【第三十三回】太平記 part.33『千寿王と不知哉丸』
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第三十三回「千寿王と不知哉丸」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki33.html
前スレ
【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
http://itest.5ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1507357471 >>33
NHKから購入したって書いてありました。 左様。足利をはずしていづくにか我らの行くべき所やある!
いつになるかわからんが… そう言えばこの前金沢文庫行って金沢家歴代のお墓にもお参りした
時宗の実時も思い出して感無量
金沢家の古典保存、歴史・文学研究への貢献ははかり知れないな >>37
時宗見てピーターの実時は
頭脳明晰で冷静沈着な感じが良かった
孫の児玉さんはw >>39
頭脳明晰なんだろうけどメンタルが弱すぎるわな >>37
そういえば貞顕が六波羅探題として京都にいた時期に、大量の古典籍を買い漁って、
金沢文庫の蔵書を大幅に増やしたという話があったな。 確か貞顕が六波羅探題南方だったときに嘉元の乱が起こったのだが、そのとき貞顕は
自分が二月騒動のときの時輔の二の舞になるんじゃないかと震え上がっていた、なんて
話もあったなw 光厳上皇の院宣と後醍醐の綸旨はどちらが優先されるべきなのかな 当時の一般的な感覚では、治天の君>在位中の天皇だろうと思う。 あと宣旨(院宣)のほうが綸旨よりフォーマルなものという認識もあると思う。
もっとも後醍醐は、やたらと綸旨万能主義に拘るけどw アニメのまんが日本史、鎌倉開府から南北朝合一あたり、なかなかに見応えがある。
画が単純だからバカにしていたが。
一応原案の小学館 少年少女日本の歴史は昔全巻読んでいた。名作だった。 平安京を占領してるとこが勝者
よって光厳上皇の院宣が上 しかし光厳って、2度も地獄を見ているんだよな。
六波羅陥落のときと正平の一統のときと。 >>48
歴史漫画のなかでは、小学館が一番というよね。 後醍醐天皇と光厳上皇は義理の親子、これ豆な
後醍醐の皇女が光厳の中宮になっている 足利尊氏って日本史上で一番嫌いな人物なんだよね。直冬を冷遇したり、直義を暗殺したり、世の中が乱れたのも尊氏が悪い。 今上天皇が来年に退位あそばされ平成上皇となられる。日本国憲法には天皇の規定はあるが、上皇にはない。上皇はフリーだ。平成院から院宣が下されるのもそう遠くはないであろう。お前らも日頃の鍛練を怠るなよ。 舞の練習しとくわ。
御辺は婆娑羅よのおって言われたいし。 初めて一から観てるけど終盤よりも前半の得体の知れない高師直が好きだった。 喚く直義をよそに餅を食っているシーンが初出だっけ?
違うよね。 結局婆娑羅って何だったんだろう
お茶が婆娑羅?立花が婆娑羅?歯に衣着せぬ物言いが婆娑羅? >>61
貞氏が尊氏に家督を譲った際に、それじゃ今日から執事も代替わりみたいな感じで
登場したのが最初かな? >>58
飄々とした感じだったのが、急に俗っぽくなった印象あるな そうそう俗っぽくなった。
まぁ権力持って変わったってことなんだろうけど。
今全話観終わった。最後の回想に師直いないね笑
この時代のことあんま知らんかったから勉強にもなった。これきっかけにいろいろ読んでみよう。 確かに前半と後半では全然キャラが違うなぁ
これってつまり脚本(ry 後醍醐帝も前半では神々しさを感じさせていたのに、六波羅&鎌倉陥落を聞いた時の高笑いで一気に俗化した印象が
まあ尊氏の前では粧い続けたみたいだけどw 御台様も殿がどこぞの白拍子に産ませた子供のせいで、後半性格キツくなったぞw 最初は美しく見えたものが、だんだんそうじゃなくなるというのが、このドラマの隠れたテーマでしょう?
そしてそれが、最終回の毒殺シーンでの、実はあの醜い木切れこそが神だったのかも・・・という発言に繋がる。 確かにあの醜い木切れの段は聞き逃してはならないですね・・・ 今となっては…敵も味方もない。のぅ…判官殿。
皆、同じじゃ…
皆、同じ時を生きたのじゃ…共に生きたのじゃ…! >>19
支援、補足説明
嫁と息子が匿われていた所は、もうお馴染みの滝山寺らしい(角川地名大辞典より)
滝山寺(三河県岡崎市)
http://takisanji.net/
豆だが、当時三河に残って守護していたのは、細川氏庶流と仁木氏庶流と石和流武田氏だったらしい 師直はともかく後醍醐が最初は神秘的な感じで後半どんどん俗っぽくなるのを
「キャラが一貫してない」って言ってる人は何も分かってないなと思った
このスレじゃないけど むしろ「最初は神秘的で」聖人君子みたいな後醍醐像の方が外してたような。
中の人が最高であっても、あの状況で倒幕計画を実行に移した史上屈指の異形な天皇が発する
生臭くも峻烈なオーラは、あまり伝わってこなかった。
クールで知的どころか最後まで唾吐きまくりの熱血直義と並んで、後醍醐のキャラは正直疑問が残った。 後醍醐天皇の事を、
尊氏は終始神々しい聖人君主と思っていて、
後醍醐天皇自身はみんなと同じ人間だと思っていて、
作品全体での描き方としては、相当執念深い人間として描かれていたと思う >>77
尊氏目線から見た後醍醐なら、あれで問題ないし、ドラマ的にも何の違和感もなかったけど。
尊氏って決裂後も個人的な感情としては後醍醐が大好きだったのは事実だろうし、恐らく
初対面の際の尊氏から見た後醍醐の第一印象は相当感動的だったのだろう。 後醍醐から貰った手紙とかも、ずっと大事に持っていたらしいよ。 心は夢見る思春期の物憂い乙女のようでいて、戦に出れば無双
それが尊氏の魅力 >>80
少年にそのような達観を求めるのが土台無理というもの >>84
身分制社会において、自分より身分が高い雲の上の人から貰ったものを、簡単に処分は
心理的にもできないのが普通だと思うよ。 古典太平記事体
怨霊に翻弄される人間達を描いたものだからな
後醍醐も護良親王も立派な怨霊に成ったしw >>92
そもそも崇徳院の怨霊が太平記を仕切っている へー高義に男子がいたんだな。アホ尊氏よりこっちが足利宗家を継げばよかったのにね まー尊氏も後醍醐相手には精神的にホモだったんだろうな >>70
第一回から最終回までの長〜〜い伏線だった。
長〜〜いといえば、京都銀行w 北条正室の子で20才くらいまで生きた高義を
何故ドラマで取り上げなかったのかが謎だな >>105
ただでさえややこしい話をこれ以上ややこしくしてどうする 大河ドラマではってことだろ。登場人物が多すぎるし
この大河ドラマはあくまで尊氏が主人公の原作だからな
高義は足利の惣領になったような文献もあったような?俺の仮説では霜月騒動の母と祖父に関係して政治的に排除されたのではないかと思う。(暗殺か?)んで、利害関係のない庶子の尊氏が擁立されたと 確かに北条顕時は霜月騒動に連座したが
永仁元年(1293年)には幕政に復帰して
正安3年(1301年)3月28日に死去するまで執権・北条貞時の信頼は厚かったらしいから
文保元年(1317年)に死没したとされる高義が
「霜月騒動の母と祖父に関係して政治的に排除された」とは考えられない
普通に病死とかでは? それならなおのこと、高義の後は遺児が継がなきゃならないんじゃない。北条つながりで。それとも高義が死んだ頃には貞時→高時に代替わりしてたのかな。
騒動で安達が消えた今、最有力御家人の足利を潰す口実を残しておくとは考えられないけどなあ貞氏が。っても、高義が足利宗家を嗣いだって証拠もないんだけれどね。 北条得宗や大小庶流で食い合いを続けるより、ガス抜きも兼ねて外様有力御家人をある程度残そうという思惑が働いていたのかも。 貞氏正室(高義生母)の母(金沢顕時正室)が安達泰盛の娘であり、高義が血縁的に
安達泰盛の子孫になってしまうことも、考慮すべきかな。
なお金沢貞顕は、顕時の側室の子であり、貞氏正室とは腹違いのため、安達泰盛の血は引いていない。 >>111
ならないんじゃないっていうかなって無いんだからしょうがない
尊氏の生涯画くのに若くして死んだ兄が登場してもしょうがないって割愛されても仕方ないんでね? いや、原作の話はしていないんだが。足利高義個人の話をしているわけで。 わしは疲れた。疲れたぞ。何事も穏やかがよいぞ穏やかが。 >>118
かようなことを申されるから、三河屋にしてやられるのじゃ! >>117
それが理解できるだけの知能を持たない知的障害者(知的と言っても頭が良いわけじゃない)なんだから仕方ない >>115の世の常ならぬ合戦
見おいて人に語るべし
エイエイオー!オオオオオオオオ!!!!!!!! 北条の血を継いだ高義が少しだけでも出る事によって
天真爛漫な足利家嫡男像じゃなくて
側室上杉の子の高氏の
所詮オレははみ出しモノ的な
屈折した幼少期を描けば
ドラマの深みはもっと増したかもな 高師直とかの系列は滅亡したの?戦国時代に高氏は有名じゃないし >>110
霜月騒動と死因に関して同感。
>>111
北条との繋がりを思うと確かに・・・。
貞氏も家督を手放さなかったらしい。
察するに高義には子供を授かった後、健康上の問題があったかもしれない。
高義の幼児を足利の跡継ぎにさせるより
次男の高氏を選択したのではなかろうか。
貞氏のみぞ知る。 高義の資料が少ないのも怪しいな
だいたい○○の母親がはっきりしないのももやもやする
それもこれも義貞の野郎が鎌倉を灰塵としたせいだな
鎌倉が世界遺産を逃したのも義貞の咎
全ての悪因は義貞のせい >>127
そもそも歴史と言うものはじゃ…必ず誰かに都合よく作られる。
有り体に申さば、時の権力におもねって作られる。
作り話をでっち上げ、あれも名君これも名君…戦が起これば勝者の歴史が残り、敗者の歴史は闇に葬り去られる…!
つらつらおもんみるに…歴史の書物は嘘だらけ穴だらけ矛盾だらけ! >>93
崇徳院の嫁
・皇嘉門院(三河国幡豆郡吉良荘本家)
・兵衛佐局(源頼朝の親類(吾妻鏡)、三河の藤姓熱田大宮司家出身か?)→重仁親王(乳母は池禅尼(息子は平頼盛(三河守)))
・女(父は源師経(三河権守)、母は由良御前の姉妹(三河の藤姓熱田大宮司家)、源頼朝の従兄弟)
源頼朝と関係が深いと言う事は足利義兼とも関係が深い
あながちまちがっているとは言えんわな >>128
どこかで聞いたと思ったら、葵徳川三代か 高義の子供は直冬みたいに
尊氏に反旗を翻さえさなかったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています