【第三十三回】太平記 part.33『千寿王と不知哉丸』
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第三十三回「千寿王と不知哉丸」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki33.html
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【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
http://itest.5ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1507357471 わしは疲れた。疲れたぞ。何事も穏やかがよいぞ穏やかが。 >>118
かようなことを申されるから、三河屋にしてやられるのじゃ! >>117
それが理解できるだけの知能を持たない知的障害者(知的と言っても頭が良いわけじゃない)なんだから仕方ない >>115の世の常ならぬ合戦
見おいて人に語るべし
エイエイオー!オオオオオオオオ!!!!!!!! 北条の血を継いだ高義が少しだけでも出る事によって
天真爛漫な足利家嫡男像じゃなくて
側室上杉の子の高氏の
所詮オレははみ出しモノ的な
屈折した幼少期を描けば
ドラマの深みはもっと増したかもな 高師直とかの系列は滅亡したの?戦国時代に高氏は有名じゃないし >>110
霜月騒動と死因に関して同感。
>>111
北条との繋がりを思うと確かに・・・。
貞氏も家督を手放さなかったらしい。
察するに高義には子供を授かった後、健康上の問題があったかもしれない。
高義の幼児を足利の跡継ぎにさせるより
次男の高氏を選択したのではなかろうか。
貞氏のみぞ知る。 高義の資料が少ないのも怪しいな
だいたい○○の母親がはっきりしないのももやもやする
それもこれも義貞の野郎が鎌倉を灰塵としたせいだな
鎌倉が世界遺産を逃したのも義貞の咎
全ての悪因は義貞のせい >>127
そもそも歴史と言うものはじゃ…必ず誰かに都合よく作られる。
有り体に申さば、時の権力におもねって作られる。
作り話をでっち上げ、あれも名君これも名君…戦が起これば勝者の歴史が残り、敗者の歴史は闇に葬り去られる…!
つらつらおもんみるに…歴史の書物は嘘だらけ穴だらけ矛盾だらけ! >>93
崇徳院の嫁
・皇嘉門院(三河国幡豆郡吉良荘本家)
・兵衛佐局(源頼朝の親類(吾妻鏡)、三河の藤姓熱田大宮司家出身か?)→重仁親王(乳母は池禅尼(息子は平頼盛(三河守)))
・女(父は源師経(三河権守)、母は由良御前の姉妹(三河の藤姓熱田大宮司家)、源頼朝の従兄弟)
源頼朝と関係が深いと言う事は足利義兼とも関係が深い
あながちまちがっているとは言えんわな >>128
どこかで聞いたと思ったら、葵徳川三代か 高義の子供は直冬みたいに
尊氏に反旗を翻さえさなかったな >>109
高義が家督を継いでいたら、北条をつぶさなかったろう。
血縁の伯父が、児玉さんが演じてた金沢貞顕になるし。 高義vs尊氏直義の内乱が起きそうだな
あれ、デジャヴ… >>136
尊氏直義vs尊氏の子直冬+高義の子
新太平記 >>134
つーことは血をわけた関係じゃない尊氏を我が子を見るように見送ったのも、かつての娘婿の子だからか。なかなか奥が深いな あっ伯父ってことは貞氏とは義理の兄弟か。なんかこんがらがってきたw >>50
土岐なんとかに絡まれた時も
>>62
既存の権威をモノともしない姿勢かな 高義は家督を譲られたが、尊氏は譲られていない
譲られなかったのは貞氏と不仲だったか、譲る事が出来なかったかのどちらか
天下を取ってからの顕彰行為や菩提行為が無かったところをみると、不仲だった可能性が高い >>142
尊氏自身も、まともに動くことも叶わない最晩年になっても、死ぬまで義詮に家督を譲っていないけどね。 平家リスペクトでこんな感じという話があったような
人間が思い出せぬ
地獄:蓮花寺の400余人切腹
畜生:土岐頼遠の件(犬)
餓鬼:正平の一統の拉致監禁
修羅:六波羅脱出時に矢を受ける
人間:
天界:即位 光厳院カワイソス…北朝の悪運を一身に浴びてる…
ドラマでもあったよね、何の事件かは忘れたが、御所あたりから弟光明天皇と共に避難する際に、月を見上げたら真っ赤だったと >>142
尊氏って家督を譲られていなかったのね。
家督と嫡男の関係も混乱してきたわ。
やはり北条の高義は認められていたって事ね。 >>147
尊氏から義詮の場合は、北条は関係ないよ。 鎌倉から出たことのない高義と三河で生まれ育って兵隊を掌握していた尊氏とじゃ、高義は相手にならんだろう
話は飛んで大人の豆知識だが
安達盛長の本貫地は現在の三河県豊橋市石巻小野田付近と考えられるが、近くの石巻山は三輪山の奥院であると大神神社の社伝に書いてある
昔は石巻山を神山(ミワヤマ)と呼んでいて、そこから三輪山になったらしい
すると、大神神社と伊勢神宮(伊勢と三輪の神。一体分身の御事。)の主祭神、大物主(ニギハヤヒ?)は三河出身なんだろうか
安達盛長は三河国の御厨の元締めでもあった
纒向遺跡の東海色はよく知られているが、纒向は追い出されたが、時代を下り源頼朝、足利尊氏、徳川家康と三河は関東関西を圧倒したわな グーグルマップで見るとよく分かるが、大神神社の鳥居と拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥院、三河の神山(石巻山)に向いているわけだな >>142
よければ高義が家督を相続したという文献を明示してくれ
それが事実なら話が変わってくる 詳しくは>>142が答えてくれると思うが、確か一時的に貞氏の足利惣領家当主としての
発給文書が見られず、代わりに高義の発給文書が出てくる時期が数年間存在するとかじゃ
なかったかな? ウィキだがコレか
正和4年(1315年)11月に「足利左馬助」名で鶴岡八幡宮の僧侶・円重に対して供僧職安堵の書状を出しており(「鶴岡両界壇供僧次第」)、足利家の家督を継承していたらしい。
3年後の文保2年(1318年)9月には、家督を譲ったはずの父・貞氏が再び安堵状を出しており、この時までに高義は没したと考えられている。 ほほーなるほど。高義の男子を貞氏が後見し尊氏直義が補佐するならば毛利両川体制だったのにな。尊氏直義はまだ小僧だったから無理か >>156
高義が19才くらいで高氏が12才くらいの時だな
小僧って言っても鎌倉ならそでもない と言う事は鑁阿寺にあった家時の自害前の文書は
貞氏から高義に伝えられていた可能性もあるって事か
胸アツだな 12才は十分小僧やんけ。小僧も小僧、はな垂れ小僧だわ。
毛利両川は両川体制の時には百戦錬磨の猛将だったわ。
12才とそれより年下の直義に何が出来るんだ? 直義も本当は倒幕前の名前は「高国」で、「直義」は建武期以降の改名なんだよな。 一番大事なのはここじゃね、高義の遺児の母親が北条氏かどうか、ここかなり重要。 高義のミドルネームは左馬助か
尊氏は又太郎だったな
直義は何だ?
てか右馬助っていたような…? >>164
毛利の凄さも知らないヤツが何を言っているんだ?
尊氏の時なんて戦国に比べたら弱い武将ばかりやんけ。
小僧の精紳年齢も戦国武将に比べたら
同じ年齢でも尊氏時代なんてガキのガキやんけ。 毛利といえば、二木 謙一の
「秀吉の接待―毛利輝元上洛日記を読み解く」 が面白かったな。
太平記と関係ないけど。
進物の格や数、馬の代わりに金を贈るとか。金がいくらあっても足りん。 小早川隆景は弱冠10才で元就の謀略を手伝っていたらしい
闘犬の犬にケツを噛まれてアタフタしていた馬鹿とはえらい違いだw 尊氏なら戦国時代でも天下取ったかもって今東光が言ってたな 戦国時代と聞いて讃岐守殿がアップを始めました
人の良いジジイで死ぬのは嫌なようですw 今東光って瀬戸内寂聴の師匠の生臭坊主だろ
なんでそんなことがわかるんだよ ちなみに道誉の墓所の最寄り駅は、近江鉄道の尼子駅だなw 今度のヒストリアで観応の擾乱やるみたいです。
あと、古舘さんの番組で妖霊星についてやってましたよ。 >>172
(足利貞氏)
儂は良いジジィで死ぬくらいなら、血飛沫の中で地獄に落ちるのが本望だ…! 貞氏と経久
直垂の袖を通さないことがある。
緒形拳なりのこだわりがあったのかな? >>179
秀忠とか吉宗の時の
西田敏行も袖通してないイメージ
あれ結構好き 江戸時代だと、直垂って日常的に着るものじゃなくね? >>173
毒舌日本史っていう本で語ってた
躁鬱病っぽいけど大将としての魅力が半端ないから的な
二十年前くらいに読んだから表現は違ったかも
我らが大将軍が高く評価されてて嬉しかったなあ 尊氏みたいな煮え切らない男は戦国時代ならすぐ下剋上だな残念ながら なんと言っても、南北朝時代は足利家の当主って地位や征夷大将軍の地位に権威あったからな
戦国時代はそんなもんに何の価値もなくなってるから尊氏が天寿を全うできるとはとても思えないわ 足利家当主で戦国大名としてやっていけそうなのは義満と義教の2人だけだな 尊氏は最初から全国在住みたいな思考だから
人生かけて一国二国切り取るような戦いが上手だったかどうかわからんね
あの本拠地不明感は今東光の言うように信長に通じるものがある 戦国の毛利や織田や徳川をトップに
今川・北条・豊臣・真田・武田・上杉に比べたら
南北朝の足利や新田や楠なんてちまちま戦略もなく戦っているだけで
戦国武将にしたら小僧扱いやんけ。 亜相殿と顕家卿がいたら
史実の北畠に対して信長大苦戦しそう >>189
本拠地不明って頭がおかしいのかい?
まさに王国なんだが
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 実は室町期も足利植民将軍家の本拠は三河であり
三河に本拠を置きながら関西関東に君臨した構図なのは明白だろう
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>190
戦国期の戦争なんて、その地域だけで完結する、お山の大将同士の争いに過ぎないわけで、
すべてが全国規模で連動していく南北朝期のようなダイナミズムは、そこにはないねw >>196
動員規模が全然違うぞ
南北朝期なんてせいぜい千人単位だぞ
戦国期は一円支配を巡る争いだから地域ごとの総力戦で、庶民も関与していてすぐ万単位の戦いになってたぞ >>198
総力戦じゃないとそんなもんなんだよな
鳥羽伏見の幕府軍が総動員で3万程度だもんな
大坂の陣とか30万くらい動員してることと比較すると戦争の質が違うことがわかる つーか、200年以上も違う時代の戦闘を比較する意味ってあるの? ここで戦国時代は凄い的な発言を一々している奴ウザい >>201
ソレだよねぇ比較対象にするのがおかしな話なんだよ 高義の話に戻そーぜ。
高義の遺児が跡目を継げなかったのはやはり若すぎたというのが最大の理由かな。母親も身分の低い女だったらしいし。
それならある程度成人してる尊氏に跡目を継がせて正室に北条女をあてがり北条に取り込もうと考えたのが自然な流れかな。 >>205
義詮は北条の血引いてるしな、
鎌倉幕府が続いてたら北条の血引いてる人が足利当主になるしな >>205
高義の息子の安芸守某の母親のソースってある?
一時的にしろ家督を譲られた高義の嫡男だし
北条一族が母親って可能性も、ないのかな。 義詮と基氏が北条の血を引いてることが後々大きく生きてくるんだよね
関東はやはり北条の地盤だったところだからそこを治める時に登子とその子の義詮や基氏の存在は大きかった >>207
この時期で安芸守っていうと武田氏とかか? >>209
らしい。
実際は安芸に出向いてはいないと思うけど。
ちなみに高義の娘2人は尊氏方の武田信武と
直義に付いた上杉朝定に嫁いでいるらしい。 武田信武って、尊氏より年上だと思うけど、高義の娘の嫁ぎ先って本当なのかな? ちょぉぉぉぉぉぉ、師直が善良なシマンチュに転生してるぅぅぅぅぅぅw 以前に某大河では、お漏らし太閤とかもやっていたなw >>210
上杉や細川は族が多すぎて混乱する。もっと力を削いでおけと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています