>>399
鳥羽伏見敗戦後、逃げるとこを見つかり家来に捉えられたなら?
慶喜が逃げないように隔離され、会津幕臣らは大阪城で戦いぬく決意をする

最初は薩長だけだったが、数日の戦いで土佐鳥取広島が参戦し淀と津も裏切った
御所を守っていた尾張と越前も参陣する事となったろう
官軍側として大津を守っていた彦根ら近江勢
今まで京にいなかった多くの中立外様さらに譜代も参陣する事となろう(肥前とか多々)
西から中国路の譜代を倒し進む長州、土佐の板垣軍も参陣
一体どれぐらいの兵力数に膨れ上がり、大阪城を囲む事となったのか?

旧幕府軍から逃げ出す兵が多々出たはず、東日本から来た兵は逃げるには遠いが
西国譜代(姫路、高松、伊予松山、若狭など)からの脱落者が多かったと思われる
鳥羽伏見に間に合わなかった藩もあった
紀州はどっちに付くか揉めて、ようやく徳川側と決まったが、それは戦が終わった頃
播州赤穂藩、加賀前田、上杉など
これらがどれぐらいプラスされるのか?
加賀は史実ですぐ官軍に付いたので期待できない、官軍に付いただろう
紀州は官軍側の声が大きくなり、一部だけ参陣してたか?
上杉の進軍は遥か遠い場所で鳥羽伏見の結果を聞く事となり、また戻った可能性が高い
15000の兵からプラスしたか?マイナスになったか?

鳥羽伏見初日は薩長だけの5000、旧幕府軍は15000の兵力差があったが
大阪城攻防戦はどのような兵数での戦いとなったのか?