【謎の歴史観】西郷どん その4【なんで史実じゃダメなんですか?】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>319
視聴者にわかりやすくしたんだろ
お前の歴史好きはわかったからいちいち知識ひけらかすなよ >>310
中園ミホによると、これから西郷は「戦の天才」に成長するらしいんだが、どう整合性をつけるんだろうね?
>>318
直虎は地味な大河だったけど、あのドラマの進行方法こそ反戦大河の王道だと思った。
あれを見て、戦争したいとか戦争するのが格好いいなどと感じた視聴者はいなかったろう。 >>322
まあ視聴者そのものがほとんどいないからな もともと薩長同盟などというものは存在していないので、
全体がウソ回。 あのさ
八重の時もそうだけど幕末が異様に長すぎる
幕末を延々と9か月もやってんだけど11月まで幕末引き伸ばす気なのか? 323じゃっどん、つまらんじゃった。
30分もおらんじゃった。 >>286
昔の人はすげーよな
人生50年とはいえ、この若さで国のかじ取りをしてゆくんだから
>>331
そりゃ人生70年になるとジジイがいつまでも退かないから若い人が活躍できないんだよ >>327
明治十年で死んじゃった人なんだからまあ妥当じゃね?
ってまだ8ヶ月だけど? 「翔ぶが如く」のラストは確かに「戦はしないほうがいい」描写だったな。
大勢の若者の死体がるいるいと横たわる悲惨な光景だった。 そら現代に於ける価値観ですがな
過去の時代を反映した劇中でそれやったらタダの茶番ですやん >>336
真田丸や直虎での家康の「戦はもう嫌じゃ! 真っ平ごめんじゃ!」には、それなりに説得力あったと思う 応仁の乱とかの最後の方はそら厭戦気分が世間に充満してたと思うわ
何のために戦争してるかわけわからんもん それ言ってたら織田や武田は成立しないわ
当時は領地拡大の為に相手から主要な領地を奪う戦争 視聴者はドラマが歴史からどんな教訓を引き出して現代に伝えようとしているのかを見る
ただの歴史の再現ドラマじゃ満足しないよ 真田丸序盤の武田家滅亡を見るとその悲壮さに涙するが
直虎中盤の武田侵攻を見てると「こいつら早く滅びねーかな」と思ってしまう >>331
北条時宗なんて
18歳で執権
モンゴルと対峙してたり >>342
歴代の執権は早死にする人が多いからなあ
多分、過労死 >>341
このスレ見てると「自分勝手でエラそーな老害早く滅びねーかな」と思ってしまう >>330
>>237-238を参照
1、まず「藩と藩」の盟約ではない。あくまで有志間の盟約
2、しかも「討幕同盟」ではない。あくまで長州藩の「政治的救済」に関するもの
さらに
3、薩摩藩側は「盟約」したとは認識していない
現に小松帯刀は慶応2年秋から盟約1条による薩摩藩兵引き揚げを指示して慶喜との関係を修復
翌年1月には藩兵を京から引き揚げたので木戸が驚愕している
実態は薩摩藩側の方針の再確認にすぎない
何の約束もしていない
そもそも長州藩は処分案受け入れを拒否して薩摩側を失望させたまま
しかし木戸は手ぶらでは京に赴いた意味が失われるからわざわざ第三者の龍馬に裏書を求めた
というだけの話
はっきり言えば木戸が話を盛りまくった
なお、木戸の自叙からさらに話が盛られ、
龍馬の薩摩藩への働きかけまでしたことになった
実際の龍馬は木戸の愚痴を聞いて「そうかなるほどね」と言っただけ
「そのあとに盟約が結ばれたのだから龍馬は何かしたはずだ」という仮定に立って
色々妄想を働かせた結果、現在に至るというだけの話で、
実態はそのあとも薩摩藩側は「盟約」など結んでないからそんな妄想は必要ない たとえば盟約第1条の「京に兵を差し上らせる」は
薩摩藩の藩是だった禁闕守衛の範囲内の行動であって対外的な盟約などではない。
さらに盟約だとすると、第3条の
「万一負色にこれ有り候とも一年や半年に決て壊滅致し候と申事はこれ無き事に付」
という条項が意味不明になる。これは薩摩藩側の情勢認識にすぎない。
また橋会桑と「決戦」についても、薩摩藩は幕使永井尚志らの態度を見て
長州再征はないとかなりの自信を持って判断しており(第4条で「幕兵東帰」にも言及している)
たぶんにリップサービスだった可能性が高い。
なお、不言実行が薩摩人、文書で残す必要などなかったのだと言い訳してる人もいるが、
薩土盟約の時にはちゃんと藩主クラスの書簡に草案が添付されています
木戸が当時話を盛った事情は上記の通りとして、
その後、明治10年の西南戦争の最中にこの慶応2年の会談をやたらめったら強調しまくったんで、
この会談がなぜか特別な意義を持つもののように受け取られてしまったというのが実態 ほぼ同時期の薩摩藩要人の言動(続再夢紀事に見られる大久保の討幕否定発言や、
お目付け役だった桂久武の伊地知貞馨宛書簡の内容)を見ても
この時期に薩摩藩が政治的に重大な決断をしたような形跡は全くない
それどころか、小松、西郷などの薩摩藩側が「木戸を京に呼んだ」というのが史実かどうか、
それすら疑問視されているありさま さらに次回の内容にかかるが
幕府がこの薩長間の提携に気付かなかったというのもウソ
もともと幕府側は二本松の薩摩藩邸に長州藩士が潜伏してることは知っていた
また龍馬との連絡がとっくに途絶えていた勝海舟が2月1日に「薩長の提携」を
風聞として記していることでも分かる通り、そんなもんは少し耳の早い人は分かってる
それでも幕閣が見て見ぬふりをしてたのは、当時、幕閣が長州再征を巡って慶喜らと対立しており
再征を阻止するため薩摩藩に接近する動きを見せていたから、おそらくその一環 いずれにしても、木戸の書簡と、同一人の後年の自叙以外に根拠が全くないのに
(ちなみに木戸の自叙は3つとも当時の史実と違うとされる)
なんで「慶応2年1月に討幕同盟が結ばれた」などという解釈がまかり通ってるのか全く不明
幕末史はとにかくこういう伝言ゲームが多すぎ
あとでやる坂本龍馬の「暗殺事件」なんかもこの典型
実態は暗殺でも何でもなく、前科者の坂本龍馬さんが身元がバレて
幕吏に斬られましたというだけの話 >>347-351
一般論としてだが、軍事同盟には「巻き込まれリスク」と「見捨てられリスク」が存在するのだけれど、
薩摩は巻き込まれリスクを徹底的に警戒し、長州は見捨てられリスクを徹底的に恐れた、ってことでしょ。
個人的関係が悪化していた一橋慶喜と島津久光がもし復縁してたら、薩長同盟も泡のように消えてたかもしれん。
(いつもいつも西郷どんでは久光を引き下げるが、久光の敷いた基本方針から大はずれしてないはずなんだがな)
しかし「薩長同盟締結の地」だと呼ばれている場所が「御花畑屋敷」とは知らなかった。大笑いしてしまった。
同志社今出川キャンパスからみて北北西方面だ。ここなら京都で用を足すついでに、いつでもいける。
https://www.kyoto-inf.com/2017/08/26/posted-ohanabatakeoyasikiato/ 木戸と伊藤の回想を意地わるい目で見ると木戸が駕籠抜け詐欺にあったようにも見えるんだよな
薩摩が同盟をしたいという話を土佐人から聞かされ、京都に行っても薩摩からはそんな話は出ず
龍馬が来て愚痴を言ったら急に話が進んだけど、裏書してくれたのは薩摩でなく龍馬
京都の小松邸や薩摩藩邸に招かれたからすっかり信じてしまったが
実はこれが同盟の話は土佐人からしか聞いてなかったりして 途中で送信してしまった
×実はこれが同盟の話は
〇実はこれが同盟だという話は >>337
嫌だと思った一族は静かに落ちぶれていった時代だろ?
戦国時代、源氏の名門はどんどん落ちぶれていったんだから 幕府だって「戦は嫌だ」と思っていたのに
黒船が勝手に来たから戦になったんだろ 坂本龍馬は半年くらい前に塾の金の使い込みがバレてから
勝先生に絶縁されてるからな
2人ともこの時から音信不通です >>352
近衛家が昔花畑にしてた場所に屋敷を建てて後に小松に貸した
ってだけのことのどこに笑う要素が? さあみんなもドゲザーしようぜ!
あの維新三傑が土下座し捲っててナニやってんの?
あれで何でも丸く収まるとかルー大柴のギャグみたいな作品だ 「戦などおやめ下さい!」
トランプ大統領も金正恩もそう思ったから会談したんだろ もう戦なんてしてる場合じゃないんだよ
人類はひとつ上のステージに上がるべき時期に来てるのに
いつまでお山の大将やってるんだよ >>352
だから「巻き込まれリスク」も何も、
薩摩藩側はこれを「同盟」や「盟約」とは認識してない。
というより、同盟だの盟約に仕立て上げたのは木戸。
上で触れてるように、薩摩藩は当時、永井尚志の長州サイドとの会談の感触から
長州再征はなくなったと判断しており、当然ながら「戦争を前提にした同盟」を結ぶ意図がありようはずがない。
一言で言えば、薩摩側が長州藩士の上洛を要請したのは(必ずしも木戸の上洛を意味しない)
長州処分案をめぐる現状を説明し、受け入れを説得するためだし
木戸が上洛に応じたのは京洛の情勢視察のため。 だいたい、「盟約」とされてるものの条文を見たら分かるが、
薩摩側が一方的に情勢を判断し、行動することを宣言してるだけで
長州藩サイドは何の義務も負っていない。
要するに薩摩藩が一方的に自藩の方針を説明し、
かつ「どうせ戦争はなくなったんだから」と長州藩士に対して威勢よくリップサービスをしただけ。
こんなものが盟約であり得ないことは明らか。
だからこそ木戸は西郷や小松に裏書を求められなかった。
浪士でしかない龍馬に裏書を求めたのは、盟約の実行を信じてのことではなく、
「薩摩藩側がそのような発言をした」ことを証拠として藩内に示す必要があるから。
要するに自分の外交成果を誇張して記録に残したかっただけ。 >>353
同盟の話なんて薩摩はもちろんその他のサイドからも出てないよ。
木戸が、自分が出席した慶応2年1月の薩摩側との会談の意義を強調するため
どんどんどんどん話を膨らませたというだけの話。 簡単にいえば、慶応2年1月の薩長同盟などというものは存在しなかった。
会談の実態も
薩摩藩側が長州藩士に処分案受け入れを説得する
(薩摩側は削封ぶんを岩国藩預けとする方針を考えている)
↓
木戸が拒否
↓
西郷がっかり、しばらく口も聞かない
↓
龍馬、何でやと木戸を責めるも木戸に反論されて沈黙。
これで終わり。「龍馬の周旋」だの「西郷から頭を下げて…」などという、
よくドラマに出てくるようなのは全て妄想の産物。 明治維新は、戦前は皇国史観、戦後は進歩主義的な歴史観で
それ自体が賛美すべき対象だったから史実なんてどうでもよかったんだろうな
ひたすら長州藩の研究して「腐った幕府、停滞の江戸時代」を叩いて
マンセーして喜んでたという狂った時代が1970年代まで続いてた それは置いといてだな、今の日本の酷い状況はどうよ?
明治維新とは英国に乗っ取られたという事でよろしいですか?
天皇一味が金儲けの為に戦争をする国になった。 坂本龍馬は英国のパシリだった。
役目を果たしたら口封じで殺された。
で、岩崎三菱が儲かる様になった。
安倍総理のお兄さんは三菱だよね? 大河に引き換え、朝ドラは相変わらず大人気だな
別に実在の事業家でもない「半分、青い」もメディアを賑わせているようだ。
「嶋田久作とやった百均の挫折を乗り越えて漫画家として大成!」と思っていたけど違うのね
実はオープニングしか視てない 主題歌いいよね
それでサランラップにどうやったらあんな絵が描けるんだ?
てっきり「ひよっこ」のOPみたいに現代芸術としてそのうち話題になると思ってたけどならないね
どうやってラップに絵描くの? ラップ画展とかブームになるかも >>370
ちごちゃんに叱られる
「ボーッと生きてんじゃねーよ!」 http://www4.nhk.or.jp/chikochan/
おい、NHK、誰も知らないようだぞ
って言うかさ、土曜日の朝に再放送するのやめてくれよ
金曜ゴールデンタイムばかりか、朝寝した土曜にまで
見たくもない番組が出るのはたまらん それで朝ドラと大河の違いといえば、やはり人間の画き方だろう。
朝ドラでは「こういう人いるよね〜」と素直に感情移入できるキャラクターばかり。
例えば、主人公を「お嬢ちゃん」呼ばわりしていた嶋田久作が「お嬢ちゃんと呼ぶな!」と言われて
「おばちゃん」と言うような。 なんでそうなるのか男性にはよくわかるから男女とも人気。
そんな野暮ったい男に突如女が現れて失踪、という意外性で盛り上がってくる。
見てなかったからそれからどうなったのか知らんけど。
それに引き換え大河ではきりが「おばば様?知りませぬ。」なんて、
「こんなやついねーよ!あり得ない!」みたいなことをほぼ毎回言われてる。
常識的に考えて、どうしてここまで共感を得られないような内容になるのだろうか? 「戦は嫌で御座りまする。」
だったらなんで戦国物と幕末物ばかりなんだよ
戦がないと視聴率稼げないと言うのなら、
戦闘・合戦シーンこそしっかり描くべきなのに、
超特急便はしょってんじゃねーよ!! >>358
そう受け取られてしまったのには、困ったな。ネタのつもりで書いたのに、ベタになってしまう。
つまりね、西郷どんとは壮大なお花畑ドラマになっていて、そのなかでもお花畑度がマックス
なのが薩長同盟の回となるだろう。その舞台が御花畑屋敷とは、爆笑するしかないではないか。 >>362
これもまた自分の文章構成力のつたなさを反省し頭をかくばかりのコメントでありました。
「巻き込まれリスク」の評価を極大化すれば、なんの同盟も結ばないでおくか、または
軍事的義務を伴わない軍事的協力関係で、公式文書を取り交わさない非公式合意、
つまり外交の一般用語で言い換えるところの「協商」(Entente)となります。
しかし史学プロパーのつどう場所で、薩長同盟というタームはおかしい薩長協商と呼ばねば、
と主張したら、四方八方からブッ叩かれるんだろうな。 小松の屋敷の名前も知らない人が上から目線で歴史に詳しいと自負するのがこのスレ >>383
維新史は専攻外で、深くは知らないから、逆に西郷どんを新鮮に楽しめるのかもしれません。
しかし、あそこを「小松の屋敷」と呼ぶのは不正確なのでは?
御花畑御屋敷はそもそも近衛家の別邸で、小松にとってただの寓居(かりずまい)だったはず。 「薩長同盟」は欧米列強の植民地化の危機から日本を救った。だから西郷・大久保・木戸は
救国の英雄、ってふうに大河ドラマ西郷どんでは最終的には仕立て上げたいのだろうけど、
歴史年表をよく見て、それはちょっとちがうんじゃなかろうかと感想を持ちはじめました。
植民地化をまぬがれた根本的な原因は、当時の日本に展開できる海軍力が足りなかったから
だと思うのですよ。海上戦力は策源地(海軍基地)からの距離の2乗に反比例する、というのが
通説ですが、それを日本国内に置きたくても置けなかった。地球物理学的偶然のせいです。
黒船と開国の時代の幕開けと同時に、南海トラフ地震が発生してなかったら、いまごろ日本は
どうなっていたか分からない。今日は防災の日だし、妄想誘発的な年表をひとつ作ってみました。 ペリーが浦賀沖に来航 1853年07月08日
日米和親条約調印 1854年03月31日
伊賀上野地震 1854年07月09日02時頃 M=7 1/4±1/4 死者1308(推定)
安政東海地震 1854年12月23日09時過頃 M=8.4
(日露和親条約交渉のため下田に停泊中のプチャーチン乗艦ディアナ号が津波で大破、のち荒天のため沈没)
安政南海地震 1854年12月24日16時頃 M=8.4
豊予海峡地震 1854年12月26日10時頃 M=7.3−7.5
東海・南海・豊予海峡地震被害の合算で死者少なくとも2658
飛騨地震 1855年03月18日14時頃 M=6 3/4±1/4
陸前地震 1855年09月13日12時頃 M=7 1/4±1/4
遠州灘地震 1855年11月07日18時頃 M=7.0−7.5
安政江戸地震 1855年11月11日22時頃 M=7.0−7.1 死者7468(以上)
安政八戸沖地震 1856年08月23日12時頃 M≒8.5
(安政江戸台風 1856年09月23-24日 死者約10万)
芸予地震 1857年10月12日08時頃 M=7 1/4±0.5
飛越地震 1858年04月09日03時頃 M7.0−7.1 死者426
信濃大町地震 1858年04月23日10時頃 M5.7±0.2
日米修好通商条約調印 1858年07月29日
安政の大獄はじまる 1858年7月〜(徳川斉昭・松平春嶽等謹慎)
桜田門外の変 1860年03月24日(井伊直弼暗殺)
大政奉還 1867年11月09日
※年月日は現在の暦の太陽暦で表記、時刻は十二時辰から換算、Mは推定マグニチュード
地震については宇佐美龍夫「最新版日本被害地震総覧 [416]-2001」東京大学出版会2003から抜粋 西郷どん、伊藤博文に孝明天皇暗殺を指示?
ttp://www.link-21.com/history/src/index.html >>381
だから何度も言うけど、薩摩藩側はこの会談では長州再征を巡る情勢を長州側に説明しただけで、
何の約束もしたとは思ってない。盟約も同盟も協商もない。端的に説明しただけ。
しかも長州処分を受け入れなさいと薦めたら拒絶され、西郷個人としては面目を大いに失した。
「約束があった」という頭を捨てないといけない。
>>385
植民地化の危機なんてなかったと思うけど、
最初に来たアメリカ艦隊は補給地が遠すぎるから問題にならないというのは
大槻盤渓もペリー来航の際に指摘している。おそらく幕府要人もそれは知っていた。
ただし、「植民地化の危機」はなくとも、海上交通路を危機に陥れれば
都市化が進んだ日本では動揺を招くだろうことは幕閣も、イギリス陸軍省なども認識していた。
幕閣がペリー来航の際に対応を決めていたのは、アヘン戦争の際の攻防戦の分析から
物流路を扼された場合の危険を予測できていたから。既に天保期にはその分析がなされている。
なお、下関戦争では四か国連合艦隊の集結により沿岸部の物価が暴騰し打ちこわしが発生した
長期化すれば長州藩自体が天保一揆の再来に見舞われた可能性がある。 チェストは英語で胸
示現流では胸を狙って打ち込むのでチェースト!が掛け声になった
薩摩は密貿易で英国と取引していたので
英語の導入が早く蘭癖斉彬が広めたという
ちなみに「チェストばすたあ」とは薩摩の一部で行われる
元服の儀式として種子島にいるという怪物鋭利暗と戦い
勝つか死ぬまで帰ってこれないと言う苛酷なもので
もし逃げ帰ったものは「チェスト破り」と呼ばれ
半人前として嘲笑されたと言う 連合艦隊の摂海来航はもともと下関協定の賠償金に発端してるのだから
慶喜にしてみたら迷惑この上ない話
条約勅許獲得にしても慶喜から見たら
降って湧いた災難でせめて朝廷主導で決すべくやむなく奔走したというのが実態
放置すると通商に積極的な幕閣が単独で兵庫開港を回答しかねないから仕方ない
この後で老中も小笠原・板倉ら朝幕協調路線の人物が登用される一方、
単独開港を主張した阿部・松前らは罷免
幕臣の慶喜に対する憤激は襲撃計画が噂されるまで沸騰する
ほぼ全員から恨まれるという損な役回りを好き好んで演じる馬鹿はどこにもいない
いくらドラマとはいえ、勅許を得るためにロッシュと通謀したとか、
あまりにも阿呆な設定を考えるとその時点で視聴者は見るのをやめてしまう 慶喜も独断専行で板倉小笠原の二老中や会津藩ですらついてけなくなるけど
西郷も慶応3年くらいからなりふり構わなくなって大概なんだよな
何が民のためなんだか NHKは当初、日本人初の五輪出場者を「途中棄権したズッコケ男」としてお笑いにするつみりだった。
だが、この時、1912年のストックホルムオリンピックは男子マラソン参加者68人中、
実に半数近い33人が棄権、うちポルトガル選手一人が五輪史上初の死亡例となる過酷な大会だったのである。
暑さ対策が言われる東京五輪だが、いっそ暑さになれた日本選手だけが完走して、
他は全員棄権すればメダル独占できるんじゃないか? 西郷どんは性欲無いの?
大河ドラマ 新選組! では 太ったおなごはよか〜 って言ってたのに。
お虎とやりまくっていたんじゃ・・ >>395
龍馬伝でもそうなってた。大河史観では西郷は極端なデブ専 >>398
誤変換がそんなに面白かったですか。
経験から言う「言葉狩りが好きなやつにろくなやつはいない」と。
「知らないわからないのに口だけは出したがるプライドだけ高いバカ」だから。 先週は休みだったのに爆睡して見てなかった
今週は図らずも休みだから久々に見てるけど、早くも家茂死んだんだ
和宮と篤姫はしっかり描かれたのかな?
この時代のフォトグラフは一時間以上固まってないと撮れなかったんだが。 「慶喜が薩摩を割譲しようとした」なんて史実なの?
およそ我が国の歴史上、日本本土を割譲しようとしたやつがいるの?
そうはさせないための攘夷でしょ?日本を植民地にさせないためでしょ?
だとしたら、慶喜は天皇なんかほっといてフランス共和国に忠誠を誓えばいい。 大政奉還も王政復古もしてないのに「ええじゃないか」ですか。
天皇死んだのに誰の勅許なんだよ
勅許が降りて晴れて官軍になったの鳥羽伏見でしょ 日本は明治維新でイギリスの植民地奴隷国家になって現在に至る。
そんな本当の事を大河ドラマでやる訳が無いw って、藪から棒に大政奉還ですか。
修学旅行で行った二条城ではみんな烏帽子直垂姿のマネキンでしたが、カミシモ着てるんですか あの
歴史上一番大事なエピソード端折り過ぎてませんか?
序盤は薩摩をコケにして置いていきなり「大政奉還」って何なんですか
んで
来週はいきなり「龍馬暗殺」からの「戊辰戦争」になっちゃうんですか? 家近良樹の「徳川慶喜」−慶応期の幕政改革が
慶喜とフランスの関係について注意を促している
簡単に言えば、
ロッシュとの関係は慶喜の将軍就任前(元治元年)から始まっており
慶喜と親仏派幕臣とも攘夷をめぐって従来深刻な対立関係にあり、
幕府の軍制改革をめぐって限定的に協力関係に立ったに過ぎない
さらに言えばフランス本国は英仏協調方針を堅持しており、
幕仏関係はロッシュが個人的に幕府に接近したものにすぎない
そのため慶応4年には彼は更迭され、後任のウトレーは英仏協調路線に戻っている
この辺はまあ普通に幕末史やってる人は常識だろうけど念のため かつて豊臣秀吉がキリシタン禁教令を出し、
徳川幕府が鎖国政策に踏み切ったのも、
「宣教師はいずれ領土の割譲を要求してくる」と判断したからだ。
その祖法を守るかどうかであれだけ大騒ぎしといて割譲はないでしょ。 もうさ慶喜とロッシュが薩摩の割譲交渉してるところに西郷が乗り込んで,ちょっとちゃんばらして成敗!でよくね 西郷の見せ場のひとつに四候会議失敗のあとの「挙事」が挙げられるが
そこを全カットとはすごい省略大河だね。
大政奉還から王政復古まで西郷が武力行使に固執した理由が全く分からなくなるだろう。 わが国は古来から学問好きだった。将軍も大名も毎日学問に励んだ。
そのテキストは「十八史略」を始めとする中国の古典。
そこに描かれてる世界は「春秋戦国以来、他国に領土を割譲するとほぼ確実に滅亡する」こと。
降服条件として土地を割譲すると、敵はさらに強くなり、味方はもっと弱くなる。
次々に土地を割譲されていった結果、最後には抵抗する国力すらなくなって滅亡した多くの国々。
それでも大陸では多くの民族が群雄割拠興亡を繰り返し、民もそれに馴れたのが中国の歴史。
だが、わが国は古来より主要な島々でほぼ単一な民族が和をもって貴しと成した国。
外国に占領されたことなどないから、皇祖伝来の土地への執着が強い。
そんな明治政府が直面したのがロシアの脅威。満州の次は朝鮮、その次は日本と、
あくなき欲望をむき出しにした国に譲歩なんてあり得なかった。
慶喜だって「外国に本土を割譲したら確実に植民地」もわからないバカだったんだろうか?
ちなみに馬関戦争の講話会議でイギリスは関門海峡の島の99年間の租借を要求したが、
幕府は頑として拒否した、という史実を知ってたか?知ってるわけないか。 続いて、NHKスペシャル「緊急報告 北海道激震」
震災被災者のレポートかと思えば、
「お前ら電気がないと困るだろ、だから原発再稼働させろ」な番組なんだ。
被災者の傷に塩をなすりこむような番組を公共放送が流すなよ。
こんなやつらこそ「民のため」の西郷どんがチャンバラして成敗してほしいわ。
東日本大震災でも起きなかったブラックアウトが北海道でだけ起きた原因?
そりゃJR北海道でだけ事故が多発するのと同じ理由でしょ。 イギリスはキューパー提督が萩攻撃を拒絶してオールコックと対立してるので、
関門海峡の島なんか要求してはいないだろうし、仮にしたとしても一種のブラフにとどまるだろうね。
最も大事な要求項目は関門海峡の無事通過。 薩摩の底辺てすごく貧乏そうで、一番上が日本人だろうが
フランス人だろうが変わらないように見える
薩摩をとった場合、琉球もついてフランスに行くのか、
琉球は日本直下になるのか 勝海舟は政権返上まで提案したことはない
また、坂本龍馬とは2年前の慶応元年から音信不通である
日記にも出てこなくなります ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています