本田宗一郎が経営危機のとき、世界一にならなきゃ日本一になれねーと、マン島のレース参加宣言して、
ヨーロッパ視察したら想像以上に外国は馬力が上でさ、打ちのめされた。
四年ぐらい研究して初参加した結果、125CCのクラスで最高6位かな。参加した人が社長に「我々は井の中の蛙でした。しかし三年後には大海に出て見せます」と報告。
三年後、ホンダは125CCと250CCのクラスで1位から5位まで独占した。
いだてんがストックホルムに参加したからこそ日本人金メダリストが生まれたんじゃね?