【2018年大河ドラマ】 西郷どん part95
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てか戊辰戦争でも政府内にいただけで何も実施的には仕事してない >>611
町田の解説はいつも微妙だな
パークスと大村・木梨との会談は13日の出来事かどうかは不明だし
ロッシュはソシエテ・ゼネラルの融資で武器弾薬を買うには
今までの分まず払わないといかんと言ってるので、野望というほどのことはない
公使の一存で融資がされるわけじゃないんだから >>576
べつに善人でもないような
主役の時でも不殺ってわけではないし >>603
ほんとそれな
そのくせ慰安婦とか南京大虐殺みたいな胸くそ悪い大嘘は歴史に事実として残しましょうとか言うし
日本を貶めることしか頭に無いんかいと言いたくなるよ 台風の影響もあるとはいえ消化試合にダラダラ時間かけすぎじゃね >>603
荒らしってそういう考え方なんだな
色々間違い抱えてるな 龍馬の忠告聞いておけば良かったのに
予想したとおりになったよ 以下ドラマの話
龍馬の忠告通りに大政奉還でよしとします。
すると結局天皇を中心とした徳川政府がはじまります。
何も変わらないでしょう。 >>625
そうと決めつけるのは、自分は無能ですと自己紹介するようなもの なぜ?
ドラマの西郷はそういう意図で動いたという話だけど間違ってるかな?
違ったっけ? 仮にそうだとしたら、慶喜が長州をつぶしておかなければ後の障害になるという判断は正しかったという事だね そうじゃない
ドラマ中の龍馬の忠告を思い出せばいいだけ
思い出せるなら>>624さんのレスを読めばいい
長州関係ない この話は何度もくりかえされているけど、結局のところ、西郷がのちの憂いのために徳川を根絶せねばという理屈は、
慶喜の長州を根絶せねばという理屈と大差なく、どちらも自分らが生き残るために自己正当化しているだけなんだよ。
政治とはそういうものなんだけど、しかし大河ドラマの主人公としては、行動原理があいまいで一貫性が感じられないね そうだけど>>627はいいとか悪いとかそういう話してないからな?
このドラマは慶喜と西郷の対比を表現したいだけなんだろ?
で、そのライバル関係が決着ついて次は大久保と西郷みたいな >>492
白虎隊を取り扱うなら、こんな少年たちまで駆り出すって酷いみたいな感じだろうね。
会津はこんなに非道だから自業自得なんだと正当化する。慶喜あげにも使えそう。
この脚本家は俯瞰で見るということはできない。特定の方向に媚を売り、そのため
には他を貶めるという手法しか持たない。なお、白虎隊のうち生け捕りにされた少年
たちがどんなことされたのかはあまり語れてはいない。
>>603
左翼って江戸幕府には否定的なはずだし、国の危機に若者が立ち上がって国を改革
したっていうストーリーは好きだと思うよ。 それにしても、慶喜に対しても西郷に対しても、過去の恨みはチャラにして、一致団結して日本を支えようという、龍馬の偉さがきわだつね。
龍馬はちょい役にすぎないのに、なんか一番偉かったような気がする不思議w 龍馬は特別な扱いで描かれていて、龍馬ファン良かったねと思ったわー 篤姫と慶喜とうまく和解できて良かったな。見ててホッとした内容だった。無血開城したらあとは終わりでいいよ 慶喜を生かして、江戸城を無ケツ開城させた事で、
維新派のストレスが北関東奥羽とかに向いて、
北関東奥羽が生贄に成った気もする。
史実では明治政府に今日順を表明してたらしいけど、
ソレを受け入れる精神的なキャパが無い。つか。
維新派は戦争って手段でしか維新を実感を出来ない面々だったかなあ?
上層部から下々の足軽までもが。
慶喜を殺せない、江戸城とか江戸の街を戦場に出来ないストレスを、
東北が被った印象かな? 江戸無血開城でメデタシメデタシって史観がおかしいんじゃね?
八重の桜でも江戸で戦いがなかったために主戦派の残党が関東各地に散って
会津にも集まってきて戦う気まんまんなんで会津が恭順しても
信じてもらえる雰囲気じゃなかったって紀行でちゃんと説明してたぞ 長州の木戸が中心になって戦火を広げてたな
後々になって突っ込まれて面倒になるよりも力尽くで倒した方が面倒がない
幕末から維新にかけてはそれだけ有耶無耶な部分が多かった NHKの誤算は『ドクターX』の巨悪vs正義を幕末でやって欲しかったのに
脚本家にそれほどの力量はなかったこと。複雑な構造を単純化するほどの力量
はない。ま、ドクターXがあれほど視聴率が良いのだから視聴者自体が馬鹿に
された可能性もあるけどね。水戸黄門をに対する期待と大河に対する期待は
違って当たり前だし、違っていてほしいね。 >>517
どの家中も一枚岩でなし、いろいろな意見がある。
状況に応じてしなやかに立場を変えて生き残るのは、その家の強みとも言える。
さすがは奥州探題家。
世羅の筆に酷似した偽筆に騙され、仕方なく戦に巻き込まれたある意味被害者と主張すれば、苦しいながらも理屈は通るし。 >>642
だったらどうやって戦争は終わったんだよ?
恭順してないから戦闘が成立する
史実を勉強し直せよ
最終的には各藩が戦闘に敗れて其々が恭順を示したから終わったんだよ 徳川は政治参加したとしても仮に総理大臣になっても方針の是非を決めるのは国会議員各々の意思
あと自動的な世襲は無理。選挙に勝たないと国会議員にはなれない。
これだけでも旧来の徳川政治とはかなり違う
やがて民の立場で物言える人も政治参加してくるからな
薩長閥を悩ませた自由民権運動の活動家達のように >>653
徳川推しの大臣さんたちが脇を固めるんですよ 龍馬の意志を継いだ陸奥はどういう世の中だとしても政治家になったんだろうなと思う 徳川と徳川推しの大臣が徒党を組んで憲法や政策を作るんですよ?
良い世の中になるかどうかじゃなく、西郷大久保の立場では国は変えられない >>635
そんな龍馬が主人公の龍馬伝。オススメです
殺陣も結構多めです。乱れた世の中を新しく正すために、激動の時代を突き進む物語。 >>656
やってみなければ、わからぬ
by井伊直虎 そもそも政府内の組織構成すらこれから作るって時に徳川がいたら西郷大久保にはどうしようもない
口出し出来んでしょ 大政奉還が迫った時のように一度提案してから事を構えれば良かったのでは
これこれこういう仕組みで徳川も含めた政治をやってくれもはんか?みたいに
拒否ったらチェストー 薩摩の武力をどれくらい侮っていたかはわからないけど死者を出さずに済むのならそれが最善だし慶喜もある程度の話は聞いただろね
思い込みで誰がなんち言おうとおいは慶喜を伐つ よりはマシ 奥羽列藩のように武装蜂起してるんならともかくトップが恭順してる状況での徳川殲滅とか頭悪すぎ
でも定説での隆盛が廃藩置県を「進め」た後に鹿児島「藩」存続のために武力侵攻を行うって流れよりは整合してるな
せごどんは中央集権化によって国の徴税権その他を取り戻すことは考えてないわけだ
ところで>>656の宇宙では徳川は皆殺しになってんの?
徳川旧臣に遠慮して国づくりが思うに任せない西郷たちは国家運営と一体の軍事戦略だけは傍若無人に振舞えるのは何で? >>662
徳川殲滅言ってたのは恭順してないからだろ
慶喜が恭順して西郷の山岡、勝との会談で江戸開城が決まった なんか勘違いされてるな
御所を占拠する時に徳川推しの藩主達に「慶喜を参加させるから」と岩倉が嘘をついて騙した訳だけど、それは西郷大久保の身分では公家にお願いしないと意見出来ない身分だったからだよ
小松も死んだし、代理とはいえ身分は低いからな
だからもしも慶喜が参加して各藩が徳川になびき、そこから改革がスタートしたなら、もう西郷大久保には口を出せる状況じゃないよって話
西郷大久保はどうしても徳川を参加させたくなかった >>656
でも帝国憲法って一方的に公布されたよね >>664
NHKの放送通りだなw
歴史家からみるとそうだし俺も同意する
要するに慶喜だけじゃなくて殿様連中が政治の実権を握ったままだとダメだって事だよな
結局薩摩の久光もそれで怒ったわけだし ドラマでも見たろ?
小御所会議ったって会議してるのは岩倉と同列に座るお偉い方だけだよ
下の方に座る身分の低い者たちは本来意見なぞ出来ない
ははぁ〜とか言って眺めてるだけ
恐れながら、と意見する時は命かける覚悟だ
徳川が参加した上でのスタートはその図式がそのまま力関係になっちゃう
それだけは避けたかったと思うよ西郷大久保は
薩摩藩邸の火事はいいきっかけになったろう
そこから鳥羽伏見で勝ってそのまま徳川討伐
無血になったけど なんで江戸無血開城を再放送してんだよw
バカかNHK >>664
おまえ幕末の藩侯たちが一方的に命令を下して藩士はそれに従うだけとか思ってない?
島津久光や毛利慶親の藩政を見たら分かるけど藩士間のバランス取るので大変だよ。
島津久光はおかげで慶応3年に上洛したときに明確な意思表示ができなかったくらい。 大政奉還後だと、薩摩側で上下のパイプ役で外交担当小松帯刀が
持病の悪化で薩摩に文字通り足止めになって
その下の行動隊長格だった大久保、西郷が上洛軍預かって
前将軍・殿様勢力と対峙せざるを得なくなったからな
久光も脚気の悪化で政務不能になってて、大政奉還迄の薩摩を統括して
武装威圧を承認しつつ抑え役になってたトップ2が揃って機能停止する事態になってた
いわゆる薩長連合の頃から実質トップである久光と西郷大久保、その中間の小松の間で、
政治的「倒幕」とそのための軍事動員(威圧)は認めても、
その先に就いては当面は京都と言う現場判断で敢えて詰めないと言う形で齟齬を回避してた
だけど、薩摩の上二人が肉体的にダウンした事で、最前線である京都が嫌でも全面指揮権を掌握して
終わってみたら徳川宗家を初め土佐山内、越前松平、尾張徳川等々の殿様身分で政治的に対抗していた勢力を
戦争一発で実質的に西郷、大久保らが抑え込む既成事実が出来上がってしまって
見事に身分的な世代交代が発生してしまった >>670
島津久光は倒幕行動など容認したことは1回もないよ
国元からの出兵の際にちゃんと念を押している >>669
それは殿様の力が低下してる事の現れなので全く矛盾しない
確かに久光は保守派との革新派の間に挟まれていた
寺田屋騒動の時くらべても明らかに低下している >>671
だからその辺が微妙と言うか
「討幕」は無いだろうね。少なくとも
だけど、大政奉還を核として政治機構としての幕府を打倒すると言うレベルだと
既に幕府を前提に雄藩と協調すると言う姿勢は
慶喜には微塵も無い、しかも一時は調子よくすり寄って簡単に切り捨てる、
と痛感した上での出兵だし >>672
矛盾するだろ。
身分差が厳然としてて貢士は議定とは同席もできず対抗もできない
などと嘘八百言ってた舌の根も乾かないうちに
あっさり参与諸侯が藩士に振り回されてる実態を認めてんじゃねえよ >>673
幕府を打倒?政権返上によって幕府じたいが存在しなくなるのに何を打倒する?
島津久光は慶応3年9月においても11月においても一貫して武力行動に忌避的
それどころか6月の薩土盟約の目的(王政復古)にもあまり乗り気ではない >>674
矛盾しない
その時に久光に力があれば周りを抑えつけてる
寺田屋騒動の時にはまだあった
しかしその力はすでにない
だから下級武士が意見したりできる >>675
西郷大久保を抑えつける力がすでにないからな 久光に下級武士が意見出来るかどうかはおいといて、小御所会議みたいな場面と時点では中央の徳川に意見なんて出来る訳ないでしょ 西郷大久保が倒幕の密勅を鹿児島に持ち帰りそれで久光を説得して御所を守るという名目で薩摩藩兵約2千が藩主と共に上洛した
久光は鹿児島に残る >>676
矛盾するだろ。
議定と参与では身分差が厳然として同席もできず慶喜を抑え込む力もない
だから排除あるのみというのが>>664の言い分だが
幕末の藩侯は有力藩士もしくはそのグループに依存しないと藩政が円満に運営できない
よってその理屈は全くなりたたない
西郷が慶喜排除にこだわったのは、慶喜の政治的手腕が他の四候を圧倒しててコントロールできないから
もちろん諸侯統率権を持つ将軍という地位もあるけど、そちらのほうは自ら返上している
要するに政治家としてかなわないから排除するというのが本音 >>685
俺が言ってるのは薩摩藩の話
西郷大久保と久光の話 >>678
でも発言できなくても言い分が通ってるじゃん
18世紀のイギリス庶民院と貴族院にせよ、フランスの三部会にせよ
非貴族選出議員も結局は貴族院に協力者を見つけ出すので結局は多数決原理に近くなる
藩の家中統制や発言権の問題では身分差・序列は厳然としてあるけど、
実際の影響力という面で身分差を過度に強調するのは正しくない >>685
>議定と参与では身分差が厳然として同席もできず慶喜を抑え込む力もない
だから排除あるのみというのが>>664の言い分
これは正しい ニュアンス違うよ
抑え込む力うんぬんじゃなく、義の話だよ
慶喜を参加させたら「なびく」という事 >>687
直接「こうしてください!」言った訳じゃないよ >>686
>>666で>>664に同意してるんだからお前も同じ立場だろ >>685
利口な慶喜を恐れたのはそうだろね
それもそうだし自分のやり方しか認めないからな
どちらも理由になる >>688
まったく正しくない。
ではなぜ政治力も血統もずば抜けていた慶喜が大政奉還上表で公論の重要性を説いてるわけ?
要するに生まれもっての血統と政治力だけじゃうまくいかないことが分かったからでしょ?
矛盾しまくってるよお前は >>690
まさにそれを>>687で書いたんだが、
新政府を武力で創出しても身分差は残るんだよ?
実際に明治政府も公卿・大名家出身者と貢士出身者の序列は残ってるわけだし
しかし実際は庶民院が貴族院内部に協力者を容易に見つけ出せるように
多数決に近い形で収束していくから、身分差は事実上意味をもたなくなる
少なくとも徳川慶喜の処遇に関して「身分差」を問題にするなんて聞いたことがない >>694
は?慶喜は自分のやり方しか認めないだろ
四候会議でそれが最終的にわかったから薩摩藩は会議で武力もありの倒幕を決定した >>689
>慶喜を参加させたら「なびく」という事
なびいて何が悪いの?それが公論なら仕方ないじゃん
他にどういう意思決定の方法がある >>696
そりゃ明治政府も完璧ではないわけ
西郷も体たらくに落胆して初めは距離をおいていた >>696
んや、結果論として徳川を参加させなかったから自由に議論出来る訳でしょ
西郷大久保が慶喜つまり徳川を排除したかったのは江戸幕府下で生きてきた彼らが徳川を恐れていたからだよ >>698
それは言うならば四候会議と同じになってしまうから >>698
公論てのを慶喜が本気で思っていたとしても西郷大久保にとっては徳川下の政府イコール幕府と何も変わらない
つまり西郷大久保は意見など出来ないだろうと考えると思うが 勝のような旗本は将軍に御目見えは出来たとしても直接意見を言えたりしたのか?
それとも幕末だから? >>697
四候会議が慶喜の思い通りってどこソース?
三侯と慶喜の対立点は長州案と兵庫開港案の先後だろ
それを見た山内容堂が松平慶永を招き、兵庫開港を独断で進めると
芋の策に陥るので注意するようにと促し、
慶永が同時奏聞案を提案して慶喜がそれを受諾
5月19日に薩摩、越前、宇和島の三候も「御同意の体」
で、翌20日に山内容堂も賛意を表明して諸侯間ではこれで終わり
残りグダグダ文句言ってたのは大久保一蔵だけだろ 徳川の傘下で力を持っていた者達は新政府になろうが力を欲するでしょ
もしも徳川が新政府に参加したらなびき、力を持つ、それを失わない方向の制度や法が出来ていたかも知れないよ?
西郷大久保隅っこで愚痴ってたかも
「何が公論だ…」と >>700
>んや、結果論として徳川を参加させなかったから自由に議論出来る訳でしょ
薩長芸と言った「両三藩」以外の藩にとってはそうではないよ
彼らは薩長のような大藩によって牛耳られることを嫌がってるから
比較的多くの藩に政治参加のチャンスを与える慶喜案のほうが好ましい
いったい誰を基準に「自由に議論」と言ってるんだお前は >>705
おそらく徳川慶喜が許容してた政治参加の範囲のほうが薩摩藩よりは広いと思うけど
万が一「専制」になったらそれこそ自由民権運動でも民選議院設立建白でもどうぞ
現実にはそれで国会開設を勝ち取ったわけだからね >>706
そもそも誰視点なの?
西郷大久保目線で徳川を排除しようとした意図を会話していたんだが ID:FjL6qni1の言い分もわからなくない
がしかしわかってない
薩摩藩は斉彬のいる頃から別に徳川が政治の中心にいても良いと考えてた
斉彬久光が求めたものは譜代以外の薩摩をはじめとする諸侯を国の政治に参加させることだった
しかし井伊直弼はそれを拒否
慶喜が権力を得て変わるかと思えば今度はー会桑派をつくって薩摩や長州を排除
最終的に四候会議失敗
そこで西郷大久保は徳川はどこまでいっても糞だと悟ったんだよ >>707
西郷大久保目線な
慶喜の許容範囲以前に徳川を怖れるでしょ
「あいつらだけは参加させちゃなんねえ!」となると思うが >>708
西郷大久保が何で徳川家を排除する権限を持ってるの
それは公議で決めることでしょ?
もともと大政奉還の上表でもすべて諸侯の上洛を待って会議で決めるとなっている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています