そもそも何で荒らしい戦国の男たちまで、常に「みな渋く」「淡々と」「抑えた」演技が正義となるんだ?
しかも、歴史上の人物はそれぞれの個性というものがある。
政宗なんて晩年まで激高しやすい人間で、現にヲタたちは最後までDQNであったことも魅力としているではないか。

ここでも要するに清盛のことを言いたいのだろうが、
・特徴的な人間性の一つに「激情の主」が挙げられる(高橋)
・著名な「無頼の高平太」の逸話をもつー荒々しい
・開放的ー好奇心の赴くまま外の世界へ積極的に飛び込んでいき、偏見をもって人々、事象を拒んだりはしない

このような考証が挙げる諸特性を基礎に青年清盛像は組み立てられていた。激情的な行動傾向はいわば
清盛の歴史的個性なのだ。外に飛び出していくことで清盛は多くの経験を積み、自己を見つめ、こうして
着々と後の「体制変革者」「交易国家論社」清盛は形作られていった。
しかも、その過程には逸脱、未熟、過ちも多々あったけれども、決してこいつらが喚くような「バカ」ではない
反省能力と学習能力をもち合わせていた。
棟梁就任以降は徐々に、壮年期以降はすっかり落ち着いた清盛であったが(平治の乱での沈着冷静な指揮ぶりを見よ。
ところが、あたかも生涯すべてのステージで騒がしかったかのようなデタラメな因縁をつけられたのだった)、
それは彼が自己を厳しく統制していったからだ(高橋)。
そういう清盛が大咆哮したのがかの治承クーデター。そして、 頂点に立ってタガが外れ「抑えられなくなった」欲望が
噴出した姿が晩年の老害清盛の姿である(白河の血の再帰)。だからこのほんの一時期だけは、また悪い意味での
「激情の主」清盛が見られる。しかし、最後は武士の魂を取り戻し、それこそ「渋い」「淡々とした」「抑えた」〜
黄昏れつつも諦めず、静かなファイトを燃やす透徹した清盛の姿へと進化したところで、無念の死を迎えた。

このように清盛は、「喚けば不正義、淡々と抑えれば正義」みたいな単細胞のキャラ造形、演出とは無縁であった。