>>178
清盛は院政期のお勉強に最適の歴史情報満載の大河だが、
確かに内容的に小学生にはムリだし、エログロもあるので家族で団欒しながら見る大河とは言えない。
あと、お前のような小学生以下の阿呆にもレベルが高すぎて見てもムダの大河だった。

【オタクの暴走?】
清盛は完全に史実ベースの作劇だよ。フィクションである歴史小説を原作とするのではなく、その意味ではオリジナル作品だが、
あえて言えば五味や高橋といった学者本に依拠している。
だから一面では、1年1年出来事を丁寧に追いながら歴史を展開させる、オーソドックスな「年表大河」でもあった。
「創作だらけ」どころか、「史実ベース」という点こそが、まずもって新平家や義経とはまったく異なるオリジナル大河である所以だ。

そして、史実に塗したエピ部分は、軍記物であったり歴史物語であったり、多種多様な資料の引用から構成されており、
平家物語だけが特権的な地位を占めていたのではない(愚管抄も頻繁に援用された。あくまで平清盛の一代記であって、
歴史小説に依拠した「新新平家物語」ではないということだ)。創作エピのために用いられたこの資料の多彩さは、
オリジナル作品ならではの強みだろう(脚本家が勉強家でないとこの方式はとれない)。
さらに、斬新なオリジナルな創作が加えられることで(鳥羽エア矢など)、他面では物語性・作家性の強い作劇となった(全編意味で充満)。
こうして見ると、ちゃんぽんといえば悪く聞こえるが、要は多彩な歴史資料を使いこなし、史実とフィクションが
絶妙に融合された大河ということだろう。
しかも創作部分は、史実を改竄する方向ではなく、史実を背景とし、史実を膨らませ、史実と史実との間を繋ぎ、
何よりも史実と人物の核心描写へと向けられていた(不評だった鳥羽エア矢、和歌もどき、一騎打ち、滋子巻毛ですらそうだ)。

他方、史実部分の情報の質量たるや歴代屈指であり、描かれたことを命題化し繋げていけば、平安末期の歴史が一つの
流れとなって生き生きと蘇ってくる〜ある意味、大学教養レベルの「歴史教科書」が出来上がるほどだ。
大事件について新説(珍説)に飛びつくようなことはしなかったが(呉座の新刊本を読めば、正しい態度であったことがわかる)、
清盛に関する重要な部分で考証1の学説を熱心に摂取して、歴史研究の成果をさりげなく反映させたシーンにも事欠かない。

こうして作り手たちは、「いまなぜ平清盛か?」の問いに答えるべく大胆な挑戦をし続け、その結果、最低視聴率を獲得してしまった。
しかし、そうした犠牲の対価として、今でも熱く語られ、新規を絶えず呼び込むクオリティ大河が誕生したのである。


大河清盛のスーパークオリティが評価されて、その後3・11ドラマ(芸術祭参加)、織田作之助生誕100年を記念した
夫婦善哉(ギャラクシー賞)と続き、西郷どんPと組んだちかえもんで衝撃を与え(向田邦子賞、ギャラクシー賞、芸術祭優秀賞)、
そして、新設された土曜時代ドラマ枠では、「新しい時間帯で新規のファンを開拓したい」と意気込むエースP(カーネーション)が、
「みをつくし料理帖」にはキャラ造型と構成力抜群のこの人しかいないとトップバッターに指名した藤本有紀女史のこと