【第三十五回】太平記 part.35『大逆転』
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鎌倉に近い領地を持つ有力御家人は北条以外みな抹殺されているね >>141
足利市民だけど、疑惑どころか地元じゃ「定説」だぞ >>144
頼朝時代の関東の三大有力御家人というと、三浦・千葉・小山だけど、このなかで
抹殺されたのって三浦だけでは? >>143
そういえば鎌倉五山第5位の浄妙寺は足利義兼の創建だね。
直義が毒殺された円福寺も浄妙寺内にある塔頭。 >>146
それ戦前の逆風時に定説になったのでは… >>147
早雲に滅ぼされた三浦は、この三浦の後裔なのかな? ドラマでは足利貞氏の葬式は鑁阿寺だったけど
ホントは鎌倉?やはり足利鑁阿寺? 今日から俺は!って全話を足利市で撮影しているんだなw 足利市は映画の撮影よくやってるよ
最近では足利学校で銀魂の撮影をしてた
歴史ものだとこれから公開のアルキメデスの大戦も 鑁阿寺と足利学校だけでは食っていけないんだな足利市…。撮影の誘致を積極的にやってるみたいね。何か産業の一つでも遺してやればよかったのに足利氏は。 太平記の再放送やってほしいんだけどご意見ってどこに送ればいいの 時代劇専門チャンネルに対する作品のリクエストはこちらからお願いいたします。
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>>146の足利市民ですけど、マジレスで反論させていただくと、「足利尊氏が足利に滞在した期間があることを示す資料は『皆無』」なんですよね
すなわち、資料から尊氏が足利に来たことがあると証明できない以上、「足利尊氏は一度も足利に来たことがない」可能性が極めて高いと結論づけられるわけです >>151
>ホントは鎌倉?
まったくもって、そのとおりです >>160
余談だけど、フラワーパークの現在の社長、俺の中学の2年後輩 >>165
確か足利義兼が建てて、
直義が幽閉殺害された浄妙寺ですよね。 >>166
一茶庵→フラワーパークの藤→太平記館→足利学校→鑁阿寺→織姫神社→喫茶店→古印最中お土産
春に日帰り旅行したぜよ
ほんのこてよかよ足利は >>167
直義終焉の地は、厳密には浄妙寺の塔頭の円福寺だな。 >>168
蕎麦やフラワーパークもいいけど
今度行ったら
鶏足寺(藤原秀郷・藤姓足利氏)
下野国一社八幡宮(義家)
ご存じ鑁阿寺(義国・義康の墓ある)
樺崎寺(即身成仏した義兼の墓所ある)
法玄寺(義兼の正室北条時子の墓)
光得寺(義兼発注運慶作の大日如来像と
代々の足利宗家の五輪塔)
法楽寺(義氏の墓)
智光寺(奏氏の墓)
吉祥寺(頼氏の墓)
善徳寺(尊氏開基)
清源寺(義国の部下の高階(高氏)の寺)
も行ってね 最終回、直義が京から取り寄せた菓子(尊氏、右馬介が持ってきた)を口にするシーンがあった。
見た目や音からして、確か落雁だと思うが、あの時代にあんな色鮮やかな落雁があったのか。 >>174
がいじゃのう
>>176
清子の里の菓子は誠にうまか〜 せっかく京から運んだ菓子、某のみが頂くのは勿体ない。
兄上も右馬介も一緒にどうじゃ? 亡くなったのは一緒に行った斎藤という奴じゃなかったっけ >>174
足利宗家や藤姓足利氏やら、
高氏、上杉などの神社仏閣を巡ったら
3.4日はかかるだろう。
なにせ足利市は日本全国の市で一番神社仏閣が
多い市だからな。 >>189
へー足利市が多いって意外だな。なんでだろ 斉藤利康を殺した血で手が汚れておるぞ。手を洗わないものは帰れ
と言ったら、桃井どころか直義以下みんないなくなってしまった後、
久しぶりに再会した花夜叉に叱咤激励されて、「かたじけない」と胸に詰まって繰り返す尊氏のシーンが好き(´・ω・`) >>174
こういうの見せつけられると三河屋さんもダンマリだねw >>191
人口対比で
2位が鎌倉市
3位が京都市らしい
足利は人口減があるからトップになった
けど、鎌倉時代は天台・真言を中心に足利宗家が
神社仏閣の領地を整備し南北朝で臨済宗が拡大
室町では上杉・本多の寺では浄土もあるし
寺の隣には神社もほぼセット
だからだと思う ダンマリってw
逆に両頬を両手でつねられて、どの口が言ってんのやと詰問されると、ボキは思うな
足利尊氏関連史跡
【岡崎市】
・滝山寺/足利宗家の氏寺、寺領寄進
・天恩寺/足利尊氏遺言の寺、3代将軍足利義満建立、4代将軍足利義持の祈願所
・高隆寺/七堂伽藍造営
・真福寺/持地院建立
・満性寺/太子信仰、足利尊氏弓矢の守護神、伽藍造営
・総持寺/高一族屋敷跡に、高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義詮の支援あり
・長瀬八幡宮/社殿(火災による消失)復興、板倉氏(足利一族)を神主に
・糟目犬頭神社/庇護(百貫文寄進)、三河鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり
【豊田市】
・長興寺/三河利生塔、全国66ヶ国2島の利生塔の一つ
【幸田町】
・安国寺/三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ
【西尾市】
・勝楽寺/創建、お手植えの松あり
・正法寺/中興
・実相寺/安国寺(全国66ヶ国2島の安国寺)に指定、尾張国の安国寺の代わりらしい(尾張国にあった記録なし)
・金蓮寺/真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、金蓮寺として再興
・饗庭神社/新田開発し、一宮、二宮、三宮を鎮守、その内の二宮、饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係
・幡頭神社/参拝、弓矢奉納
【豊橋市】
・赤岩寺/阿弥陀如来坐像奉納
【新城市】
・冨賀寺/真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として寺領を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀 三河屋って自分は凄いこと書いているつもりなのかな? 三河屋って本人は「自分は天才で他人はみんなバカ」と考えていそうだが
実は本人が一番の大バカであることに気づいていないところに痛さがあるなw 原作の私本太平記を読んだのだが
これどう見ても主役は道誉だよな 作者の体調が良かったら観応から京都争奪戦までもうちょっと書いてくれただろうか
尊氏が吹雪の琵琶湖で歌を詠むシーン見たかった 吉川英治としては「もう一人の高氏」「南北朝時代随一の怪物」って言っててかなりお気に入りの人物だったみたいだね<道誉
もう一遍太平記やるんなら道誉が主役だと南北朝時代を幅広くカバー出来るんでいいんだけどなあ、義満にも繋げられるし 補足説明
特に興味深いのはこの2つなんだが、
幡頭神社/参拝、弓矢奉納
正法寺/中興
幡頭神社と正法寺はセットと考えられている
正法寺は正法寺古墳の上にあり、その被葬者は幡頭神社の主祭神の可能性が高い
この主祭神は日本武尊の実在モデルと言われていて、東国から九州にかけて活躍した点で、尊氏と日本武尊は被るわな
饗庭神社
1400年に足利義満が、饗庭神社の三宮に参拝したらしい
何故ココを参拝したのかは不明だが、三河を知り尽くしていた義満だから、何か意味があったんだろう
追加説明
大阪の誉田八幡宮には、足利尊氏が奉納した竹製の笙が残っていて、銘が三州財賀寺とあるらしい
財賀寺(三河県豊川市)
http://www.ccnet-ai.ne.jp/zaikaji/ >>203
青空文庫に吉川さんのあの時期のエッセーあるけど
やはり道誉は特別扱いだったな >>195
せめて比較するなら
三河国なら下野国にしろよ
それかお前が生息している
岡崎市VS足利市だろが
地理も歴史もポンコツ捏造の
三河バカ
お陀仏しろ 同じように高時から偏諱をもらった同士でも
尊氏は高の字を捨てたけれど
判官殿はずっとい高氏のまんまだったんだよな
ていうか道誉の子孫も「高」が通字になってるし
意外なところで太守の残影が生き続けてたのね 政治・軍事のみならず文化でも大きな足跡を残してるから「南北朝時代随一の怪物」という吉川の道誉評は納得
大河で描かれてる時代以降の権謀術数ぶりも凄まじいし、戦乱で弟・息子2人・孫2人を失いながらも権勢を保ち晩年は悠々自適なのも
人物しての傑物ぶりだけじゃなく尊氏・後醍醐天皇・正成・義貞・北畠親子・師直とかに比べ色んな意味で一般的知名度の低かった道誉を
初めて小説で大きな役回りを割り振ったのは私本太平記らしいからその面でも吉川英治には思い入れが深いんじゃないかな
読者から「佐々木道誉って実在したんですか?」って質問をよくされたと言ってたから 佐々木道誉の大河やったら、
鎌倉から室町義満や鎌倉公方までの政変が
丸わかりで面白いので
やって欲しいな。 私本太平記だとそれまであまり注目されなかった佐々木道誉と北条高時に注目して一筋縄ではいかない描き方をしてたけど、
大河だとそれに加えて長崎円喜と金沢貞顕と赤橋守時にも注目してたよね、池端俊策はこの5人はお気に入りの人物だと言ってたし。
ただそのせいもあるのか鎌倉幕府滅亡が全体の半分くらいまでの尺とって後半がかなり駆け足になっちゃったけど。
特に観応の擾乱はもっとじっくり描いて欲しかったが一般視聴者には分かり辛いし陰謀ばかりの権力闘争劇で受けが悪いだろうから仕方ないのかな。 >>210
「高」の字は京極氏(道誉の子孫)だけでなく、佐々木嫡流の六角氏も使うよね? 後醍醐も明治維新の頃に天皇になってりゃ神だったのにな。生まれるのが早すぎた。 >>216
後醍醐のように自ら全権を(名目上だけではなく実際に)握りたいような天皇なんて、
近代には全くお呼びじゃないと思うが? >>217
そのとおり
あんなのが近代国家の君主になったら混乱の極み >>211
三傑以外でネタ切れの戦国やるなら
道誉のほうがずっといいな
DQN四天王の伊達よりずっとスリリングな人生だし >>219
強烈な個性を持つ変人ではあるけど悪質というのは少し違う気がする
別に本人は悪いことをやっているつもりはないし >>222
それ一番タチが悪くて始末に負えないやつや 今上も、「違憲天皇」と追号できるくらいに少々特異な個性を持っているね。
周りに諫める人がいないのだが、視野狭窄になっている。
いわば後水尾天皇級。 足利義満で一年、義持・義量・義教をまとめて一年とかやってくれんかな<NHK 三宝院満済あたりが主人公だとそこらへん全部カバーできるかな >>226
そこ義量を入れる必要ある?
将軍としての発給文書さえまともにないのに。 結局再現ドラマとか除けば義満の登場する作品って
単発ドラマ「一休さん」(ジャニーズの東山)
名作アニメ「一休さん」(キートン)
大河ドラマ「太平記」(ラストの赤ん坊)
だけ? 赤ん坊はもうすぐ生まれるというだけで実際に登場はしていない >>225
無知さらけ出し
在日出目もさらけ出し
適当だな
お前 >>234
それは分からないよ。
彼の人の鶴声だけで、現にこうして法律を整えざるを得なかった訳だし。
上皇をコントロールできるようなきちんとした法令がない。
この国の歴史を瞥見するに心配だ。 天皇なんか木か金で作って置いておけば無駄なこと言わないだろ >>236
そもそもスムーズな世代交代のためには、生前に後継者に地位を譲るのが日本の伝統。
皇位から大名家の家督までみんなそう。
特に現状では、皇太子ご夫妻に今の両陛下ほどの権威がなく少々心許ない雰囲気だし、
仮に暫くは二重権威となったとしても生前譲位のほうが好ましいだろう。 >>238
もともと天皇は終身制だよ
白河が院政を始めたのは、摂関家から権力を取り戻すための方便に過ぎない >>240
何がもともとかは知らんが
天皇の生前退位は斉明天皇や聖武天皇の時からある 日本史上初の生前譲位は大化の改新のときの皇極天皇(後の斉明天皇)だね
その後は飛鳥・奈良時代だと生前譲位はほとんどが女帝だが(男帝だと聖武天皇が初)
平安時代に入ると臨終まで在位している天皇のほうが少ないね >>240
>白河が院政を始めたのは、摂関家から権力を取り戻すための方便に過ぎない
白河上皇による院政の開始に摂関家は直接関係ないだろ
今どき中学や高校の歴史(日本史)教科書だってそんな説明はしていないぞw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています