長州藩整武隊事件
幕末で意外に金欠だったのが長州藩
明治初年の収入÷負債比率は3倍を超え、全国でもかなり悪い
永世禄10万石を貰った時にも兵士への分配はわずか5000石
(表向き1万石だが半分くらい還流させている)

諸隊の反乱が激化するといったんは恩賞を約するが鎮圧後は再びホゴに
救助米を出すと約束したがこれも履行されず10数年が経過
毛利家ではらちがあかないのでついに総理大臣黒田清隆に直訴する騒ぎになる
黒田は「こういう嘆願が来たけど何やってんの」と照会する
それでも無視しようとしたので、反政府系の朝野新聞に訴え記事が広まるようになる

最初は嘆願運動だったが旧民法の施行(明治23年)以降は財産権侵害として争うようになり
整武隊士が明治30年代に毛利家を相手に訴訟を起こした際は
中央のメディアが隊士に同情的な論調を張り社会的事件となった