>>968
>>973
それを言い出した箱石大氏の論文を読めば分かるが、
会津庄内両藩とプロイセンとの交渉の外交文書って、
「新たに発見」されたわけじゃないんだよ。
1990年代からドイツが「こういう文書があるから鑑定に来て」
と日本側に打診してたのだけど、日本側は関心を示さなかった。
なぜなら裏付けとなる史料がないから。

21世紀に入って箱石先生のグループが一連の外交文書を紹介したけど、
フォンブラント公使が書いている「新政府の琉球奄美売却」だの
「蝦夷地の領地売却」の裏がまったく取れない。
3通目の書簡なんか会津落城後に書かれてると言う代物。
落城後に藩士は謹慎してるのにどうやって委任を取り付けたのかと。

そもそも会津藩も庄内藩も、函館が新政府の管轄に入った4月以降は
代官所を維持できず現地藩士の引き揚げを行っている。

他にも色々あるんだけど、フォンブラントは奥羽列藩に同情的で、
イギリスの独走に対して警戒的だったとみられるから、
若干脚色された情報を流してドイツ本国の介入を要請したとみるのが穏当。
それまで列強は対日外交では共同歩調路線を取ってきたのだけど、英国が図抜けているので
ロッシュやフォンブラントのように、個別交渉路線を追求する人も出てきたということ。