【第三十五回】太平記 part.35『大逆転』
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>>100
初期の室町幕府における直義って、執権の立場を継承した形だと思っていたのだけど、
何で下文を出せるのだろう? 恐らく戦には弱くないであろう直義だけど、不利な戦況、まだ意気盛んな敵勢に真っ先に当たるから負けが少なくなくドラマでは戦が下手設定。
尊氏は頭がかなりあれな足利血統ゆえ、周りがまずいと思って却って発奮、自由にできて幸いにも勝ちが付いて回ったんだろうか?
元服前に異母兄高義が死んでしまい、急に庶子の自分に鉢が回ってきて、重圧でおかしな血統が顕わになってきたのかな。 血統うんぬんってオカルトを言い出すのであれば
直義にだっておんなじ血はながれてるんだけどね(´・ω・`) 戦争に関しては、鎌倉幕府だって御家人の動員は形式的には将軍の命令という形を取る。
御家人が主従関係を結んでいるのは、あくまで将軍であり、執権ではないからね。
逆にいえば、将軍抜きで執権が命令したところで、執権のために命をかけて働くような
武士はいない。
で、室町幕府における尊氏と直義も、詰まるところこれと同様で、戦争に多くの武士を
付き従わせるためには、やはり尊氏がどうしても必要になると・・・。 実際に尊氏のほうが上手いと思うがなあ
中先代の直義は逐次投入で、単に負けただけじゃなく
小山は当主以下全滅、佐竹はボロボロで最後に執権直義がちょろっと出て敗走
打出浜は勝ったが本人は戦場のはるか後方で報告聞いてただけ
武蔵野合戦の尊氏は最初に手持ち全軍率いて自ら出撃してる
両軍敗走という謎の結果だけど、直義だったら鎌倉にこもって負けてる気がするよ 尊氏本人よりも執事の高師直が戦上手だったんじゃないかな
人格的には色々と問題がある人だけど実力はあったようだし 尊氏が出てくると情勢が大きく変わるが、直義では時の勢いを変えることはできない。
直義の政治力・実務能力とは次元の違うところで、尊氏の持つ武家の棟梁としての
カリスマ性というか、世間への影響力は絶大で計り知れないということだろう。 >>103
11歳かそこらで、いきなり嫡子扱いになったらかなりのプレッシャーになり、精神疾患の引き金になりかねない。
そのこらの直義はまだ気楽な立場だが、ずっと後から急激な意気阻喪が見受けられる。 政は直義、戦は師直
この2人を上手く捌いてこその大将軍でしょうよ 意気阻喪は亀田さんの説だね
自分はそのころから病気だったと思ってる 尊氏は直義が死んだあと関東を治めてた時期が一番恰好ええね
まさに武家の棟梁って感じで 四条畷に出張った師直も8年ぶりの出陣なんだよな
あのときは ドラマだと直義毒殺から直冬入京にいたる間に、尊氏はめっきり老け込んでしまった感じに描かれてたけれど、
実はあの頃が一番能動的で自己肯定的だったかもしれないという >>99
三条家なら、藤原北家閑院流の嫡流として、平安後期から近代までずっと存在するよ。
このドラマに出てくる西園寺や洞院は、系譜的には三条の分家になる。 閑院流といえば待賢門院
新待賢門院といえば阿野廉子 >>109
尊氏は、貞氏が死ぬまで跡継ぎ扱いになっていないぞ
部外者がいくら想像で語っても無駄なんだよ
当事者たる三河人に意見を求め、その答えだけが正解なのは明白だろう
鎌倉期の三河国の分国主は持明院統、知行国主は関東申次、その下司たる守護は足利氏なんだが
だが実は、大覚寺統の最大の荘園は三河にあり、その荘園を立券したのは尊氏の先祖だ
股裂き状態で、尊氏じゃなくとも閉口し狼狽するつーの
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる >>122
新待賢門院って阿野廉子以外にもう一人いるのだよね。
幕末の孝明天皇の生母の正親町雅子という人。 三条って三条実美くらいしか知らないわ。あとは信玄の正室が三条殿。 てぼり三条家は清華家で太政大臣まで上り詰めた者も複数。 直義の三条殿というのは鎌倉殿とか室町殿と同じような意味合いだろう
三条にすんでる藤原さんだから三条と呼ばれたのと
直義が住んでる三条が政権の中枢だから三条殿と呼ばれるのとでは意味合いが違うね 公家の室町家は義満が室町殿と言われるようになると遠慮して家の名前を変えるのだよね >>122
>>124
待賢門院璋子
新待賢門院阿野廉子
新待賢門院正親町雅子
よく考えるとみんな閑院流の家の出身なのね 後醍醐の寵臣に五条なんちゃらってのがいたような気がする。
これから>>75があるよ。
喜連川か、平島か、はたまた女系か、それともガセか!? >>130
公家の五条家は菅原氏の流れだったかな。 >>126
家格では転法輪三条家のほうが上だけど室町頃だと経済的には正親町三条家のほうが羽振りが良かったと聞いたことがある
結局近代になって正親町三条家のほうが嵯峨家に家名を変えているが 一〜九条までちゃんと存在していてよかった
東西南北もいるからな
一戸〜九戸は途中がいないからな 九条とか一条とか二条とか三条とか鷹司とかとか
邸宅のある通りの名前で呼ぶようになってくれてなかったら
公家は藤原だらけで、歴史をたどるのにも大変やったろうね(´・ω・`) 源平くらいから九条とか呼び始めたんだっけ?藤原氏が院政にも源平にも敗北し始める頃に。 北条を倒して以来、先帝と戦うたのも幕府を作ったのも皆この儂じゃ! >>135
南部一族に一戸氏から九戸氏まで全部なかったかな?
>>136
ただ南北朝頃だと既に公家たちも家の名前の由来となった場所に最早住んでいない
というケースも結構あるからややこしい・・・ 子孫に天下を取れと置き文を残したという伝承のある尊氏のお爺さんの代から、
もうすでにお墓は足利じゃなくて鎌倉にあるらしいね 鎌倉に近い領地を持つ有力御家人は北条以外みな抹殺されているね >>141
足利市民だけど、疑惑どころか地元じゃ「定説」だぞ >>144
頼朝時代の関東の三大有力御家人というと、三浦・千葉・小山だけど、このなかで
抹殺されたのって三浦だけでは? >>143
そういえば鎌倉五山第5位の浄妙寺は足利義兼の創建だね。
直義が毒殺された円福寺も浄妙寺内にある塔頭。 >>146
それ戦前の逆風時に定説になったのでは… >>147
早雲に滅ぼされた三浦は、この三浦の後裔なのかな? ドラマでは足利貞氏の葬式は鑁阿寺だったけど
ホントは鎌倉?やはり足利鑁阿寺? 今日から俺は!って全話を足利市で撮影しているんだなw 足利市は映画の撮影よくやってるよ
最近では足利学校で銀魂の撮影をしてた
歴史ものだとこれから公開のアルキメデスの大戦も 鑁阿寺と足利学校だけでは食っていけないんだな足利市…。撮影の誘致を積極的にやってるみたいね。何か産業の一つでも遺してやればよかったのに足利氏は。 太平記の再放送やってほしいんだけどご意見ってどこに送ればいいの 時代劇専門チャンネルに対する作品のリクエストはこちらからお願いいたします。
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>>146の足利市民ですけど、マジレスで反論させていただくと、「足利尊氏が足利に滞在した期間があることを示す資料は『皆無』」なんですよね
すなわち、資料から尊氏が足利に来たことがあると証明できない以上、「足利尊氏は一度も足利に来たことがない」可能性が極めて高いと結論づけられるわけです >>151
>ホントは鎌倉?
まったくもって、そのとおりです >>160
余談だけど、フラワーパークの現在の社長、俺の中学の2年後輩 >>165
確か足利義兼が建てて、
直義が幽閉殺害された浄妙寺ですよね。 >>166
一茶庵→フラワーパークの藤→太平記館→足利学校→鑁阿寺→織姫神社→喫茶店→古印最中お土産
春に日帰り旅行したぜよ
ほんのこてよかよ足利は >>167
直義終焉の地は、厳密には浄妙寺の塔頭の円福寺だな。 >>168
蕎麦やフラワーパークもいいけど
今度行ったら
鶏足寺(藤原秀郷・藤姓足利氏)
下野国一社八幡宮(義家)
ご存じ鑁阿寺(義国・義康の墓ある)
樺崎寺(即身成仏した義兼の墓所ある)
法玄寺(義兼の正室北条時子の墓)
光得寺(義兼発注運慶作の大日如来像と
代々の足利宗家の五輪塔)
法楽寺(義氏の墓)
智光寺(奏氏の墓)
吉祥寺(頼氏の墓)
善徳寺(尊氏開基)
清源寺(義国の部下の高階(高氏)の寺)
も行ってね 最終回、直義が京から取り寄せた菓子(尊氏、右馬介が持ってきた)を口にするシーンがあった。
見た目や音からして、確か落雁だと思うが、あの時代にあんな色鮮やかな落雁があったのか。 >>174
がいじゃのう
>>176
清子の里の菓子は誠にうまか〜 せっかく京から運んだ菓子、某のみが頂くのは勿体ない。
兄上も右馬介も一緒にどうじゃ? 亡くなったのは一緒に行った斎藤という奴じゃなかったっけ >>174
足利宗家や藤姓足利氏やら、
高氏、上杉などの神社仏閣を巡ったら
3.4日はかかるだろう。
なにせ足利市は日本全国の市で一番神社仏閣が
多い市だからな。 >>189
へー足利市が多いって意外だな。なんでだろ 斉藤利康を殺した血で手が汚れておるぞ。手を洗わないものは帰れ
と言ったら、桃井どころか直義以下みんないなくなってしまった後、
久しぶりに再会した花夜叉に叱咤激励されて、「かたじけない」と胸に詰まって繰り返す尊氏のシーンが好き(´・ω・`) >>174
こういうの見せつけられると三河屋さんもダンマリだねw >>191
人口対比で
2位が鎌倉市
3位が京都市らしい
足利は人口減があるからトップになった
けど、鎌倉時代は天台・真言を中心に足利宗家が
神社仏閣の領地を整備し南北朝で臨済宗が拡大
室町では上杉・本多の寺では浄土もあるし
寺の隣には神社もほぼセット
だからだと思う ダンマリってw
逆に両頬を両手でつねられて、どの口が言ってんのやと詰問されると、ボキは思うな
足利尊氏関連史跡
【岡崎市】
・滝山寺/足利宗家の氏寺、寺領寄進
・天恩寺/足利尊氏遺言の寺、3代将軍足利義満建立、4代将軍足利義持の祈願所
・高隆寺/七堂伽藍造営
・真福寺/持地院建立
・満性寺/太子信仰、足利尊氏弓矢の守護神、伽藍造営
・総持寺/高一族屋敷跡に、高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義詮の支援あり
・長瀬八幡宮/社殿(火災による消失)復興、板倉氏(足利一族)を神主に
・糟目犬頭神社/庇護(百貫文寄進)、三河鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり
【豊田市】
・長興寺/三河利生塔、全国66ヶ国2島の利生塔の一つ
【幸田町】
・安国寺/三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ
【西尾市】
・勝楽寺/創建、お手植えの松あり
・正法寺/中興
・実相寺/安国寺(全国66ヶ国2島の安国寺)に指定、尾張国の安国寺の代わりらしい(尾張国にあった記録なし)
・金蓮寺/真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、金蓮寺として再興
・饗庭神社/新田開発し、一宮、二宮、三宮を鎮守、その内の二宮、饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係
・幡頭神社/参拝、弓矢奉納
【豊橋市】
・赤岩寺/阿弥陀如来坐像奉納
【新城市】
・冨賀寺/真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として寺領を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀 三河屋って自分は凄いこと書いているつもりなのかな? 三河屋って本人は「自分は天才で他人はみんなバカ」と考えていそうだが
実は本人が一番の大バカであることに気づいていないところに痛さがあるなw 原作の私本太平記を読んだのだが
これどう見ても主役は道誉だよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています