【第三十五回】太平記 part.35『大逆転』
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荘園関係で言ったら「新田一族の中世」って本で新田の庄についてそこそこ詳しく書いてあるのを見たくらいやな(´・ω・`) その辺の話は全体のイメージを掴むには特定の個別事例を掘り下げるような専門書より
(一応近年の研究成果を反映している)最新の高校日本史の教科書・参考書とかを
熟読したほうが分かりやすい気がする 中世史ヲタが集うこのスレで、佐藤進一さんの訃報に未だに誰も触れないのは何故? その訃報そのものを知らん
「南北朝の動乱」中公文庫は2回読んだ >>274
陣内の直家はあからさまに怪しくて、これじゃ人を騙せんだろ、と思ったw
道誉は曲者でありながら、ある意味で誰よりも誠実、という矛盾した存在感が良かったね >>254
白河天皇の第二皇子の影響もあるから・・・・
古文書にも末代の賢王と称賛されたし、
しかし白河上皇が復帰し権力を奪われ音楽や和歌で後世を過ごしたからな 堀河天皇と摂関家の藤原師通がどちらも若くして死んだのは痛かったね。 >>287
後三条天皇の時も摂関家の頼通・教通兄弟の対立はあるし・・・ >>274
ホント陣内ハンガン殿はハマり役だったな。
続編やったら晩年道誉やってくれるよね、アタマ丸めてさ。
幕政初期のフィクサー的存在でしょ。 >>286
>古文書にも末代の賢王と称賛されたし、
その話は古文書とかじゃなくて『続古事談』という説話集が出典でしょう? >>289
佐々木や赤松と話はできておるのじゃ・・・。 院政期における摂関家の凋落という点ではやはり一番残念すぎるのは藤原忠実だろう
白河院からも軽く視られ長男忠通からもバカにされ
あげくに晩年は次男頼長をけしかけて保元の乱の原因を自ら作って・・・終了
そのくせ無駄に寿命だけは長いから始末に悪いw >>292
國村隼さん・・・・・・
ヤマコー頼長が死んだときの涙が印象的だったのぉ こいつらのちょっと後から九条や近衛を名乗りはじめた 平安後期(中世初期)なら太平記の時代背景と直結する時代だし別に問題ないのでは?
もっとも明らかに古代である平安前期の話だとちょっとアレだが 貴族しかいない平安時代とかもういいよ
それより同じ武家政権の江戸時代との比較とかのほうが有意義だろう まぁ鎌倉時代まるまるすっ飛ばしてるってのもどうかとは思うけどねw
例えば院政の話なんかでも平安後期とかじゃなくて後宇多上皇あたりの話だと
太平記の前章みたいなところもあるとは思うけど。
または、もうちょっと遡って、大覚寺統、持明院統(と鎌倉幕府の親王将軍)の血統の元になった
嵯峨上皇とかなら、まぁ南北朝の遠因ともいえるし、ドラマの話にもつながりそうかな >.301
>>302
それはお前らの脳ミソのキャパを超えているからだろ
平安の分からない話になると途端に違うと騒ぐw
鎌倉しか知らないお前ら危痴害は歴史を語る資格はない そら後三条とか摂関政治期に偶然現れた成人の天皇って意味では
後醍醐の境遇なんかに重ね合わせる事も可能かもしれんけど
ドラマとはちょっとかけ離れすぎなんとちゃうかw わお、佐藤先生亡くなったのか
ここで知るとは、、、
網野先生も鬼籍だし学会どうなるんだろ >>301
江戸時代(近世)の話は中世とは全然時代背景が違うから完全にスレ違い
中世の範疇に入る話なら多少派手に脱線してくれても構わないが近世はアウト
というかこのスレは中世史ヲタのためのスレであり近世は基本的に興味ない >>302
南北朝の遠因なら、それこそ崇徳上皇の怨霊に触れないわけにはいかないわけで、
詰まるところ院政期から話を始める必要があるわけだが・・・? ふれないわけには行かないって
巻二十七の御霊怪談とかのこと?w
だとしたら、太平記原本を絡めて話題を進めりゃいいじゃん なんつーか自分が語りたい話題を持ち出すにしても
工夫が足りないんだよな(´・ω・`) つうか誰でもみんな好きな話題を出せばいいだけじゃん
それが他人の興味を引く内容なら話が続くしそうじゃなければ自然に消える
そこそこ盛り上がっている話題を目くじら立ててわざわざ無理やり潰そうとするのは
スレの雰囲気を悪くするだけで感心しないけどな いやまぁ確かにその通りなんだけど、
やんわりアドバイスしてあげてんのに
なんか妙にケンカ腰で絡んでくるから
イジメたくなっちゃったのよねw ごめんねw
でもスレ見てるときに投稿されたレスポンスにお答えしないのは失礼じゃない(´・ω・`) >>302
嵯峨上皇は完全に古代史の範疇
スレ違いの話題はやめなさい! 三河屋に清盛オタに、
今度は危痴害を連呼して火病する白河老人か・・・。
やれやれだな。 >>317
わかった。じゃあ八条院を暑く語ってくれ! もし後白河じゃなくて八条院が即位していたらどうなったのだろう? どうして日本史板でやらないのか?
ここは大河ドラマ板、真田尊氏や武田正成、片岡尊治を語るスレ 歴史が題材の作品のスレで時代背景とかの話をするなというほうが無理あるけどな
もちろん古代や近世の話に及ぶとなるとちょっと違う感じが強くなるが
中世の範囲内なら何も問題ない
それにスレ住人が誰も興味を示さない話なら自然に消滅する
まあ自分の尺度が絶対みたいな態度でスレを仕切りなさんなということ 同意だな
中世の話なら基本的に許容範囲だと思う
それ以外の時代の話はもし出てきたら徹底排除でw
>>301のように江戸時代の話を振りたがる阿呆は許されない! >>322
日本史板は死んでいる
ドラマは歴史より生き物だから人が寄ってくる 中世の終期としては、太閤検地までが中世って話はよく聞くね 古代だろうが中世だろうが近代だろうが時代は関係ない。
太平記やその時代の武家や公家や皇族や民衆・宗教に繋がる事なら問題ない。
例えば足利氏なら源氏の誕生から近代から最近までの逆賊扱いまでと幅広い。
癖癖するの関係薄い話題を永遠と語る事だな。 だったらやはり荘園としての足利荘の原点である八条院の話題から始めるべきだなw 天皇陛下には譲位した後は京にお住まいになってほしいな
東国は荒んでいる、荒みすぎている 足利荘が八条院領なのは足利氏の祖義康が鳥羽院の近臣だったから? 太平記って電波少年と一度だけ結びついたよね?
松村邦洋が片岡孝夫に歌舞伎か何かの事でアポ無しで突撃して、片岡が車に乗り込んで去ろうとすると、
「太平記の後醍醐天皇見てました!」とか行って食い下がるも、片岡に笑って相手にされず撃沈されてた。 義詮の再評価も進んでいることだし
義詮にフォーカスしたドラマも見てみたい
主役なら御前沙汰の設置で直義を追い詰めたり
案外戦に強い所なんかも、良いようにピックアップされるかも。
上皇置き去りはどう描かれるかよくわからんが(´・ω・`)
まぁそれでも、大半は、それだと困った親父と、勝手な部下たちに囲まれる
ストレスフルなストーリーになっちゃうかなw 直冬はなんであんなバカ息子に育ってしまったんかね
詰めが甘いというか、粘り強くない、それでいて潔くない
北条時行とはまたちがう扱いだな >>333
荘園公領制に触れずに中世社会を語ることなんてそもそもできないわけだが
つうか荘園が嫌いでよく中世史ヲタをやってられんなw まぁ荘園ってなんか地味なイメージあるよねぇ
同じ土地に権利の所有者が複数いるとかなんか分かりにくいしw
でも「八条院領」に特化した一般向けの書籍とかあれば読んでみたいんだよなぁ でもあれか、立荘論的に言えば、
大規模資本を投下した大規模プロジェクトと言えなくもないから地味とも言えんかw 日本中世史の学会とかだと
「荘園を語らずして中世を語るべからず」みたいな雰囲気は正直結構あると思う 自分も中世といえば行きつくところはそこ(荘園)なんだろうなとは思うけど
どうしてもあんまり興味がわいてこない(´・ω・`)
自分では勝手にアウトラインは抑えてるつもりにはなってるんだけど、
人に語れるようなものはなんにもないなw 簡単じゃん荘園
本家:大株主>領家:親会社>開発領主・下司:現地法人>名主:フランチャイズ加盟会社>下層農民:派遣社員
こんだけw
王家荘園群で広大なのが八条院領と長講堂領。ざっくばらんに八条院領が大覚寺統、長講堂領が持明院統に伝領された。
んで次の世代に伝領する際に両統どちらに伝領するかで揉めに揉めたのよ。これも南北朝分裂の遠因 足利荘ならば藤姓足利氏が自ら開拓したのに、
なんで後から来た源姓足利氏に渡さなければならなかったのかが
良く分からない。 うまく書けないけど
自分達が開拓した荘園を寄進した体にしたり
荘園領主に取り入ったりして
荘園の管理をする事で勢力つくる(実質的領主?)と
管理人の地位が奪われるのは、単に職が変わるだけでなく
自分の生存基盤が無くなり自立できず死活問題だから
「奴が平家につくなら俺は源氏に」「奴が北朝につくなら俺は南朝に」
なんてなるんだろうな >>344
何がいいたいのかよく分からない文章だなぁ。 中世といっても荘園は全国の土地の6割程度であって残り4割は公領なわけだけどな >>347
キルヒアイスはフリードリヒ4世の臣下である
ぐらい意味のない理論だぞ まっ足利荘なんて歴史の趨勢に何ら関わりがないからねw >>348
「太平記」のイメージが強い人は、師直が尊氏・直義両人の執事を務めたと思わないのじゃないかな。
しかも、このドラマの師直は、あんまり執事らしい仕事をしていないし。 白河上皇が始めた院政は支配階級全体の利権を仕切る統率機関となったわけで、
以降の中世から現代までの日本政治の仕組みに大きな影響を与えた。
当然、荘園も院政なくしては語れない。
>>310
>>322
>>323
>>329
お前らに再度忠告しておくが
脳味噌キャパオーバーの危痴害は、
中世でも鎌倉でも歴史を語る資格は絶対ない。 足利(新田も)もとい河内源氏を語るには六孫王経基から始めないといけない。
途中の十二年合戦を知らなければ頼朝の奥州への野望が見えてこないだろう。 >>351
「師直、白湯をもてい!」
とかどう見ても執事やん >>351
元弘〜建武の頃は、尊氏&師直、直義&師泰でそれぞれ軍団を率いていたって話もあるね。 >>352
一応言っておくと、荘園公領制の最終的な確立は鳥羽院政期。
八条院領や長講堂領の原形ができるのも、この時期。
白河院政までは、遡らなくていい。 >お前らに再度忠告しておくが
なにこのイケメン気取り?
脳が腐ってそうで心配だね>>352 >>342
この時代に兵站確保などの名目で、荘園を横領されたのは領家にあたる上級公家達なのかな?敵方の荘園を武力占領するのはわかるけど、味方の領家まで被害及ぼしたら問題おこるよね。
後中間管理職の本家とか下司とかは横領した武士達の家来になっちゃったってことかな? >>360
本家=一部の上級貴族・大寺社
領家=一般の貴族・寺社
荘園における最上級の領主は本家でしょう
なお公領との対比でいえば
本家≒知行国主
領家≒国司 具体例で説明せな、理解出来んだろ
こう言った話題になったらサクッと出せるようにまとめておける奴が、社会においても使える奴だ
ホレ、足利氏は守護になった1221年以降で説明してみろ
補足説明だが、七条院は死ぬまで分国主だった
三河国の分野国主、知行国主、三河守について
1184年06月:源範頼(三河守)
1191年07年:九条兼実(知行国主)
1193年08年:吉田資経(三河守)、吉田経房(初代関東申次)の孫、室に藤原範季の娘
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守)
1200年02年:藤原親輔(三河守)、藤原顕季の息、姉妹に九条兼実室
1200年03月:七条院(分国主)
1207年01月:忠輔(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1212年12月:実茂(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1225年01月:藤原為綱(三河守)
1227年11月:七条院(分国主)
1228年12月:藤原経季(三河守)
1229年10月:藤原範房(三河守)、藤原範季の孫、叔母は吉田資経(三河守)室、姉妹に四条隆親室、忠成王(母親は三河の藤姓熱田大宮司、藤原清季の娘)妃
1234年01年:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1235年01年:藤原隆朝(三河守)、藤原隆季(四条家の祖)の曾孫、息が四条房名(三河守)に養子入り
1238年10年:卜部兼直(三河守)、兄弟の孫に吉田兼好
1240年12月:葉室資頼(知行国主)、藤原顕頼(三河守、正室は藤原季範従兄弟)の5世孫
1240年12月:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1200年12月:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息
1241年03月:清原教隆(三河守)、九条頼嗣の侍講
1242年03年:藤原定親(三河守)
1244年08年:世良田頼氏(三河守)、室は足利義氏(三河守護)の娘)
1248年01年:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息 追加豆知識だが
尊氏が六波羅探題に攻め込んだ同日に除目があって、六波羅探題南方の家臣らしき高野時英と言う奴が三河守になっている
前例の無い北条家臣の三河守任官は、貞氏の死をきっかけに、急速に(貞氏死後2年)足利氏が圧迫されていた史実が伺える
ココに、北条を倒さなければいけない、切羽詰まった大きな要因があるようだ 中世における皇室の寺社への寄進というのは、本家としての立場を渡すのではなく、領家の立場つまり土地の経営権を与えるということ。
つまり荘園の収益受給権を布施として寺社に分け与えることを指している。
このポイントを押さえておかないと『後白河院は莫大な荘園を長講堂に寄進し長講堂領が確立する』という文章の意味が理解できない。 >>357
最終的な確立と書いている時点でだめだよ。
人の話を良く聞いてと歴史を良く勉強した方が良いよ。
白河上皇オタではないけれど白河に詳しい人の
話をもっと聞いてみたいな。 みんな八条院領が大好きなんだね
それじゃあ八条院領を1つ1つ解説していこうかね >>364
院政が求心力を保つための、ある種のバラマキ政策でもあるよな。
上級貴族・大寺社に対しては、知行国主(その国の公領の最上級領主)の地位を与える。
中下級・寺社に対しては、王家領荘園(皇室が本家の荘園)の領家職を与える。 中世の土地制度というと荘園ばかりに目が行きがちだけど実は公領も結構重要なんだよな
国司や知行国主になれば一国単位でその国の公領の支配権がまるごと手に入るし
後に室町期の守護大名も国司or知行国主から一国単位で公領の守護請を行うことで
公領を事実上の守護領化して自らの経済基盤としている 八条女院大好きです
八条女陰はもっと好き
ワ子内親王萌え 足利荘が八条院領なのは院の近臣(北面の武士)であった義康がここを鳥羽院あるいは
美福門院に寄進したことに由来するという理解でいいのかな? >>365
崇徳院と平清盛はどちらも白河院の落胤らしいのにどうして敵味方になったの? >>343
平安末期の足利荘の権利関係って、確かこんな感じじゃないか?
本家職:八条院
領家職:源姓足利氏
下司職:藤姓足利氏
つまり源姓足利氏が足利荘に対して持っている職は、最初から領家職であり、
地頭職(下司職)ではなかったと。 源姓足利氏は藤姓足利氏が滅ぼされて初めて誕生した
義国のタダの院側の代理人 >>375
Wikipediaか高校日本史の教科書でも見てください。 太平記じゃなくて大河徳川慶喜だけど、慶喜の母・有栖川宮吉子(若尾文子)が
昔の和歌か何かを見て、「ああ、これは美福門院さんの云々」ってセリフのシーンがさすが宮家の姫って感じでカッコよかった
天皇さん宮さん親王さんとかって呼び方風雅な感じ
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