【謎の歴史観】西郷どん その4【なんで史実じゃダメなんですか?】
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ペリーが浦賀沖に来航 1853年07月08日
日米和親条約調印 1854年03月31日
伊賀上野地震 1854年07月09日02時頃 M=7 1/4±1/4 死者1308(推定)
安政東海地震 1854年12月23日09時過頃 M=8.4
(日露和親条約交渉のため下田に停泊中のプチャーチン乗艦ディアナ号が津波で大破、のち荒天のため沈没)
安政南海地震 1854年12月24日16時頃 M=8.4
豊予海峡地震 1854年12月26日10時頃 M=7.3−7.5
東海・南海・豊予海峡地震被害の合算で死者少なくとも2658
飛騨地震 1855年03月18日14時頃 M=6 3/4±1/4
陸前地震 1855年09月13日12時頃 M=7 1/4±1/4
遠州灘地震 1855年11月07日18時頃 M=7.0−7.5
安政江戸地震 1855年11月11日22時頃 M=7.0−7.1 死者7468(以上)
安政八戸沖地震 1856年08月23日12時頃 M≒8.5
(安政江戸台風 1856年09月23-24日 死者約10万)
芸予地震 1857年10月12日08時頃 M=7 1/4±0.5
飛越地震 1858年04月09日03時頃 M7.0−7.1 死者426
信濃大町地震 1858年04月23日10時頃 M5.7±0.2
日米修好通商条約調印 1858年07月29日
安政の大獄はじまる 1858年7月〜(徳川斉昭・松平春嶽等謹慎)
桜田門外の変 1860年03月24日(井伊直弼暗殺)
大政奉還 1867年11月09日
※年月日は現在の暦の太陽暦で表記、時刻は十二時辰から換算、Mは推定マグニチュード
地震については宇佐美龍夫「最新版日本被害地震総覧 [416]-2001」東京大学出版会2003から抜粋 西郷どん、伊藤博文に孝明天皇暗殺を指示?
ttp://www.link-21.com/history/src/index.html >>381
だから何度も言うけど、薩摩藩側はこの会談では長州再征を巡る情勢を長州側に説明しただけで、
何の約束もしたとは思ってない。盟約も同盟も協商もない。端的に説明しただけ。
しかも長州処分を受け入れなさいと薦めたら拒絶され、西郷個人としては面目を大いに失した。
「約束があった」という頭を捨てないといけない。
>>385
植民地化の危機なんてなかったと思うけど、
最初に来たアメリカ艦隊は補給地が遠すぎるから問題にならないというのは
大槻盤渓もペリー来航の際に指摘している。おそらく幕府要人もそれは知っていた。
ただし、「植民地化の危機」はなくとも、海上交通路を危機に陥れれば
都市化が進んだ日本では動揺を招くだろうことは幕閣も、イギリス陸軍省なども認識していた。
幕閣がペリー来航の際に対応を決めていたのは、アヘン戦争の際の攻防戦の分析から
物流路を扼された場合の危険を予測できていたから。既に天保期にはその分析がなされている。
なお、下関戦争では四か国連合艦隊の集結により沿岸部の物価が暴騰し打ちこわしが発生した
長期化すれば長州藩自体が天保一揆の再来に見舞われた可能性がある。 チェストは英語で胸
示現流では胸を狙って打ち込むのでチェースト!が掛け声になった
薩摩は密貿易で英国と取引していたので
英語の導入が早く蘭癖斉彬が広めたという
ちなみに「チェストばすたあ」とは薩摩の一部で行われる
元服の儀式として種子島にいるという怪物鋭利暗と戦い
勝つか死ぬまで帰ってこれないと言う苛酷なもので
もし逃げ帰ったものは「チェスト破り」と呼ばれ
半人前として嘲笑されたと言う 連合艦隊の摂海来航はもともと下関協定の賠償金に発端してるのだから
慶喜にしてみたら迷惑この上ない話
条約勅許獲得にしても慶喜から見たら
降って湧いた災難でせめて朝廷主導で決すべくやむなく奔走したというのが実態
放置すると通商に積極的な幕閣が単独で兵庫開港を回答しかねないから仕方ない
この後で老中も小笠原・板倉ら朝幕協調路線の人物が登用される一方、
単独開港を主張した阿部・松前らは罷免
幕臣の慶喜に対する憤激は襲撃計画が噂されるまで沸騰する
ほぼ全員から恨まれるという損な役回りを好き好んで演じる馬鹿はどこにもいない
いくらドラマとはいえ、勅許を得るためにロッシュと通謀したとか、
あまりにも阿呆な設定を考えるとその時点で視聴者は見るのをやめてしまう 慶喜も独断専行で板倉小笠原の二老中や会津藩ですらついてけなくなるけど
西郷も慶応3年くらいからなりふり構わなくなって大概なんだよな
何が民のためなんだか NHKは当初、日本人初の五輪出場者を「途中棄権したズッコケ男」としてお笑いにするつみりだった。
だが、この時、1912年のストックホルムオリンピックは男子マラソン参加者68人中、
実に半数近い33人が棄権、うちポルトガル選手一人が五輪史上初の死亡例となる過酷な大会だったのである。
暑さ対策が言われる東京五輪だが、いっそ暑さになれた日本選手だけが完走して、
他は全員棄権すればメダル独占できるんじゃないか? 西郷どんは性欲無いの?
大河ドラマ 新選組! では 太ったおなごはよか〜 って言ってたのに。
お虎とやりまくっていたんじゃ・・ >>395
龍馬伝でもそうなってた。大河史観では西郷は極端なデブ専 >>398
誤変換がそんなに面白かったですか。
経験から言う「言葉狩りが好きなやつにろくなやつはいない」と。
「知らないわからないのに口だけは出したがるプライドだけ高いバカ」だから。 先週は休みだったのに爆睡して見てなかった
今週は図らずも休みだから久々に見てるけど、早くも家茂死んだんだ
和宮と篤姫はしっかり描かれたのかな?
この時代のフォトグラフは一時間以上固まってないと撮れなかったんだが。 「慶喜が薩摩を割譲しようとした」なんて史実なの?
およそ我が国の歴史上、日本本土を割譲しようとしたやつがいるの?
そうはさせないための攘夷でしょ?日本を植民地にさせないためでしょ?
だとしたら、慶喜は天皇なんかほっといてフランス共和国に忠誠を誓えばいい。 大政奉還も王政復古もしてないのに「ええじゃないか」ですか。
天皇死んだのに誰の勅許なんだよ
勅許が降りて晴れて官軍になったの鳥羽伏見でしょ 日本は明治維新でイギリスの植民地奴隷国家になって現在に至る。
そんな本当の事を大河ドラマでやる訳が無いw って、藪から棒に大政奉還ですか。
修学旅行で行った二条城ではみんな烏帽子直垂姿のマネキンでしたが、カミシモ着てるんですか あの
歴史上一番大事なエピソード端折り過ぎてませんか?
序盤は薩摩をコケにして置いていきなり「大政奉還」って何なんですか
んで
来週はいきなり「龍馬暗殺」からの「戊辰戦争」になっちゃうんですか? 家近良樹の「徳川慶喜」−慶応期の幕政改革が
慶喜とフランスの関係について注意を促している
簡単に言えば、
ロッシュとの関係は慶喜の将軍就任前(元治元年)から始まっており
慶喜と親仏派幕臣とも攘夷をめぐって従来深刻な対立関係にあり、
幕府の軍制改革をめぐって限定的に協力関係に立ったに過ぎない
さらに言えばフランス本国は英仏協調方針を堅持しており、
幕仏関係はロッシュが個人的に幕府に接近したものにすぎない
そのため慶応4年には彼は更迭され、後任のウトレーは英仏協調路線に戻っている
この辺はまあ普通に幕末史やってる人は常識だろうけど念のため かつて豊臣秀吉がキリシタン禁教令を出し、
徳川幕府が鎖国政策に踏み切ったのも、
「宣教師はいずれ領土の割譲を要求してくる」と判断したからだ。
その祖法を守るかどうかであれだけ大騒ぎしといて割譲はないでしょ。 もうさ慶喜とロッシュが薩摩の割譲交渉してるところに西郷が乗り込んで,ちょっとちゃんばらして成敗!でよくね 西郷の見せ場のひとつに四候会議失敗のあとの「挙事」が挙げられるが
そこを全カットとはすごい省略大河だね。
大政奉還から王政復古まで西郷が武力行使に固執した理由が全く分からなくなるだろう。 わが国は古来から学問好きだった。将軍も大名も毎日学問に励んだ。
そのテキストは「十八史略」を始めとする中国の古典。
そこに描かれてる世界は「春秋戦国以来、他国に領土を割譲するとほぼ確実に滅亡する」こと。
降服条件として土地を割譲すると、敵はさらに強くなり、味方はもっと弱くなる。
次々に土地を割譲されていった結果、最後には抵抗する国力すらなくなって滅亡した多くの国々。
それでも大陸では多くの民族が群雄割拠興亡を繰り返し、民もそれに馴れたのが中国の歴史。
だが、わが国は古来より主要な島々でほぼ単一な民族が和をもって貴しと成した国。
外国に占領されたことなどないから、皇祖伝来の土地への執着が強い。
そんな明治政府が直面したのがロシアの脅威。満州の次は朝鮮、その次は日本と、
あくなき欲望をむき出しにした国に譲歩なんてあり得なかった。
慶喜だって「外国に本土を割譲したら確実に植民地」もわからないバカだったんだろうか?
ちなみに馬関戦争の講話会議でイギリスは関門海峡の島の99年間の租借を要求したが、
幕府は頑として拒否した、という史実を知ってたか?知ってるわけないか。 続いて、NHKスペシャル「緊急報告 北海道激震」
震災被災者のレポートかと思えば、
「お前ら電気がないと困るだろ、だから原発再稼働させろ」な番組なんだ。
被災者の傷に塩をなすりこむような番組を公共放送が流すなよ。
こんなやつらこそ「民のため」の西郷どんがチャンバラして成敗してほしいわ。
東日本大震災でも起きなかったブラックアウトが北海道でだけ起きた原因?
そりゃJR北海道でだけ事故が多発するのと同じ理由でしょ。 イギリスはキューパー提督が萩攻撃を拒絶してオールコックと対立してるので、
関門海峡の島なんか要求してはいないだろうし、仮にしたとしても一種のブラフにとどまるだろうね。
最も大事な要求項目は関門海峡の無事通過。 薩摩の底辺てすごく貧乏そうで、一番上が日本人だろうが
フランス人だろうが変わらないように見える
薩摩をとった場合、琉球もついてフランスに行くのか、
琉球は日本直下になるのか 勝海舟は政権返上まで提案したことはない
また、坂本龍馬とは2年前の慶応元年から音信不通である
日記にも出てこなくなります >>402
フランス公使ロッシュが慶喜に対して薩摩割譲を要求するぐらいは話の流れのなかであったかもしれないが
慶喜本人がその要求を承諾したり許可したことはなかろう。それをやったらただの売国奴だ。 >>414-415
そもそも政治劇や駆け引きの妙に関心が乏しい人が脚本を書いてるから、しゃあないなあ。
しかしそういう脚本をつくらせた発注主体はほかの誰でもなくNHKだ。
あんこ抜きの大福餅みたいだが、NHKはあんこの代わりに何を詰めるつもりだったのか、そこが分からん。 >>421
「あんこ抜きの大福で充分だろ、満足できない史実厨うるせえ」というスタンスのようです 片栗粉や粉砂糖をふりかけて見た目は美味しそうなあんこ抜きの大福餅大河
中に入ってるはずのあんこを想像しながら美味しそうだと視聴した人を片っ端から窒息死させましたみたいな 伊藤博文が大室寅之助を連れて来て天皇をすり替える回はいつですか? 次回は鳥羽伏見の戦いですかね。
インチキ錦の御旗の発注は? 言うまでもないが西郷が慶応3年に計画していたのは「討幕挙兵」ではない
8月14日に長州藩士柏村数馬に対して、小松帯刀らと同席のうえ、
「弊藩において討幕は仕らず。事を挙げ候己後、時宜により討将軍の綸旨は差し出さる可きか」
と明言しており、要するに目的は慶喜の将軍職からの解任、将軍職の廃止程度にとどまる。
他の政変参加藩は土佐、越前、宇和島だから、徳川家との全面戦争などあり得ない。
柏村は種々質問した後で、討幕でないことがよくわかりました、我々も賛同致しますと答えている。 「慶喜が挙兵の矛先を避けるため大政奉還した」というのもやや不正確
上洛兵力は薩長芸あわせて2000程度(実際は長州藩が不参加)
会津藩兵だけで2000いるし、慶応3年秋になると情勢不穏で幕府陸海軍部隊が上洛する
これでは京、大坂、江戸の三都同時挙兵が実現するか甚だ疑問
薩摩の国元では前年から城下士たちは連年の出兵に不満を唱え、西郷たちの立場はかなり微妙になっていたし
(このことが四候会議の失敗後に西郷を思い余っての強硬手段に走らせる動機のひとつ)
京の薩摩藩邸でも主戦派と穏健派の内訌が激化する
これではクーデタが成功する見込みは高くない ただ京周辺で流血を招くことは予想される
大政奉還は慶喜なりに政治混乱を招きたくないという意思でなされたと考えるべきだろう 西郷が二回も罠にかかったなんてネタはもういいから。
もう尺もないし年表ドラマにするしかないよ 大事な史実をスキップしまくる年表ドラマにしかならんぜよ >>432
真実なんて江戸時代ぐらいまでしかわからないよ。今の日本は明治維新から
ずーっとつながっている。元号は変わっても明治時代なんだよ。明治維新の
真実はこの時代が途切れなければまともに論議・評価することなどできない。 ぶっ壊してないよ。鉱毒事件と公害・福一を見ても構造は全く変わっていない。
明治は欧米のやんわりとした植民地化で戦後は米国のやんわりとした植民地化。 別にフィクションを否定する気はない
問題なのはドラマとしても娯楽作品としても全く面白く感じられない
「ああそう言う解釈をすれば納得がいく…」と思えるような部位もない
これでは見るだけ損な愚作にしか感じられないのは当然だろう 寺田屋遭難の黒幕を何説でやるかとか盛り上がっているが
史実の寺田屋遭難は何のひねりもない刑事事件の捜査でした >>435
幕末期の薩摩は斉興・斉彬・久光と代替わりする度に政策がコロコロかわり、
幕府側について会津と仲良いか思えばあっさり裏切って長州につき、
まるで一貫性のない態度でありながら回天の英雄となっている。
だからトランプ大統領も後世、「表裏比興の大統領」とレジェンド英雄になるだろう。 実際、当時としては薩長同盟なんて、
現代の米朝会談以上のインパクトだっただろう やっぱり移民政策はよくない。
要するに「低賃金労働力」がほしいだけだからだ。
それよりは日本人の賃金を上げるほうがいい。
さもないと「日本人の仕事を奪っている」と欧米と同じ轍を踏むことになる それでネット通販が増える中、物流・運送は数少ない成長産業だ
ことに、仕事の少ない地方では大きな雇用を生み出している
市場原理に従い、運送料・賃金を増やすべきだ
昔の佐川急便みたいにがんばればいくらでも稼げたら
人手不足など解消し、地方にもトリクルダウンが波及する 「生け贄」に決まった一坂氏が下関で受けた嫌がらせは凄まじいものでした。
東行庵の墓地造成に一役買っていた山口県議会議員は、県教育次長を呼び出し
「一坂が盗んだと広める事、一坂が自殺するまで追いつめる事」を指示したと言います。
直接関与するのが怖くなった次長が、ある新聞社の幹部に漏らしたことで明らかになりました。
自殺と言うと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、実際にこの少し前に山口県庁の広報課の役人が
県庁舎から飛び降り自殺するという事件がありました。その際に直接の上司らが彼の机や椅子、
私物を速やかに処分し昼休みには跡形も無い様にしていたそうです。
山口県全体の「自治体の体質」と言えるかもしれません。 本スレやらで同時期のフランスのメキシコ出兵をあげて
「薩摩も侵略される可能性があった」と言ってるたわけがいるけど
メキシコ出兵はもともとアメリカの支援するフアレス政権の誕生で
イギリス、スペインの支持を得て実行された
だから英国らが債権取り立て交渉で妥結し、アメリカの南北戦争が終わると撤兵を決める
列強間の支持があってこその海外出兵
ロッシュの動きを本国は懸念しているのだから、薩摩占領など企図されようはずがない フランスのロッシュ公使が将軍徳川慶喜に薩摩の割譲をやんわりと要求したのは
フィクションにしてもひどすぎる。
フランスは1861年にロシア軍艦が対馬の芋崎を永久租借しようとして
イギリスが介入した対馬事件(ポサドニック号事件)をよく把握していていたし、
また1863年の薩英戦争での薩摩藩の頑強な抗戦もよく把握していた。
日本本土の割譲、しかもよりによって薩摩の割譲を求めるような
荒唐無稽なストーリーは、歴史をちゃんと勉強していたら絶対に書けないだろう。 >>451
慶喜とは、ソビエト連邦を生き残らせるため改革しようとした最後のソ連指導者ゴルバチョフであって
隆盛とは、その改革を潰そうとしたソ連8月クーデターの首謀者か、エリツィンみたいなものかもしれん
というふうにみえてきた。
それと、どうでもよい場面に時間を使うわりには、大事な場面に時間を使わない、アンバランスな大河だ。
できれば第1回からそっくり作り直してほしいし、総集編つくる気あるなら抜本的再編集してほしいね 制作者が歴史知らないから歴史シーンはなるべく避けて、
ホームドラマでごまかそうとしてるんだが、ホームドラマにもなってない。
基本的に歴史好きしか見ないんだから歴史ドラマにしろよ 歴史好きがあまりにもノイジーマイノリティだからドラマに逃げられるんだぞ >>459
戊辰戦争はナレ+浮世絵で片付け、余らせた予算を西南戦争に振り向けるとか?(超好意的解釈) ×浮世絵
↓
○錦絵
一応、江戸御用盗も出したんだ 坂本龍馬殺害を何説でやったのか知らないけど
史実は慶応2年1月の同心三名殺害で指名手配中の坂本龍馬さんが
「不軌」つまり大政奉還が容れられなかった際の将軍殺害に言及したことが
10月下旬に幕臣に漏れて追討されたというだけ。
純然たる公務ということでほぼ決着と言ってもいいかと思う。
刑部省の今井信郎に対する判決も「捕縛にまかり越し討ち果たし」と認定しており、
量刑も静岡藩預けで数年で禁固が解けている(静岡藩預けと言っても今井は自由に生活していた)
今井の罪状には「官軍に抗敵」したことも含まれているのに、他の脱走軍の人間と違いはないから、
この件は事実上不問にされたと言ってよい。 >>464
何説でもなかった
誰かわからんけど暗殺されたってだけだ
おりょうが西郷疑ったが否定も肯定せず 討幕の密勅も、それ自体が武力蜂起に結びつく性格のものではない
国元の反対、芸州藩の離脱で京の薩摩藩邸も反対派が優勢になり
いま一度薩長芸の盟約を固め直すために中御門経之に対し詔書が求められる(9日)
だが9日には長州藩の出兵中止の報がもたらされ、小松以下3人の帰国説得が決定
この時点で土佐藩側に対しては挙兵をいちおう中止したことが伝えられている。
だからこの時点で即時挙兵は既にない
密勅は、おそらく国元の反対を説得するために出してもらった標本のようなもの。
その後の11月の藩主忠義の出兵ですら、武力行使という性格はない。
薩摩藩が藩として「討幕」に突入したのは、鳥羽伏見の戦いまでない。 >>465
当時の京都は名もない通り魔が毎日何人も要人問わず斬りまくってたからただ運が悪かったってだけだろ。本人も大政奉還見れて気が抜けたんじゃないのかな 龍馬は自業自得だよ
人殺してるんだからしょうがない >>464
誰だか分からない人が龍馬を斬り殺しましたという解釈は、現時点では素直でよいと思った。
いまだ定説がない、真犯人が本当に分からないのだから、それを詮索したって仕方ない。
しかしあえていえば、(龍馬のような)武器商人は、恨みを買いやすい職業だと思うな。 龍馬暗殺に関連するが、「想房・河井正博」という小説家志望の方が、戊辰戦争のころの
小銃と大砲がどうなってたか上手にまとめていた。興味深い内容だったのでリンク貼っとく。
兵器の散歩 - 4.ゲベールからスペンサーまで(幕末の小銃)
https://ncode.syosetu.com/n1045cf/4/
兵器の散歩 - 15.幕末維新の大砲
https://ncode.syosetu.com/n1045cf/15/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3) 薩摩藩邸焼き討ち事件のあらまし
・西郷、益満・伊牟田らを江戸に下向させ、留守居篠崎彦次郎とともに公然と浪人を募集する
・名目は「天璋院様御守衛のため」、500人が集まる
・10月下旬から騒乱が始まり、12月にピークを迎える
・新徴組では手に負えなくなり、10月末に歩兵半大隊・撒兵二中隊・奥詰銃隊・遊撃隊などを投入
・11月2日に城門の勤番を増加、30日には前橋・佐倉・壬生藩らを庄内藩に増援
・12月18日には52藩に藩邸付近の警備を命じ、一宮・泉・館山・新庄藩らが上野・芝を警護
・23日、江戸城二の丸炎上、薩摩藩士と通謀しての放火とのうわさ流れる
・陸軍が江戸各所に出動し全面的な戒厳体制に。しかし警備隊は浪人をはばかり遠巻きで見てるだけ
・関東各地でも11月〜12月にかけて蜂起が相次ぎ幕府・諸藩軍が出動
(鯉淵四郎以下の相州荻野陣屋襲撃、竹内啓以下の下野での騒乱、上田修理以下の甲府城奪取未遂
上総、下総、水戸方面にも浪士が向かう)。なお浪人たちは薩州藩士と公称する
・海陸軍の士官、薩摩藩邸攻撃を要求、有司が評議
・23日夜、砂土原藩隊が庄内藩士詰所を襲撃、藩士を殺傷(22日にも新徴組士が殺傷)
・24日、庄内藩、「膺懲」がなければ任を辞すると申し出る
・攻撃許可。諸藩+幕府陸軍も加わり藩邸攻撃
・逃れた浪人は翔鳳丸に乗船し逃走、幕府軍艦の回天が追撃・砲撃
翔鳳丸はこのあと阿波沖海戦に参加 なんかヒストリアで「蒙古襲来時、日本軍は化学兵器を使った」なんて言ってるな
どういう意図か確と見てやろうじゃねーか そういえば蒙古襲来絵詞に描かれてる蒙古兵、全員歩兵ばかりだな
蒙古騎兵がいたらあっという間に負けたかも だいたい、交易する気がないのならその旨返書すればいいのに、
返事しなかったなんて問題先送りにしてただけでは? 糞尿を投げ込んだとか証拠のない話をするな!!
当て推量でよけりゃ俺がもっと面白い話してやるよ。
糞尿投げ込むより油と松明でも投げ込んだほうがいいだろ >>470
一応物語なんだから、
主要人物を殺したのが主人公なのかどうかは
ハッキリさせないと不誠実じゃないかな?
面倒くさいクレームが嫌だから有耶無耶って言うんじゃあ、それは手抜きだ Twitterで自称元学芸員とやらの幕府は一度も大政を委任されたことがないなんて
デタラメが上位にあがってるw
視聴者の水準なんてそんなもん >>207
これはいくら何でも冗談が過ぎるだろう、と思い込んでたが、類似のお花畑史観が書かれていました
明治維新から150年続く、民主国家構想を潰した「長州レジーム」とは? | ハーバービジネスオンライン
https://hbol.jp/174985
・明治維新は、議会制民主主義に基づく平和国家をつくる構想を潰した!?
・江戸末期に生まれた、民主的な国家構想
・西郷隆盛が“転向”、赤松の暗殺で民主国家構想が闇に葬られた!?
・戦後も続く、攘夷・排外主義の「長州レジーム」
・長州レジームVS.日本国憲法レジーム >>477
薩長同盟は描いても、同じく坂本龍馬が同席して締結した薩土盟約は描かないとか
(町田明広氏によれば)薩長による武力倒幕に賛同し追従するため龍馬は上京して
暗殺されたとのことですが、新説にもとづく描き方をしないとか、不思議なシーンでした。
龍馬暗殺の真犯人はぼかしたけど、でも龍馬暗殺の場面それ自体は史実にかなり近い
と思いますよ。まあ、坂本龍馬は西郷どんの主人公じゃないから、勘弁してあげたら? 幕末って史料が多すぎて新説って今まで誰も詳しく読んでなかったものを検証したら
従来の説と違うことが書いてあったってケースが多いからな
もっと古い時代の新説にありがちの単なる想像と一緒に考えてはいかん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています