>>786
鳥羽伏見で戦争になるまで基本的には新選組にも襲われてないから

あなたも言う様に、新選組を預かってた会津と薩摩は事実上の同盟関係で
八一八から禁門の変まで文字通りの軍事同盟として機能してる
両者を離間させたのは同じく京都に駐在していた一橋慶喜で、
会津は親藩だからいいけど外様の薩摩が長州排斥で帝の信任を受け過ぎたのは
徳川政権の立場からは不安要素になると考えて朝廷からの離間を謀ってる

だけど、公式には長州と違って大政奉還迄公式に対立した形式が無いから
新撰組としても取り締まる理由が無い