じゃあ日本の話。

昭和13年まで婦人の坑内作業が禁止になるまで、明治・大正・昭和初期と女は
15歳になると一人前の立派な炭鉱婦として、夫婦や親子でチームを組んで
石炭採掘に従事していた。「あさがきた」でも描かれているが混浴で汗を流し
怠け者で生意気な炭鉱夫は、女炭鉱婦たちにリンチを受けて山を追い出されたと
元炭鉱婦の「まっくら」という著書にある。

住友鉱山では35kgの鉱石を背負って峻険な山道を運搬。住友鉱山のドキュメンタリーで
現代男性が再現しようとしたが危険で中止。75キロの坑木も数人で運搬。

港や道路建設現場には昭和40年ぐらいまで大勢の女土方が働いていた。
美輪明広の「ヨイトマケの唄」は土方をして育ててくれた母親にエンジニアの息子が感謝する歌。

農村では米俵2俵をかつぎ(八重の桜)発展途上国では水汲みの重労働は女の仕事。

赤十字の看護婦200名がシベリアに抑留され鉱山や森林伐採や捕虜病院で強制労働。
シベリアに抑留された日本兵の手記には、ロシア女性労働者と一緒に鉄道建設工事に
従事し凍土にレールを敷きハンマーで釘を打ったとある。栄養失調でひょろひょろの
日本兵捕虜よりガタイもよく力もあったとか。ダム工事にもロシア女性は従事。

昔は庶民は炭鉱も農村も漁村も商店も共稼ぎが普通。