東北地方を中心とする奥羽越列藩同盟の諸藩は、大勢を見誤り、負ける戦争を戦い、予定通り負けている。
東北人は、勝敗の前途よりも自己慢心が強く、戦争指導に欠ける精神構造があったようだ。
第二次世界大戦前夜のわが国戦争指導者を東北人の面々が占めていたのはむべなるかなである。
彼らは見事に大局を観ることができず日本を敗戦に導いた。
■陸軍
板垣征四郎(岩手・盛岡藩)陸軍大臣
東條英機(東京・盛岡藩)総理大臣・陸軍大臣・参謀総長
畑 俊六(福島・会津藩)陸軍大臣
小磯國昭(栃木・新庄藩)総理大臣
石原莞爾(山形・庄内藩)
多田駿(宮城・仙台藩)
今村均(宮城・仙台藩)
※永田鉄山−(長野県)
※田中新一(新潟県)
※服部卓志郎(山形県)
※辻政信−(石川県)
■海軍
米内光政(岩手・盛岡藩)総理大臣・連合艦隊司令長官・海軍大臣
及川古志郎(岩手・盛岡藩)海軍大臣・軍令部総長
山本五十六(新潟・長岡藩)連合艦隊司令長官
南雲忠一(山形・米沢藩)
嶋田繁太郎(東京・幕臣)海軍大臣・軍令部総長
井上成美(宮城・幕臣)
■論客
・大川周明……山形県
・北一輝……新潟県
●終戦時の陸軍首脳
※ポツダム宣言受容派
阿南惟幾(大分県)
梅津美治郎(宮崎県)
※本土決戦派
河辺虎四郎(富山県)
宮崎周一(長野県)
太平洋戦争の開戦責任者の大部分が東北出身者だったということが余り論じられないのは不思議だ。
どうして、日本人は、あの過酷な戦争に導いた軍事官僚を糾弾しないのであろうか。これも不思議だ。
江戸時代260年に及ぶ安定を西国諸藩の下級武士によって、封建体制の平安をひっくり返された怨念から、彼ら東北、甲信越諸藩は明治時代、大正時代、昭和初期までの時代を通じて、その怨念を持ち続け、国もろとも破滅させようとする潜在意識が働いた結果なのであろうか。
また、それが太平洋戦争の開戦だったのかも知れないとさえ思える。敵は英米ではなく薩長土肥だったのかも知れない。