「西郷がいなければ維新が〜」というけど、
むしろ不思議なのは、西郷は挙兵計画をどうやって成功させる気だったのか
合理的に説明がつかないこと

西郷の政変計画はあくまで越前・宇和島・土佐の各諸侯との連携が前提のため
武力行使は最終手段にすぎず、長州藩にも「弊藩のみにては討幕は仕らず」と断言している
わずか3000程度の兵では大坂・江戸・京の三都挙兵など不可能

昔からこの挙兵計画に成功の見込みがあるなんて言ってる専門家は見たことがない
鳥羽伏見の直前にも江戸の浪士は暴発するまいとか阿呆みたいなこと言って完全に情報遅れてるし
完全に後手に回ってて、もし負けたら後でどう責任取る気だったのか不思議な気になる

年末の手紙を見るとすでに精神的にダウンしてて郷里に引きこもりたいと言ってるのだが
隠居どころか切腹は免れないのだが、このあたりの鈍感さは西南戦争の挙兵時にも共通するものがある