【第三十五回】太平記 part.35『大逆転』
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
南北朝正閏論争になると、大逆事件とか喜田貞吉の東京帝大追放とか、
完全に近代の話になるからな。
あ、熊沢天皇とかになると昭和戦後の話かw
実際、南北朝正閏論争で論文書いてるのは近代史の研究者ばっかだろ。 三代将軍義満以降、足利将軍家はある部分では「公家化」することで権威を高め、
諸大名を統治しようとした
だから公家層の支持を得ることが必要となり、荘園における公家の権益を保護することとなった >>748
三河屋並みにしつこい奴w
>>751
それ以前の初期の室町幕府や鎌倉幕府だって基本的には朝廷・公家の権益は保護する方針だったのでは? >>752
j団塊ジジィのグチは良いから
反論どーぞwww >>752
基本的とはで理解度がわかった。
鎌倉幕府と室町幕府創世記と
義満からを一緒にしてはだめ
軽薄ですね いつも思うんだが、具体的な話を出来んのかな
そして、三河以外の話には価値が無いのをわからんのかな
高師直が三河守護の高師兼に出した指示
松殿(中山)家領領碧海荘三木今一色の知行保持を命じる、建武4年(1337)5月13日付高師直奉書(堤文書)
高師兼 
室町幕府最初の三河守護。 
五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔。 
父は師春、母は師直の妹。師直の猶子。 
この松殿家は松殿冬房と思われるが
当時、碧海荘の本家もしくは領家は持明院保藤で、冬房の実の兄弟にあたる
持明院保藤の生母は不明だが、一条頼氏の娘なら、保藤は坊門姫(頼朝姉妹)の玄孫と言う事になる 碧海荘 (王家領荘園(高倉三位(以仁王生母))か?)
・成立 12世紀中頃
・開発者 三河の藤姓熱田大宮司か?
・寄進者 藤原範忠(足利義兼祖父)か?
平安末期〜室町期に見える荘園名三河国碧海郡のうち矢作【やはぎ】川中流の沖積低地で,豊田市南部の旧上郷町から岡崎市西・南部の旧矢作町・六ツ美村に比定される 
三河国所出の犬頭糸について記した「兵範記」仁安3年7月6日条に「近年以後三条女御々領碧海庄立券之中」とあり,犬頭糸60勾を年貢とした三条女御とは鳥羽天皇女房で斎宮研子母の参議藤原家政女とみられ 
鳥羽院政期の寄進地系院領荘園の一例寄進者は不明であるが,あるいは藤原氏系熱田大宮司一族か荘名は郡郷名によるものであろう 
承久の乱後足利義氏が地頭となり(瀧山寺文書/岡崎市史6),子泰氏・孫家氏(斯波氏祖)を相続し,鎌倉期を通じて斯波氏が地頭職を保持したとみられる 
禅僧義堂周信の詩の序に「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」とある(空華集/大日料7‐13) 
領家職は,永仁3年8月日の碧海荘米配分状案では熊野社領で,占部・中・村高・下青野・宇禰部・薬師寺・橋良(柱)・津々針(筒針)・下渡・長瀬・宿石神・小針・榑戸(暮戸)・南小(尾)崎・牧内・ 
上戸・大友の17郷から御供米409石5斗が納入されていた(紀伊続風土記附録十四本宮社家二階堂蔵/鎌遺18898) 
他方元弘3年の内蔵寮領等目録には「碧海庄犬頭糸七十七両・用途二百文……持明院中納言家知行之」とあり,これは本家職か(宮内庁書陵部所蔵文書) 
室町期にはさらに領有関係は錯綜する年月日未詳の観勝寺寺領目録に宣政門院(後醍醐皇女懐子,光厳後宮)寄進地として碧海荘内上戸・中曽禰(中園)・牧内・市摩・本一色が見え(大覚寺文書上) 
建武4年5月13日に松殿(中山)家領として「碧海庄三木・今一色」が安堵されている(堤文書/岡崎市史6)  碧海荘は斯波氏の累代の所領で、本来名字となるべき荘園なんだが、1337年には足利将軍家領になっているのが分かる
後醍醐天皇の娘で光源院の妾だった宣政門院の所領もあったようだ
ここで豆知識
三河県蒲郡市の無量寺には宣政門院の五輪塔があるらしい >>744
本来的に古代奴隷制に基づく公領と中世封建制に基づく荘園が同時に併存すること自体が
日本の中世の限界というか未開性を示す象徴的なものだよなw 『荘園分布図』という本の序文だか後書きだかにもそんなことが書いてあったな 私本太平記読了
今まで「オリジナル脚本の大河はクソ、大河は原作が命」と思ってたが
違ったわ
原作とは関係なく大河ドラマ太平記の脚本がいかに傑作であるか思い知った 良改変多いよね
このお方は足利殿にあらず!とか
印象に残ってるシーンの多くは大河オリ >>767
ゆえに来年のが大河ドラマのラストチャンス
これで駄目なら、もう終わって良い >>768
「手前が会った足利尊氏はもっと大男でゴザッタァ」ってやつだよね。
円喜をクダにまき、尊氏に見事に貸しをつくった判官の一筋縄とはいかないキャラの面目躍如シーンだよね
そうかと思えばチョット形勢がわるくなると、その円喜のヒザにすがって許しを請うという曲者っぷり。 >>771
「わしに指図できるのは執権殿のみぞ」で
扇を円喜にあてる道誉w
六波羅攻め言われた時の尊氏に
「それもよかろう、苦しかるまい」ベシッってやられる道誉
扇の使い方がほんとういいね >>766
今どきこんなマルクス史観丸出しのHPなんて流石にないだろw 要は荘園なんてマルクス主義歴史観が産み出した幻想に過ぎないということだな 荘園って最初は藤原道長が関白に即位して始めたのだっけ?
そして白河上皇が天皇を辞めた後に上皇に即位してさらに荘園ができた 南北朝の正当性も荘園も、
ドラマ太平記や日本中世史ファンも全く興味がない。
中世や太平記とは基本的には関係ない。
一部の日本史板や右翼左翼闘争板で相手にされないアスペが、
バカバカしい視点で無理やり太平記に絡めて書き込むなんて、
迷惑なだけだよ・・・。
南北朝正当性で盛り上がったのは昭和から。
荘園は古代の遺物。
しっかり歴史を認識して欲しい。 >>776
そもそも道長は関白になっていないのだが・・・? >>777
しかし南北朝正閏論争になると結局のところ
右翼も左翼もどちらも南朝正統論に立脚するのが笑えるよなw 師直は女好きだったから表に出てない子孫がたくさんいて続いてそう。
なんか大久保長安とダブるんだよな。 >>777
南北朝の正統性の議論は明治期にも盛り上がっていたよ 明治時代の最初の国定教科書は両統正統説で「吉野朝廷時代」という用語もなく、
歴代天皇の表に南北両方載せていたが、そのあとこれはまずいだろうという話になって議論になった >>777
荘園は古代よりもむしろ中世において重要なものなのだが・・・ >>785
あれは佐々木(塩冶)高貞の娘じゃなくて妻だったかと
しかしこのドラマって道誉は必ず「佐々木」で「京極」とはいわないのに
塩冶判官は「佐々木」じゃなくて「塩冶」なんだね あと北条一族も守時や貞顕は「赤橋」「金沢」になっているのに
仲時や高家は「普恩寺」「名越」ではなく「北条」なのが不思議 師直の幕府執事への即位は尊氏の将軍即位と同時なの? >>782 >>787 >>789 >>790 >>791
荘園や南北正当性なんてドラマ太平記や日本中世史ファンも全く興味がない。
中世や太平記とは基本的には関係ない。
バカバカしい視点で無理やり太平記に絡めて書き込むなんて、
迷惑なだけ。
他でやってくれ。 >>797
即位=位につくことじゃないの?
将軍位につくなら将軍への即位でしょう? よくテレビに出てくる東大の先生の本にも将軍位って書いてあったし
昔やってた大奥というドラマのナレーションとかでも「将軍へのご即位」て言ってたが >>799
お前は「部長に即位した」とか言うのか?
言うならもう知らん >>798
森口瑤子は女優として品があり好きだが、この役はあってなかった気かする。
柄本にジェラシー感じた記憶が。 >>805
位は授ける人と授かる人がいるよね。
形式上授ける人は天皇ただひとり。
だから自ら位につく時は即位っていうんじゃないのかな?
征夷大将軍は授かる方だから宣下とかいうんじゃないの?
執権なんかは官職じゃなく、幕府内の役職にすぎないから位じゃないよね。 レ○プされてそのまま師直の女になっちゃったんだっけ? >>807
じゃあヨーロッパの王家の場合はどうなんだ?
多くの場合ヨーロッパの王号は神聖ローマ皇帝やローマ教皇によって与えられるものだが
彼らを「王に即位」というのもNGということ? >>804
実質的に関白と変わらない内覧の地位に長らくあったから
御堂関白と通称されたんでしょ? 室町幕府初期における副将軍直義と執事師直の関係がよく分からん
直義の副将軍はかつての執権を引き継いだもので
師直の執事は後の管領につながるものらしいのだが
鎌倉幕府の執権≒室町幕府の管領じゃないの? 直義はそれだけど師直の公権力はもっと低いものじゃないの。あくまで足利家の家老みたいな感じで。その証拠に師直の位階は高くないだろ 尊氏・・・将軍ゼロ(恩賞宛行権のみ辛うじてあり)
直義・・・8割将軍(立法、行政、司法、軍事のトップ) >>813
後の管領だって朝廷における官位は対して高くないよ
>>814
室町幕府の政所頭人は基本的に伊勢氏の世襲じゃないの? >>815
尊氏=主従制的支配権
直義=統治権的支配権
ということからすれば軍事権は尊氏なんじゃないの?
というか恩賞宛行権は軍事指揮権と密接不可分だろう >>810
民族の首長たる国王は自ら位につく権利があるから、むろん即位できるでしょう。
ただ戴冠式は聖職者たち会いでやるよね。
宗教的権威のトップたるローマ教皇やユルイ連合帝国の諸侯が儀礼的な承認を得たいためでしょう。 >>818
軍勢催促は直義がやっているケースもあるかも知れないが尊氏も普通にやってないか? 大河直義は戦が下手って設定だからな
実際は尊氏より前線に立ってると思う
一番の見せ場は多々良ヶ浜なのにカット
勝ち戦より敗けが多い、この辺のせい
部下の桃井はかなり戦上手よね、負け知らず 桃井直常の輝かしい戦歴
青野原では全滅敗走、以後損害が出そうになるとすぐ逃げるようになる
(難太平記にもすぐ逃げるチキンと書かれています)
奈良の戦いではちょっと戦ってすぐ逃げる
(と海音寺先生は書いています)
石津の戦いではフテ腐れて渋ってたらみんな師直についていったので
あわてて戦場に飛び込んでまた酷い目にあう(太平記)
東寺合戦では前線部隊が勇戦するなか
桃井は後方の重要拠点(東寺の目の前)をさっくり落とされて全軍敗退の決定打となる
(太平記・源威集に記載)
近江八相山…はまあ部下だからいいか
きわめつけは観応の擾乱第二ラウンドで宇都宮氏綱にボロ負け
それが伝わって直義本隊は戦わずして崩壊
その後討伐軍との戦いではちょっと席を外したら部下が桃井はやくも逃げたと
壊走してせっかくの優勢が逆転敗退
>>821
まじ質問なんだけど桃井いつ勝ったの?
特に東寺合戦は白兵戦を恐れて砦を放棄してそのまま全軍敗退とかありえんのだが 得宗以外の家は皆つぶしたい
とりあえず源氏長者を最優先 >>819
それをいうと日本の武家政権の主宰者だって
儀礼的な承認が得たいから征夷大将軍などの肩書きを貰おうとするだけだな 令外官でしかないむさ苦しい遠征軍将軍職よりは、皆が憧れる顕官たる近衛将軍職が好もしい。
近衛大将を兼ねてこそ征夷大将軍にも箔が付くというもの。 頼朝は右近衛大将より征夷大将軍の方が欲しかったのかなぁ 頼朝は大将軍ならなんでもよかった説が有力じゃない?誠意大将軍が吉例だったから朝廷が選んだだけで。 足利義昭は四位で左近衛中将に補任され、征夷大将軍宣下も受けた。
義昭追放後、信長が正三位右大将・内大臣→従二位右大臣・右大将に。 >>819
そういえば足利将軍は対外的には日本国王を名乗っていたよなw
>>825
征夷大将軍は令外官というか官位相当のない宣旨職だが、これは公家の最高職である
関白も同様だよ。
>>826
右近衛大将だと在京が原則だから征夷大将軍のほうが好都合。
>>828
木曽義仲の征東大将軍と同じになるのを避けたという話だな。 そういえば足利義教も従四位下で参議に補任、左近衛中将を兼ねて征夷大将軍宣下。
従三位に昇って権大納言に補任され、右近衛大将を兼任。
頼朝の先例がいわば変則的だっただけで、同じ令外官でも近衛大将のほうがが明らかに征夷大将軍よりは格上。 格式とかw後醍醐がぶち壊したやん。関白に権力が戻るのは秀吉で最後。 >>823
将軍が源氏長者を兼ねるのは義満から。
公家と武家の両方のトップに立ったのは義満と秀吉だけか。 >>836
つうかその官職の由来が「令外官」かどうかなんて、正直中世において何の意味も
ないのに、そんなことに何で拘るの?
近衛大将と征夷大将軍に関していえば、前者は官位相当がある除目官であるのに対し、
後者は官位相当のない宣旨職。
除目を経ずに宣旨によって随時任命される宣旨職は、そもそも他の官職との兼任が
前提だから官位相当がないわけで、それ自体と官位相当のある官職との格の優劣を
論ずるのはナンセンスでしょう。 要は武家政権の主宰者の肩書きとしては征夷大将軍はこの上なく好都合ってことだな
・除目関係ない臨時官だから必要なときに随時就任可能
・官位相当の対象外だからそのときの当人の位階の上下に関係なく就任可能
・しかも元々が遠征軍の将軍号だから在京して天皇に近侍する義務もない 幕府を開いて子飼いの家臣を取り立てられる
最重要が抜けてる
これについては右大将でもいいんだが 頼朝さんの右大将就任は下文のお試し期間だろ。
前右大将家政所下文がいい感じだったから将軍家政所下文も通じると確信した。 >>842
征夷大将軍や鎮守府将軍のような地方に展開する将軍号なら幕府を開くことは可能だが
天皇・宮城の警固が本来の職務である近衛府の大将に地方で幕府を開くことが可能かな?
もっとも幕府の実態自体は右大将就任より遥か以前にできているわけだけどさ
>>843
そこは平氏政権も大納言家政所下文とかで西国武士と関係を築いていたけどね まあ当時の御家人にとっては、同じ下文でも頼朝の袖判下文のほうがよかったのだよね
頼朝はそれを無理やり政所下文に統一しようとしたが・・・
ただ後に尊氏・義詮期の室町幕府が結局また将軍の袖判下文に戻しているのはアレだがw 文書様式のことでいうと不思議なのは直義の発給文書だな
直義って鎌倉幕府の執権の地位を受け継いでいるといいながら
直義が出した下知状・御教書には鎌倉幕府の下知状・御教書と違って
「依鎌倉殿仰」のような奉書文言がなく直義が独断で出したような印象を与える
直義って個人的には兄貴大好きだったようだけど
だったらちゃんと将軍である兄を敬って形式的ではあっても奉書文言くらい書けよw お兄ちゃん大好き、弟大好きの二人と思いきや
(従兄弟の)上杉なんか見捨てろ、お前(直義)が取り立てるまでなんの取り柄もなかった奴だぞ
この非情さの落差すこ 義満は何で下文・下知状をまとめて御判御教書に統一したんだろう? なんかまた下文とか奉書とかキショい話をしてんな
ハッキリ言って普通の大河ヲタ歴史ヲタは古文書がどうのとか正直そんなの興味ないんだがw 都から遠い田舎、東国でありがたがられる将軍職が征夷大将軍。
鎮守府将軍の少しマシ程度。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています