磯田道史先生が沖縄は日本の合わせ鏡で、沖縄で起きることは日本でもやがて起きると言ってたな。
沖縄は中国・日本・台湾・ベトナム・インドネシア・タイなど周辺諸国との中継貿易で、独立国の
琉球王国として繁栄し、琉球人の貿易商人はこれらの国に出かけて商売をしていた。

日本本土は山城しかない時代に、インカ帝国みたいに切り出した石でグスクと呼ばれる城壁を築き
アーチ型の石の門を作り、王宮への石畳の道や橋をつくり、沖縄の遺跡には中国・東南アジアの
陶器が満載。琉球人はタイで作られたつぼに葬られたとか国際的だと磯田先生が驚いていた。
王が整備した石畳の道は薩摩侵攻の道になったのは皮肉。

海洋国家だった琉球が衰退したのは16世紀にスペインやポルトガルやオランダなどの貿易商人が
やってきて利権を奪われたせいだが、薩摩支配と、明の朝貢外交と二重支配を受けながら王朝は存続。
幕末の琉球の役人は中国語・日本語・英語が出来て、沖縄にやってくるイギリス・アメリカ・フランス・ロシアの
欧米列強の商船や軍艦から圧力があっても、のらりくらりと交わし小国のバランス外交は、
中国・ロシア・アメリカの軍事大国に囲まれた日本が、学ぶところが多いと磯田先生は言っていた。

「英雄たちの選択」で琉球の歴史と冒険家・民政家・農政家・ルポルタージュ作家の稲森儀助を
知ったのはおもしろかった。あの悪名高い人頭税廃止のきっかけを作った探検記もすごい。