最終回のテーマは大体次の5つ
・清盛の死
・一門との別れ
・平家滅亡
・志の継承
→武士の世造りは頼朝へ※
→交易国家は小兎丸へ(民間部門。国家間貿易は義満まで待つ旨ナレ)
・海の底での一門との再会

ギリギリに切り詰めた最終回にあって、義経の最後と弁解の立往生は唐突だ蛇足だと言われたが、そうではない。
鬼若時代からドラマにアクセントを与え続けてきた弁慶(従来の源平物と似て非なる!)を、そのままフェードアウトさせては
羊頭狗肉ということもあるが、義経の最後は「頼朝の覇権確立」という観点から見た場合に必須の出来事であった。
すなわち、※の構成要素に位置づけられる場面であり、描かれた内容は、「義経主従の最後」というよりも「源氏棟梁の
権力を盤石にした頼朝」である。

頼朝を頼って鎌倉へ下向した平家内離反分子頼盛が、最後の最後で力強く認め宣言した「平家は皆一蓮托生!」※※
の揮毫を凝視した頼朝は、苦渋の表情を浮かべつつも義経誅殺を決意した。
※※
これによって清盛が打ち出したキャッチフレーズは遂に「現実化」した。このアイロニー・・・西島の表情はまさに自嘲気味。
最終回の狂言廻し役西行と並んで、頼盛をキーマンとする発想に驚嘆するしかない。
他方、一族殺し合いの歴史をもつ源氏の棟梁頼朝は、平家の「一蓮托生」を噛み締めつつ弟殺しを避けて通れない運命と受け止めた。
このパラドックス・・・

そして、頼朝は、敗者となったあの世の清盛から未完に終わった武士の世建設を託された(「真の武士とは如何なるものか見せてみよ」)。
ここに至り、義経抹殺は源氏内権力の確立からさらに進んで、清盛からバトンを受けた武家政権確立のためにも避けては
通れない課題となったのである(「これが私の選んだ道・・武士の栄華[為義→義朝は〈源氏の栄華〉]へと続く道じゃ)。
換言すれば、武士の世を夢見た清盛の志は頼朝を通じて義経の死をもって完結する、その意味で義経の死は「大河清盛」
のフィナーレに相応しい、いや必要な出来事だったのである。