【第三十三回】太平記 part.33『千寿王と不知哉丸』
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第三十三回「千寿王と不知哉丸」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki33.html
前スレ
【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
http://itest.5ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1507357471 >>247
おかげで大河太平記で、あの名シーンがうまれたわけだ 毒殺の方がドラマチックだしね。最終話は最高でしたよ >>247
高校生向け(大学受験向け)の日本史用語集の「足利直義」の項目でも、直義の最期を
毒殺と書いてあったりするからなぁ。
仮に毒殺否定説が主流になったりすると、教育現場にも影響大きいよw そういう場合は毒殺を否定する証拠が一切ないわけだよな
毒殺が強く流布してた噂に過ぎなかったとしても >>245
でも池端先生はお気に入りだよね
そろばん侍に出てる
棒読みでも坂の上に赤井とか出してるね
不思議だ >>253
まぁ尊氏や師直が強すぎるから、比較するとね 直冬の冬って誰からの偏諱なんだ?
高師冬ってのもいたよな、師直か師泰の息子で 「冬」の字って摂関家が割と好んで使う印象があるが、直冬の場合、特に誰かの偏諱というわけではないのでは? >>255 >>257
尊氏・師直派と直義派の対立は、つまるところ新興武士層と鎌倉以来の名門御家人層の対立だからなぁ。
彼らが個人的に相手をどう思っているかとか、そういう思惑を超越したところで対立が深刻化している。
ただ出世のために武功を立てなければならない新興武士層と、そこまで働かなくても厚遇が得られる名門御家人層とでは、前者のほうが明らかに戦意は高いはず。
尊氏・師直のほうが戦争が強いのは、結局そういう戦意の高い奴らが彼らの側に集まってくるからだろう。
無論、尊氏のカリスマ性が直義を遥かに凌駕していることもあるだろうけど >>263
妙法院焼き討ちした道誉が尊氏に話してたっけ
最期の命乞いのインパクトが強すぎるけどw 要は南北朝の戦乱がなければ、新興武士たちが手柄を立てられる場もなく、結果として
彼等が台頭することもない。
その意味では鎌倉以来の名家を重視する直義の政治姿勢は、政権が安定している平和な
時代ならアリだったということだなw そもそも直義が負けた事自体が脅威だわ
何で負けたんだ? 直義が理想としていたのは、明らかに北条義時・泰時の頃の鎌倉幕府で、だからこそ、
尊氏=将軍、直義=執権の二元体制を作ったと言われるね。
しかし過去のある時代を過度に理想視て、“あの時代に戻さなければならない”みたいな
信念を極端に持つようなタイプの人って、結局自分自身の理想と今現在の社会の現実との
ギャップがどうにもならなくて潰れてしまうイメージ。
延喜・天暦に戻したいという後醍醐の理想についていけないからこそ、兄尊氏を担いでの
新政権樹立に動いた直義も、結局は後醍醐と同じ轍を踏んだという感じかな。 >>266
.>鎌倉以来の名家を重視する直義の政治姿勢
そんな単純ではないのでアウト >>276
それまでに家格を上げるのに必死だった。
安達氏に似ている。 建武期だと、新興武士層=護良派、旧鎌倉御家人層=尊氏派というイメージがあるが、
いつの間にか、新興武士層=尊氏派、旧鎌倉御家人層=直義派という構図に変わったなw >>253
(佐々木道誉)
御舎弟殿では、新田には勝てん…駿河で敗れれば先は見える。
そうなれば儂は新田に寝返るぞ!生き延びるために寝返るぞ!
そうでもせねば、生きていけぬわ!アッハッハッハッハッハッ…! >>284
追伸
あなたが出馬するときは教えてね♪
いつでもどこでも寝返るから(はぁと) 佐々木道誉の立ち回りは奇跡
源氏名家同士だからか知らんが
良くぞ尊氏は早い内に始末しなかったな さて、
言いたいことがあるからちょっと待っててね
と言ったのに弓矢を放ち刃を向けた人は誰でしょう? 判官殿は皆がうろうろした時期に一貫して尊氏・義詮党だったし
息子を犠牲にして義詮を助けたりしてる
大忠の者である >>288
(佐々木道誉)
儂は……頼りにならん男ぞ……? >>291
道誉って、六角は本家筋としてそれなりに立てている印象があるけど。 ヒストリアで吉野の賀名生がでてたけどクッソ山奥だったな。昔は熊とか猪に襲われてたんじゃないの >>298
当時の南都の大寺社って基本的に北朝方だけど・・・。
あと元弘の変で挙兵した際の後醍醐も、南都の寺社が味方してくれないから、急遽
行き先を変えて、笠置に籠っている。 >>294
佐々木が本筋ではないのね
六角か京極かか
足利家なら斯波とか細川が本筋になってしまう
ってことね 近江源氏佐々木氏は鎌倉前期には六角と京極、その他に分かれてたみたいだな 吉良は足利分家筆頭、斯波は足利本家の別家
どちらが格上か微妙 >>303
佐々木氏の嫡流が六角だよ。
これは上杉氏の嫡流が山内なのと同様。 大河ドラマは、戦国と幕末ばかりやってるから
変な歴史オタがこのスレに寄ってるくるんだな >>261
高師夏
高師秋
高師冬
は確認できるな。春はしらん。 >>311
義詮もよしは分かるが
アキラって不思議 >>311
この3人、誰一人として大河の劇中には登場しなかったよね? >>311
高一族のなかに高師春もいるよ。
師重の弟(師直の叔父)に当たる人物。
>>312
義詮の「詮」の字は、祇園社(現八坂神社)の社家で尊氏の御師であった
顕詮(『祇園執行日記』の記主として有名)から来ているという話を聞いたことがある。 この流れで誰か>>125に答えてやって
おもいっきりスルーされてるから 高義 高氏 高國
こいつらは全員高時が烏帽子親なの? >>325
普通は烏帽子親から烏帽子子に与えるものじゃないの?
それによって擬制的親子関係を作って連帯感を共有すると・・・。 足利将軍が摂家の当主に偏諱を与える場合も烏帽子親なの? 義満以降は、偏諱の意味合いが主従関係の確認みたいに変化するわけだけど、足利将軍が
公家に偏諱を与えるのは、実質的に将軍のほうが上位であることをある意味象徴している。 どうして、劇中では主人公弟は足利高國を名乗る時期が存在せず、最初から直義の呼称だったのかな?原作準拠か?
史実においては、足利直冬の幼名も新熊野で、不知哉丸という幼名は原作に準拠したわけだし 同一人物の名前がころころ変わると
視聴者がついてこれないんだよ >>331
確か子供の頃から直義だったよねぇ
兄貴の高氏が又太郎、新田義貞が小次郎だったのに >>334
当時普通に資料がないからだと思ってたけど違うの? >>335
うん、史料はないんだと思う
ただドラマ上、直義だけが幼名じゃなかったんで(ドラマ内で創作してない) >>333
主人公とか、名前の変遷が重要な場合とかを別にすれば、他の登場人物の改名は無視して
その人物の最も有名な名前に最初からしてしまうのは、割りとよくある話だな。 義満からだったか、偏諱は上にしろー下につけるのは無礼だ!ってぶちきれたのはw鎌倉公方がとばっちりくらった まあ足利氏満の名前は、京都側の史料では勝手に「満氏」に書き換えられているからなw
あと、上杉禅秀の乱で滅びた甲斐守護武田信満も同様。 >>343
「兵部少輔」「左兵衛督」「錦小路殿」「三条(坊門)殿」「高倉禅門」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています