>>842
久光が江戸在中のときに徳之島から沖永良部島への再遠島が決まったのは事実。
ただし、久光と慶喜との会談内容で西郷の処分が変更される可能性はほぼゼロです。
なぜかというと、西郷は慶喜から見て陪臣だから。
会社員が、自分の所属する会社の社長から賞罰を受けるのでなく、無関係のヨソの会社の社長の指図で
賞罰を受け出張出向するような事態なわけで、ものすごい越権行為になる。あれは演出の度が過ぎてる。

一説によれば、久光は西郷を島流しにせよとは重臣に命令したが、その流刑の具体的内容を知らず、
徳之島内で自由にすごしている(重臣がそういう刑に決めた)ことをあとで知って激怒し、牢に押し込め
もっと遠い島へ再遠島にせよ、ということで選ばれたのが最果ての地・沖永良部島だったとのこと。