【ないが】翔ぶが如く 22噴火目【暴論か!!!】
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司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を主な原作とし、西郷隆盛と大久保利通を主人公に
薩摩藩を中心として激動の幕末から明治初期を描いたNHK大河ドラマ。
大河ドラマ初の二部構成(第一部29話、第二部19話、全48話)、1990年1月7日から12月9日まで放送。
原作:司馬遼太郎(「翔ぶが如く」「最後の将軍」「きつね馬」「竜馬がゆく」「酔って候」「花神」「歳月」より)
脚本:小山内美江子
音楽:一柳慧
語り:草野大悟(第一部)田中裕子(第二部)中村克洋アナウンサー(アバンタイトル)
主演
西郷吉之助→西郷隆盛:西田敏行
大久保正助→大久保一蔵→大久保利通:鹿賀丈史
前スレ
【そいは】翔ぶが如く 21噴火目【暴論ごわす!!】
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1521724911/ >>155
あの時代隆盛の写真もないですしねえ
なんでのこさかったのか疑問ですわ 写真から逃げ回った事実だけで論文一本書けそうだよな しかし、一蔵どんや新八どんの顔をみるとよかおとこじゃっであげな顔だとさぞおなごにモテたはずでこわんど 周りがヨカニセってことにくわえて維新を迎えた頃にはすっかり肥えたくって あ〜あ こげんな姿をわざわざ撮って残しがならん〜って薩摩兵児の吉之助サアは思ったとじゃろ 斉彬様が若い頃を撮ってたら逆らえんし家宝にしてたかもしらんね 写真撮影の際に表情を作ってカッコつけるのが嫌いなのが有力そう
写真好きの木戸や龍馬もカッコよく見えるように顔を作ってるし
大久保の送った写真に痛烈な皮肉を浴びせてるもんね 大久保のあの写真はまったく格好つけているようには見えんが 宇野壽倫(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室)の告発
宇野壽倫「文句があったらいつでも俺にサリンをかけに来やがれっ!! そんなうんこ野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! このクソウジ虫野郎どもめっ! 俺様は退治してやるぜっ!! 背後からでもなんでも
かかって来やがれっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 ブラタモリで萩の反射炉出てきたがあの出来を見たら斉彬様の凄さが解るな 研究の度合いが違う (長州サゲではごわはん) >>170
ただ薩摩藩の反射炉は、肥前藩からの技術提供があったればこそだけどね。 >>172
教えてもらったろうけど実用化して製造に入ってたとかスゲーじゃねえか!(渡辺謙の声) その反射炉の技術を教えたのは我が佐賀藩である!
薩長にとうてい作れないしろものだからな、
ハハハハは その言い様は解せませぬ
御前様がいらしたら、何とお怒りになられましょうか
桐野様がお知りになられたら、あなたの命はありませぬよ よかよか、かられっとは(叱られるのは)こんおいじゃ。おまんさあは知らんかったち
せごさあには言いやんせ。ああいうの困るよねw人を共犯にw 薩摩の場合、鍋島閑叟と島津斉彬が従兄弟同士(母親同士が姉妹)という関係にあって、
要は親戚の誼で教えて貰えたんだよな。 >>175
桐野など西郷の腰巾着にすぎん!この江藤とは
格が違う 徳川慶喜の晩年の人物評だと、島津久光は嫌な奴、鍋島閑叟はズルい奴、だったとかw >>183
>鍋島閑叟はズルい奴
ニック・ボックウィンクルはもっとダーティーだ。気にするな。 徳川慶喜は小狡く自己弁護的で、彼の言う人物評や評論は当てにならない 徳川慶喜って将軍辞めたあとでも家臣の事はスルーしてて恨まれたくらいだしね。仕方ないね。 おいは2週連続で西郷どん視聴投げ出しもした
もう見ようち気力がおきもはん(´・ω・`) >>187
待ってくいやい!おいがいけんしてん久光様に掛け合って吉之助サアを島から呼び戻すっで そいまでまちっと堪えてくいやん 碁石パチン パチン >>186
そうは言っても、元々慶喜たち一会桑と徳川宗家の譜代・旗本層は折り合いが悪く、
安政の将軍継嗣問題以来の因縁とかもあるから、慶喜が将軍になったところで、
お互いに腹の底では主君とも家臣とも思っていないような・・・。 平岡円四郎と
原市之進か
本木雅弘の慶喜に出てきた >>187
おいは初めからみちょりません、おはん途中で視聴をやめるならなんで初めからやめんと?そいでも薩摩二児でごわんどか! 大久保さあは花燃ゆでも歯ぎしりしながら最後まで観るだろうね。 >>187
おいは桜が咲いてた頃からもう見ちょりもはん
HDDさぁに勝手に録画されとりもんどん、消そうかぁと思っちょりもす 「もんどん」てドラマでもあったよ。15回のいとさんの台詞「乱しておっとは大久保
さあと心得もんどん・・」みたいに。 家臣達の前で、自ら「国父」ち名乗るなんぞ、島津三郎、所詮は地五郎じゃっで。 >>184
ニック・ボックウィンクルとか渋いとこ押さえとるのw
おぬしなかなかやりおるwww 翔ぶが如く は、前年より年平均10%近く下げてる。
西郷は低視聴率題材。 >>199
おはん!そいはほんのごんの一言か!国父さまをジゴロとは、久光公の耳に入ったらどげんすっど! もんどん=ます(ました)けれども みたいなちょっと丁寧な感じか シュンサイ!花火を夜どうし上げよ!派手に上ぐっとじゃ 障子は開くんな!(ジゴロじゃち?ウイ〜〜) 順位___年___初回__最高__平均____番 組 名
[01]__1987___28.7___47.8___39.7____独眼竜政宗
[02]__1988___42.5___49.2___39.2____武田信玄
[03]__1989___14.3___39.2___32.4____春日局
[23]__1990___26.9___29.3___23.2____翔ぶが如く >>204
ジゴロをジゴロじゃっちゅうて、ないが悪かとじゃ? >>197
>>198
“もんどん”は登場人物のセリフで結構よく出てきたぞ。
「翔ぶが如く」を全編通して見たなら、何となくニュアンスは理解しているんじゃないか? >>203
西郷が、というより幕末物は全般的に低視聴率になりやすい。
>>208
「翔ぶが如く」の翌年の「太平記」は、平均26の最高34くらいだったと記憶。 >>211
太平記は内容も良かったし
女性陣が華やかだw 大河の最高峰は翔ぶと太平記だと思うが、この2作とも視聴率は当時としてはそれほど高くはない。
視聴率と作品の質はやはり一致するものではないね。 >>210
ございもんどん、とかな
ございますが みたいな感じかな >>205
翔ぶ〜のジゴロはかっこいい方のジゴロごわはんどん
地吾郎、つまり田吾作とかぬけ作という意味じゃで
国父さまもお怒りなすった >>217
その発言は面と向かって言ったんだっけ?あとでそう言っていたのを聞いて国父様が激怒?ドラマじゃ面と向かって言うんだろうけど。 久光の前では言っていない
言ったのは出兵中止の具申
ジゴロ発言は中山がチクった >>219
あれそうだっけ?畏れながら三郎様は京や江戸には面識持つ者もなく国許で本ばかり読んでるジゴロ みたいに言って下がらされたよな ちなみにゴロよりさらに悪く相手を言うときはワロ って言う 面と向かって言うてはないな翔ぶでは
一度久光公が奥に下がった後「地五郎じゃ!」「吉之助さぁ!」 薩摩武士たちが主君であるご隠居様(斉興)を斬る!と放言するこんどの大河では
久光と西郷が取っ組み合いの喧嘩してもおかしくない 確かに斉興公と直に会える吉之助さぁとか正直見たくもなかった・・・ >>224
それをやっちゃいそうな久光でもあるしなw やはり讒言ですか。流石に国父様の面前では言わないよね。ドラマじゃ吉之助さぁと国父様の取っ組み合いはあり得る。 >>221
こいはナウでヤングなイカした国父様ごわはんか!
マブいおごじょと湾岸ドライブでブイブイごわすな >>229
湾岸っち10号線か産業道路じゃろかい? >>215
「太平記」は、前年の幕末物および翌年の戦国物より数字を取っているのだから、当時の
基準でも十分成功の範疇だと思うけど・・・。 >>214
プレタイトルで、ベルリンの壁を壊すシーンが最初だったっけ。 >>219
16話視てきたらたしかにその通りじゃった 次のシーンがばあ様の入浴タイムごわした(^o^) 連れていく兵の飯のことも頭にねえのかこのカスが
って吉之助さぁの侮辱最高だったわw >>236
吉之助サアに嫌みは似合いもはん 嫌いじゃ 遠い目 >>236
まあ事実として過去には、飢饉の最中に大軍を率いて入京したのはよいものの、兵たちが
食糧を求めて略奪の限りを尽くしたために、都での名声が地に落ちて自滅した木曽義仲の
ようなケースもあるからね。
大軍を率いて大消費都市に入る際の落とし穴は、よく認識しなければならない。
織田信長なんかは、この辺をかなり上手くやったらしいが。 >>236
武田信玄45話、軍議シーンの勘定奉行みたく、上洛費用の見積りをスラスラ言って、西上作戦に逸る重臣達に冷や水ぶっかけるような西郷も見たかったな。 >>204
ドラマ内でも、先日亡くなられた深水さんが演じてた腹黒腹心が
英樹久光にチクってたよ。「地五郎じゃとぉ?」とキレてたなぁ、久光公w >>238
上手くやったもなにも
京では大人しくすること一文でも盗んだら断罪
雑兵の一人が市女傘の被りを捲ろうとしただけで無言で奔りより
居合いで抜き放ち首を落として振り返りもしない信長
斬首の雑兵は首になったにもかかわらず薄笑いを浮かべていたとか
こういう姿を見れば信長素晴らしい
このうつけ天才に賭けてみようぞと光秀は思ったに違いない・・・ん?
スレチだったかなw
えっと蛤御門で長州とおっぱじめ京を焼いてしまった西郷さんの罪は重いぞ
土方曰く 京にて火を出さば3代交わりを絶つといふ 禁門の変の火元については、当時の幕府歩兵差図役の手紙に
「長州藩勢逃げ込み居り又は兼て忍び居り候者これあるよしにて会津家にて焼き払い」
京都の町人の回想には
「會桑藩等、一橋公の下知を得て、長兵の潜伏を防がん爲め、高位堂上、武家屋敷、
社寺の嫌ひなく、町家に至るまで、放火して其火處處より延焼す云々」
つまり慶喜の命令で会津などが放火したとあるな >>242
いくら厳しい軍規を定めようが、兵は飢えれば略奪を止めるのは難しいわけで・・・。
上手くやったというのは、違反者に厳しく対応したことを指して言っているわけじゃないよ。 新政府が京都をそのまま首都として使わなかった一つの理由に、禁門の変後の街の再建が
あまり進んでいなかったからというのがあったらしいな。 京都は禁門の変で焼かれなくても
西洋と交際する上で、首都には使われない時代の流れ 山城屋は西郷さんにカネつかまそうとして、「こんどまたやったら斬る」みたいに
イエローカードで済んで運が良かったよね。桐野は本当はすぐにでも斬りたかった
だろうに。 江戸城から徳川を立ち退かせて、そのまま居抜きで入って乗っ取るほうがいいと考えた
江戸を「東京」とあらため、首都移転を着た
ところが京都の人間は激怒、天皇が京都に行くのを止めようとした
そこで大久保利通がとんちをきかせ、「いや、遷都はしません、天皇は京都に長いことお出かけになられます。」と言いくるめて騒ぎを治めた
京都人「それで、天皇さんはいつ京都にお戻りにならはるんですか?」 西郷、久光の陰口をきいてチクられ流罪に
↓
新八が江戸でのシュンサイの行状を「天下を取ったつもりかと心配」と言う
↓
西郷「目上の者の陰口はないもはん」 >>248
でも西洋諸国の首都は、だいたい海に面していない内陸にあるため、海に面した東京に
首都を置くのは、国防上どうなんだ・・・みたいな議論はあったはず。
>>253
ただ大久保は、江戸無血開城以前は大阪遷都を主張していたわけだし、本心では最初から
京都に留まる気は全くなかったのだよなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています