3日のいだてんを見返して発見したこと(当日は疲れて、うとうとしながら見ていた)
1 四三たちのシベリア鉄道の席は一等車だった(三等車まであるらしい)。
2 当時のパスポートは冊子ではなくて大きめの紙っぺら1枚だった。
3 大森兵蔵が自分の生命が短いかもしれないと覚悟して、死後にも貢献できるよう
日本の体育が発展するためのプラン(短距離の練習方法など)を作成していた。
4 シベリア鉄道最後の夜に、三島と食堂車で豪華ディナーをとって気勢を上げた時、
三島が「練習の成果を見せようじゃないか」というが、それはストックホルム大会の
活躍のことではなく、三島家で訓練したナイフとフォークでの洋食マナーのことだった。
5 ディナーでワインを飲んで酔うほどに、三島が四三の故郷の肥後弁を達者に使った。
6 旅の中ほどで疲れが出て相手の顔を見るのも嫌になる場面を落語で表現し、それも
落語に合わせて演者が演じるNHKの落語番組を模していた。旅の終わりに近づくと気分も
明るくなる。暗い気分の部分を落語で笑わせてくれた。
7 スエが最初に姑と顔を合わせた時、髪を結っていなかったが、たらいに水を汲んで
姑のために持っているのだと言われた翌日、すでに髪を結って身なりを整えていた。
スエの賢さを感じると同時に、姑は息子に嫁ができるまで、どうやって顔を洗って
いたのかと疑問がわいた。自分自身もそうしていたからなのか、単に嫁姑の立場を
明らかにするためなのか。
8 1日車を借りれば50銭なのに、師匠からの車代はたったの5厘(1銭の5/10)。
同時に「朝太」の名前を