>>417
人物評価自体は斉彬様も実際それに近い評価で
曲者ぐらいじゃないと役には立たないと言う認識だったからな

だから、島津斉彬や小松帯刀みたいな
柔軟で人望、外交力があるタイプの上司の下で
ケツは持つからまとめて来いのやり方で活用されてて

久光からは一度ピシャリと叩かれて以後は上下関係を明確にして
以後は上層部との中立ちをもっぱら小松に任せてたから
小松の健康悪化、戊辰戦争で大久保、西郷が嫌でも中心になって
西郷自身が天朝付の人間になってからは
薩摩の門閥層との関係が本格的にやばくなった