>>576
「ここまでわかった!明智光秀の謎」という本によれば、よそんちは知らないけど織田家中の重臣たちにとっては、
茶の湯や、和歌・連歌は必須のたしなみだったんだとか

ただ、秀吉は、そういう芸事を最低限の素養として身につけていただけなのに対し、一流の文化人と積極的に交流する
光秀は、もともと「凝る」人だったのでは
あとは、そういうたしなみを身につけるのが重臣たちの必須であるなら、他の重臣たちに対して競争心もあったのかも