当時の大島は、藩庁から派遣された統治者として、代官一人、見聞役二人、書役数人、全島は行政上七つの間切りに分けられて、いち間切りは二つに分けられて、一つは一般警察に分けられている。

一方は村ごとの頭役。ほとんどが世襲である。
島に着いてからの薩摩より一段階遅れた制度と、過酷なそんな搾り取りに胸を痛めていた西郷はちょうど赴任して来た代官の相楽角兵衛に、今までのやり方では過酷すぎることを、穏やかに話し善処を促した。
しかし相楽は他人から指図受け無いという。

そこで西郷は意義を正し、切り口上で「よろしい、おはんのような分けのわからぬ役人がおるから、もったい無くも殿様の徳を傷つけ、人民が殿様まで恨むようになる。おいは早速この仔細を殿様に報告する。
といって後をも見ずに代官を出て、見聞役の木場を訪ねて今のことを話す。
木場は賛成して小心者の相楽をおどし、勾留中の全農民も釈放させた。
この事件そのほか西郷が圧政役人を懲らしめた話は、伝説化して大島の各地に伝えられている。

つぶやき日記
2015/01/19 11:42
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