いつか大河ドラマで取り上げて欲しい歴史上の人物や題材を挙げてくれ★4
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俺はやっぱり雑賀孫市の大河ドラマが観たい☆(ゝω・)vキャピ
前スレ
いつか大河ドラマで取り上げて欲しい戦国大名や武将を挙げてくれ★3
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1516949809/ 割と資料もあって実現可能なのは北条早雲かな
実現すれば室町末期〜戦国初期の大河空白時代を埋める作品になる 続忠臣蔵
小林央通の子孫が富士山を「富嶽百景」に描き
清水義久の子孫の清水義範が「蕎麦ときしめん」を書き
大石良雄の子の大三郎が女狂いで鼻を欠く 田中久重
田中 久重(寛政11年9月18日(1799年10月16日) - 明治14年(1881年)11月7日)
江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた。
芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者。
幼い頃から才能を発揮し、五穀神社の祭礼では当時流行していたからくり人形の
新しい仕掛けを次々と考案して大評判となり「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになる。
20代に入ると九州各地や大阪・京都・江戸でも興行を行い、各地にその名を知られるようになる。
その後京都へ移り、1847年に天文学を学ぶために土御門家に入門。1849年には、
優れた職人に与えられる「近江大掾」の称号を得た。翌1850年には、
天動説を具現化した須弥山儀を完成させた。
その後、再び西下して佐賀に移住した久重は、1853年、蘭学狂いといわれた鍋島直正が治める
肥前国佐賀藩の精煉方に着任し、国産では日本初の蒸気機関車及び蒸気船の模型を製造する。
また、軍事面では反射炉の設計と大砲製造に大きく貢献した。
1861年には佐賀藩の三重津海軍所で、藩の蒸気船「電流丸」の蒸気罐製造の担当となり、
1862年には幕府蒸気船の千代田形蒸気罐の修繕を行う。
1863年には実用的に運用された国産初の蒸気船である「凌風丸」建造の中心的メンバーとなっている。
1864年には佐久留米に帰り藩の軍艦購入や銃砲の鋳造に携わり、同藩の殖産興業等にも貢献した。
1873年に、新政府の首都となった東京に移る。75歳となった1875年に東京に電信機関係の製作所・田中製造所を設立。
1881年11月7日、82歳で死去。久重の死後、田中製造所は養子の田中大吉が引き継いで芝浦に移転し、
株式会社芝浦製作所となる。後に東京電気株式会社と合併、これが現在の東芝の基礎となった。 >>837
加藤清正とか小早川は未来永劫蔑まれ続ける お正月ドラマでいいから、クライマックスは天正地震で、内ヶ島 氏理(うちがしま うじまさ)の生涯、帰雲城の話が見たい 柿本人麻呂
政治の中央にいたのに左遷されて最後は島根で人生の幕を下ろした
まともな記録は残ってないけど
残された膨大な歌からその人生を推測することはできそうだし
梅原猛の本なんかは脚本の参考になりうる 水底の歌ですか?
「海女と天皇」とか「聖徳太子」もおもしろかった >>835
おもしろそう
「仁」にちょろっと出てきた >>852
その2人は天才すぎ変人すぎて
一般人には共感の余地がないと思うw >>827
面白そうだけど時代が戦国時代からずれまくってるな
顕如上人とセットにするのはどうだろう? 今川寿桂尼を取り上げてくれんかなと思う。
京都の公家の家に生まれてやがて今川氏親に嫁ぎ、氏親の死後はまだ幼い息子に代わって今川家を切り盛りして
「駿河の尼御台」と呼ばれ、息子の氏輝が早世した後はもう一人の実子である義元を当主にすべく奔走したという
戦国時代においても随一の女傑だが、存在自体はまだ知られていない。
氏親は北条早雲の甥だから早雲とも絡める事が出来る。 >>834
篤姫から西郷どん、まで10年かかったから、島津四兄弟は2028年じゃね? >>852
葛飾
北斎に関しては娘絡みで描けば有りかと思う >>862
宮崎あおいがやってたからな
個人的には北斎漫画の緒方拳田中裕子だったが >>864
演じた女優つーか
北斎だけでは薄いから、娘のお栄も絡めて描けば1年50話広がるかと? 南方熊楠と柳田國男で良くないか
片方だけだと無理だろ? 孫一は国盗り物語でやった
総集編では大幅にカットされてるが 伊能忠敬とか間宮林蔵で、江戸時代の秘境探検物、とか思ったけどさすがに無理か 牟田口みたいのを有能な指揮官みたいに描いたら面白いんじゃないの
NHKならやっても納得だし世間も騙されそう。80過ぎくらいまで生きたんでしょ
描くこといっぱいあるだろ >>897
牟田口は実際は補給を結構重視してる方の軍人で
インパール作戦より前に補給を重視した作戦を普通に考えてるんだよな
ジンギスカン作戦にしたって補給重視の結果
ただ上手く行くかどうかテストせずぶっつけ本番で失敗したというのがある 別に牟田口推しじゃないが
>>905は偏見
このスレでどういう人物を推してはいけないとかは無いよ >>906
俺の祖父は牟田口廉也が下した無謀な作戦に駆り出されて餓死した
牟田口廉也は絶対に許さない 「辻政信」
陸士主席、大本営陸軍部参謀、作戦の神様、軍の神様
戦後、自民党、衆議院議員4期、参議院議員1期歴任
ナセル、チトー、周恩来、ネルーらと会談
潜行三千里でベストセラー作家となる こいつが戦後に国会議員になった心底が知れん罠
恥を知れ by ハマーン・カーン >>877
林隆三の孫市が魅力的だったな
平幹二朗の道三、高橋英樹の信長、近藤正臣の光秀、火野正平の秀吉、江守徹の官兵衛、みんな本当に役者が魅力的な大河だった >>825
巴御前は架空人物説があるからね
>>830
北条早雲は来年の大河(明智)の企画段階で候補に上がっていたらしい 落合Pが発言
前にも書かれていた島安二郎・秀雄親子で、新幹線開発を
大河ドラマにして欲しい。
「いだてん」は、近代を題材にした大河ドラマということで、
新しい週の生活に向けて勇気をくれる、日曜日のドラマとして
重要な役割を果たしてくれたが、金栗四三や田畑政治といった
登場人物に知名度がないのが惜しい。
そこで鉄道ファンに圧倒的な知名度を誇る島親子だ。 鉄道ネタなら「日本の鉄道の父」井上勝も観てみたい
あの「長州ファイブ」の一員だからスター性も十分 近現代なら
こないだ知恵泉でやってた丹下健三を見たい
少年期にマルクスを読んで傾倒し
17歳でコルビュジェの建築哲学に触れてマルクス主義を見切る
21歳のときに兵役逃れで日大に入り
22歳で東大に合格して建築をがっつり勉強し、めきめきと頭角を現しはじめた頃に
盧溝橋事件、上海事変を導火線にして日中戦争に突入
その上海は丹下健三が幼いころ暮らしていた街だったが
そこで何年も続いた殺戮合戦で日本兵45万人、中国兵と民間人計300万人くらいが死んだ
そして日本は原爆を落とされて1945年に敗戦
そのとき丹下は東大建築学部の筆頭格にまで出世していて助教授に就任
自分と同世代から親の世代の兵隊や民間人が山ほど殺されていく中で
どんな気持ちで建築学の研究に取り組んでいたのか?その心境には興味が湧く
(丹下自身も原爆が落とされたとき尾道にいたらしい)
迎えた戦後、丹下は全国各地の復興に向けた都市計画を次々と手がけていくが
その中にはもちろん広島も含まれていて33歳のときに広島平和公園のデザインコンペに通り
この頃から実際の建築都市デザインを通じて日本の復興に携わっていくことになる 「京大農学部出て、日本青年協議会に入った人がいたんですよ。で、その人が、天皇天皇とあんまりうるさいから、『天皇陛下がサリン撒けっていうたら、皆さんはサリン撒くんですか?』と聞いたんです。」
天皇陛下の考えだけを忖度しろと述べる先輩にはこの質問は爆弾だったらしい。
「そしたらですね、もうホンマに、文字通り頭抱えて悩みだしたんですよ。『うー』とか唸って。二時間ぐらいずーっと唸りながら考えてるんです。僕ですか?僕はそれを笑いながら見てました。アホだなぁと」
この爆弾質問は組織の中で問題にもなり、また、先の早稲田でのクーデターへの関与も問題となり、早瀬氏はめでたく、全日本学生文化会議から追放された。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。