>>737
三方ヶ原の戦いは信玄の老練ぶりが遺憾なく発揮された戦だった。
家康も野戦は得意だけどこの頃はまだ血気に流行る若武者だった。

家康の城の近くまで進出して挑発しておびき出し、三方ヶ原で返討ちにしたのは見事としか言いようがない。
家康は信長の同盟者として例え寡兵であったとしてもそのまま素通りさせるわけには行かないというのを信玄は見抜いていた。

追い打ちを掛ける家康は三方ヶ原の先の峠道で信玄軍が一列縦隊になるのを見越して鶴翼の陣で半包囲することを選んだが、
信玄はこれも見抜いていて逆に車懸りの陣で散々に家康を打ち破った。

後年、武田遺臣を多く抱えた家康は関ヶ原で鶴翼の陣を取る西軍を車懸りの陣で破り天下を獲ることになる。