>>67
でもまあ、本社と出向先とで対立することはよくあることだから。通信手段の限られている昔はさらに。
生麦事件と薩英戦争で国元に帰らざるを得なくなり、京都守護職の奪取に失敗した久光が悪いのです。

>>70
佐幕的な越前・伊予・土佐サイドから見た長州処分と、薩摩側からの長州処分の見えかたは異なって当然。
薩摩にしてみれば、長州が潰されたら、次は自分が取り潰しに遭うかもとうたぐる理由がいくつもあったから。
とくに、久光と慶喜との関係が悪化していたことも判断要素としては大きいでしょう。