際その通りになった「黙れ小童!」あたりで、
ミタニン伏線すげーやってるのがお似合いかと。。。
>清盛は精霊と同じでファンタジー大河枠だから仕方ない
>あまり悪口言うとまたあいつが来てしまう
呼んだー?
えっ?アホウヨ&=ババアたちさアー
清盛は「本格王道歴史大河」枠なんだなコレがーヽ(*´∀`*)ノ.+゚
稀代のファンタジスタでもあるけんどよーウソ━━Σ( `Д´; )━━ン!!!
フィクションは他のすべての大河同様あっても
お前の好きな大河のように「インチキ」ではなく、
歴史と人物の核心へと向けられているんだよナーm(・ω・m)ソーリィ
>その海賊王を作ったスタッフが作ったのが 綾瀬主演のファンタジー大河
>あれは 東映の仮面ライダーや戦隊シリーズを作っているスタッフに作らせれば
>まだマシなモノになってた
つまりだ
「海賊王がつまらなすぎた」とする(たった2秒の青春活劇パートから全体を決めつける)
漫画脳1が現れて、「中味がつまらない」と述べたのに対して(おにぎりと並置したことからも
内容面であることは明らか)、
「海賊討伐は国政上の重大案件であり、その後の平氏と清盛の興隆にとって大きな意味をもった」
ーこの基本的な史実すら知らない漫画脳2が、「海賊王と同じスタッフがー」と喚いて、
ファンタジー大河精霊の「つまらなさ」は「清盛スタッフが作ったから」とその原因を解説した。
そこで非漫画脳が「スタッフは同じとは言えない」と指摘したところ(114)、
「人は見かけで90%で決まる」から「デザイナーが同一であれば同じスタッフ」
と漫画のような回答を寄せ、「大河がつまらないという場合、それは中味ではなくて外見のことだ」
なる画期的な漫画理論を打ち出した。イマココ。 >>640
暑さで病が昂じたか知らんが、荒らしに等しくなってきた。 >>637
長文でも読みやすさ、わかりやすさが格段に違う
長文さんも少しは見習えよ 文章力だけで相手を理解させないで
いろいろと各方面に煽る頭悪さだからな無理だろ
多分このレスにも噛み付いてくる こににちわ
オホホ、久々押しかけてきたかと思いきや、まーた長文恨めしやーでっか?
そんなビクビクしないでも良いっすよ、特亜がーのババアさまとか武将ナンチャラさまとかw
いつもいつも下手な長文を、腹わた煮えくる思いでお読みいただきすんませんです。
拙者、寸鉄人を刺す短文の才能ゼロゆえ勘弁してくれなんしょ、と100万回お願いしてあります。
こんな長文を我慢して読んでいただいた奇特な皆さまの中から、今なお中傷含めた激しい攻撃に晒され続ける
大河清盛に対して、新たに関心をもち、あるいは再見の意欲をもつ人がちょこっとでも現れれば・・・
そんな願いでやっております(逆効果がーのレスは省略されたし)。
このように、長文の名宛人は世間の人々であって、今さらババアどもに訴えかけるものではありません。
ところが、このババアたちときたら、無内容だと決めつけた長文に付き合うほどムダな時間はなさそうなものを、
わざわざ読んで下さっては怒りで身を震わせ、すっからかんのオツムの血管ははち切れんばかり。
さすが暇で暇で暇な遊び人が揃う愉快な仲間たちだけあります。
他方拙者、作品のみならず長文に対しても、憎悪の炎を滾らせ目を吊り上げたババアさまたちの
滑稽なお姿を想像するや、怒りならぬお笑いでお腹が千切れそうになってしまいもす。
改めて、大河清盛の魅力をネガから発信し続ける皆さまの弛まぬご尽力に対して、感謝申し上げる次第です。
それはともかく、今回もまーたまーた
【漫画、ネタ、反日大河清盛に「毒を吐き」「罵り倒して」、この史上最低の駄作を葬り去ったツモリ・・・
でいたのに、コアな歴史通で大河批評をリードしてきたアタシたち()のシコメ姿を晒す長文が憎ーーーい】
これだけっすか?
ババアさ、お前のオツムじゃ、たとえ「論理的かつ美文」を書いたとしても、精緻な清盛の内容を前にしては
パッパラパーとなるのは必定であっても、なんか中味ある反論なり意見なりないの?
(同じ女のくせに)かっ飛んだ怜悧な藤本女史のオツムに、パブロフの犬並みのお前らが嫉妬するのはわかりますがねハイ。
何が書いてあることぐらい、「お前の文章力ではアタシのオツムでは理解不能」でもわかるでしょ?汚盛がーよ。 今日のヒー様の吉之助への笑顔は、
平治の乱に負けて逃げてきた熊吉もとい信頼に初めに見せていた笑顔や
死に賭けの重盛に「清盛と協力してやろう」っていったときの笑顔だったな
おかげで、吉之助に長恨歌を聞かせるか双六をやろうと言い出す妄想をしてしまったw 本日AM10:35よりスカパー日本映画専門CHにて雷蔵の新平家物語を放送 凱旋場面でのとっ捕まった汚い海賊とか出自に悩む清盛とか、
雷蔵版新平家を参考にしたかもと思わせるところがあるね。
あとエキストラを大量動員した強訴の迫力は映画ならでは。
(そのノリで祇園社事件が江戸のチャンバラ活劇みたいだったのには参った)
まあ内容的には平板とトンデモの組み合わせでしたけど。 大河清盛以外では、86年NHK武蔵坊弁慶の平家パートが一番かな、
清盛、知盛などイメージピッタリだった。
https://www.youtube.com/watch?v=RKdYoUYnBow 【大河の清盛VOL24】小松家のヒミツ【番外編】togetter
「箸休め回」どころか、信西による政治改革を的確に紹介しつつ(急進的な改革が平治の乱の序章となったことも怠りなく描写)、
戦間期清盛についての最重要史実である太宰大弐就任を、相撲節会復興という一大イベントに絡めてドラマ化した「清盛の大一番」※。
保元の乱後の重要ポイントを、「相撲」をキーワードにリンクさせて見事にまとめあげた手腕が光る、隠れた傑作回である。
それが、このパブロフの犬並みの卑しいババアどもにかかると、このような嘲笑・罵倒・冷笑の嵐となるのだからやりきれない。
そろそろ遊び人仲間のレンちゃーんも迷惑だろうに、またぞろウヨ婆さんがアピールしているので、その醜悪さに反吐が出るであろう
読者には申し訳ないが、マジメに取り上げよう。
(なおこのシコメたちは、どんなに時系列、空間把握がデタラメだろうと、ミタニンすげーや昔は良かった―については、
作り手を罵倒中傷するどころか、何一つ疑問をもたない特殊なオツムと下劣な感性の持ち主たちである)
※
・翌保元2年(1157)10月、内裏修復完成→信西、財力による平氏の貢献を後白河にアピール→平氏一門揃って官位上昇
・保元新制の主要政策であった税制改革→清盛を太宰府へ派遣→地元のドン原田種直を半ば恫喝により傘下に(太々しくなった清盛※※)
→さらに西国支配&日宋交易支配のために超重要な大官=太宰大弐を欲する
→古儀復興策=天皇権威復活の柱であった【相撲節会】と絡め、観戦する後白河との【大一番】に勝利し見事ゲット
(「組まずに勝ちよった」by信西〜さっそく入手した唐物を用いて後白河の「好奇心」を刺激。古儀より今の流行が好きな後白河を籠絡)
もう一つ、重盛と経子の婚礼=政略結婚→ゴネるマジメ重盛を問答無用で【上手投げ】〜後白河最側近成親と姻戚となる。
※※
「あの戦より、わが夫の肝の座りよう、これまでの比ではございません」by時子。これを聞いた蝙蝠男成親は思案顔「こいつ使えそうだ」→妹を重盛に。 ★唖然茫然してしまうようなババアたちの空騒ぎに付き合うのは消耗だけど、手始めにコレ。
平 資盛 @sukemori_t 2012-06-18 00:34:51
あれ????保元元年の、保元の乱の頃お腹大きかったですよね?時子様。相撲の節会は保元三年なんですがwwwwwwwww←イマキガツイタヒト
平 資盛 @sukemori_t 2012-06-18 00:35:29
結局あのお腹の中にいたのはどなただったのかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwこれは大河史上最大のスルーかもwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
??魔王の小姓???? @mori1582oran 2012-06-18 00:35:54
@sukemori_t ハッ、ソウイエバ…
歌猫いろは@すけべツイ増量期間 @kanekoiroha 2012-06-18 00:35:58
@sukemori_t 二度も話ふっといて、結局誰が産まれたのやらw
ちょび @chobi_shepa 2012-06-18 00:36:01
@sukemori_t 三年身籠る…。弁慶?
すずのもみじ @momiji_suzuno 2012-06-18 01:07:15
あっ。そーだった。すっかり忘れてました。 QT @sukemori_t: あれ????保元元年の、保元の乱の頃お腹大きかったですよね?時子様。相撲の節会は保元三年なんですがwwwwwwwww←イマキガツイタヒト
また @wakakusujp 2012-06-18 00:51:39
Σ(゚Д゚) RT @sukemori_t: あれ????保元元年の、保元の乱の頃お腹大きかったですよね?時子様。 相撲の節会は保元三年なんですがwwwwwwwww←イマキガツイタヒト
★本当に消耗×100万ですが。。。
「殿も必ず勝ってご無事でお帰りください。そして、この子の顔をみてやってくださりませ」
時子がそっとお腹に手をあてると、清盛が驚きに目を見張った。
「ややが・・・」「今朝、気づきましてござります」
「かようなときに身籠るとは、きっと〈戦上手の子〉がうまれよう」
「まあ!おなごだったらどうなさります」
←「前夜の決断」。すなわち、保元の乱直前(1156年夏)に時子は身籠った。となれば、子が生まれるのは1157年だろう。
そして、2人の会話からは、文句なしにその子は「戦上手」となる重衡ということになる(疑う余地はない)。※※※
※※※子供たちの生年を西暦で示すと、宗盛1147年、知盛1152年、徳子1155年、重衡1157年。
いっぽう、
「同じ頃宮中では、清盛が膳の支度をした相撲節会が始まっていた」byナレ朝
→内裏完成から太宰府への清盛派遣を挟んだ相撲節会は、保元3年(1158年)の出来事であったことがわかる。
そこで、1157年に生まれた重衡は、1158年の相撲節会時では1歳になるかならないかという嬰児ないし赤子ということになろう。
当然のことならがら、物語上はいまだ何らの意味をなさない、どうでも良い、省略可能な存在にすぎない。
であるのに、何故、将来の重衡が(その後極めて重衡らしいキャラ造型が付されて登場し、最後大仏焼討ちで「魅せた」)。
赤子の姿で現れないと、「まだ生まれていないのかよpgr」「3年身籠っているの?pgr」「名無しを産んだのpgr」「重衡もどき?pgr」
「大河史上最大のスルーpgr」「キャラの使い捨てpgr」となるのだ?
ほんとにほんとに、卑しい品性以前に、こいつらのオツムは本当にお花畑なんかよ?
この間に無事、重衡は生まれた。しかし、赤子を出す必要なんぞこれっぽちもないからまだ出てこない。ただそれだけの話だ。 大蔵合戦における赤子義仲省略もまったく同じ。これも何度も述べた。何しろ、ヨイショする大河については、突如現れたり、
それっきりで登場したとしても、いたっておおらかなのに、攻撃すると決めた大河については、「人物整理の一般論」すら通用しない。
ここでもこのパブロフ犬たちは、為義vs義朝の骨肉の争いという文脈で、大蔵合戦を映像化した画期的な意義を理解すること
なんぞ夢のまた夢。やったことの意義を正当に評価するのではなく、ただひたすら赤ん坊の義仲が出てこなかった
一点を喚き散らしていたのである(当時の2ちゃんもそう。なぜか?こいつらが押しかけて大暴れしているからだw)。
まして、長期的・構造的な源氏の分裂と統合の中に大蔵合戦を位置づける視野を、こいつらに求めてみても始まらない
(義朝東国修行→東国武士性→帰還、自らは貴族性をも獲得。東国武士性は(粗野な)義平へ、頼朝は上品な京貴族の属性=分裂
→伊豆へ流された頼朝は、東国武士性を獲得していく=再統合)。
しかも、せめて義仲省略の意図を探り、清盛死後の源平合戦においても省略するだろうと予想するならばまだしも、
そんな想像力をもつものもいない。いたと思ったら、この婆さんは「当たった、当たった」「ほれ言ったことか、
無能な制作側がー、当てたアタシってえらーい」とドヤ顔してるんだから、もう何とコトバをかけてあげたら良いのでしょうか。。。
さすが「新平家は一の谷で討ち死にする忠度をきっちりやりました。どこぞのネタ大河とは違うのですキリッ」
「アタシのキレイな平安どーしてくれるのよぉー」で頑張ってきた、2ちゃん清盛特別攻撃隊センターFwだけありますわね。。。
ああ消耗、お休みなさいw 追加
それっきりで登場→退場
なお、人物の登場のさせ方、退場のさせ方双方について抜かりなかった大河清盛にあって、
為朝と義平は、フォローなしで(前者はそのまま、後者は「斬首」された旨のナレ)退場させた。
これもおざなりではなく、よく考えた上でのフォローなし退場であった。
すぐさま平治の乱へ向けてストーリーを進めた本作で、いわば数少ないエンタメ要員であった為朝の事後譚
への言及は、尺以前に本筋からの脱線でしかない。
また、同じく軍記物の名場面であろうと、義平斬首の場面を、現に映像化された戦間期描写の中で尺をとって
やったら、著しく前後とのバランスを欠き浮いてしまっただろう。戦間期の物語上、義平はすでに要らぬ人だった。
(何よりも重要なのは、清盛vs義朝→頼朝の関係性)。 でわ 所変わって読み直したら間違い。義平について訂正
戦間期の物語上→平治の乱後、清盛の一人勝ちとなった政治過程において、
義平はすでにストーリー上も過去の人=要らぬ人となった(ナレ死が妥当
ー何よりも重要で集中すべきは、清盛vs義朝→頼朝の関係性)。 6年前のツイをいまだに取り上げるとは…
この回あたり記憶乏しく妊娠問題はまったく覚えてない
もちろん赤ん坊出す必要は皆無だが二回も妊娠ネタにしたのなら
ナレででもその子が重衡と紹介するのが当然と思う
頼朝がいつの時点の設定で語ってるのか知らんがその後の因縁思うとね アララ婆さんだか、今や自称「同人誌系作家」となられた遊び人が降臨?6年も前って、今日も勝ち誇ってたんだけど?
暇で暇で暇なお金持ちたちがただツイで遊んでる分には、個人の楽しみを邪魔立てしたりはしない。
ところがどっこい、
自称歴史系ブロガーだのツイッタラーだのこそが、2ちゃんの歪んだ「世論」をミスリードする張本なわけね。
ババアババアばかり強調して済まぬが、オトコのリテラシーに執念の人にアール何とかさんと言った愉快な仲間たちも同じ。
問題の重衡だが、もし赤ん坊を出したのならば、「この子が後の重衡である」みたいなナレが必要だろう。
しかし、清盛は正当にも赤子重衡を出していない(清盛の大一番回で、時子が乳を与える姿などまったく無意味)。
なので、「保元の乱直前に身篭った」という描写があったのだから、その帰結すなわち生まれたことをハッキリさせるべく、
赤ん坊を出すべきであるし、せめてナレで言及すべきだとする批判のみが、辛うじてあり得る批判だ。
しかし、上述したように、既に「〈新たな子〉が生まれている」ことは、自然の摂理上もドラマの設定上も疑問の余地がない。
しかも、それが「重衡」という固有名詞であることは、その時点で特に意味をもったわけではない
(わかる人には「戦上手」から重衡であることがわかるが、わからなくても問題ない)。
したがって、そのことを視聴者にわざわざ「告知」する必要があったと主張したいのならば、「コレではまだ生まれていない」
との誤解を与える、あるいは「赤子重衡はその時点で(初の子重盛を授かり喜ぶ清盛のように)、ドラマ上意味をもちうる」
ことを説得的に述べるべきだ。
悪いが、「3年も身籠ってまだ産んでない」と訝しむ善男善女や、「赤子重衡を見たい」と当時切実に感じた善男善女は、
善男善女でないこのババアらを除いてまずはいなかっただろう。
赤子重衡省略という「アタシが見つけた世紀の大発見」から、「ヒトの妊娠期間すら誤魔化して平然な間抜けな作り手」
と勝ち誇るババアどもの滑稽な姿は、もはや醜悪というしかない。 >源氏は希義たんどころか坊門姫まで抹消されて、鎌倉幕府どうなるの?って>感じですけどもwww
www3つ。なんか可笑しい?毎日お小遣いたらふく貰って遊び呆けていると、顔に締まりが無くなっていくのか?
2人がいなくとも別に鎌倉幕府はビクともしないから。
頼朝大河であれば出した方が良いとは言えるが、これは大河清盛だ。平氏サイドについては、
新平家のようなデタラメを一切やらず、清盛物語に欠かせない重要人物をほぼ網羅して、しかも念入りにキャラづけした。
それで、知らない人の方が圧倒的だろう源氏のその2人は、「清盛物語」で如何なる意味をもつ人物なのか?
子供、兄弟、妻すべてを、脈略もなしに、しかもオギャーと声を上げた時から出さない限り駄作となるのならば、
お前の大好きなパッパはどうだった?アレいない、コレ出さない無能なミタニンがーって騒いだのか?
また、徳川方武将をバッサリ整理したことに文句はないのか?三成の一の子分に信繁をでっち上げるために、
島左近をモブにするような改変は問題ないのか?これで「西軍どうなるの?」とやらないのか?
兄弟
信綱、昌輝、昌幸、信尹(加津野昌春)、金井高勝、清鏡?
妻
正室:山手殿(寒松院殿)
子
信之、信繁(幸村)、信勝、昌親、村松殿(小山田茂誠室)、娘(真田幸政室)、娘(鎌原重春室)、娘(保科正光室)、
趙州院(宇多頼次室のち滝川一積室)、清光院(妻木頼熊室)、於楽 ツンデレ高ピー姫から、義朝を一途に慕って京へ上ってきたいじらしい押掛け女房由良。
常盤の存在に苦しみながらも武士の妻の鑑へと成長していった賢妻。
すべてを頼朝の成長と源氏の繁栄のために捧げた強き母そして妻。
愛する夫を「源氏の名に恥じぬよう雄々しく戦ってきてくださいませ」と送り出した気丈な妻。
時にはビンタを辞さず頼朝を厳しく躾け、為義処刑(親殺し)という残酷な場面に立ち会わせた教育ママ。
そして、今際の際でコミカルな恥じらいの言葉「と父が・・・」を口ずさむ由良。まさしくそれは
「義朝様フォレバー」なるダイイングメッセージであった。
為義斬首を見届けた頼朝は、父の期待に応えようと進んで元服を申し出た。
そこから父母の期待に応えて貴族社会に参入しつつ、源氏の誇りを身につけていった。
(画期的な上西門院殿上始めデビュー〜本邦初映像化だろう。ここで初めて会って粗相を働いた
清盛の「デカい」印象が、後々まで意味をもった→無気力、無抵抗、あんな人ではないとの失望)
義朝ー由良ー頼朝(+常盤)の三者関係もまた、平家大河とは思えない厚みで描かれたことがわかるだろう。
これをまったく評価することなしに、清盛物語からはどうでも良い希義がいない、坊門姫がいない、
ばっかじゃないーーとおっ始める、この連中の思考回路が正直ナゾだ。一事が万事この調子。 長文ドン、おいらのスレでようお気張りやしたな、おやっとうさんでごわす、
コピペどうかゆるいてたもんせ
平清盛の保元の乱と平治の乱は、1対1を基調とする「平安の戦い」(周りは見守る)を適切に描いていた。
にもかかわらず、当時2ちゃんでは、盛りに盛った軍記物を持ち出したり、酷いのになると、戦国大河や近代戦を基準に
「ショボい」と大騒ぎする連中が大量発生したのである(おたくらのことだ)。
もっとも、乱勃発までの経緯と戦後処理を重視した清盛では、本戦描写についても、ただドンパチ、チャンバラやることよりも、
「戦場における」人間ドラマに力が注がれていた。個別に特徴を見ると、
保元の乱では、軍記物の誇張を強弓無双ガンダム為朝一人に担わせるなど、エンタメ要素にも配慮していた。
勝敗について、最大武門である清盛平氏が後白河方について参戦したことにより、その時点でほぼ戦いの帰趨は決着した。
しかし本作は、そのような身も蓋もない客観的要因では満足せず、当代きっての切れ者学者ー信西と頼長ー両指揮官による「頭脳戦」
(孫子同一命題の真逆解釈)が勝敗の行方を大きく左右したと再解釈することで、保元の戦を勝ち抜かんとする両陣営の
意志と頭脳のドラマに置き換えた。
清盛vs忠正、義朝vs為義2組のタイマン対決も、刀と刀のぶつかり合い以上に情念と情念とが火花を散らす人間ドラマであった。 767日曜8時の名無しさん2018/07/14(土) 22:15:24.59ID:6lBeQxyI>>788
平清盛の保元の乱と平治の乱は、1対1を基調とする「平安の戦い」(周りは見守る)を適切に描いていた。
にもかかわらず、当時2ちゃんでは、盛りに盛った軍記物を持ち出したり、酷いのになると、戦国大河や近代戦を基準に
「ショボい」と大騒ぎする連中が大量発生したのである(おたくらのことだ)。
もっとも、乱勃発までの経緯と戦後処理を重視した清盛では、本戦描写についても、ただドンパチ、チャンバラやることよりも、
「戦場における」人間ドラマに力が注がれていた。個別に特徴を見ると、
保元の乱では、軍記物の誇張を強弓無双ガンダム為朝一人に担わせるなど、エンタメ要素にも配慮していた。
勝敗について、最大武門である清盛平氏が後白河方について参戦したことにより、その時点でほぼ戦いの帰趨は決着した。
しかし本作は、そのような身も蓋もない客観的要因では満足せず、当代きっての切れ者学者ー信西と頼長ー両指揮官による「頭脳戦」
(孫子同一命題の真逆解釈)が勝敗の行方を大きく左右したと再解釈することで、保元の戦を勝ち抜かんとする両陣営の
意志と頭脳のドラマに置き換えた。
清盛vs忠正、義朝vs為義2組のタイマン対決も、刀と刀のぶつかり合い以上に情念と情念とが火花を散らす人間ドラマであった。
他方、平治の乱では、「大将が前線に出て一兵卒のように大暴れする」大河、時代劇お約束の見せ場を断固排して、
終始六波羅の後衛(大本営)で戦況を操り、一つ一つ双六の駒を進めて逆転勝利に繋げた指揮官清盛が描かれた。
こうした平治の乱のマクロな要因、乱勃発後の刻々と変わる戦況を的確に描出した果てに、賀茂川河川敷されど2人以外誰もいない、
あたかも仮想現実のような異空間で挙行された「早すぎる源平合戦第1ラウンド」こそが、かの清盛vs義朝の一騎討ちである。
また、軍師官兵衛は山崎合戦など省略に近い扱いもあったが、そもそも戦国大河ですべての合戦を同じように金かけて
やるのは不可能であり、前半の局地戦や中国大返しなど、見ごたえのあるシーンもたくさんあった。
八重の会津戦争が素晴らしかったのは言うまでもない(再現ドラマ性と臨場感)。
花燃ゆとおんな城主は合戦を見る大河ではないからあれで良い。西郷はすべて西南戦争にとっておくものと期待したい。
12年以降で合戦描写面から一番物足りなかったのは、おたくらを激怒させて済まぬが真田丸。
大金かけた割には臨場感に乏しかった真田丸攻城戦(エキストラの突撃。例によって実質大将信繁が颯爽と飛び出して雑兵とチャンバラ)。
夏の陣ともなれば、上田にいるはずの信之が、ななんと決戦前夜に大阪城の奥深くに潜入して弟と対面する超絶ファンタジーに、
徳川方はほぼモブという大会戦の迫力とは程遠いチャンバラ劇。極めつけが殺風景なススキノ?で行われた信繁vs家康の「一騎討ち」。
こちらは清盛@異次元空間のようなロジックに欠けた上、ちょっとばかりの護衛がいるため「二人だけの世界」とはなりきらず、
現実、仮想どちらともつかない中途半端なものに終わった(「真田信繁、お前は戦いしかなかった男じゃー」なる家康の謎発言付き)。
そして、スワっ家康ピンチというところで都合良く秀忠が現れ、他方、信繁にはどこまでも便利屋の風車の弥七、じゃなかった
佐助が登場する水戸黄門の世界さながらの夏の陣と相成った。 【一騎討ちのロジック】
(前略)しかし、その前史においては、忠盛と清盛が源氏とのwin-winの関係を志向したことが重要で、このことを理解することが
平治の乱での「一騎討ち」を適切に位置づけるためにも必要だ。もっとも理解されず嘲笑されたのが一騎討ちゆえ再論する。
源平ライバルは、武家の覇者という一つの椅子を巡り、いずれはNo.1決定戦を挙行して決着をつける運命にあった。
しかし、武士の総体が未だ堅固な貴族体制に劣位する段階では、下手に戦って共倒れしては、旧体制を利するだけだ。
そのことを、深謀遠慮の人忠盛はきちんと自覚していた。
「為義殿、斬り合いとならば共に終わりぞ。源氏と平氏、どちらが強いか、それはまた先にとっておくことはできぬか?
[その勝負は武士が朝廷に対して十分な力をつけてからでもよいのではないか]」
この4話殿上闇討ち回(【源平棟梁間最初のタイマン対決】)における忠盛発言は、その後の源平間の関係を強く規定した
〜視聴者がずっと頭に入れて何度も反芻しなければならない台詞の一つ。
やがて軍事力を発揮して保元の乱を制したものの、清盛には未だ国政を担う力量もなければ、貴族を圧倒できるだけの力はない。
父の言葉をしかと受け止めて戒めとした清盛は、信西の知力を頼りながら国造りに参加し力をつけることが、何よりも大事な
喫緊の課題であると考えた。
他方、父親殺しに手を染めたというのに報われず、恩賞他あれこれ不満を覚え焦る義朝は、
「今は貴族たちに対して互いに力を蓄える時だ、我慢せよ」と自重を求める清盛からの再三の忠告を撥ねつけて、
ついに信頼の甘言に乗せられる形で、クーデターという途方もない軽挙妄動に走ってしまった。 【源平棟梁間二度目のタイマン対決】となった平治の乱での一騎討ちは、武士の力の総体が未だ貴族を圧倒するに至っていない、
したがって、武士の長者決定戦(歴史上の平治の乱の決着とは区別される)は未だ時期尚早の段階において、
「親の教えを守った清盛」と「守れなかった義朝」との間で挙行された「〈早すぎる〉源平合戦第1ラウンド」と位置づけることができる
(3話の競べ馬以上に4話からの帰結が重要。リアリティを欠く異次元空間は、この仮想現実ちっくな一騎討ちの場に相応しかった)。
そして、平治の乱後20年の時を経て、朝廷の内部に食い込んだ清盛の奮戦によって、時代はようやく
「武士が十分な力をつけた歴史段階by忠盛」へと突入した。
この段階で挙行された「源平合戦本戦ラウンド」こそ〈歴史上の源平合戦〉に他ならない。
ところが、頼朝の挑戦を受けて立ち直接出馬しようとした矢先に、清盛は熱病で倒れてしまい、頼朝との【源平棟梁間三度目のタイマン対決】
の機会(最終決戦)を永遠に失ってしまった。
清盛の死後、唯一無比の大黒柱を失った平家一門は運命に抗することができず、壇ノ浦に沈んだ。
かつて助命時に「俺の国造りを指を咥えて眺めておれ!、真の武士とは如何なるものか見せてやる!」と暫定敗者頼朝を突き放した清盛は
(髭切突き刺し=返還→這い上がって来いとの真意を政子が見抜く)、すべての勝敗がついて最終敗者となった後、
イタコ西行に導かれて陰府から現れ、サバサバとした表情で武士の世の建設を頼朝に託した〜「真の武士とは如何なるものか見せてみよ!」。
【敗者から勝者への志の継承】
そして長大な清盛物語は、ついに頼朝のラストワード〜「平清盛無くし:て武士の世はなかった」によって大団円を迎えたのだった
【勝者から敗者へのオマージュ】→1話冒頭へ回帰 以上、源平三世代が繰り広げた関係性の全体を、源平vs旧貴族体制の対立軸にも留意しつつ俯瞰することで、
さらにその中間点に一騎討ちを位置づけることで、それは「荒唐無稽なファンタジー」※※※どころか、平清盛という一個の論理的構築物に
不可欠な構成要素であったことが明晰判明するのである。
※※※歴史上の平治の乱について、原因、勃発までの経緯、勃発後二転三転する戦況、六波羅の後衛で戦況を完全にコントロールする清盛、
一人勝ちとなった歴史的意義、などを的確に描いた上での一騎討ちであったことを忘れるべきではない。
なお、愚管抄には、六波羅に迫る義朝の軍勢に対し、単騎迎え討たんと出馬する黒づくめのカッケー清盛の描写がある。
一騎討ちはフィクションであっても、シチュエーションや衣裳考証含め、無からでっち上げたものではない。 コラコラ!無断コピペじゃなく自作書いてよ、お父さんに清盛おばさんたち。
義朝正妻由良をクローズアップしたこと自体、本邦初の試みだろう。
知名度において義朝2号常盤と比較にならない正妻由良。しかし彼女は、鎌倉幕府を創始し日本の歴史を大きく動かした頼朝の、
幼少期における人間形成を担った、元祖ステージママのような存在だったかもしれない興味深い女性である
(史実はほとんど不明。だからこそドラマで掘り下げる価値あり)。
人間形成だけでなく、京の貴族社会へ仲間入りするにあたっても、上西門院と繋がる由良の存在は極めて大きかったはずだ。
しかし、これまでの源平大河は、彼女に対する関心を放擲して、絶世の美女である常盤をひたすらフォーカスしてきた。
この延長戦上にあるのが、義朝を滅ぼした清盛が常盤を妾とする著名エピ。
新平家で清盛&常盤の恋バナは、(総集編を見るかぎり)中盤もっとも力を入れたトピックですらあった。
大河義経でも、2人の間に生まれた能子なる娘が、源平合戦終盤、「女たちの平家」らしい役割を与えられた。
他方、大河清盛は、歴史の本筋からは外れた後世の創作でしかない「脱線恋バナ」をテーマ化することには些かの関心も寄せず、
寡婦となった常盤の妾化は、「身寄りをなくした敵方婦女子の生存に責任を持つ、勝者方棟梁の義務的行為」に特化させられた。
こうした妾常盤の扱いに対しては、「妾となった常盤を愛する清盛は源平大河の標準設定」との先入観を持つ者が多く、
「とってつけたようなお座なりの常盤手籠めストーリー」と腐す連中が続出した。
しかし、「そうなる必然性がない」という意味で「とってつけた」ストーリーは、「脱線恋バナ仕様」に話を盛った新平家他のほうだろう。
大河伝統芸である主人公の恋物語を尊重せよ、との批判はあり得ても、本質だけに集中した大河清盛における清盛&常盤が
「とってつけた」と難癖つけられる謂れはない。外から「付けた」のではなく、ムダを「取った」のだから。
以上、お馴染みの常盤物語に加えて、頼朝の母由良をフォーカスしたことで、「源氏物語〜源氏一族の物語」は格段に厚みを増し、
反対に、清盛&常盤を恋バナ物語としなかったことで(ガミガミ嫉妬する時子ではなく、理解しようと努める棟梁の妻時子)、
「平家物語〜平氏一門の物語」は(物語性も強烈であった一方で)即物的な性格を強めた。
この2つの対照的な取捨選択は、いずれも大河清盛がまずもって愚直な歴史劇であったことを示している。 CSの全く関係ない番宣で平清盛のBGMが使われててワロタ (∀゚)アハハハハ八八ノヽノヽノヽノ\/\
ヒー様、やっぱゴッシーですの >>619 >>633
A子の最高傑作は昼ドラの砂時計
主題歌を歌ったのは井伊直虎公。 島根が舞台となったドラマは
これと毛利元就くらいなのかな?? 今年のせごどん見てて思ったことは
清盛は音楽の使い方がすごく上手いということ 西郷どんはOPはかなり良いが劇伴がイマイチだな。
その点、吉松&タルカスは音楽面からも作品を強烈にバックアップした。
平安にフィットするか不安だったタルカスは、ここぞという時に威力を発揮し、
吉松が提供した音楽は、様々なパターンごとに最適なチョイスを可能とするだけの質と
多彩なヴァリエーションをもっていた。
そして、これらの名曲群を各シーンで縦横に使い切った作り手のセンスが光った。
しかし、中にはちょっとうるさい、ここは違うのではという感想を個々人が抱いても変ではないし、
少女が歌う「遊びをせんとや」の頻発な挿入はややクドイと自分も思った
(ただ、キーコンセプトゆえ執拗低音のように鳴り響き続けたこと自体は正解。
一方、主要人物たち〜舞子、乙前、忠盛、後白河、清盛〜が歌う「遊びをせんとや」がもった意味と作用を、
それぞれの文脈から読み解くことは、大河清盛理解に欠かせないハードワーク)。
いずれにせよ、清盛で「大活躍」した音楽の位置づけは、単に劇伴(主である台詞に添えられた従たる役割)
に止まるものではなく、脚本、演出、演技、映像らが渾然一体となって作品を生み出す上で、
欠かすことのできない主たる要素であり続けた(歌姫のアリアを引き立てる伴奏ではなく、
歌手と対等に渡り合う雄弁なオーケストラのようなもの)。 成海璃子ちゃんが、カーネーションの人による注目のオリジナルドラマに出るね。
問題児でもある吉田寮の話らしいが、大騒ぎとなった立て看問題に関するゴリラ総長の態度は、
先生が有しているであろうコモンセンスからは、まるで理解できない。
ともあれ、周りは新人だらけの中で、璃子ちゃんは座長みたいな役かもしれない。
超ムズ滋子に挑んだ経験が生きますように。 あれ、このドラマ貫地谷は出て無いのか。いかにもどこかで出てそうだったがw >Q.大河ドラマで前半に予算を使いすぎるとどうなる?
>A.知らんのか。鳥羽伏見から始まる戊辰戦争が全部同じセットwith倒木でスタジオ撮影になる。
‪>♯この悔しさから後の真田丸では大坂の陣まで予算が節約された‬
予算配分とは、メリハリをつけて稀少財である資金を投入すること。
そのメリハリをつける際に基本となるのは、当該シーンが作品の中でもつ重要性だろう。
歴史上の有名シーン、あるいはドラマ上力を入れるシーンには当然金をかけるし、それが大合戦ともなれば、
他を節約してまでも大金をかけたりもする。
しかし、それだけではなく、作品への関心を惹きつけ「客を呼ぶ」ために、初期の見せ場を派手に飾るのも、
一つの立派な投資判断だろう。
殆どの大河が、初期のイベントに大金をつぎ込むのは、決して全体を俯瞰する能力がないからではない。
清盛の海賊船も同じで、海賊回はいわば青春スペクタル回。金を注ぎ込み派手に花火を打ち上げても良いシーンだ。
しかし、さんざん議論されたように、大金かけた海賊船に費用対効果があったかと言われれば相当微妙で
(その後も使い回すことを見越しての大船建造であり〜葵の関ヶ原映像と同じ〜資産として有効活用されている)、
後半にしわ寄せがきたことは否定できない。
それは主として、大輪田泊や福原京の臨場感が欠けたことに現れた。
しかし清盛の場合、致命的に何かが犠牲となったということはできないだろう
(保元・平治の乱がショボいとするのは、単に平安の戦いに対する無知。清盛不在の富士川の戦いは大規模ロケに値せず。
まして清盛死後の源平合戦をそれ自体独立に取り上げるつもりは初めからない〜金がないからダイジェストとか笑止千万)。
むしろ、厳島ロケや金をかけたであろう福原のセットやハイクオリティな五節の舞など、まだ余力を見せており、
金欠で後半どうにもならなかったというのはフェイクである。
さっそく飛びついた婆さんは>海賊船のトラウマなんだと!まあ随分安っぽいトラウマ御ザーマスわねw
しかし、後半「チープの極みだった清盛の失敗」を生かして、真田丸の大坂の陣は大迫力だったーってホンキなんすか?
そう思ったのなら仕方ないが、人生の最後で花を咲かせた一発屋、真田信繁の大河で予算配分を考えれば、
どんな下手な作り手でも、予算の大半は最後の大坂に陣に取っとくに決まってるだろうに。
「悔しさ」でも、過去の「清盛等の失敗作」に学んだ叡慮でも何でもない、誰もがそうする常識的判断をしただけだ。 >その後、新島襄の幽霊が八重を慰めるとかの展開が無くて良かった。(ちら..とそう取れそうな描写はあった)
>大河にありがちな死者が生者と言葉を交わす演出が苦手だから、好きな大河でそれがあると若干げんなりする。
>盛大にやらかしたのが平清盛最終回…。名シーンなのは分かるけど…。
気持ちはわかる。
しかし、大河標準装備のユーレイ(独眼竜にも信玄にも翔ぶが如くにも出てくる)にあって、平清盛最終の清盛「幽体離脱」と
西行「イタコ」は、それ無くして清盛物語は終結しない必須の舞台装置であって、初めからユーレイで驚かそうみたいな
低次元の設定では決してなかった。
詳しくはもう述べない。
・助命シーンの落とし前をつけるためには、2人の間の「志の継承」がなされねばならず、そのためには宗教者西行が
イタコとなるしかなかった(東大寺再建勧進のため鎌倉へ下向し頼朝と面会したのは史実)。
・清盛幽体離脱は、その時西行は100%京にいなかったという史実からむしろ出発していることに注目すべきだ。
志半ばで死を迎える清盛の方から伊勢に「赴く」以外に、清盛が成仏する術はなかったのである。
さらに、一門との別れは清盛物語を終える上で欠かせないドラマであったところ、熱病でうなされあっという間に死んだ清盛
との間では叶わぬ情景だった(新平家では、まだピンピンした「生きた」清盛が一門と別れを交わす)。
ここでも、イタコ西行の助けが(ドラマの装置として)是非とも必要であった。
要するに、史実を尊重したがゆえの清盛と西行の超常現象なのであり、これ見よがしのユーレイとは
立脚点を正反対のところに置いた最終回であった。
なお、八重さんは満足した一生を成し遂げた女性であって、最終回で旦那から慰められる必要はどこにもなかった。
まだやりきれてない人生を死によって遮断された清盛と、晩年を大幅に省略して終了した八重を、
死者からの慰撫という観点から同じ土俵に載せるのはよろしくない。 死に際、単に慰めてもらいたかった清盛が見た夢。
西行は、実際にはさほどの交流がなかったのもあり、落ち目の清盛には恬淡としている。 さほどの程度によるが、「たった一人の友人」というのはウソ。かと言って「交流なし」とは言えない。
大河清盛は、時空間や家族構成といった基幹部分を弄ることについては、極めて禁欲的な態度を示したが
(西行が清盛臨終の場に駆けつけるのではなく、清盛が伊勢へワープ。cf上田に居るはずの正之が
決戦前夜に大坂城に潜入したり、馬廻り万能理論を前倒して、信繁を秀吉の「一の側近」に設えた真田丸。
また、新平家の「やってはいけない」家族構成弄りについては既出。政次の「家族殺し」も感心しない)。
清盛を巡る人的関係においては、いくつの例で(上記操作をやらずに)実際以上に濃厚な関係を設定した
(源氏との世代ごとの力関係を、主観面に投影させた義朝とのライバル関係〜もっとも、普段から馴れ合ってたのではない)。
西行との関係も同じで、清盛との間であったかもしれない交流を想像し、これをさらに進めて「友人」「助言者」
へモデファイしたものだろう。
同年生まれで北面の同僚。たしかに身分の差はあったものの、2人は職種上、横の関係で繋がる仲にあった。
狭い職域で出会っただろうこの若い2人が親交を結び、「共に未来を語った」可能性は否定できない(小林一彦「王朝の歌人たち」)。
その後、義清は崇徳の和歌サークルで才能を認められて、待賢門院や堀河とも浅からぬ関係をもった
(このあたりも史実を踏まえた脚色。その後ドラマでは疎遠となったが、流罪後、死後に至るまで崇徳を気遣った崇徳ラインの人。
ドラマでも、怨霊となり荒れ狂う崇徳を鎮撫し浄化し再び人間化して成仏させた力の一つは、西行の祈りである)。
また、和歌の名人でもあった忠盛とその子清盛との交流も途絶えなかったようだ(以下、五味「西行と清盛」)。
例えば、清盛最初の大仕事となった高野山造塔事業においては、折しも高野山に籠り山林修行へシフトした西行との間に
接点があったのは確実である(造塔関係者を集めて忠盛が主催した宴に西行が呼ばれたとのこと)。
出家したとはいえ、西行は現実社会の動向に対する関心を遮断して完全遁世者となったのではなく、
むしろ有力者との人脈を広げて独自の立場からコミットを強めていった(鳥羽臨終の際に現れて保元の乱を間近で目撃したのも史実)。
世間に敏感なアンテナを張ってここぞという時に表舞台に現れる西行の姿は、聖俗を往還する彼の立ち位置を反映したものだろう。
仏道と歌道を広めるために、宗教者としての務めを果たすために、あるいは荘園争論など世俗の揉め事を解決するために、
西行は自己の名声と出家者という自由な立場を最大限活用して貴顕、権力者にアクセスし、好を通じて目的を達しようと動き回る、
その意味で遣り手の「生臭坊主」でもあった(後白河とも。平家では時忠とも密な仲だったという)。
そしてその貴顕の中心に、北面以来の知己である政界最大のドン清盛がいたであろうことは、ほぼ確実だろう。
(ドラマで描かれたように、徳子入内で得意満面の清盛が盛大に催した福原での千僧供養(万灯会)では、
持経者として西行が同道している)。
こうした両者の関係を背景に、よりパーソナルで親密な関係をもった清盛と西行(精神的コンサルタント、数少ない諫言者でもあった)
へモデファイした設定は、主人公始め主役級の人物たち(敵、親友、ライバル、親子、夫婦、恋人、主従)の1対1の関係性を基本に
ストーリーを組み立てるのが人間ドラマである以上、十分首肯することができる(群像劇はこれらの総体が機能的に絡み合って構造化したもの。
単に複数のパートがあるだけでは足らない)。何しろ清盛は、各パートの人間模様が多彩なだけでなく恐ろしく濃かった。 682の正之→信之
生没年を誤魔化したり、そこにいるのは物理的に不可能な人間がなぜかいるとか(伊勢に飛んだのは生霊清盛で、
歴史上の清盛はあくまでも京で床についている。逆に歴史上の西行は京へワープしてこない)、
出しても意味がないので省略するのではなく、いると主人公にとって邪魔なので妻子、姉妹を「抹殺」する、
みたいな改竄はやるべきではないけれど、
そうする理由が説明できて、それでドラマが面白くなるのなら絶対許されないとまでは言えない。
その意味で、新平家の改竄は、逆に平家のホームドラマをつまらくしてしまった点で大いに疑問。
【参照】
家盛を消し去り、経盛が次男で、しかも清盛共々祇園女御腹で、次世代の重盛はななんと時子腹。
これでよくもまあ「平家のホームドラマ」ができましたね。
これでは、棟梁の座をめぐる正妻の子家盛と清盛との確執と争い、さらに、上昇した平家一門〜源氏と異なり
仲が良かったとされる「一蓮托生」の平家にあって、見逃すことのできない対立軸をなした
時子(時忠)&宗盛vs重盛(明子腹)が繰り広げた水面下での葛藤など描きようがありません。
これらは、平安末期の主要アクターである平家の内部問題が、歴史に作用した重要な一コマであって、
単に平家のホームドラマにとどまるものではありません
(家盛が早逝しなければ清盛は歴史の舞台に登場しなかった、あるいは保元の乱で真っ二つに割れたかもしれず、
また、重盛孤立化は政界の勢力地図に与える影響大)。 大河清盛は「板挟みとなり心身をすり減らした重盛」をテーマ化したが、晩年の重盛は
一門から事実上離脱して後白河ー成親ラインに位置した、と考える学者もいる。
清盛ではあくまで水面下の心理戦止まりだったが、いずれにせよ腹違いの兄弟がもつ意味は大きい。
最愛の妻と言われる明子にメロメロになった清盛くんと、「もうそなたで良い」で片づけられた時子さん。
こんな青春時代の恋バナでさえ、後々生ずる一門の亀裂を踏まえた対比であったことがわかるだろう。 晩年は松平健にやって欲しかったな。大河常連だし。
直虎の武田信玄みたく。 えっ?海賊回での清盛vs兎丸のチャンバラ、それによる自我危機吐き出し合戦とか
(海賊回は相対的に好きではない。しかし、その後を準備する上で非常に重要な、「少年ジャンプがー」
たちには及びもつかぬ、内容がギッシリ詰まった、その意味で逸することができない回)、
清盛vs義朝のライバル設定なんかは、たしかに漫画的要素がある(何故いけないの?)。
しかし、信西絡みが漫画チックとは如何に?
「誰でもよーい」と穴で出会ったコミカル信西から、穴から清盛を求める悲痛な叫びで終わった
シリアス信西への変貌のことか?
ちなみに頼長との関係性はかくも凄かった↓
焼けた頼長邸から見つかった日記を読み涙する信西のシーンは感動的。
宿敵を葬り去った信西は、ここで改めてかつての同志頼長の志を受け継ぐ決意をなし、以後、粉骨砕身の覚悟で精勤し、
すべてを国事に捧げた
(徹夜で算木を動かす信西の姿は愚管抄から。しかし、性急で強引な改革が怨みを買い、あっという間に没落してしまう=平治の乱)。
最後に頼長の名誉を<回復>させた上で退場させた点は、確かによくある手法かもしれない。
しかし、山本耕史が読み上げる形で紹介された台記の内容ー私心を廃し公に邁進せよ。名誉に囚われるな、
等の訓戒を息子たちに与えるーは、登場以来描かれてきた頼長の姿そのものであって、
突然降って湧いたような美談ではまったくない(苛烈な人格が時に行き過ぎた粛正や鬼畜な振る舞いとなって現れたが、
藤原摂関家再興への願いもまた、私益ではなく国家社会の立て直しを求めるためであったことを思えば、
頼長は何よりも公に奉仕する国士であった)。
信西と頼長との関係性の推移にしても、綿密な捕捉がなされてきた(論語<ハーモニー>→祇園社事件をめぐり対平氏
への対応で<亀裂>〜現実主義vs復古主義→摂関家排除を目論む信西に頭の固い頼長は翻弄されていき、ついに「謀叛人」
に仕立てられ<決裂>→保元の乱軍議での孫子<真逆>解釈対決→死せる頼長と関係修復=<再結合>、そして志の継承)。 に仕立てられ<決裂>→保元の乱軍議での孫子<真逆>解釈対決→死せる頼長と関係修復=<再結合>、そして志の継承)。
ということで、井伊直弼が最後イイ人になるかわかりませんが、この緩すぎる稀薄すぎる途中プロセスからして
既に期待薄と言わざるをえません。ー 久々見たけど長文揃い…まぁ名作だよね!
特に保元の乱までの神っぷりったら〜 >叔父を斬首してでも支持した信西は自害、で清盛逆上「全てが終わりじゃ」、
>一方義朝は「源氏か平氏、いずれが強いか」話がちと強引。
>脚本若干迷走。
いやいや、強引だったのは脚本ではなく、忠盛が提言し為義も受け入れた「源氏と平氏、
いずれが強いか双方が十分な力をつけるまでとっておこう」との約束を守れず、
機が熟していないのにクーデターに加担してしまった義朝ですよ。
この場面が、迷走どころか4話からの太い線で結ばれたものであったことは、早まった義朝がこのセリフをリフレイン
したことからも一目瞭然です(さらにこの線は源平合戦まで伸び続ける。平治の乱はいわば中間点)。
義朝が突出したせいでもはや止められない。既に歴史は平治の乱へ向けて不可逆的に動き始めた。
時期尚早でやりたくないが、もはや受けて立つしか選択肢はない。
これが物語内在的な展開としての平治の乱、そして一騎討ちのロジックです。 >>695
アンカー無しで引用するなんて、いくら何でもひどい。 たまにふたばちゃんねるのノリで書き込むやつがいるな >うーん。モロミツは西光になったけど、信西を慕いつつも裏切っている設定なのか、単純に信西忠臣なのか。
>平清盛なら単純はないと思う
このおばさん初見?凄いセンスある人ゆえ取り上げた。
最後までちゃんと見て初めてわかる。それどころか、2回目、3回目でようやっとスコンと腑に落ちた・・・
みたいな話が目白押しの清盛。
こういう真価を捉えるためには何度も繰り返し見ることを強いる類いの大河が、日曜8時に求められている
とは俺も思わないわさ。
上の話で言うと、「信西原理主義者西光」と、信西に教えを受けつつも、教条主義とは離れて「新たな事態に柔軟に応用」
した清盛との差異。つまるところ、単純と非単純との差が構想力の差となって現れ、鹿ヶ谷の決定的対決へと
2人の「信西の使徒」を導いたのである。 今週の「西郷どん」慶喜、吉之助の決別シーンは平清盛へのオマージュ。 >考証ガン無視はイカンですよね。その辺『平清盛』も考証担当と上手くいっていなかったようで、
>熱意の割にチグハグな作劇もそこに起因するのではないかと
なあなあ、北の将軍さんさ。2ちゃん与党の領袖さんさ。「昔は良かったー、昨今はくず、
ただし風林火山と八重前半と真田丸はー」で「世論」をリードしてきたつもりのオッさんさ。
シエだのボンクラ官兵衛だの、見事な侮蔑用語を発明して、創作者たちを中傷するのが生き甲斐の暇人さ。
「ようで」とか伝聞ですらない妄想でケチつけるのはもういいから、
「チグハグな作劇」とそれが「考証を無視した暴走」に起因することを、もちょっと実証的に
忠犬ハチ公じゃなかった、金魚の糞たちに説明してあげなよ。 >Bの例として三谷氏の名前をわざわざ挙げているのは、『真田丸』の製作姿勢を羨ましく思っておられた
>からかなと感じます。と同時に、『真田丸』考証者たちが、信繁でいくと聞いてNHKの本気度を感じた、
>三成が治部少丸に逃げ込むのをドラマとして描いてもらったと語っていたのは、まさにそれまでの
>時代考証者たちの怨念を背負っていたのかも(考証者の立ち位置も信繁そのもの笑)と感じました。
しかし、L某の金魚の糞たち笑わせくれます。笑いで引き攣ってきそうです。
講談の幸村ではなく史実の信繁でいきますキリッまでは良かった、期待した。しかし、実際はどうだったか?
描かれた信繁が歴史上の信繁に寄り添うものでなければ、このような他大河を上から目線で見下す
真田自慢などできないはずだ。
しかし、実際は違った。大いに違った。他ならぬ考証が発見した一次資料をガン無視して、あどけない幼名弁丸ではなく、
初めっから元服済みの青年堺信繁が本能寺に安土に大活躍。
結果、前半のほとんどは、歴史上の信繁の歩みとは何ら重なることのない実質オリキャラに終始した。
第一次上田では、一人説に飛びついて参加したことにし、大坂では、馬廻り万能理論を前倒した秀吉の腰巾着。
小田原では、父と兄と共に別働隊で実践経験を積んだ武人信繁よりもずっと重要と考えたのか、それとも
味噌汁氏政で受けを狙ったのか、開城交渉役に大抜擢される超ファンタジー(事前の下交渉なので「何とか官兵衛」の
業績を奪ったことにはならないとのこと)。
その他諸々、「史実の信繁でいく」とは真っ逆様の姿勢で貫かれていた。こういうのを「やるやる詐欺」と呼ぶ。
せめて、そんなPたちのたわ言に惑わされて「他とはレベルが違う、考証スゲー」ではなく、「考証をあれこれ言われるのは
要するにつまらないから。真田丸は面白いから誰もが納得。流石は三谷さん」と開き直ったヲタたちを見習ってもらいたい。
>真田丸は逆に考証に引きずられた感があります。特にスケジュール。
★たしかに真田は、根幹の部分で考証自身が「デタラメ」に積極的に加担した(細かいところで物凄く仕事したことは否定しない)。
スケジュールの話なんて些細なことだ。さらにさらにたしかに、ブレーキどころかアクセル役を務めたという
意味では、三谷と「上手くいっていた」。 しかもこの御仁、やっぱりというか本籍地はネトウヨ方面であった。
王家がーーーーー
皆さん合点がいくでしょ、おやぬみ もうそなたでよかー
ここはあっさり時子コースにしてもらいたかった糸どんとの再婚話 少しは恋バナも混ぜていかないと
F3=オバサマ方の視聴率が食いつかないので…
ってまだ見てないけど 見終わったら割と悪くなかったかなーという
ただ8月にやる話かコレ?感はある 松ケンからマツケンへチェンジしてたら視聴率は確実に高くなっただろうが、
大河清盛という一つの物語が持つべき統一感は完全に破壊されてしまっただろう。
で、いつチェンジするの?と聞いても永久に答えないんだろ?
年齢操作をやらなかった代表例が武者丸6歳を玉木が演じたアレ。
清盛の晴れ舞台となった石清水八幡臨時祭の時、義朝はまだ幼名時代であったが、
既に元服したように改竄するのではなく、また子役を使うのでなく、大人の玉木が子どもを演じる無理の方を選択した。
・本役松ケンに変更済みの清盛(元服済)に合わせた〜「同世代のライバル」設定
・わずか2分程度の出番で遠目から清盛を眺めるアングル
・ここだけ子役はいっそう不自然
・元服済みの義朝とすることは史実を歪める(特に実年齢が問題となる場面ではないないので、アバウトでも
許されるところだが、幼名時代であることは蔑ろにしない)。
このような事情から、無理を承知で玉木が武者丸をちょこっとの時間、演じたのだろう。
よく考えられた選択だったと思う。
大河で数多見られる実年齢と役年齢との乖離について、清盛の玉木を真っ先に挙げて嘲笑するなど
もっての外であるし(主役の年齢をサバ読んで、それをおっさんが延々と演じ続けるのとは訳が違う)、
清盛おばさんたちも揶揄うだけでなく、なぜこのような無理を断行したのか推察してほしい。 >>709
50の宴で替わるんだよ。
丁度いいだろ。 松ケンは前半より後半のほうがはまり役だったから交代は逆効果だな
視聴率?そんなの関係なーい >>710
良い訳ないだろ。
だいたい清盛は、これまでの源平大河と違って、平治の乱後の過程をすっ飛ばすようなことをせず、
その間の清盛を連続性を保ちながら(断片的、飛び飛びではなく)線として描いている
(一気に太政大臣、次は出家とはならない)。
位人臣を極めた太政大臣が松ケンで、その次の回がマツケンとか悪い冗談でしかない。
しかも、屈指の芸術回であり、過去との往還を繰り返す次の次の白河院の伝言回で、
死の淵を彷徨う清盛がマツケンというのでは、すべてが台無しとなる。
これまでの前半生を振り返るこの回が、前半生を演じた役者と別人が演じたらどうなるか、
マツケンに置き換えてちっとは想像してみなよ。 >>712
清盛を演じた経験のある松平健、まさに適役だよ。
貫禄、風格とも適している。声に落ち着き太さ(マツケンは若いから無理?)があり、しかも風雅さも感じさせる。
https://stat.ameba.jp/user_images/20160520/11/matsuriouji/9f/ae/j/o0480034113650695906.jpg
歴代大河での好演も光っているしね。 松ケンの演技は大河向きじゃなかったけど
あの年代で平清盛演じられそうな、知名度ある演技派は思いつかないし
あれで良かったと思う
Lやド根性蛙なんかの漫画キャラクターや、繊細な今風の若者を演じさせると
すごく上手いけど大河にはどうも向かないっぽい
でも後半の演技は結構好きだった 清盛を差し替えると後白河も差し替えないとバランス悪いし
平家ファミリーも同様だから考えるだけ無駄
それに今回の大河清盛は白河御落胤説を取っていて血筋上は公家の子だから
武士らしい個性を持った俳優より公家らしいほうが良い
松平健で白河の御落胤だと想像するのは無理 長文が憎いじゃなくって好きって、明日地震が起きたらどーするw
だからさ、マツケン清盛の素晴らしさをどれほど力説しようと、
松ケン清盛とのチェンジは可能か、それはどのタイミングかについてきちんと説明し、
みんなを納得させない限り、まるっきり無意味だから。
それに、後白河のみならず、時子はどーするんだ。
要するに、マツケンが良いからだけでは決まらないんだよ。 >>719
時子は深田恭子で構わない。替える必要は毫もない。
後白河は渡部篤郎か坂上忍にでも。これも大河、時代劇常連。 松ケン素晴らしいとか、無理やり思い込もうとせず、是々非々で。 明子さんベタ惚れの清盛君から、「ロクでもない」求婚をされて後添えとなった時子さん。
棟梁の妻としてはそれはそれは粗相ばかりで、清盛殿から「明子だったらこんなことあり得ん」
と目一杯傷つけられた時子さん。
でありながら、夢見る源氏物語ヲタの少女が抱いた幻想からは程遠い旦那に、しっかり愛情いっぱい寄り添い、
試練にぶち当たって凹む無粋な清盛をしっかりサポートして励ました時子さん。
ふだんは棟梁の妻の分際を弁え、清盛の背後に隠れて決して出しゃばらず、清盛不在の緊急時にはここぞとばかりに
テキパキと一門に指示を与える未来のゴッドマザー時子さん。清盛と共にどんどん成長していった。
でもでも、ポーカーフェイスの下に隠しきれない明子さんへの嫉妬から、殿下乗合事件では、
清盛と時忠との阿吽の呼吸による重盛孤立化に加担してしまった時子さん。
四面楚歌に陥った清盛に「もう良いではありませんか」と懐かしの源氏物語を引き合いに優しく慰める時子さん。
最後はもちろん、かの壇ノ浦ダイビングで決然と果てた時子さん。
大河平清盛は、時子の小一代記という観点からも出色だった。このように時子を分厚くフォローした時代ドラマは
おそらく一つもない。そして、このように息の長い造型が施された時子に、深キョンは猛烈にフィットしていた。
深キョンを年増の大女優(ex松坂時子)にチェンジする余地はそれこそない。
こうなると、長年寄り添った深キョンの旦那が、突如松ケンからマツケンとなるグロテスクもご勘弁願いたい。 >>725
連ドラで主役を中途交代なんて信者以前の問題だろ
「炎立つ」のようにオムニバス形式ならともかく
主人公一代記で子役ではない本役を当人のみ交代させるなんて愚の骨頂
しかも理由が視聴率対策だなんて浅はかすぎる あと上にも書いたが、常盤妾化に対する深キョン時子の態度も、本作の時子キャラを端的に示すものだった。
ガミガミ嫉妬する松坂時子と違って、深キョン時子は、棟梁の責任をきちんと理解できる妻だった。 凡人の妊活夫婦が似合ってるよ松山深キョン
ただ深キョンには相変わらず嫌われてた様だな >>727
> 連ドラで主役を中途交代なんて信者以前の問題だろ
でもやってるよね。2011年下半期のカーネーション(尾野真千子→夏木マリ)だって、
歴代最高視聴率をとったあの「おしん」(小林綾子→田中裕子→乙羽信子)だって。
だいたい、青年期と壮年期と老年期でそれぞれガラリと変貌する清盛は天下の難役だ。
周期的に交代論が出てしまうけど、松ケンはその難役に全身全霊をかけて挑戦した。
カメレオン俳優松ケンは未熟だったように写ったかもしれないけど、よく頑張ったし、
それ以外では得られなかった独特の良さもにじみ出てるよ。 大河の主役は頑張ればいいってもんじゃないのでは
プロなんだからちゃんと魅せろよって言う >>733
だから松ケンは中盤から後半のほうが評価高いじゃん
序盤で切った人には解らないかもしれないけど 天下の名作カーネーションも、そのチェンジに賛同する人はほとんどいない。
女学校時代からして凄かった尾野真千子が、晩年をやれなかったとは思えない。
実際、お婆さん役もその後立派にやったはず(長谷川町子物語)。
一個の人格である主人公を一人の役者が演じきることが、作品の統一性を維持のための基本ルールだろう。
このことは、短命主人公のみならず、「変わらぬ人格の内なる変遷」を追うためには、長命主人公
についても当てはまる(ただし、絶対的な原則ではないーたとえば、23ぐらいで人生のピークを迎える
伊達政宗は青年期の比重が大きいので、一人青年を中継ぎに挟んでもそんなに違和感はなかった)。
そして、間違いなく言えることは、松ケンは老人清盛を見事に演じ切ったということ。
しかし、何度も言うが、過去作の中で飛び抜けて松ケンがダメとかどこから出てくるんだ?
いちいち名前は挙げないけど、役者のポテンシャルから言えばどう見ても上位の部類だろう。
実際、その後、映えあるブルーリボン賞を取った。しかしそれは、清盛後に突然変異的に上手になったのではなく、
隅から隅まで万全ではなくても(役柄上あり得ない)、清盛の段階で既にその力量は発揮されていたことを物語る。
「若すぎましたー」の一言で片づけた連中は、松ケンが研鑽を重ねて臨んだ老人清盛の演技そのものを見ていない。
こうして弱冠27歳にして、「頑張った」だけではなく、「結果」を出した松ケンに対して、1年間叩き続け、
終わった後もメジャーマスコミレベルでは酷評だらけ(作品評価も)という事態は、今振り返ってもおぞましい。
(ソーカがーは省略のこと) >>735
おそらく、ふかーい事情があったのだろうけど、「そのときの」尾野真千子には演じられなかった。
仕方がないさ。朝ドラは新人女優の登竜門だ。いろんな意味で立場が弱い。 松ケンがダメという訳ではない。
後からもっと違う、徹底的なピカレスク清盛を演じて欲しいね。
若い頃の清々しさがすっかり消え、やることに手が込んできた炎立つの源義家みたく。
また、頼朝や得宗の悪い役でもよい。
今の大河に決定的に欠けているワル。もっと穢れた役を。 てか松ケンは後半のほうが演技良かったんだから役者チェンジしたら意味ないじゃん
前半の演技はそこまで好きじゃなかった >>738
ケンちゃんは精神年齢が中学生でストップしているからムリ 後半な清盛はピカレスクとかで一括される単純な人物ではない。
よーくババアたちが喚いていることの一つだが。武田信玄やキンジパの爪の垢呑んで出直せ!ってw
何故に清盛とはまったく異なるキャラをもつ2人を持ち出して単純比較するのか、例によって不明。
この点については、かつて長ーいの書いたがry。清盛の一生をトータルでどう捉えたかの問題だ。
そもそも、晩年の逸脱はあったにせよ(出家後のマキャベリスト化と治承クーデター後の「白河化」という
異なるロジックをもつ2ステージを用意した)、後白河との協調路線にしても外戚戦略にしても、
権力奪取に至る清盛が採った手法はバランス感覚に富んだ外交的手腕によるもので、
非道な暴力や悪辣な謀略を用いない極めて正攻法の道を歩んだのが清盛の特徴である。
言うところのピカレスクのイメージとは遠い(後半のワルぶりも「小悪党の冒険」なんぞとは無縁)。
それにしても、主人公善人化、主人公上げ(他下げ)大河の代表例として清盛を挙げて、
「清盛をただの善い人にちっちゃく纏めてー」ってさ、例によって目が・となりますでゴワスw >>738
なんで清盛をそんな悪人にしたがるの?
頼朝や義経を見逃してしまうくらい甘い人なのよ そだねー
杉田某みたいのがスタンダードになった感のあるアベ政党に
大きな魂を売って小さな果実を得るコウモリコバンザメ政党だと
藤原成親じゃなかった阿呆太郎じゃなかった山本太郎が金言吐いてたわ
だからといって松ケンの評価がソウカがーによって台無しとなることはない
たった今ワンクリック電子版にて話題の立憲民主枝野の大演説をゲット
教養知性論理力品性感性雄弁誠実等々すべてを著しく欠くアベの「反面教師」だわね
なお清盛は文武双方特記事項なし。コレ結構大事なポイントだよ
自らを知り自らを制御できる粘り強い努力の人ってことね 後半だってもっとうまくできた人いるんじゃないのって話かな >>748
だから主人公だけ交代させてどうするの?
松平健が深田恭子を侍らせてる絵柄とか確実にキモいし
松田翔太とのバランスも悪い、経盛知盛頼盛と兄弟と言われても疑問
この辺全取っ替えするならもはや別のドラマだよ、実現性皆無 >>746
保元物語、平治物語、平家物語がこのドラマの「原作」といえるような存在だけど
総じて言えば大規模合戦が起こっていない平和な時代の政治ドラマが大半だったね
でも華麗な戦闘場面で知られる平家物語と言えども12巻のうち前半6巻は清盛が主人公で
鹿ヶ谷の陰謀を含む地味な政略パートが占めているのはもっと知られてもいいかと思う >>1 大河を素人に作らせるな。汚盛無くして、大河低視聴率時代は来なかった。 >>741
山岡荘八の家康みたいないい人なんだね。
清盛って。 >>751
「汚盛」ってなんて読むの?
他人を批評したいなら自分のセンスを磨いてからね 名前が上がってるマツケンが主役だと老けすぎ
松ケンと同世代でもっといい演技ができたのはいたかもしれないが
俳優にそこまで詳しくないので思いつかない >>752
「戦は嫌でございます」に代表される昭和の価値観全開だった山岡家康と、
禿を放って恐怖政治を敷き、ブラック企業主よろしく庶民の命を軽んじ、
はたまた女性の尊厳を汚した(祇王・祇女・仏御前)この大河の清盛とは、残念ながら何の接点もない。
この清盛のダークな面を、歴史上の清盛が晩年に見せた老人特有の精神の硬直(考証高橋)というよりも、
より物語内在的な論理によりデフォルメしたのが本作だ(大病出家→限られた時間を自覚→マキャベリスト化。
治承クーデターで絶対権力を握る→重盛が死んだこともありもはや掣肘者がいない→超自我によって
抑えられていた白河の血が噴出=白河化〜「ここはわしの世じゃー」)。
しかし、そのような清盛は清盛の本来の姿ではない。その証拠に、頼朝挙兵によって目を覚ました清盛は、
徐々に静かなファイトを燃やす本来の武士清盛の姿へと回帰していった。
もう一度言おう。清盛は激情の主の一方で人懐っこい人柄。下々にも優しく頼朝を助命してしまった優しい人。
開放的で好奇心旺盛、新しもの好きで、迷信が大嫌い。出世の手法も悪どい暴力や謀略を用いるのを好まない、
バランス感覚豊かでスケールの大きな「常識人」だった(高橋)ーこういうのを「主人公美化」とは言わない。
ともかく、本作における清盛は、何らの資料根拠(学説含む)もなしに適当にでっち上げたものではないし、
ましてや「あてがき」とは縁遠い、地に足がついた造型がなされていた。
他方、清盛は初めからあるいは後半生はピカレスクな悪党だったーなる主張は、自分が素朴に抱いたイメージを
勝手に清盛に押しつけているだけで、何らの根拠も示されていないのである。 為朝は歴史上の為朝から出発するのではなく、軍記物で脚色された強弓無双の為朝を
いっそう派手にアレンジしたもので、清盛では珍しく史実から離れたキャラ造型手法を採った人物だ。
保元の乱時まだ10代であった為朝に、当時40代半ばの橋本さとし氏が起用されたのも、
そもそも本作の為朝は「伝説上の為朝」であったから。青年役者ではとてもあのド迫力は
出せなかっただろう。橋本為朝は、青年を中年が無理して演じるよくあるケースとは異なる。
また、いきなり保元の乱で無双するのではなく、鳥羽荘園を掠め取る鎮西八郎から出発したのは、
いかにも清盛らしいダンドリと言えるが、この場面は源氏の内部事情を知る上でも効果的だった。
為朝が鳥羽の荘園を荒らした責任を取らされて、ただでさえ落ち目の父為義は右衛門尉を解官される憂き目に。
いよいよ為義は摂関家に従属するしかなくなった(どんなに屈辱的でも「地を這ってまでも生きてみせる」宣言)。
一方、嫡男義朝は、鳥羽の信を得て院の近臣となり頭角を現しつつあった(スマートに世の流れに乗っかりましょうよ)。
このように、源氏親子の骨肉の争いの背景には、源氏の生き残り、再上昇の方策をめぐる両者の「路線対立」
が控えていたことがわかるだろう。2人の争いを、単に感情的な軋轢ー親子喧嘩の次元で捉えるだけでは不十分である。
キャラ的には大いに盛った数少ないエンタメ要員に使われた為義だが、知られた僅かな史実を拾い上げて、
この時期の源氏の核心描写に生かした手腕は見事。
なお、アナウンス無しの退場も為朝にはベスト。その後の為朝英雄流転譚を見たい向きは、
椿説弓張月のドラマ化を要望されたい。 エンタメ要員に使われた為義→為朝
平氏大河だというのに、この時期(為義&義朝期)の源氏について、かくも充実した描写がなされた時代劇はおそらく絶無。
さらに、落ちぶれた「京のシティボーイ」から再開した流人頼朝の位置づけも、史実そのものとは言えないながら
卓越していた。
この制作陣で杏主演「北条政子」が見たい、との切なる声が終了後澎湃したのも至極当然だろう。 >>762
幇間もここまでくれば立派というかほめ殺しというか。
杏の北条政子なんて、いま初めて聞いたわ。知らんかった。 政子を頼朝流人時代から始めるとして、大河清盛と同じ設定と役者というのは考えにくく、
杏主演政子は願望の域を出ない。いわばお遊び。
しかし、この京のシティーボーイ頼朝vs伊豆のカントリーガール政子を対比する視点を抜きに、
一から政子像を組み立てるのは至難の技だろう。オノマチで「草燃ゆる」を更新してもらいたいのだが・・・
これに限らず、今後源平大河をやる場合には、大河清盛が成し遂げた数々の達成が大きな壁となって
立ち塞がることになる(一つサブな例を挙げれば、従来の設定を刷新した弁慶。何故に義経に殉じる弁慶が誕生したのか、
これ以上、説得的な設定を思いつくことができない〜為義時代からの縁。今後、またぞろ従来まんまの弁慶をやっても
白けてしまう)。
結論:「世紀の駄作平清盛」を抹殺すべく、新平家をリメイクせよとか、ミタニンスゲーさんでさんで作り直しとか、
あれこれ幻想をもたないほうがヨロシ。いろいろ比較されて、惨めな思いをすることになるだけだ。 >>763
6年前にリアルタイムで見てた?
そうでないなら初めて知ったとかワケわからんケチを付けるのはやめような 知らんな。
杏主演で北条政子が見たいとか。
おんな太閤記みたくなるのかね。 北条政子主役大河作るなら原作は桜田晋也氏の尼将軍北条政子希望。
タイトルから女傑かホワイト政子視点かと思ったら、超ブラック悪女
で筆誅を加えている作品だった、たまにはこういう大河もよいのでは。 その本は知らないが、そうは言っても、生まれた時から政子が悪女のはずがなかろう。
大河清盛は、少女期政子の一つのモデルを提供したということね。
(頼朝との対比に加えて、京の「文学少女」時子との対比も重要ーvs野駆けし猪を背負う野生児政子)
後に頼家をぶっ殺すなど、源氏将軍家簒奪に走るワルの時政も同じ。出発点は、エンケン時政のような
田舎豪族にして人の良い「野菜おじさん」だったかもしれないわけで。
さらに言えば、清盛についても同様。どこから「清盛は初めてからブラックだった」とか、
本作のような清盛は「奇を衒ったデタラメ」なんて戯言が出てくるのやら、もうため息・・・ 生まれた時から政子が悪女のはずがなかろう。
って誰もそんなこと言ってないんだが、むしろ赤子の頃からブラックな
人間がいたらお目にかかりたいくらいだし、ただ政子主役大河の
話題になっていたので希望の作品挙げただけで清盛大河についてどうこう言ってる
わけでもありやせん、文庫本4冊で簡単に手に入る本で小説形態だが、
資料もふんだんに引用していて史実中の方も楽しめるいい本だと思いますので
一度読まれるのもよいかと。 いやいや貴殿への批判では断じてあらず、スンマセン。
徐々に悪女化していく政子殿、魅力的ですよ。 >>769>>771
このスレでも大河ドラマ北条政子制作計画の支持者がだんだんふえてきて、ちょっとうれしい。
NHKはじっくりと構想を練って、すべての日本国民にたいしてこの「物語」を問えばよかろう。
時間はたっぷりあるさ。
たしかに北条政子さんには、現代語でいいかえれば「鬼嫁」の側面がある。ブラックでもあり、
清濁併せ呑むというか、多様な評価の仕方がありうるドラゴンレディーの辣腕政治家。
もし仮に北条政子さんと結婚したら、私は10年後に生きている自信がない。こわい人です。
尼将軍政子を描いた小説は、ほかにも伊東潤の「修羅の都」がある。もうすこし続編を書き継ぐ
予定らしいが、とにかく北条政子の波瀾万丈の生涯はおもしろい。現代にこんな女性はいない。
https://itojun.corkagency.com/works/shuranomiyako/ いや、北条政子よりは木曾義仲主人公の作品を期待したいな。 自作について、ボロクソ叩かれたオンエア時もそれ以降も、一切言い訳しない藤本女史の姿勢は清々しい。
今の朝ドラは知らんけど、トランプじゃあるまいし、ツイッターでペラペラ「次は神回」だの発信する脚本家は何なんだろ?
しかも、このような姿勢を清盛を罵倒した連中が、いつものように(中味込みで)仲良く横並びで絶賛している不思議。
意図や背景をペラペラ喋る森下や、批判されればムキになって弁明するどころか、ちゃっかり後付けで作劇してドヤーする
(何とか官兵衛)三谷の姿勢を批判した俺としては、朝ドラ界の騒動は、中味以前に理解の域を超えている。
しかし、あちらの世界におけるヲタvsアンチの仁義なき戦いって大河どころの話じゃないのね、桑原桑原w 言い訳する必要がないからな。
作品に力があれば、きっとそのうち真価が伝わる。
実際、それが大河清盛のイマココだw 視聴率で10ポイントほど差がつけられたのが余程悔しいんだね >>782 武蔵、シエ、花燃ゆにもファンがそれぞれいるんだから、ディスるのは
やめようよ >>784
運営「一言レス」のお前かよ>>778。ちょっと不用意ではないの?w
>>783
まったくその通りだ。
おたくが清盛をその3作と並び立つ作品と考えてるのかどうかは存じ上げぬが。 >>785御戯れを、平成大河随一いや、歴代大河随一の神大河とはどの作品の事か
、お手前すなわち長文殿(人違いだったらスマン)はすでにご存じのはず ドキュメンタリーや教養番組、果ては他局のバラエティでさんざん援護射撃されての低視聴率。
分かりにくい独り善がり脚本。
言い訳の仕様がない。 >>787
どこまでも福々しげで憎々しげなお方じゃ >>788
独り善がりではなく独創的。
分かりにくいではなく、(見る側が積極的にアクセスすれば)論理的で明晰そのもの。
なお、マスコミからの線香花火のような援護射撃はあったにせよ、それを圧倒する
ネガキャンに見舞われたのが大河清盛。まーた何を真逆のことを喚いているのやら。 再掲
>大河清盛は脚本と映像のクオリティーが高すぎて一般視聴者を逃した(大根仁)
なお、最初から最後までオツムをショートさせながら、オツム悪そーな難癖をつけるためだけに
完走したお前らは「一般視聴者」には入らない、念のため。
もちろん、視聴率を弄んで1年中ネガキャン張ったマスコミ(2ちゃん含む)によって、「負のスパイラル」に
陥ってしまったことが、馴染みのない院政期という時代、ややこしく理屈っぽい内容、
全50話のストーリーがタテヨコ緊密に連結されており、見る側が頭と目を使って相互の連関を
考えつつ見ないと真価が分かりずらい(長期にわたり常に緊張を強いるのはエンタメ時代劇にそぐわない)
といった内容以前に、大きなダメージを与えた。
★ボンヤリと見てるだけでは分からないからと言って、その作品が「分かりにくい」「独り善がり」とはならない。
そんなこと言い始めたら、小説にしても映画にしても、ヘビーなものの多くは(何も前衛作品、実験作品でなくても)、
「分かりにくい」「独り善がり」となってしまう。
もちろん、清盛は前衛を気取ったのではなく、範疇としてはあくまでもエンタメ時代劇。
しかし、平安末期の時代相とそこに生きた人々の生き様に迫ろうとする表現意欲が半端なく、そのための表現手法である
脚本、演出、映像、美術、音楽も軒並み凝ったものになったことで、敷居がずいぶん高くなってしまった。
日曜8時に家族揃って楽しむのが大河の理想的な姿だとしたら、大河清盛は異端児だったというしかない。 >>788
視聴率しか取り柄がないドラマはつらいね そうそう本当に敷居が高いです。
ハイクオリティなのは確かですが、平家物語の大方のあらすじ、登場人物の関係を知ってても
わかりやすいとは言いがたい、一言であらわせば独善脚本です。
多数の人が見る前提の、NHKの看板国民的番組でする内容ではないでしょう。
NHKとしては視聴率低くても、カルト的ファンがついていろいろ売れた方がいいのかもしれませんが。 どこが独善なんだ?と聞いても、まただんまりのババアですか?是非具体的に難詰してもらいたいね。
もう一度強調しておきたいのは、清盛は史実展開に基盤を置く、歴史情報が満載された生真面目な大河であったが、
その真骨頂は、そのような歴史展開を通じて(ただエピを時系列で並べるのではなく)、一個の物語が成立していた。
そしてこの物語性は、脚本家の作家性を如実に反映した壮大な一つのフィクションだったということだ。
一見、著名エピまんまの頼朝助命で示されたロジックや、挙兵による清盛再生、さらに4話で忠盛が提唱し、
超ロングスパンで展開された「武士の総体vs貴族、この展望が開けた後に決着をつけるべき平氏vs源氏」のドグマ、
などが典型的。さらに最高に強烈だったのが、白河の血の再帰ー「ここはわしの世じゃー」。
「分かりにくい」「独善的」というのは、たぶんこの物語性=作家性に対する反感なのだろう。
逆に言えば、これほどドラマチックな作家性を放つ大河はほとんどない
(三谷や森下はこのタイプなので、同じくアンチの反感と共にフリークたちを生み出す)。
昔は良かったーたちは、往々にして大河に「物語」を持ち込むことに異常な反感を示す人々であり、下手をすると
「史実だけを淡々」とやっていれば満足してしまう人種だ(ところが、その大河の荒唐無稽な虚構部分に対しては、
見て見ぬ振りどころか何の疑問も持たないオメデタイ人々。もっとも昔は良かったーの多くは、不思議なことに
三谷礼賛で「団結」したー清盛は史実に無頓着で歴史に敬意を払わないいい加減な大河だったが、真田は
「史実に真摯に向き合い、ギリギリのところで折り合いをつけた」奇跡の大河なんだそうだ)。
つまるところ、大河清盛問題は、「客観的であるべき大河」に、「脚本家が主観的に思い描いた一個のストーリー」
を認めるべきか否かの問題でもあり、この点においても清盛は問題提供型・論争惹起型大河であった
(本当に客観的な大河は、ドラマである以上存在しないし、あったらそれはドラマでない)。 数字が証明している。
結果に向き合うのを執拗に避けて何とする。
例えば、金田淳子みたいな一部のオタに受けたところで仕方ない。 そりゃ、平家と源氏と王家と摂関家の「家ドラマ」だわな。
ただし、それらは歴史描写と常に直結しており、各セクション間の相互関係と相互作用の総体が
平安末期のダイナミックな体制変動を生み出していた点で、稀に見る分厚い歴史ドラマであった。
一見、平氏(平家)内部の揉め事にすぎないような話でも、歴史的視点からその重要性が判断され
選択された出来事だったのだ。
その意味で、新平家の改竄は、逆に平家のホームドラマをつまらくしてしまった点で大いに疑問。
【参照】
家盛を消し去り、経盛が次男で、しかも清盛共々祇園女御腹で、次世代の重盛はななんと時子腹。
これでよくもまあ「平家のホームドラマ」ができましたね。
これでは、棟梁の座をめぐる正妻の子家盛と清盛との確執と争い、さらに、上昇した平家一門〜源氏と異なり
仲が良かったとされる「一蓮托生」の平家にあって、見逃すことのできない対立軸をなした
時子(時忠)&宗盛vs重盛(明子腹)が繰り広げた水面下での葛藤など描きようがありません。
これらは、平安末期の主要アクターである平家の内部問題が、歴史に作用した重要な一コマであって、
単に平家のホームドラマにとどまるものではありません
(家盛が早逝しなければ清盛は歴史の舞台に登場しなかった、あるいは保元の乱で真っ二つに割れたかもしれず、
また、重盛孤立化は政界の勢力地図に与える影響大)。
また、歴史パートへの洞察ともなれば、例えば祇園社事件にしても、忠盛、信西の位置づけにしても、
もう話にならなくて戸惑ってしまうほどです。 【社会に衝撃を与えた清盛の涜神行為がもった意義】
・清盛棟梁の座ピンチ(+家盛の台頭←頼長との男色をリンク=政治的コネクション形成手段としての男色)
・合理的精神=迷信嫌い(「あんなものはただの箱じゃ」)〜経ヶ島人柱否定伝説、「匡すべきは巻毛ではなく、
巻毛を醜いとする古よりの偏見だ」、宋人謁見に対する開かれた態度→交易国家構想、などに通底する清盛の根本精神。
・諮問会議紛糾→平氏処遇への態度(体制への包摂如何)から朝廷は次第に二つの勢力へと分かれていく(byナレ朝)。
〜とりわけ信西の現実主義vs頼長の復古主義→保元の乱の対立図式
・治天鳥羽が有した「罪刑専断性」=院政の恣意性〜諮問会議を踏まえつつも最後は治天の胸先三寸。
→結局、軽い罰金刑で清盛は事なきを得たが、「平氏の武力と財力が必要だがら」といった身も蓋もない理由で片づけず、
この部分を心理劇風に掘り下げたのが、かのエア矢のシーン(平氏が欠かせないことは諮問会議で親平家公卿家成が代弁)。
・清盛=旧体制への挑戦者、そして未来の破壊者(ドラマ的解釈を付加。これが最重要ゆえの「エア矢」創作だろう)。
鳥羽「そちこそが神輿を射抜いた矢そのもの。白河院が・・朕が乱した世に報いられた一本の鋭き矢じゃ」。
すなわち、神輿を射抜いた清盛は、自ら矢となって旧貴族体制のど真ん中にいる治天鳥羽を射抜いたのだった。
→実に三十数年後、弁慶の記憶に運ばれて飛んでいった鳥羽エア矢は、不信を強めていた頼朝in鎌倉に突き刺さった。
→朝廷という強固な岩盤を穿つドリル(内部に食い込んで貴族体制を弱体化。ついに「武力による」朝廷簒奪=治承クーデター)。
これこそが清盛が果たした歴史的意義であり、ここで清盛のレゾンデートルを再確認した伊豆のフリーライダー頼朝は、
清盛へのリスペクトを新たにして自ら京へ向けてエア矢=果たし状を放った。
→遂に源平合戦本戦ラウンド、源平棟梁間が雌雄を決する最終タイマン対決の時が来た・・・が、その矢先に清盛は熱病に斃れてしまった。
さんざせせら笑われた清盛の「エア矢」を見た後に、何ひと〜つこの大事件の意味を捉えておらず、驚くほど明後日の方角を向いた
新平家の祇園社事件を見て比べるのは、正直辛いものがあります。
(山法師とチャンバラ→民衆が石飛礫でピンチの清盛を救う→忠盛父さんが到着→あんな気弱なホームパパでしたが
兵をだして道を塞いでくれたのでした→お父さんありがとう!)
★ホームドラマとは、このように歴史事象が「家族の話」に矮小化されてしまうような作劇手法を言うのだろう。
ほとんどの大河がこの意味でホームドラマなのだが(例えば最重厚とされる武田信玄ですら、中身の多くは
重苦しい家族の葛藤。独眼竜に至っては作り手自身が「戦国ホームドラマです」と述べており、矮小化とは言わぬが、
歴史をトータルに捉える姿勢は希薄だった)。
しかし、平清盛は大いに違った。「利家とまつ」のような「夫婦もの」とは根本的なコンセプトが異なり、
平安末期の時代相、激動する体制変動の様相、そこにいきた人々の生々しい息遣いに、トータルで肉薄した「歴史劇」であった。 渡鬼的に何代にも時代を重ねるホームドラマだったんだな。
清盛って。 松ケンは結構なマイホームパパらしいが、清盛殿は育児にも教育にもあんま熱心じゃなかったなー
(ただし、文系経盛を家庭教師に、自らは下手で苦労した和歌や舞を仕込んだのは、「王朝文化」の体現者
=政治のリーダーというテーゼからは重要。これも清盛らしい将来を見据えた戦術眼だろう。
なお、お勉強の先生は盛国、武の指南役は忠清)。これらに関しては、大枠の方針はあっても、
基本は全部、妻や部下にお任せだったね。家事なんてもっての外(当たり前だろ!時子の役割だ)。
そして、やれ清三郎ムネくんの躾がなってない、品揃えが足りず宴会を台無しにしたと、時子さんに
「明子ならこんなヘマせんぞバーカ」と「言ってはいけない」暴言を吐いて辛く当たり、周りの空気を
凍りつかせもした(さすがに言った途端にヤバイと反省→ここで「和歌もどき作戦」を閃いたw)。
こうして見ると、清盛はパパとしてもダンナとしても優秀な男とは言い難いわね。よく言われる
「清盛を超える息子が一人も出なかった」ことが、主体面から見た場合の平家滅亡の一要因だとしたら、
それは清盛の自業自得なのかも知れない(教育面からは、どう見ても忠盛パパの方が優秀)。
ということで、全然現代人向け主人公でなくてスンマセン(>人<;) 自分は体制からの「はみ出し者」だったのに(忠盛はツッパリ清盛を、「さようか好きにせよ」と突き放しつつ、広い世界へ飛び出していく息子を伸ばした)、
息子たちを体制に順応したナイスガイばかりに育ててしまったのは、皮肉な巡りあわせという他ない。
(彼らは、平家が頂点を極め栄華を誇っても決して「奢れる平家」風の公達ではなく、為政者となった自らに対する強い責任感をもち合わせていた
〜外部に対して唯一そのような態度を見せた宗盛も(木下強奪)、驕りというよりコンプと野心との間で揺れる内面の苦しみを発散したもの)
もっとも、これは、王朝文化を担える教養を身につけ、朝廷簒奪によって武士の世への道筋をつける―この清盛の戦略からは致し方ないところ。
とりわけ、ドラマでは、文武両道の賢人重盛について、その人格的な素晴らしさとともに、清濁併せ呑む破天荒型の清盛とは対照的な
四角四面の優等生ぶり〜それは同時に、政治的矮小さ(小物めがby成親)と限界を意味した〜が強調された。
ドラマで見られた「破天荒な清盛と小さく纏まった息子たちとのギャップ」は、平家政権の過渡期性(一門を体制内化することによって体制を中から武家政権化する)を
端的に表現する興味深いパラドックスだろう。ここでも平家の「ホームドラマ」は、平家政権の性格そして没落という「大きな歴史」へと連なる広がりをもっていた。 東大寺炎上させてドヤ顔の重衡も体制順応ナイスガイと言えるでしょうかね >>812
清盛平家によって確立された新朝廷秩序(平氏系新王朝)に反逆する不埒な逆徒、それが南都の坊主たちの反乱だ。
重衡くん的には、南都の坊主どもの反乱は、
「偉大な清盛父さんによって再編された厳島中心の宗教秩序(平家的にはこちらが正統)に対する許しがたい挑戦」だったのだよ。
「われらが焼いたは仏にあらず。仏を楯に狼藉を働く不埒者どもにござります。これをおさえられるはわれら平家のみ」
つまり、「父上やりましたー!」とKY報告した重衡の主観では、自らがやったことは護法でり体制擁護であり、体制破壊ではない。
既に、彼らは簒奪した体制のど真ん中にいる存在であったことに気づくべきだ。これも形を変えた体制順応の現れだろう。 どちらかというと、「故意犯」説の方が今では有力だと思われ。
いずれにせよ、「父上最強ー!」と信じて疑わないドラマの重衡の話。
辻本重衡のノリも、十分「未必の故意」が認められそうだ(容易に予見できる事態について、
最悪の結果(大仏ほか焼亡)を回避すべく努めた形跡がなく、イケイケどんどん)。 清盛の息子たちを優等生に育てるのはある意味仕方ない
江戸幕府でも乱世の世ではなく幕府としての基盤を作った後の将軍と初代の家康では全く違う役割だし
ただ、誤算は
平家政権がそこまで盤石な体制にまだ移行していなかったということじゃね?
後白河鳳凰との姻戚関係に作用される権力構造や源氏勢力の残党の力など不安要素が多すぎた
ゆくゆくは優等生も必要だけど、それはもっと盤石な平家政権を使った後に必要な人材だったんだろうな 崇徳院が出てる今期のドラマが苦戦しているらしい。どうも内容が重過ぎるからだという。
しかし平清盛の第1話〜第3話も相当重い内容だったよなあ
・やりたい放題の白河院
・サイコたまこと何もできない堀河
・放置される鳥羽院
・平太こと清盛が暴走するたびに庇いピリピリする平氏一門
・報われない滝次と鱸丸
ざっと思い出せるだけでもこんなに重い要素がてんこ盛り
それでも当時17%台だったのは大河ブランドか時間帯がよかったのか 時政役のエンケンは清盛のことはあまりよく覚えてないらしい
後半結構出ていたような気もするんだが エンケン「真田丸のことはよく覚えてます」
これにはワロタ
黒歴史だから思い出したくなかったんだな >清盛はそんなにおぼえてないエンケンさん。
>でしょーねー
さっそく飛びついたウヨ婆さん安心しろ。あの調子じゃ6年もたてば、ウルウルブルブル震えながら
「真田信繁日ノ本一の兵なりー」とやったことも忘れるよw
しっかし、今度はエンケンに縋って「清盛のキャラはうっすい」だとさ。
思えば、田舎の野菜おじさんから始まった時政も良い味出してた。
キャラの多彩さは特筆もので、4番手レベルに至るまで濃いキャラが目白押しだった。
たとえば、藤本隆宏が演じた作兵衛は、何故信繁に殉じたのか説明不足のままラストでいきなり活躍したが、
清盛の忠清はそんなぞんざいな扱いはされなかった。
初めは脳筋系の侍大将、しかし、次第に貴族化する平家から取り残される悲哀を味わう。
公達たちから自らが時代遅れとなった現実を思い知らされ、白髪がすっかり増えた老兵忠清であったが、
平氏の武を支え続けた彼にしかできない名場面が終盤用意されていた。
それが、決死の覚悟で臨んだ諫言ー「もはや平家は武門にあらず、殿は武士にあらず」だ。
忠清一世一代の見せ場であり、藤本氏にとっても役者冥利に尽きるシーンとなっただろう。
時政は景勝ほど作劇上は重要人物ではないのだから(それにしては威厳のない景勝キャラは疑問)、
時間の流れを度外視しても、演じた人の印象を単純比較して「それは清盛が駄作だから。
時政のキャラづけがなってないから」とか「例によって」阿呆すぎる。 ここ最近、長文様が【徹底】大河はいつから壊れたのか?【議論】 スレで
清盛無理解者の迷妄を晴らし、大河清盛の真価を知らせるべく奮闘中
だが相当手間がかかりましょうな、かように青臭くやたら長いだけの文章では
210ラディヲ体操第二ヨーイ2018/09/01(土) 16:23:56.08ID:jlcijntf
>清盛はそんなにおぼえてないエンケンさん。
>でしょーねー
さっそく飛びついたウヨ婆さん安心しろ。あの調子じゃ6年もたてば、ウルウルブルブル震えながら
「真田信繁日ノ本一の兵なりー」とやったことも忘れるよw
しっかし、今度はエンケンに縋って「清盛のキャラはうっすい」だとさ。
思えば、田舎の野菜おじさんから始まった時政も良い味出してた。
キャラの多彩さは特筆もので、4番手レベルに至るまで濃いキャラが目白押しだった。
たとえば、藤本隆宏が演じた作兵衛は、何故信繁に殉じたのか説明不足のままラストでいきなり活躍したが、
清盛の忠清はそんなぞんざいな扱いはされなかった。
初めは脳筋系の侍大将、しかし、次第に貴族化する平家から取り残される悲哀を味わう。
公達たちから自らが時代遅れとなった現実を思い知らされ、白髪がすっかり増えた老兵忠清であったが、
平氏の武を支え続けた彼にしかできない名場面が終盤用意されていた。
それが、決死の覚悟で臨んだ諫言ー「もはや平家は武門にあらず、殿は武士にあらず」だ。
忠清一世一代の見せ場であり、藤本氏にとっても役者冥利に尽きるシーンとなっただろう。
時政は景勝ほど作劇上は重要人物ではないのだから(それにしては威厳のない景勝キャラは疑問)、
時間の流れを度外視しても、演じた人の印象を単純比較して「それは清盛が駄作だから。
時政のキャラづけがなってないから」とか「例によって」阿呆すぎる。 マルチスンマセンね。
こちらはあまり見ないようにしている。
皆さま方で盛り上がっていただきたいところ、見るとつい口を挟んでしまい、そうすると
これがまた場違いの長文。やっぱ俺は他所での攻撃に反撃する方が似合ってるw
で、これまた土曜2時なんてまずはテレビ見ないところ、エンケンの過去映像登場という
宣伝文句に釣られて見てしまったところで「問題発言」。
これは絶対連中が飛びつくぞーと直感いや確信して当スレを覗いてしまったのであります。
案の定・・・
つまり長文で何を言いたいかといえば、「清盛は濃いキャラが勢揃い」との短文です。。。 だけど真面目な話、平清盛ではそれほど重要な役ではなかったとはいえ、
やった本人がわずか6年で忘れてしまうような「影の薄い」人物だったかね、時政は。
とっても印象的な人の良いおっさんで、そのまま大河北条政子に突入していたら、政子共々、
どんな風にワルになっていくのか是非見てみたいと思わせる「前期時政」だったと思う。
次から次へ役をやり過ぎたためか「忘れてしまった」本人はさて置き、さっそく「でしょーねー」とか冷笑した、
5ちゃん清盛攻撃隊司令塔である「アタシのキレイな平安どーしてくれたのよぉ〜」の婆さんぐらいじゃないの?
時政が「印象に残ってない」とかボケが入った奴は。 忠清役の藤本隆宏は清盛のことはあまりよく覚えてないらしい
後半結構出ていたような気もするんだが 清盛ってすごく良くできたドラマだし丁寧に制作されていて、脚本も素晴らしいのに未だに悪くいう人が結構いるのは
皇室批判的な箇所が多々あるからかな?
自分は政治的には右でも左でもないから、全く気にならないけど、
たとえ暴君というような天皇であったとしても批判は許しまじ的な人って多いのかな?
今回は当然平氏側の視点の物語なんだから、後白河とか悪党になるのは当然だとおもうんだけど.....
玉ちゃんと白河院の関係とかも踏み込んだからこそ面白くなったわけだし、
そういうのダメとか言っちゃうと北朝鮮と変わらないよね? >>830
「天皇=聖人君主」と無意識に刷り込まれている人は多いみたいだね
実際の歴史を見ると例えば後白河の態度は暗君と批判されても仕方のないものだったけど
そういった「センシティブ」な部分は中等教育まではスルーされがちだからね
大学で日本史を勉強するくらいの批評精神がないとなかなか難しいかと 「天皇=聖人君主」と無意識に刷り込まれている人は多いみたいだね
それわかるわ 右でも左でもないと言ったけど、左右を比べるとどちらかというと右の人の方が的を得ている意見が多いと思うけど、憲法問題とか特亜あの対応とか
でと皇室に関してはほんと極論の人が多くて混乱するんだよね
今生天皇陛下や昭和天皇は素晴らしい人格者だったかもしれないけど、古代の天皇家は内部のいざこざや骨肉の争いもあったろうし、それによって政治が乱れたわけなのに
そういう歴史的事実まで捻じ曲げるのはどうかと思う
ほんと北と変わらなくなっちまうよ >>832
戦国時代のドラマが無難に回るのは天皇や朝廷が出てこないという部分がかなり大きいと思う
幕末もその辺の関係性は緩くぼかしてしまえばなんとか作品として成り立つのでまだマシで
戦国以前では天皇家と政治が密接に関係しているからどうしても製作しにくい
「平家物語」や「太平記」は戦前までは誰もが知る大衆娯楽だったのに見る影もない
天皇家の批判は許さないという無邪気な感情を上から強制されている訳ではなく
自らの意志で発信しているという点で北の国よりひどいかもね >>834
平家物語にしても、義経にしてもゴッシーは必ず敵役で悪役だからね 今の世だと扱いにくいのかもな
ちなみに太平記とか大好きな大河だったな
後醍醐帝が良い人すぎたけどw
是非義満を続編として描いて欲しいんだよね 室町太平記 ここで北条政子か頼朝続編に描けってのと同じ理由で
陣内とかまだやれるうちにさ....ナレーションは真田尊氏でw
すれ違いスマソ 為義役の小日向文世は清盛のことはあまりよく覚えてないらしい
前半結構出ていたような気もするんだが そういやエンケン時政の伊豆の家にちょくちょく集まって酒飲んだり雑談してる
近所のおっさんみたいな人たち、南関東一円のけっこうな大豪族だったんだな いやはやこの糸さんは、健気な澪ちゃんそのものですね。
窪田くん、杏ちゃん、そして黒木さんで、再び藤本大河頼むぜー。 素晴らしい黒木糸さん回ではあったが、維新回天へ向けて怒涛の最終段階へと突入したステージで、
こんなノンビリしたお話で1話を費やして良いのだろうか?
もし、「西郷でエンタメやって下さい」(by西郷どんP)なる方針が、「清盛の失敗」を踏まえたものだとしたら、
もう一度、「見放された清盛のスタンス」に回帰してもらいたいものだ。
どのみち視聴率が期待できないのなら、クオリティを徹底追求する路線の方が、クリエイターたちにとっても本望だろう。 まさか「風と雲と虹と」の最終回で
”続きは「平清盛」と「新・平家物語」で”と言われるとは思わなんだ。 若き義朝が、東国に下って勢威を広げに出発するのって何話目ですかね?
野原みたいな所を歩いていたような。 >>842
第5話 義朝、東国目指して出発
第6話 義朝、尾張で由良御前と出会う
第8話 義朝、相模のススキ野原を行く 今月の100分で名著は、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」。
適切な手引きがないとお手上げクラスのこのような小説が、累計5500万部の世界的ベストセラーとは。
まさにこの人しかいないという先生の解説を参考に、今度こそ自分も「読んだ気」になりたいもんだ。
と期待して第一回を見たら、なんと朗読を担当している人は誰であろう、最近ご無沙汰の鳥羽院。
語り口も、浮き沈み激しい人生を生き抜いた治天の君を彷彿とさせる振幅の大きなもので、
三上氏演じた鳥羽院ワールドが一気にあれこれ蘇ってきたのでありました。 清盛と後白河院は自分たちの進退を双六に喩えたが、義朝は木登りに喩えていたんだね
なお頼朝は後白河と双六遊びを試した模様 【キューバ米大使、浅田真央】 オウムも使用マイクロ波、戦艦大和に搭載予定だったマグネトロンが原型
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1536114063/l50
卑怯すぎる韓国フィギュア界、東京オリンピックも危ない! タフマンで赤子を育てようとする白河院から逃れた舞子。
子育てはミキプルーンでという方針の忠盛と意気投合するも早世。
その後忠盛はミキプルーンだけでなくDCカードで現金化や個人貿易をも行い、ガッポガッポ儲ける。
忠盛の後を継いだ清盛は天竺や南蛮から仕入れた材料をもとにダイドーブレンド珈琲や
西国の冷凍うどんを売り込んでさらに財を蓄えるが珈琲やうどんなどで栄養が偏った
ことが祟り64で逝く。その後、平家はうどんだしや保険を売り込むライバル会社の台頭によって凋落する。 とりあえず僧侶が誰一人として袈裟をつけていなかった姿に違和感 まあそれが怪しからんと思ったのは結構だけど(坊主みんながつけてたかどうかは知らない)、
「無知な制作側がー」はやめろよな。
こういうのは、「ドラマ上は省略して構わない」との判断から生ずるもので、
時代劇が当時の風俗そのものの再現を目指すものではない(平安時代ともなれば多くは不可能)
ことからも当然ありうる省略だ。ドラマの内容とは何の関係もない上、教義上はともかく
袈裟が無くとも僧侶を僧侶らしく見せる上で何の不足もない。作り手は「わかってやってる」。
例えば、肖像画では月代の真田信繁は最後まで総髪だったが、違和感もたなかったのか?
これだってドラマ的改変としてはありだろう。この種のことをツッコミ入れて違和感持つなら、
すべての大河は違和感だらけで見ちゃいられなくなる。それではつまらんでしょ。
もっと「大事なこと」でツッコミ入れてもらいたいね。 嫌いな大河に対してだけ、重箱の隅をつついて非難する態度は、こっぱずかしいので辞めた方が良い。
(太平御覧贈呈に、頓珍漢な上に常に偉ぶったウヨ婆さんが「全巻揃ってなーい」とやったのには参った。
高橋教授の考証通り、数巻だけを丁寧に包んでプレゼントしたという史実を、こんなところにまで
繊細忠実に金をかけて再現した作り手にまずは拍手するのが、真っ当な視聴者の態度だろう)。
やればやるほど確実におたくらが好きな大河に跳ね返ってくるブーメランなわけ。
しかし、大河板に出入りするようになって愕然としたことは何か?と問われれば、
文句なしに、「昔は良かったー」たちの独善とダブスタだ。
何しろ、初めから「無知で無能な作り手と歴史を知らない脚本家」が揺るがぬ大前提となっているものだから、
当時のツイだのブログだの見ても、初めからせせら笑うこと以外関心がないかのごとき「批判」
に満ち溢れている。
この愚かな連中が、突きつけられた清盛のクオリティを決して認めようしないのも、こいつらの「誇り」を
ズタズタにするが故の態度だろうと、せめて同情申し上げる(とはいえ、ほとんどが何も理解できない、しようとしない
ホンモノのバカであるのが悲しいー日曜8時の善男善女はこの意味で「バカ」ではない)。 最終回の清盛の生霊だけ注目されるけど、忠盛の最期にも生霊?が出てたんだな
あと宗子と会話する家盛も生霊っぽい気がする 枕死からナレ死まで、その人に相応しい死に様が追求された清盛で、個人的にもっとも感銘を受けたのが忠盛パパとの別れ。
これほど少しもジメジメしたところのない、晴れやかな父子の別れを見ることは滅多にない。
悲壮な愁嘆場だけが別れや死の名場面となるのではないことを教えられた。
開放感溢れる海辺。ここはおそらく、かつて鱸丸が操る小舟上でフラフラと尻餅をついて忠盛から説教された懐かしの場所だろう。
初回で提示された「体と心の軸を鍛える清盛」というテーマは、清盛の成長と晩年の堕落を表す尺度であり続けた。
体と心の軸を鍛えて宋剣を自在に操るようになることは、清盛にとって次期棟梁に相応しい力量を身につけて
忠盛を凌駕することを意味した。
高野山造塔をやりぬき、人生の最後で迷える父に「武士とはいかにあるべきか」を力強く宣明した清盛に、
忠盛は「強うなったな清盛」(←初回ラスト「死にたくなければ強くなれ」)と呼びかけ、躊躇なく平氏の行く末を清盛に託した。
この「強うなったな」は、安芸赴任中の清盛の前に現れ、息子と剣合わせした忠盛ー今あの世へ飛び立ったのだろう忠盛
から発せられた言葉であり、剣を通じて体と心の軸を鍛え、人間的にも成長して武士の棟梁に相応しい男となった清盛に対する
忠盛の満足、信頼、期待の表明だろう(清盛が「父上のように強くなりたい」と願ったのもこの浜辺)。
このように、清盛における生霊や幽霊は、然るべきシチュエーションにおいて意味を担い、それが用いられる必然性をもつ
ものばかりであり、「話を回すのに楽チン」だからといった安直な理由によるものでは決してない。
崇徳生怨霊、最終回の清盛幽体離脱、亡霊については何度も述べた(これらと比べると、大河頻出のユーレイはただ懐かしいから
出てきましたレベルがほとんど)。
なお、「軸」関連では、
後々、忠清を斬ろうとした清盛は、剣の重さにあえなく尻餅をつく醜態を晒す。
他方、揺れにビクともしなかった鱸丸は、忠清の胸ドンにも揺るがず、盛国となって嵐の大船を「鱸丸に立ち戻って」操り
平家納経のピンチを救うなど、生涯「ブレない忠臣」ぶりを披露し続けた。
さらに死を賭した諫言により覚悟を決めた忠清を「逆胸ドン」して、忠清のこちらも「ブレない侍大将」ぶりを確証した。 何が?
ほとんど被ってないけど。
裏面から言うと、平家物語は大河清盛の重要な源泉であったが、唯一のそれではない。
大河清盛は「新新平家物語」ではなく、あくまでも平清盛の一代記なのである。 >>860
普段からアンカー付けないからこうなる。 義朝、東国でとにかく肉をかじっていたイメージ。
あとは押し込み、追い剥ぎ。
えらい修行だこと。 どうせなら清盛の霊が九州で河童になる所までやってほしかったな
二位尼に会うために福岡の大河で大洪水起こすらしい 源平エピソード1を描くと言ってたのに
いきなり頼朝が平家を滅ぼしたアバンから始まって
本編も清盛死後の壇の浦から義経死亡まで描いてしまって
結局ただの源平ものになったんだよな
そこを描いては意味ねえだろと ただの源平もの??!!
何言ってっかサッパリわからんぞ。
しっかりしてくれよw 最終回のテーマは大体次の5つ
・清盛の死
・一門との別れ
・平家滅亡
・志の継承
→武士の世造りは頼朝へ※
→交易国家は小兎丸へ(民間部門。国家間貿易は義満まで待つ旨ナレ)
・海の底での一門との再会
ギリギリに切り詰めた最終回にあって、義経の最後と弁解の立往生は唐突だ蛇足だと言われたが、そうではない。
鬼若時代からドラマにアクセントを与え続けてきた弁慶(従来の源平物と似て非なる!)を、そのままフェードアウトさせては
羊頭狗肉ということもあるが、義経の最後は「頼朝の覇権確立」という観点から見た場合に必須の出来事であった。
すなわち、※の構成要素に位置づけられる場面であり、描かれた内容は、「義経主従の最後」というよりも「源氏棟梁の
権力を盤石にした頼朝」である。
頼朝を頼って鎌倉へ下向した平家内離反分子頼盛が、最後の最後で力強く認め宣言した「平家は皆一蓮托生!」※※
の揮毫を凝視した頼朝は、苦渋の表情を浮かべつつも義経誅殺を決意した。
※※
これによって清盛が打ち出したキャッチフレーズは遂に「現実化」した。このアイロニー・・・西島の表情はまさに自嘲気味。
最終回の狂言廻し役西行と並んで、頼盛をキーマンとする発想に驚嘆するしかない。
他方、一族殺し合いの歴史をもつ源氏の棟梁頼朝は、平家の「一蓮托生」を噛み締めつつ弟殺しを避けて通れない運命と受け止めた。
このパラドックス・・・
そして、頼朝は、敗者となったあの世の清盛から未完に終わった武士の世建設を託された(「真の武士とは如何なるものか見せてみよ」)。
ここに至り、義経抹殺は源氏内権力の確立からさらに進んで、清盛からバトンを受けた武家政権確立のためにも避けては
通れない課題となったのである(「これが私の選んだ道・・武士の栄華[為義→義朝は〈源氏の栄華〉]へと続く道じゃ)。
換言すれば、武士の世を夢見た清盛の志は頼朝を通じて義経の死をもって完結する、その意味で義経の死は「大河清盛」
のフィナーレに相応しい、いや必要な出来事だったのである。 義経=貴族や王家の権威に従属した武士だからな(後白河のコマとかしていた)
抹殺は頼朝としては当然なわけで、弟を切ってまで推し進めたい武士の世ということだな
物語の前半で仲の良い平家一族に対して一族で常にもめていた源氏に対して良い感情を持っていない頼朝だからな
その頼朝があえて弟を切った意味は描いておく必要があるな 清盛壮年期までを松ケン。
清盛晩年を伊東四朗に替えて暗黒面を強化。
頼朝に対し、ガッツやらファイトを燃やす段の最晩年になって松ケンに戻していたら面白かったかもしれんな。 ご希望は尊重しますが、クリアすべき難題については、これまで100万3回ぐらい議論されておりますゆえ、
どうかそれらを踏まえて語ってくださいませ。 さんざ悪口言われた加藤兎丸を絶賛したという樹木希林さんが亡くなってしまった。
あれこれドラマを見る人間ではないので、ごく限られた範囲でしか知らないが、「跳ぶが如く」の幾島は絶品だった。
歴史に残る名女優から評価された兎丸の造型と加藤氏の演技を、樹木希林氏への哀悼と共に末永く顕彰したいと思う。 >>875
清盛長文さん、翔ぶが如くを生で視聴していたの? んなわけないすよ。
2012年以前、リアルで見た大河は、恥ずかしながら風林火山だけ。しかも仲代氏が退場するまで。
そんなどシロートなんす。
清盛以降、慌ててあちこちの媒体であれこれ見始めた、しかし未だにせいぜい「中級者」にすぎません。 ところで、押しも押されもせぬ2ちゃん清盛攻撃隊長であることがバレてしまったウヨ婆さん。
モゴモゴモゴモゴイチャモンつけるしか無くなってしまったのはご愁傷ですが、最新作↓
【ミタニンスゲー何とかさん】
大河は本当に歴史が好きな作家じゃないと書けないと思う。
過去には、脚本家が本当にこの人物が好きなのか疑問に思うような大河もあった。
なんとなく空虚な感じがするというか。それは観ていてわかる。「創作を語る」
【平資盛】
奇をてらったセリフや演出で盛り上がっても肝心の中身が、っていうのはありましたね。とりあえずやってみた感。
いやいや、これほど「肝心の中身」の他の部分に目もくれなかった大河は他にありませんですハイ。
(正直、清盛が厳しく排除した大河デフォルトの脱線恋バナなんかはあって当然だと思う。とにかく真面目すぎた)
· たとえば、「アタシのキレイな平安どーしてくれるのよぉ〜」の婆さんが執拗に攻撃した滋子巻毛
【美貌】だけでなく、物怖じしない【強い性格】の持ち主であり(女官からのパワハラにビクともせず)、
危うい均衡のもとに成り立っていた二頭政治の【バランサー】として政治的にも重要な役割を担った
(後白河に寄り添い気まぐれを抑える。不満を抱く西光、成親と酒を酌み交わし宥める【気配り上手】
←徳利と遊ぶ少女滋子を早い段階で登場させる入念な段取りにより、著名な【酒豪】ぶりも描かれた。
内大臣昇進や徳子入内では清盛の意を受けて後白河に働きかける【平氏の利害関係者】として振る舞った)。
さらに、憲仁(高倉)立太子に向けて兄時忠を焚きつけるなど(平氏の財力を使え・・)【フィクサー】的な動きも見せた(表の政治を動かす)。
そして、滋子の死は即、これらの均衡の破壊を意味し、時代は一気に鹿ヶ谷の破局へと雪崩れ込んでゆく。
このように平清盛は、滋子の人物造形及び政治的役割双方に対して、歴史上の滋子に即した極めて的確な描写がなされていた。
アッカンベーから国母まで、「気を衒った」「愚劣」どころか、滋子のど真ん中に切り込んだんだよ。
要するに「巻毛がー」を言いたいのだろうが、
・ストレートの長髪が当時の「美女の規範」であったこと。しかし、そのような生物的な条件は全員が備わっているものではなく、
貴族の娘たちの間では「鬘」が流行した(小林「王朝の歌人たち」。「美女」が皆、地でストレートだったわけではなかったのだ
(無知ではなく、当時の支配的な規範への理解が作劇の前提)。
・平氏一門も入内に備えて巻毛を直そうと必死となった〜女官からのイジメに言い返した滋子本人も弱気。
・皆が問題視する中、当の後白河は何も意に介さないどころか、これを積極的に滋子の個性と認めた(タブー嫌いと珍しもの好きの性格描写)。
・何よりも、「正すべきは巻毛ではなく、巻毛を醜いとする古来からの悪しき因習だ」と言い放ち、社会の側の偏見へと目を向けさせた
清盛の真骨頂を引き出した(逆転の発想)。
・かくして「好奇心と迷信嫌いの点で好一対」(高橋)の両者は、後に2人の間を取り持つ滋子の巻毛を媒介として
対立しつつも協調する提携関係に入った(平治の乱後の政治の枠組みがここで成立)。
巻毛は、このように豊かな内容を引き出す設定だったのだ。「気を衒った」だの「愚劣」だの決めつけたことで
お前のお里が知れたため、竹林院攻撃に精を出すお前の信憑性はガタガタとなった。ご愁傷様(←何故か真田アンチスレにて問題化)。 >>877
あー、だから記憶が比較的新鮮なんだ。
補正から免れている訳が分かった。 世界のナベケン主演で世界のカズオ・イシグロ原作 「浮世の画家」が来年3月に
脚本藤本 演出渡辺の清盛コンビ
統括は八重の内藤
そうなると、楽しみな「みをつくし後編」はさらにその先か、もしかしてたち消え? そんなつれないこと言うなよ、素敵な人情時代劇だったろ。
こういうドラマに眦決して参戦するのは本意ではなかったが、
何しろ、ババアどもが押しかけて、「ただの江戸グルメドラマ」だの「武士メシに数段劣る」だの、
予想通りの展開となったため、心ならずも擁護を買ってでて、そしていつも通り嫌われた。
あの終わり方は余韻豊かな素敵なものだったが、明らかに続編を想定した暫定的なものだ。
やはり、その後をフォローし、多くのファンに感動を与えた終結までドラマ化することは、作り手の義務だろう。
ところで、次の大作は大河ではなく朝ドラでお願いしたいね。
激烈な批判を浴びている(らしい)現朝ドラを、何故か知らぬが例によって横並びで絶賛している連中が
(朝ドラらしくないとの批判に対して「新しいチャレンジだ」と擁護するのは分かるのだが、
「作劇の緻密さより思いつきで次から次へ目先を変える」、「地に足がついたキャラ造型の確かさが足りぬ」といった批判、
さらにツイで積極的に「神回アピール」するなど、カッ飛んだ(予断をもたせて平気の平左)脚本家の姿勢に対する批判に対しては、
何も答えていないように見受けられる)、
「構成がなってない」「雑な使い捨てキャラ」と、まさに現朝ドラに対して向けられた内容で一斉バッシングを始めるのは
これまた目に見える。しかしながら、何しろ「ちりとてちん」の愛好者層の厚みは清盛とは一桁違う。
今もってマイノリティに甘んじている大河清盛ファンが頑張らずとも、きっと分厚いちりヲタが然るべき適切な対応をしてくれるだろう。 質問
セル版って特典映像とか何かあるの?
本編は全て自宅でbs版をブルーレイで録画済みで
なおかつ主な特集番組も全て録画してるおれが買う価値あるかな? NHK
2018/09/28
02:10〜03:10
「平清盛 ゆかりの地を行く」 >>884
何しろ長文ときたら、その種の(DVD購入)貢献はゼロゆえ何もわからない。
ただ、メイキング画像なるものは、大河清盛とは独立した意義をもちうるではないか?
「特典映像」は、大河の裏舞台、裏事情の証しとなるものだろう。
しかし、このことを超えて、裏舞台を根拠に本放送で示された「最終バージョン〜それは
厳しい取捨選択の結論である」を糞味噌貶す根拠に用いる向きに対しては、拙者激しく反発し応答した。
たとえ、頼長&信西の若かりし頃の交流が映像化されておりながら、これをカットしたがゆえに
天才藤本女史が「病気になった」としても、この2人の関係性の推移を途轍もなく緻密にフォローした
本放送の意義は些かも揺るがない。まずは映像で描かれたことに集中すべきなのだ。 >頼長&信西の若かりし頃の交流が映像化されておりながら、これをカットしたがゆえに
>天才藤本女史が「病気になった」
長文のクソ野郎
なにデマ飛ばしてるんだ氏ねよ 藤本さんがメンタルやられたとしたら
それは押し掛けバカ主役と専門バカ考証のせいで
創価学会と日本会議という日本の2大カルトに袋叩きにされたからでしょうね デマ?
良かったデマなのか。結構その「デマ」2ちゃんで読んだぞ! しかし、直近でもなお↓のような中傷を憚らない連中なんだよ、コイツらは・・・
>NHKの看板ドラマに傷を付けたままだと仕事がないから生活保護をしてもってる 何の落ち度もないのに2大カルトに激しく傷をつけられたのが藤本さんですね 実はまだ西郷どん見ていない。ツイによると、
転生忠盛鉄舟殿が「もはや武士ではござらん」的発言をしたとのことで因縁を感ずる。
実況スレ眺めたら、やっぱりというか広瀬そして作兵衛の人と話題になっていたが、
自分は、脳筋系からグッと深みを増した時代遅れの侍大将まで演じ分けた忠清こそ、
藤本隆宏氏のベストだと信じている。 このドラマ歴代大河で最強だったな俺の中では。
ブルーレイがプレミア価格になっててむかつくけど。 ・このドラマの忠正
忠盛を支えるしっかりした弟
忠盛の信も厚い
おかしいことはおかしいとはっきり言うご意見番的ポジション
常に忠盛たちと行動を共にするNo.2的存在
清盛は嫌いだが清盛の息子たちには慕われる優しさもあり
・史実の忠正
忠盛の館には滅多に寄り付かない
忠盛・清盛親子にケンカを売りに行っては言い負かされてすごすごと逃げ帰る
薄化粧をして摂関家べったりなところも忠盛・清盛に敬遠される
荘園はごくわずかな田畠だけという没落ぶり 忠正についてはドラマ的改変がなされたことを何度も紹介してきた。ただし、ふだんは六波羅の外にいて
摂関家に近い人間であったことがチラリとわかる描写がなされていた(頼長から家盛に声がかかった、、、
ことを喜び勇んで知らせにきた・・・)。
また長くなるのでryするが、最終段階で頼盛と入れ替わり崇徳方に走るというシナリオにより、
忠正は平氏の外に出た。一方で、平氏外様の忠正をドラマ内に取り入れて清盛のカウンターパートとしつつ、
他方で、頼盛と宗子の歴史上の立ち位置に着眼し、史実との整合性をつけた力技に一本取られた。
この平氏内離反分子のポジションは頼盛が受け継ぎ、最終回まで清盛物語における見逃せない対立軸であり続けた。 維盛とか小兎とかの中の人なかなかイケメン俳優に成長して
活躍してるのみると嬉しいよ >>897
史実の忠正って史料がほとんど残ってなくて正体不明なんじゃなかった?
ドラマ的には脚色しやすくて「美味しい素材」だったと思う 忠正、なんで最期に白い水干を着ていたんだろう。
普段は直垂だったはず。 いやいや、沖縄までアベに屈服したら俺はどこで生きていきゃいいんだと本気になりかけた長文としては、
デニーさんが速攻で当選した知らせを受けて、目下幸せいっぱいなんすよ。
それこそ、イデオロギーではなくアイデンティティなんす、沖縄プロブレムは。
オザワは嫌いだが、山本太郎、森ゆうこに続いてデニーさんという魅力的な「側近」を今回発見した。
サヨクが尊敬する保守はいっぱいいるが、水田だの小川だのの成れの果てが跋扈する惨状と、これを庇護するアベに
心底うんざりゲンナリするばかりだったところに、オザワ氏系列の方々の筋の通った生き方は新鮮ですらあった。
そうなると、典型的なポピュリストである小池やら橋下とは異なる、オザワ氏の大局的な視野と力量も見直さなければならない。
何を言いたいかというと、清盛はオザワちっくなところがもしかしたらある。 >>904
長文さんは宋に渡ればいいんじゃないかな? ソーカは政権の犬だからなw
松山犬一もハケンと電力のCMやってて分かり易いww 集団的自衛権国会で絶叫アベマンセー演説をしたピエロがこの男。
この時初めてこのいかがわしい男を知った。
なのでこの度の醜悪なデマ彦ぶりには驚かなんだ。 チャンネル桜や2ちゃんによる狂信的かつ愚劣な「王家バッシング」を何一つ吟味することなく、
ななんと他ならぬ国会という神聖な場で「反日NHKがー」をおっぱじめ、
憲政史上に残る言論弾圧に走ったネトウヨ御用達議員ですか?
世界中から笑われること間違いなし、愛国郷愁ポエムのような自民改憲案に対するこの女が発した
立憲主義に対する驚くべき無知の表明としか言いようがない「解説」を読んだ時に抱いた感想は↓
「講義を受けたという泉下の芦部信喜先生が泣いておられます」 「王」は百歩譲っても、「家」の概念なんて無いのになw
まあ戦後の反日サヨク史観だわな
反日サヨク御用達の巨星の本だからな〜
真面目に法律勉強してると気が付かないうちに自然と染まっていくわな 生活保護だらけのくせに生活保護ぶったぎり内閣を支持しちゃうガッカイインさんステキ おいおいお父さんさー、>>915
「家」なる概念つーのはようやくこの頃に成立するんだよ。
摂関[家]私兵たる源氏と対比された(公的軍事部門を掌握する以前の)、王[家]の私兵たる性格を濃厚に有した平氏。
その屈辱的な従属性から飛躍していった忠盛平氏の貴族社会におけるポジションについては、何度も言及したはず。
これこそが初期の「王家の犬」というメタファーなのね。そしてそこからの脱却が、清盛平家の課題であり歩んだ軌跡というわけ
(もはや平家は王家の犬ではござりませぬー49話)。
それはそうとしかしまあ、芦部大先生は「反日左翼の巨星」なんだと。。。トホホ
あと「生活保護撲滅キャンペーン」の先頭に立ってる片山某を、果たしてこの方々が支持するのかどうかは確かに興味深い。
>>916 「家」とは、ファミリーを意味するがw
天皇にファミリーを重ね合わせ、イメージ化させ、地位を陥れる、まさに芦部信喜の申し子らw すまんがお前並みのアホが国政中枢を乗っ取る時代に、イチイチ相手する気力が失せた。。。
正論でもバカバカ言う適菜収には抵抗あるが、最近は小川ナンチャラを追い込む彼の姿勢に
すっかりファンになってしもうたw 二階堂さあにオイのクロウナギをばチェストちしたかがお! エンケンにしても役者はそれでヨシだと思うぞ。
関係性の推移を緻密に捕捉していった信西vs頼長だって、撮影順序がバラバラだったこともあり、
果たして名優2人が、その時何を、如何なる意味を担って演じているのか、全体構造に位置づけて
完璧に理解していたのか?と問われれば、そうではなかったかもしれない。
だがしかし、為義、頼長、信西、時政の4人はすべて、見る者にとってはかけがえのない名演であり、
忘れがたい印象を与えたのである。
出まくる売れっ子の名優というのは、こういう芸当ができてしまう人たちのことを呼ぶのだろう。 テレ東のドラマ「琥珀の夢」に家貞、貞能、たま子、家盛、悪左府が出てた。 信西「清盛、お前叔父とその子らを斬らなかったら官位剥奪して領地も財宝も召し上げるぞコラ」
清盛「ふぁっ!?卑劣やん・・・」
↓
信西「俺が知力でお前の野心を支えてやっから、お前ら平氏の武力と財力で俺の政治を支えろよぉ」
信西さんも後白河も平氏がいないと何もできないくせに官位も領地も財宝も奪えるんですかねえ・・・ はあ?
清盛も信西とゴシラがいないと何も出来なかったんだけど? この2人とのwin-winの提携をきちんと描いたことも、清盛の功績の一つ。
京大系は信西との密接な関係を疑問視するが、それは歴史学の論争で決着つければ良いことで、
この部分については五味=本郷ラインに依拠した大河清盛に、「俺の学説と違う」と
難癖つけた大先生にはまいりました。
一方では王家がーたち、他方では「あのーこれ学問じゃなくてドラマなんですけど、そんな調子で
難詰するくせに新平家を絶賛するのは何故なんですか?」と呆れ果てるばかりの専門家が
醜態を晒したことも、清盛の負の遺産。 >>927
ちょっと質問なんですけど「新平家」ではどうなっていたのでしょうか? 総集編以外は知らない。なのでその部分は「空白」。ただし、上手とは言えない総集編だけからもトンデモぶりはわかる。
大先生の1人は全部見たとのことだが、教科書検閲官氏に至っては、年齢的に総集編以外知らないはずなのに、
事もあろうに吉川弘文館が出したくだらない教科書本で、「史実と違う」と大河で唯一清盛だけを取り上げて腐す一方で、
わざわざ(デタラメだらけの)新平家を絶賛する、まるで小川某のような「論考」を寄せている。 見た限り、新平家での小沢信西は「悪代官」以上の存在ではない。
これと比べて、当時の政治と政局ををリードした「大宰相」信西を掘り下げた大河清盛は、
この点からも画期的で、本郷先生がイッチバン評価しているところ。
そういう歴史的評価以上に、うだつが上がらず鬱憤を抱えた通憲から、次第にマキャベリスト化していき、
ついに手に入れた権力を粉骨砕身公のために捧げた挙句、あっけなく滅んだ本作の人間信西の造型は素晴らしい。 >清盛と直虎は似ている
>なぜか主人公が出てくると途端にドラマがしらけるけどサイドストーリーはなかなか優秀
ほおー、別に何をやったわけではない直虎嬢と類似してるのが清盛なのかよ?
人生最後の一発屋だけで、あとはありもしない秀吉「最側近」やってた真田信繁さんとか、
主人公を申し訳なさそうに出すものの、「命中!」ぐらいしか話がなかった八重さんとか、
もっと相応しい「白ける主人公」がいっぱいいるではないか?
源平物では、ただただ舌がもつれたナイスガイだった滝澤義経さんもそう。
悪意のない方なのにスンマセン。紹介させていただきました。 ま、殺陣があんまりうまくなかった松ケンに比べ、滝沢義経の上手いこと。
ダンスで鍛えているだけあった。 殺陣が上手いも下手も、清盛はチャンバラ映画じゃないもん。
仲代清盛は祇園社事件でも、平治の乱でも一兵卒の如く大太刀回りしてたが、
そういう時代劇のお約束ごとに清盛は関心を寄せなかった。
義経はいわば戦闘員だから、清盛よりはその手のものが要求される。 >>933
え?
チャンバラの世を作るってんじゃなかったっけ?
清盛って。 >>934
チャンバラするのが棟梁の仕事ではないのよ、ボクちゃん >>934
「武士の世をつくる」のこころは、「戦闘だけにあけくれる社会や無秩序をつくること」ではなく
天皇や貴族ではない「武士が統治する世の中」をつくるという意味だと思います。
そんな世の中を建設するには、ただ刀だけを振り回しているだけでは、不可能です。 >>934
やめとけ、ここの住人に冗談は一切通じないよ >>937
たしかに清盛スレの住人は多くが真面目だ。その点だけで比較すれば大河スレ随一じゃないかな。
だいたいこのスレは、放送当時には世間から評価されなかった大河清盛の「名誉回復運動」のために立てられたスレだ。
すくなくとも1を立てた人は、そう考えていると思うよ。 >>933
この方針を貫くのであれば義朝との一騎打ちはほんと余計だった チャンバラしない代わりにやったのが一騎打ちだから。
これが全体の中でどういう意味をもったかについては、上の方に書いてあるはず。
繰り返すが、昭和の時代劇風チャンバラとは対極にあるシーンが、この平安の一騎打ちだ。 義朝との「チャンバラ」は突然河原でやったと思うが、どこの設定だったんだろう。 普通に考えて鴨川の河川敷なんだろうなぁ
ひとつ前のシーンがそうだし 当初から予定されていたのか、予算上の措置からやむを得ない選択だったのかは知らない。
しかし、普通に考えれば賀茂川河川敷に決まってるところに、「2人以外誰もいない異次元空間」
を演出してヴァーチャルリアリティ感を醸し出したところに、この一騎討ちの場面設定上の意義がある。
そしてそれは、たとえ結果論であっても、「一騎討ちのロジック」=「時期尚早の[やるべきでなかった]
源平合戦第2ラウンド」に相応しいトポスだったと断言できる。 合戦面からは第2というか第1。
2としたのは、4話での忠盛vs為義タイマン対決を受けたシーンだから。 >>945
ふむ。
いわゆる特撮ワープを使ったんだな。 王家の問題で叩かれたのは気の毒
頭のおかしい時代考証のせいで不当なとばっちりくらった わかったような同情する前に、卑劣な王家バッシングした連中を厳しく批判するべきでないの?
今や、アベ界隈ではちっとも珍しくなくなってしまった論法にすぎぬが、
頭おかしいのは、チャンネル桜だの、極右リテラシー某たちが仕切る5ちゃんだろうに。
その言い方は、最近流行している「一番悪いのは、隙を見せて強姦されたあなたです」に等しい。 >>949
当時なかった概念や言葉を登場人物に喋らせたから時代考証が悪い
第一当時の文献でもほぼ出てこない言葉 当時の書物でもほとんどが帝、主上、朝廷、朝家、皇家とかなのに
大河ドラマで唐突に王家ってだすのが不気味 ああーまたやるの?
やるんだったらとことん受け立つから、アホウヨの方で論点を整理しろよ。
事の本質は、ドラマ上の用語選択の可否ではなく、一つもそのような意図がなかった
にもかかわらず、王家をもって「中国皇帝に冊封された臣下」と決めつけ、
「反日」と喚いて卑劣なバッシングをおっぱじめたお前らの無知と卑劣にある。
・王者議定というれっきととした実定法上の用語における「王者」は、中国皇帝様の臣下なのか?
・家父長的支配を律令国家の建前を超越する形で政治システムに持ち込んだ、院政期特有の
政治システムを捉えるより適切な用語はあるのか? >>953
当時にあったかどうかは知らんが
30年くらい前の山川の日本史副教材には王家と書かれてあったぞ >>957
文語と口語は語彙が違うから古文書を調べたところで意味がないよ 「家」 =ファミリー
をイメージさせることで、天皇の権威を陥れる事を目的化した朝鮮史観大河
共産主義者が跋扈している こういうナレ朝方式は悪くはないけれど、明治に入っていきなりというのは、西郷どんに
1年間共通して指摘できる弱点だと指摘せざるを得ない。
「断片性」の一ヴァリエーションだろう。
対する清盛は、徹底して「繋がりの哲学」を実践した大河である。 「チェスト!気張れ!」と言っていたのは誰なのか問題は結構深刻
それに比べたら天国の頼朝はフフっと笑って済ませられる アバンで人物相関や背景を説明しつつ乗り切った点では、政宗以来のオーソドックスさを踏襲した大河。
ま、政宗や信玄のアバンは草創期なのでとんでもがあったけれど。 >>963
なぜかデーモン閣下が登場したこともあったな 普通の一般人が王家としてイメージするの普通に国家の皇室のことであって朝貢とか中国の配下とかイメージしないし、天皇家という考え方も一般人は普通にイメージするよね こうしたアルバムとかあるだろ
それを反日に繋げるのは悪意があるとしか思えない ↑皇室アルバムとかあるよね のまちがい
写真集や皇室ご一家のテレビ特番などでも普通に家族として扱ってるし
それにチャチャをいちいち入れるとか醜すぎ >>965
王家なんて言わん
当時の文書にだってほとんどでてこない BSTBSでやってる歴史番組で清盛のBGMが使われてる >>967
当時の文書は文語
口語でなんと言ってたかなんて誰も知らない 普通に王家で何も問題ないよな
フランス王家とかイギリス王家とかいうだろ?
それと同じと考えれば良いやん?
なんでそんなくだらないことにこだわるのか意味不明
王という漢字は中華皇帝の属国という意味だけではないだろ?
それに天皇家の争いを表すために王家という考え方はわかりやすいし良いよ
あの時代の
天皇家のの内輪揉めに巻き込まれたのが武士なんだし
あの時代をうまく描いている素晴らしい大河だな 「征韓論」は何故、起きたのか
原因を突き詰めれば、分かるよな? 当時の文書にでてこない単語を選んだ時点でなんらかの主張が見えて気持ち悪い >>974
当時の文書に出てこない言葉なんていくらでもあるけど ハイハイ、何のこと?
「天皇侮辱罪」どころか愛着いっぱいだったことは何度も書きましたよ。
しかし、天皇制は置いといて(本当は切り離せないので、最左派からはお前怪しからんと言われる)、
「イマの日本」に対する今上陛下と皇后様の見識の高さと「お怒りと嘆き」には、心底共感する。 「当時の文書」に基づいて台本を書いたらとんでもないことになる
全ての会話に字幕出しても理解できるか疑問 日本の気候と地形であんなに土煙だらけなのも馬鹿みたいだった 画面は美しかったよなあ 少なくともクリエイターたちには支持されてた
爺婆には不評だったらしいがw
今でも皇室ご一家とか普通に会話の中でも出てくるのに王家がーとか天皇に家はないとか
ほんとアホらしい論議だねw
だいたい皇室を貶めるとか言って過去の天皇家の人を悪く表現するのは許すまじとかほんと気持ち悪いわ
天皇も所詮人だ
良い人も悪い人も醜いこともいろいろあって当然だし今と違って権力の中枢にあったわけだから骨肉の争いとかいくらでもあった
それを表現すると文句垂れる奴は北朝鮮と変わらんわ >そういう層や頭弱、更には特亜に媚びることしか考えてないなら、もうNHKに用は無い
>「海賊王に俺はなる!」呆れ
>若年層を掘り起こしたいんだけど、ずっと駄々滑りなんだよね
>覗き屋シエでさえ良作に思えてくる
>日本とは思えないような乾燥した空気感と
特亜とか平気で使うババアどもが、海賊王がー、オモチャの宋剣がーって喚き続ける正体なわけね。
何ともわかりやすいでしょ。王家がー、反日がー、オモチャの宋剣がーも同じ連中ってこと。
もうこちらではダンマリこいてるけどさ。
情けない「頭弱」ババアども、へタレてないで正々堂々とこちらでやれ!
※
「今から2年前、中世研究の先生方にさまざまなお話をうかがいました。たとえば、平安京は当時、都としての耐用年数を過ぎ、内裏は焼け落ち、
都の西半分は水没、【日照りが続くと砂埃が舞って大変だった】とか、
【清盛は自家用の宋船を持ち】、福原と厳島神社の間を乗り回していました。当時の貴族は中国語も話せた超エリート集団だったなど、
お話はどれも新鮮なものばかりで、遠い平安時代を身近に感じるようになりました。」
ドラマストーリーで、磯Pはこう述べている。つまり、白い粉による砂埃描写は、作り手が自分勝手に創作したものでもなんでもなく、
専門家の助言に基づいたものだ。もしそんなにデタラメだと主張したいのならば、平氏研究の権威である高橋教授始め、
「中世研究の先生方」に論争を挑んでこい。
なお、砂埃が舞ったからといって、気候区分上の「乾燥地帯」に京が属することになるはずがない。
元湿地帯であろうと地下水が豊かであろうと、日照等により人馬で踏み固められた往来から砂埃が舞い上がることぐらい
容易に想像できることだ(本郷も当然視)。
砂埃など舞わないとか見てきたような法螺に、砂埃から京を乾燥地帯に描いたなどという二重のデマゴギー。
いつまでヨタってないで、「無知で無能な制作側がー」に対してではなく、専門家の大先生に喧嘩売ってこい。
伏流水だかが豊富であろうとなかろうと、人口稠密な人工都市京は砂埃が舞う世界なのだ。
【参照】
まーた始まった。
京は湿地帯だからアスファルトの舗装があろうとなかろうと埃なんて舞わないーキリッ
万世一系のお上が住まわれる神聖な都が隣の国のように汚いわけないーキリッ
右京の湿地帯はとうの昔に宅地化されたが早くから衰退した、朱雀大路はペンペン草が生えていた、
羅城門はとっくの昔に破門となっており貧民の根城と化していた、インフラ未整備のため糞尿垂れ流し状態、
飢饉となれば疫病が猖獗し生き地獄、街は貧者・病者・孤児で溢れかえった・・・
しかし、このような有り様は制作陣のでっち上げにすぎず、本当の京は王朝絵巻から飛び出してきたかのような
綺麗で衛生的な都市だった・・・
そんなに出鱈目なファンタジーと否定するのならば、「真実の京の姿」とやらを紹介してみろよ。 絶賛整地中のトラック行き交う被災地でも見に行けばいいのに
水量豊富な河川があって7年前は立派な市街地だった土地なのに、ただ地面を覆う舗装や建物や草木が無いだけで土埃が舞ってるぞ
勿論乾燥地帯ではない この大河が始まる前も東日本大震災の被災地整地中で砂埃だらけだったのにな
勿論乾燥地帯ではない 賀茂河の水、双六の賽、山法師
もしかして見てないとか 津波があって重機を入れて工事を続けてるから土煙が立つ
当時の地形気候で土煙があったらおかしい
地形が違うってことは戦闘や統治の方法が変わってしまう よし分かった
大内宿に行って来い
江戸時代に開かれた未舗装の街道がどんなものか見て実際に歩いて来い 砂ぼこりが立つのは湿気とは関係ないしなあ
一昔前は風の多い日は普通に砂煙が立ってたよ
学校のグランドとか経験ないか?
舗装されてる道路ばかりではなかったからそういう日は結構あった
まして平安時代ならなおさらだよね 学校のグラウンドはそれ専用の砂を運んできて維持してるからそうなる 日本を荒廃した大地に変えたいというシナチョンの願望を映像化したと正直に言えよ 砂埃じゃなくて、あれはマクー空間なんです。
いきなり河原で一騎打ちみたいなやつです。
大将の一騎打ちは太平記でもありました。
ジャンプして石切場に移動みたいなもんです。気にする必要はありません。 >>998
だからお前はキンキラキンの隣の国のファンタジーでアタシのキレイな平安に浸ってろ このスレッドは1000を超えました。
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