本来、西郷にとって民なるものは、自分ら高尚にして学のある士族という特権階級のために米をみつぐべき存在にすぎず、
わざわざ四民平等にして利益を等しく分配しようなんていう気持ちは、さらさらないでしょう。
彼は基本、武士は武士、百姓は百姓として、おのれの分をわきまえよ的なかんがえ以上のものはもっていない。
そうであるにもかかわらず、西郷を、虐げられた民のために革命を起こした聖人君子みたいなあつかいをするから、ちゃんちゃらおかしくなるわけで。