【第三十三回】太平記 part.33『千寿王と不知哉丸』
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第三十三回「千寿王と不知哉丸」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki33.html
前スレ
【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
http://itest.5ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1507357471 後醍醐天皇の事を、
尊氏は終始神々しい聖人君主と思っていて、
後醍醐天皇自身はみんなと同じ人間だと思っていて、
作品全体での描き方としては、相当執念深い人間として描かれていたと思う >>77
尊氏目線から見た後醍醐なら、あれで問題ないし、ドラマ的にも何の違和感もなかったけど。
尊氏って決裂後も個人的な感情としては後醍醐が大好きだったのは事実だろうし、恐らく
初対面の際の尊氏から見た後醍醐の第一印象は相当感動的だったのだろう。 後醍醐から貰った手紙とかも、ずっと大事に持っていたらしいよ。 心は夢見る思春期の物憂い乙女のようでいて、戦に出れば無双
それが尊氏の魅力 >>80
少年にそのような達観を求めるのが土台無理というもの >>84
身分制社会において、自分より身分が高い雲の上の人から貰ったものを、簡単に処分は
心理的にもできないのが普通だと思うよ。 古典太平記事体
怨霊に翻弄される人間達を描いたものだからな
後醍醐も護良親王も立派な怨霊に成ったしw >>92
そもそも崇徳院の怨霊が太平記を仕切っている へー高義に男子がいたんだな。アホ尊氏よりこっちが足利宗家を継げばよかったのにね まー尊氏も後醍醐相手には精神的にホモだったんだろうな >>70
第一回から最終回までの長〜〜い伏線だった。
長〜〜いといえば、京都銀行w 北条正室の子で20才くらいまで生きた高義を
何故ドラマで取り上げなかったのかが謎だな >>105
ただでさえややこしい話をこれ以上ややこしくしてどうする 大河ドラマではってことだろ。登場人物が多すぎるし
この大河ドラマはあくまで尊氏が主人公の原作だからな
高義は足利の惣領になったような文献もあったような?俺の仮説では霜月騒動の母と祖父に関係して政治的に排除されたのではないかと思う。(暗殺か?)んで、利害関係のない庶子の尊氏が擁立されたと 確かに北条顕時は霜月騒動に連座したが
永仁元年(1293年)には幕政に復帰して
正安3年(1301年)3月28日に死去するまで執権・北条貞時の信頼は厚かったらしいから
文保元年(1317年)に死没したとされる高義が
「霜月騒動の母と祖父に関係して政治的に排除された」とは考えられない
普通に病死とかでは? それならなおのこと、高義の後は遺児が継がなきゃならないんじゃない。北条つながりで。それとも高義が死んだ頃には貞時→高時に代替わりしてたのかな。
騒動で安達が消えた今、最有力御家人の足利を潰す口実を残しておくとは考えられないけどなあ貞氏が。っても、高義が足利宗家を嗣いだって証拠もないんだけれどね。 北条得宗や大小庶流で食い合いを続けるより、ガス抜きも兼ねて外様有力御家人をある程度残そうという思惑が働いていたのかも。 貞氏正室(高義生母)の母(金沢顕時正室)が安達泰盛の娘であり、高義が血縁的に
安達泰盛の子孫になってしまうことも、考慮すべきかな。
なお金沢貞顕は、顕時の側室の子であり、貞氏正室とは腹違いのため、安達泰盛の血は引いていない。 >>111
ならないんじゃないっていうかなって無いんだからしょうがない
尊氏の生涯画くのに若くして死んだ兄が登場してもしょうがないって割愛されても仕方ないんでね? いや、原作の話はしていないんだが。足利高義個人の話をしているわけで。 わしは疲れた。疲れたぞ。何事も穏やかがよいぞ穏やかが。 >>118
かようなことを申されるから、三河屋にしてやられるのじゃ! >>117
それが理解できるだけの知能を持たない知的障害者(知的と言っても頭が良いわけじゃない)なんだから仕方ない >>115の世の常ならぬ合戦
見おいて人に語るべし
エイエイオー!オオオオオオオオ!!!!!!!! 北条の血を継いだ高義が少しだけでも出る事によって
天真爛漫な足利家嫡男像じゃなくて
側室上杉の子の高氏の
所詮オレははみ出しモノ的な
屈折した幼少期を描けば
ドラマの深みはもっと増したかもな 高師直とかの系列は滅亡したの?戦国時代に高氏は有名じゃないし >>110
霜月騒動と死因に関して同感。
>>111
北条との繋がりを思うと確かに・・・。
貞氏も家督を手放さなかったらしい。
察するに高義には子供を授かった後、健康上の問題があったかもしれない。
高義の幼児を足利の跡継ぎにさせるより
次男の高氏を選択したのではなかろうか。
貞氏のみぞ知る。 高義の資料が少ないのも怪しいな
だいたい○○の母親がはっきりしないのももやもやする
それもこれも義貞の野郎が鎌倉を灰塵としたせいだな
鎌倉が世界遺産を逃したのも義貞の咎
全ての悪因は義貞のせい >>127
そもそも歴史と言うものはじゃ…必ず誰かに都合よく作られる。
有り体に申さば、時の権力におもねって作られる。
作り話をでっち上げ、あれも名君これも名君…戦が起これば勝者の歴史が残り、敗者の歴史は闇に葬り去られる…!
つらつらおもんみるに…歴史の書物は嘘だらけ穴だらけ矛盾だらけ! >>93
崇徳院の嫁
・皇嘉門院(三河国幡豆郡吉良荘本家)
・兵衛佐局(源頼朝の親類(吾妻鏡)、三河の藤姓熱田大宮司家出身か?)→重仁親王(乳母は池禅尼(息子は平頼盛(三河守)))
・女(父は源師経(三河権守)、母は由良御前の姉妹(三河の藤姓熱田大宮司家)、源頼朝の従兄弟)
源頼朝と関係が深いと言う事は足利義兼とも関係が深い
あながちまちがっているとは言えんわな >>128
どこかで聞いたと思ったら、葵徳川三代か 高義の子供は直冬みたいに
尊氏に反旗を翻さえさなかったな >>109
高義が家督を継いでいたら、北条をつぶさなかったろう。
血縁の伯父が、児玉さんが演じてた金沢貞顕になるし。 高義vs尊氏直義の内乱が起きそうだな
あれ、デジャヴ… >>136
尊氏直義vs尊氏の子直冬+高義の子
新太平記 >>134
つーことは血をわけた関係じゃない尊氏を我が子を見るように見送ったのも、かつての娘婿の子だからか。なかなか奥が深いな あっ伯父ってことは貞氏とは義理の兄弟か。なんかこんがらがってきたw >>50
土岐なんとかに絡まれた時も
>>62
既存の権威をモノともしない姿勢かな 高義は家督を譲られたが、尊氏は譲られていない
譲られなかったのは貞氏と不仲だったか、譲る事が出来なかったかのどちらか
天下を取ってからの顕彰行為や菩提行為が無かったところをみると、不仲だった可能性が高い >>142
尊氏自身も、まともに動くことも叶わない最晩年になっても、死ぬまで義詮に家督を譲っていないけどね。 平家リスペクトでこんな感じという話があったような
人間が思い出せぬ
地獄:蓮花寺の400余人切腹
畜生:土岐頼遠の件(犬)
餓鬼:正平の一統の拉致監禁
修羅:六波羅脱出時に矢を受ける
人間:
天界:即位 光厳院カワイソス…北朝の悪運を一身に浴びてる…
ドラマでもあったよね、何の事件かは忘れたが、御所あたりから弟光明天皇と共に避難する際に、月を見上げたら真っ赤だったと >>142
尊氏って家督を譲られていなかったのね。
家督と嫡男の関係も混乱してきたわ。
やはり北条の高義は認められていたって事ね。 >>147
尊氏から義詮の場合は、北条は関係ないよ。 鎌倉から出たことのない高義と三河で生まれ育って兵隊を掌握していた尊氏とじゃ、高義は相手にならんだろう
話は飛んで大人の豆知識だが
安達盛長の本貫地は現在の三河県豊橋市石巻小野田付近と考えられるが、近くの石巻山は三輪山の奥院であると大神神社の社伝に書いてある
昔は石巻山を神山(ミワヤマ)と呼んでいて、そこから三輪山になったらしい
すると、大神神社と伊勢神宮(伊勢と三輪の神。一体分身の御事。)の主祭神、大物主(ニギハヤヒ?)は三河出身なんだろうか
安達盛長は三河国の御厨の元締めでもあった
纒向遺跡の東海色はよく知られているが、纒向は追い出されたが、時代を下り源頼朝、足利尊氏、徳川家康と三河は関東関西を圧倒したわな グーグルマップで見るとよく分かるが、大神神社の鳥居と拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥院、三河の神山(石巻山)に向いているわけだな >>142
よければ高義が家督を相続したという文献を明示してくれ
それが事実なら話が変わってくる 詳しくは>>142が答えてくれると思うが、確か一時的に貞氏の足利惣領家当主としての
発給文書が見られず、代わりに高義の発給文書が出てくる時期が数年間存在するとかじゃ
なかったかな? ウィキだがコレか
正和4年(1315年)11月に「足利左馬助」名で鶴岡八幡宮の僧侶・円重に対して供僧職安堵の書状を出しており(「鶴岡両界壇供僧次第」)、足利家の家督を継承していたらしい。
3年後の文保2年(1318年)9月には、家督を譲ったはずの父・貞氏が再び安堵状を出しており、この時までに高義は没したと考えられている。 ほほーなるほど。高義の男子を貞氏が後見し尊氏直義が補佐するならば毛利両川体制だったのにな。尊氏直義はまだ小僧だったから無理か >>156
高義が19才くらいで高氏が12才くらいの時だな
小僧って言っても鎌倉ならそでもない と言う事は鑁阿寺にあった家時の自害前の文書は
貞氏から高義に伝えられていた可能性もあるって事か
胸アツだな 12才は十分小僧やんけ。小僧も小僧、はな垂れ小僧だわ。
毛利両川は両川体制の時には百戦錬磨の猛将だったわ。
12才とそれより年下の直義に何が出来るんだ? 直義も本当は倒幕前の名前は「高国」で、「直義」は建武期以降の改名なんだよな。 一番大事なのはここじゃね、高義の遺児の母親が北条氏かどうか、ここかなり重要。 高義のミドルネームは左馬助か
尊氏は又太郎だったな
直義は何だ?
てか右馬助っていたような…? >>164
毛利の凄さも知らないヤツが何を言っているんだ?
尊氏の時なんて戦国に比べたら弱い武将ばかりやんけ。
小僧の精紳年齢も戦国武将に比べたら
同じ年齢でも尊氏時代なんてガキのガキやんけ。 毛利といえば、二木 謙一の
「秀吉の接待―毛利輝元上洛日記を読み解く」 が面白かったな。
太平記と関係ないけど。
進物の格や数、馬の代わりに金を贈るとか。金がいくらあっても足りん。 小早川隆景は弱冠10才で元就の謀略を手伝っていたらしい
闘犬の犬にケツを噛まれてアタフタしていた馬鹿とはえらい違いだw 尊氏なら戦国時代でも天下取ったかもって今東光が言ってたな 戦国時代と聞いて讃岐守殿がアップを始めました
人の良いジジイで死ぬのは嫌なようですw 今東光って瀬戸内寂聴の師匠の生臭坊主だろ
なんでそんなことがわかるんだよ ちなみに道誉の墓所の最寄り駅は、近江鉄道の尼子駅だなw 今度のヒストリアで観応の擾乱やるみたいです。
あと、古舘さんの番組で妖霊星についてやってましたよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています