【第三十三回】太平記 part.33『千寿王と不知哉丸』
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第三十三回「千寿王と不知哉丸」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki33.html
前スレ
【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
http://itest.5ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1507357471 >>196
動員規模が全然違うぞ
南北朝期なんてせいぜい千人単位だぞ
戦国期は一円支配を巡る争いだから地域ごとの総力戦で、庶民も関与していてすぐ万単位の戦いになってたぞ >>198
総力戦じゃないとそんなもんなんだよな
鳥羽伏見の幕府軍が総動員で3万程度だもんな
大坂の陣とか30万くらい動員してることと比較すると戦争の質が違うことがわかる つーか、200年以上も違う時代の戦闘を比較する意味ってあるの? ここで戦国時代は凄い的な発言を一々している奴ウザい >>201
ソレだよねぇ比較対象にするのがおかしな話なんだよ 高義の話に戻そーぜ。
高義の遺児が跡目を継げなかったのはやはり若すぎたというのが最大の理由かな。母親も身分の低い女だったらしいし。
それならある程度成人してる尊氏に跡目を継がせて正室に北条女をあてがり北条に取り込もうと考えたのが自然な流れかな。 >>205
義詮は北条の血引いてるしな、
鎌倉幕府が続いてたら北条の血引いてる人が足利当主になるしな >>205
高義の息子の安芸守某の母親のソースってある?
一時的にしろ家督を譲られた高義の嫡男だし
北条一族が母親って可能性も、ないのかな。 義詮と基氏が北条の血を引いてることが後々大きく生きてくるんだよね
関東はやはり北条の地盤だったところだからそこを治める時に登子とその子の義詮や基氏の存在は大きかった >>207
この時期で安芸守っていうと武田氏とかか? >>209
らしい。
実際は安芸に出向いてはいないと思うけど。
ちなみに高義の娘2人は尊氏方の武田信武と
直義に付いた上杉朝定に嫁いでいるらしい。 武田信武って、尊氏より年上だと思うけど、高義の娘の嫁ぎ先って本当なのかな? ちょぉぉぉぉぉぉ、師直が善良なシマンチュに転生してるぅぅぅぅぅぅw 以前に某大河では、お漏らし太閤とかもやっていたなw >>210
上杉や細川は族が多すぎて混乱する。もっと力を削いでおけと >>210
この時期の鎌倉期の武田氏で安芸守の名乗りがあるのって、信武の父の信宗だけじゃね?
>>215
元々足利一門内で、さほど有力ではなかったから、警戒されずに発展したということでは? 細川は男子に恵まれて一族がどんどん増えていったのが大きい
あと、普通次男以下は別姓を立てて独立するのに、何故か細川は
みんな細川のままなんだよな >>217
別姓立てて独立するような土地がなかったんでは?w やっぱ上杉細川が増えていったのって東西の管領になってからか?山内や扇谷だの、忠興だの昔の首相だの面倒くせえんだよ >>217
>>218
分家したのがいつかによるんじゃないか?
斯波・畠山・山名なども、建武期以降に分かれた庶流は、基本的に苗字を変えていない。
上杉や佐々木は、山内・扇谷とか六角・京極とかみたいな家ごとの通称ができるけど、
それでも幕府からの発給文書の宛名表記は、基本的に「佐々木」「上杉」の苗字で書かれる。 >>216
安芸守は高義で
高義の娘の1人が武田に嫁いだ
で、安芸の武田か甲斐の武田が
こんがらがって来ました。
いづれにしても高義と子供達は
親子揃って謎が多い分興味深い。 武田も族が多いな。むかつくぜw
高義の子どもの母親がはっきりしないってことはあまり身分が確かではない者と見るのが自然ではないか
遺児たちの母親が北条なら、さすがに文献にも残ってるだろうし >>224
でも足利頼氏(尊氏の曾祖父)の正室なんかは、北条一族(佐介流)の出身なのに、
結構最近まで存在自体が知られていなかったよ。 武田信宗って、安芸守の官途を名乗ったことは本当にあったのだろうか?
この時期の安芸武田氏の歴代当主って、安芸守護ではあっても、官途は伊豆守が
一般的のような・・・。
確かドラマのなかでも、帝ご謀反に際して、円喜が作った出兵リストのなかに、
「足利治部大輔」なんかと一緒に「武田伊豆守」(信武か?)があるのが、さりげなく
映っていたが。 高義の嫡男足利安芸守某の安芸守はただの通称だったんじゃない。 >>224
そう考えるのなら、何故そこから公暁に話を持っていけないのか?
もっと展開し熟考せよ
これはセンスの問題だがな
大人の豆知識&ヒント
公暁の母親は三河国足助重長の娘
公暁が実朝の首を持って訪れた後見人の備中阿闍梨(事件後すぐに殺される?)は三河の藤姓熱田大宮司家出身の可能性が高い
事件当時、実朝の命令で伊勢に行かされていた波多野義典は、公暁の死を知ると三河国矢作宿で自殺 そもそも高義が若くして亡くなった言えども21〜22才で
しかも家督を継いでいるのに古文書なり資料が殆どないって事が不思議だわ
鎌倉の延福寺が高義の寺であり直義が亡くなった寺と言うのも感慨深い >>231
それをいうなら、それ以前の足利の当主である頼氏や家時だって、生没年を含めて
ハッキリしないことは多かったぞ。
鎌倉の後半期は『吾妻鏡』による記録がないし、室町以降ほど残存する文書も
多くないから、有力御家人であっても意外と分からないことが多い印象。 今日のヒストリアは尊氏直義の兄弟げんか
おまえら見るの? でも正直、あのレベルの喧嘩とその結末を
ヒストリアには描けないだろう ヒストリアは劣化しすぎ
大河ともどもレベルが下がりすぎ NHK 22:25-23:10
歴史秘話ヒストリア「ご存じですか?観応の擾乱 武士の世をつくった兄弟ゲンカ」
室町時代初め、日本中を巻き込んだ大乱「観応の擾乱」。室町幕府をつくった将軍足利尊氏と弟・直義、重臣・高師直、彼らの戦いは、なんと日本の歴史を変えた! なんかの映像使い回しかっちゅうくらい衣装凝ってたな >>238
面白かったです。
弟さんの死因は太平記と違ってましたね。
見た人いますか? でも師直の命日でとかと思うと
やはり毒殺説だと思うんだよな あんだけ権力に執着していた直義が病で大人しく没するなんてねえ 大鎧いっぱい出てきて感心した。ドラマ部分も良かったし予想以上の出来だった。 亀田氏の研究では直義毒殺説否定してるからな
原本太平記では直義死亡の記事に、事実不明だが毒殺されたと噂された、みたいに書いてあったのに
その後の記述から毒殺されたのが事実みたいな扱いになってるし
創作なら毒殺説のほうが面白くなるから、吉川が私本太平記でそっちを採用したのもわかる >>247
おかげで大河太平記で、あの名シーンがうまれたわけだ 毒殺の方がドラマチックだしね。最終話は最高でしたよ >>247
高校生向け(大学受験向け)の日本史用語集の「足利直義」の項目でも、直義の最期を
毒殺と書いてあったりするからなぁ。
仮に毒殺否定説が主流になったりすると、教育現場にも影響大きいよw そういう場合は毒殺を否定する証拠が一切ないわけだよな
毒殺が強く流布してた噂に過ぎなかったとしても >>245
でも池端先生はお気に入りだよね
そろばん侍に出てる
棒読みでも坂の上に赤井とか出してるね
不思議だ >>253
まぁ尊氏や師直が強すぎるから、比較するとね 直冬の冬って誰からの偏諱なんだ?
高師冬ってのもいたよな、師直か師泰の息子で 「冬」の字って摂関家が割と好んで使う印象があるが、直冬の場合、特に誰かの偏諱というわけではないのでは? >>255 >>257
尊氏・師直派と直義派の対立は、つまるところ新興武士層と鎌倉以来の名門御家人層の対立だからなぁ。
彼らが個人的に相手をどう思っているかとか、そういう思惑を超越したところで対立が深刻化している。
ただ出世のために武功を立てなければならない新興武士層と、そこまで働かなくても厚遇が得られる名門御家人層とでは、前者のほうが明らかに戦意は高いはず。
尊氏・師直のほうが戦争が強いのは、結局そういう戦意の高い奴らが彼らの側に集まってくるからだろう。
無論、尊氏のカリスマ性が直義を遥かに凌駕していることもあるだろうけど >>263
妙法院焼き討ちした道誉が尊氏に話してたっけ
最期の命乞いのインパクトが強すぎるけどw 要は南北朝の戦乱がなければ、新興武士たちが手柄を立てられる場もなく、結果として
彼等が台頭することもない。
その意味では鎌倉以来の名家を重視する直義の政治姿勢は、政権が安定している平和な
時代ならアリだったということだなw そもそも直義が負けた事自体が脅威だわ
何で負けたんだ? 直義が理想としていたのは、明らかに北条義時・泰時の頃の鎌倉幕府で、だからこそ、
尊氏=将軍、直義=執権の二元体制を作ったと言われるね。
しかし過去のある時代を過度に理想視て、“あの時代に戻さなければならない”みたいな
信念を極端に持つようなタイプの人って、結局自分自身の理想と今現在の社会の現実との
ギャップがどうにもならなくて潰れてしまうイメージ。
延喜・天暦に戻したいという後醍醐の理想についていけないからこそ、兄尊氏を担いでの
新政権樹立に動いた直義も、結局は後醍醐と同じ轍を踏んだという感じかな。 >>266
.>鎌倉以来の名家を重視する直義の政治姿勢
そんな単純ではないのでアウト >>276
それまでに家格を上げるのに必死だった。
安達氏に似ている。 建武期だと、新興武士層=護良派、旧鎌倉御家人層=尊氏派というイメージがあるが、
いつの間にか、新興武士層=尊氏派、旧鎌倉御家人層=直義派という構図に変わったなw >>253
(佐々木道誉)
御舎弟殿では、新田には勝てん…駿河で敗れれば先は見える。
そうなれば儂は新田に寝返るぞ!生き延びるために寝返るぞ!
そうでもせねば、生きていけぬわ!アッハッハッハッハッハッ…! >>284
追伸
あなたが出馬するときは教えてね♪
いつでもどこでも寝返るから(はぁと) 佐々木道誉の立ち回りは奇跡
源氏名家同士だからか知らんが
良くぞ尊氏は早い内に始末しなかったな さて、
言いたいことがあるからちょっと待っててね
と言ったのに弓矢を放ち刃を向けた人は誰でしょう? 判官殿は皆がうろうろした時期に一貫して尊氏・義詮党だったし
息子を犠牲にして義詮を助けたりしてる
大忠の者である >>288
(佐々木道誉)
儂は……頼りにならん男ぞ……? >>291
道誉って、六角は本家筋としてそれなりに立てている印象があるけど。 ヒストリアで吉野の賀名生がでてたけどクッソ山奥だったな。昔は熊とか猪に襲われてたんじゃないの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています