>>25
それら様々の種類の噺の全てに「笑い」が存在しないと
落語として成り立たないのだが。

あのたけし演じる志ん生の1960年の高座では
オリンピックも笑いのタネとして扱う時代になったという事で
おそらくドラマの今後となる,戦争に巻き込まれての不穏な空気になる当時の日本の姿も
これまでのような「笑いで語れるオリンピック」と同様の扱いとなるのだろう、現代の我々の思考の様に。
あの1960年の志ん生の落語は、そんな現代人の我々の目線としての役割を果たしている。