ババアさ、ご飯論法やるなといったばかりだろ。
あらゆる大河には、
「松陰の妹で長州大河ができるのか?」→彼女をいわば狂言回しに松陰と若者をめぐる群像劇がやれそうだ
「真田太平記があるところ、真田信繁で大河をやる意味はあるのか?」→忍者ものでない真田物語を新たに作るべきだ
「翔ぶが如くとは異なる西郷大河の存在意義は如何?」→あちらとは異なる人間西郷を現代の視聴者の好みに
合わせてやってみようではないか

このような問いかけと回答がかならずある。俺が発した問いではなく自明の問いだ。問題意識のない大河はない。
清盛についても、
「新平家から40年、清盛像も平安末期の姿もずいぶん研究の進展があって変わってきているようだ。この辺りで新たな源平物を
清盛主人公でやってみる価値があるのではないか?」→先見性と躍動感あふれる清盛、リアルな京といったキャッチフレーズ
こうした問いかけと回答があったことは、磯氏の発言からも明らかだ。

お前は何故平清盛をテーマとしたと考えているのだ?Pの閃きか?有名人を数名並べてくじでもやって選んだのか?

>>421
それが答え?ゴミゴミ喚いたところで、清盛の美味は失われないってばw