西郷が朝鮮に行きたがる理由が分からない。
また、行って殺されたら戦争になるという根拠も薄い。
「翔ぶが如く」で、大久保と西郷は「そいは暴論でごわす」
「うんにゃ、屁理屈じゃ」と口論。
西郷が下野して大久保へ別れを告げると、大久保が責任放棄、
現実逃避と感情を露にする。

「西郷どん」では西郷が李氏朝鮮にいいがかりをつけ、軍事侵攻
を企むも、時期尚早と大久保に一喝される。

どちらも李氏朝鮮側の視点が欠けているため、明治六年政変は
曖昧で煙に巻くような印象を受ける。

征韓論は不平士族が言い出したという史実を明らかにするため、
「翔ぶが如く」では矢崎八郎太という不平士族を登場させ、曖昧さを
回避させようとしているが、「西郷どん」では史実がただの雰囲気。
役者の見せ場を演出するための背景、完全な虚構。歴史をドラマチックに
楽しむことができない作りになっている。

「何の為の大河か!」という話はさておき、司馬遼太郎が幕末、明治を
物語にするため、取り上げなかった史実がある。
それは李氏朝鮮の内情が最も大きいが、西郷が職場放棄する動機もそうだろう。

薩摩が地租改正後も納税をせず、独立国のように明治政府と対峙して
いることは大きな問題だと思う。このことで西郷、大久保は糾弾される
だろうし、それができる木戸が描かれていない。

「翔ぶが如く」では、「西郷参議は困ったものだ」と非難するだけだが、
「なぜ県令の大山は政府に従わない?久光公がそう命じているのか!」
という会話があってもおかしくない。
西郷は応じて、「おいに久光公を討てと言われるか!」となったら、西郷の
性格上、「そいはできん、責任をとって陸軍大将を辞任する。」となりそうである。

その状況で、西郷が相談できるのは大久保のみ。
二人の密談が江藤や板垣の追い落としの謀略につながった、というのは
ありえない話ではないと思う。
ただ、ドラマが面白くなるかどうかは分からないが。