【第三十五回】太平記 part.35『大逆転』
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要は尾張の熱田大宮司が三河に植民地を持っていたとw >>972
確かにそうかもしれないな。
ドラマ内でも尊氏は後醍醐を虜にしながらも逃げられた時にも直義ほど狼狽しなかったし、塩谷を通じて廉子と和議の道を探ってたりと、柔軟な外交だし、その
モットーとするところは、若き高氏も掲げていたが、公正な政治だろう。
直義のやり方はよくも悪くも得宗専制方式で、北条から足利一門への看板の掛け替えで、その辺の方向性の違いも袂を別った原因の一つだろう。
その結果が勝った尊氏の味方武士への大盤振る舞い〜大所帯の守護大名の誕生につながってしまったワケだ。
足利の時代は鎌倉や江戸に比べるとヘタレな印象があるけど、ある意味やむを得なかったと思う。 尾張徳川家はオラの殿様だぎゃ〜
誇らしいだぎゃ〜
名古屋だぎゃ〜
武士の”名古屋弁
http://www.geocities.../jtohkai/sub11-2.htm
>昭和に入ってから名古屋の旧士族の子孫の会話が『名古屋方言の研究』に収録されている
>明らかに三河弁の語尾である(特に東三河)。「〜ぎゃん」も「〜がや」と同じであろうが、三河弁的にはねる発音が特徴的だ。
>実際の発音は「がん」と「ぎゃん」の中間的なものだろうか。
>尾張藩の武士の言葉は三河弁的な特色が濃い 湊川っていうと、新田の間抜けな行動で笑わされる回だなw >>975
直義が理想としていたのが、得宗専制化する前の鎌倉前半期の執権政治というのは、常識じゃないか?
>>980
塩冶と書こうとして間違えたのだろうw
しかし普通に変換できるのに間違えるのも謎だが。 仮名手本忠臣蔵では「塩谷」判官だから、そちらが優先的に出てきたのかも。 湊川の戦いは一ノ谷の戦いと場所的にはほとんど同じだよね どっかに後退していく新田軍を見て楠木
「愚かな・・・○○○○(何言ってたか忘れた)がわからんのか!」 このスピードなら言える
荘園も足利荘も中世や太平記とは全く関係ない
荘園アスペ
ざまぁ〜 正成も突撃せずに退いていたら、ゲリラ戦なんかで足利軍を苦しめていたんだろうな それを言うなら、パゴヤと太平記は関係ない
部外者たるパゴヤは太平記スレから出て行けだろ
関東関西間を中心にして東北から九州を舞台とし、皇族、公家、寺社、武士が集団で飛ぶ鳥の如く、何か動きがあれば一斉に反応して動く
これが太平記の醍醐味なんだが、太平記にパゴヤは出て来ない
要するに、奴らは田んぼでうんこ座りして鼻をほじっていたウンコ君なワケだな
しゃしゃり出て来るのは頭が悪いパゴヤと言えばパゴヤらしいが、はっきり出入り禁止を通達せな分からん困った田舎者だ このスレッドは1000を超えました。
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