>>286
長州の木戸、薩摩の西郷、大久保の「討幕派」と
会津中心の再委任派が両極で暴れてたのが大政奉還直後の京都情勢だから
京都守護職として治安指揮権を持っていた会津藩の公用方手代木直右衛門が
実弟でもある幕府京都見廻り組佐々木只三郎に殺らせたと考えるの方が普通に有力説だろ

手代木は再委任派の中でも慶喜と諸藩、朝廷の仲裁役だった越前藩に対して
幕府以外に実務能力は無い、王政復古後は薩摩が二条城に攻めて来ると
狂奔に等しい有様で大政再委任、薩摩攻撃を主張してたバリバリのタカ派だから
大政奉還自体大失望だと言ってた手代木が薩摩の小松から越前、慶喜の下の永井尚志と
ちょろちょろしてる所属不詳の工作員をぶった斬っても一番自然だわ

対して、西郷大久保は大政奉還後に小松共々薩摩に帰国してるからな
元々、薩摩の国許は中央介入自体に否定的な保守派が大勢を占めていて
そこを抑えないと京都への出兵自体が難しい情勢だったし
西郷、大久保を上から押さえていた小松帯刀は「(政治的)倒幕派だったから」
土佐藩に加えて越前や永井にも顔が利く坂本龍馬はまだ利用価値があった
京都の薩摩勢力が「討幕」に完全に傾斜するのは、
小松帯刀が持病の悪化で上洛不能になって強硬派の大久保が代行する事になってから