ここ詳しい人多そうだから質問
昔大学時代教養の授業で結構有名な教授が担当していて
その人が講義中に言ってたんだが
「慶喜の敵前逃亡なんて疑問でも何でも無い。慶喜は江戸幕府の京都支店の
一会桑政権の首班であってずっと江戸の幕府上層部と対立していたし
将軍就任自体長州征伐失敗の敗戦処理を押しつけられたに過ぎない
しかも鳥羽伏見で負けた段階でもはや将軍ですら無いただの前内大臣でしかも
朝敵と来てる。当然諸大名に命令する権限なんてない
鳥羽伏見は局地戦で兵力は未だ幕府の方が上だったという意見は確かに正しいが
それは畿内しか見てない。鳥羽伏見で負けた時点でもは短期決戦の目は消えた以上
にらみ合いになれば、薩長本国から本隊が来る
これをどうにかするには慶喜も江戸から幕府本隊を呼ぶ必要があるが
慶喜は幕閣や大奥から人気も人望も皆無で権力基盤がそもそも江戸に無い以上
江戸から援軍が来るかわからない。むしろ朝敵になった事でこれ幸いと
田安亀之助に徳川家当主の首をすげ替えられてしまう可能性もあった
しかも亀之助の実父はまだ健在な上に松平春嶽の実弟で
そうなったら他の親幕府の親藩や譜代もどう動くかわからない
慶喜は一度江戸に帰還して田安家を牽制しつつ、徳川家当主の地位を固める必要があった
その為に江戸に帰還した結果、越前、土佐、尾張が全て薩長に屈服してしまい
政治闘争では完全に敗北したため心が折れて降伏した」と言ってたんだが実際どうなの?