戊辰戦争中、薩摩が「庄内兵を攻めろ」と諸藩に命じたら、
「いやそれ、藩邸を焼かれたアンタんとこの私怨でしょ、
 俺らがやる義理ないからやりたかったら薩摩だけでやって。」と
拒否されてしまったという史実がある。ソースはWikipediaだけど。

会津藩は長州から深く恨まれてたし、スケープゴードには他になかったから、
言わば本土決戦までやって城下の盟を誓わされたけど、それで戦争目的は一応達成。
巻き添えを食った長岡藩や二本松藩などもあるが、仙台藩も米沢藩も南部藩も戦闘無し。
後は残党を追って函館まで掃討しただけで戊辰戦争終了。

で、庄内藩だが、西郷としてもこれ以上は無益な殺生と思っていたのかも。
成り行き上、与えられた任務を全うするべく薩摩藩邸焼き討ちしただけだし、
長期戦になると冬になって南国薩長には不利だし、
日本人同士戦ってる間に外国が介入して日本全体が植民地にされかねないし、
ここは講和して恩を着せたほうが奥州鎮憮にはいいと思ったかもしれない。

以上、全くの私の推理想像だが、「史料にない→あったかもしれない」というからには、
この程度の説得力ある妄想を披露してほしいものだ。