【2012年大河ドラマ】平清盛 Part183
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part182
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1558803059/
●荒らしと思われるレスには各自スルーまたはNGで対応。
●>>950以降の有志が次スレを立てる。
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い、無理な場合はすぐに申告すること。
●スレを立てられない人は次スレが立つまでレスを控えるように。
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ だからさー、学芸会がー、オモチャの宋剣がー、薄っぺらー、安っぽ〜い
とか自己紹介してるだけじゃ「お前はもう死んでいる」(義朝にトドメをささなかったリクツ)
でしかないんだよ。
お前の大好きな草燃えるで、茜とやらを壇ノ浦まで追っていく義時の安っぽさとは
残念ながら違うのだよ。 一騎討ち単体だけを見て、捏造がーと薄っぺらい難癖をつける愚についても超長文した。
4話殿上闇討回での忠盛vs為義(付随して3話の競べ馬)から、清盛の孤軍奮闘によって
「武士が貴族に対して十分な力をつけて」機が熟した歴史的段階における
清盛vs頼朝〜これが歴史上の源平合戦〜までを俯瞰して一騎討ち@平治の乱を位置づければ、
清盛vs義朝は、源平棟梁間で挙行された、武士の覇者はいずれかを巡る中間総括としての
タイマン対決であったことが了解されるのである。
それは清盛にとって、「時期尚早でやるべきではなかった」「やりたくなかった」
「後にとって置きたい」決闘であった(仮想現実風)。 こいつらは、嫌いな大河に対しては物語性を持ち込むだけでテンパる。
中身なんてどうでも良い。出来事を並べていく(それでいてフィクションだらけの)
昔は良かったーこそが正義なのだ。
あまつさえ、自分たちが及びもつかない長大なスパンをもつ一騎討ちのようなロジックを
理解できるはずもない。
解説されても「無知で無能な以下ry」と喚き散らした自分を恥じるわけでもなく、
「安っぽ〜い」とか安っぽい難癖を続けていれば「アタシたちコアな歴ヲタ、大河ヲタ」
のプライドが保たれると勘違いしている。
もっとも、三谷やクドカンの物語性については、例によってほとんどのメンツが横並びで
賞賛するダブスタ。
やれ「丸は史実とのギリギリの接点で創作。清盛はデタラメファンタジー」だの、
「いだてんは落語との絡みが上手い。清盛のようにとっ散らかってない」だの、
大河批評界にはアベコベで歪んだ平行世界が確実に「実在」することを証明し続けている。 嫌だね
ネット上の言いたい放題によって優れた作品が葬り去られるーーー
そんな悪夢が、大河視聴歴ゼロとは言わぬが1程度の俺の前に現れなかったかったら、
こんな恥晒しを続けたりはしない。
(ネット言論の暴力性が脅かす問題群は、もちろん大河だけの問題ではない)
俺がピエロを演じない限り、王家がー、汚盛がー、反日がー、無知無能の以下ryがーで
蹂躙されて、最低の駄作評価のまま終わってしまう危険は、世間的再評価が進んだ今とはいえ
消えていない。
(いだてんスレときたら、牙を剥いた本性丸出しの極右運営のやりたい放題ではないか) >>46
極右なんて関係ないやん。
変に絡めないでくれ。
清盛の時に何かあった?支持する人はちゃんと食らい付いてきた。 白河院ご落胤説を採るなら崇徳院と清盛は異母兄弟。運命に抗えず全てを恨み
君臣逆転を祈るという武家社会到来の元となった怨霊とあくまで現実に対峙し
続ける清盛… バカが作ったお笑い大河じゃ最初に立てたプロットもなかった
ことになるんだろうなW >>47
当時のそして今の2ちゃん(5ちゃん)を見て、自由な対抗言論がなされていた、いると
思っているのか?
だったらおたくもっと頑張ってくれ。そしたら俺の存在理由はなくなる。
>>48
何言いたいのか主張をちゃんと書けよ。答えようがない。 >>49
いや、長文さんのような狂信的藤本ファンじゃないし。
頑張る理由はない。ダメなところはこき下ろす。
平清盛は、毛並みが違う大河でおもしろくはあったが、過去作を比較してダントツともいえん。 まあいいから何か中身を投入しろババア。
もう酔っ払いなもんで醜女だろうと石女だろうとお付き合いするぜ! つか、ラグビービッグマッチを観戦。アパルトヘイトを克服した南アフリカも、
人権最先進国ニュージーランド(アベ日本は最下位レベル)もどちらも好き。
やっぱサッカー派なんだけどね。
白河の殺生禁断令は、白河の苛政を象徴するのみならず、実際相当程度執行されたとのこと(福島)。
生きる術を奪われた庶民にとっては、消費税増税に苛められる我らどころの話ではない。
これを扱ったこと自体ヘエエとなったところに、庶民(港湾労働者)苛めをして心を痛めない
ブラック企業主清盛を糺すべく諫言に及んだ盛国が、大輪田泊を完成させようと(現代版辺野古)
無理を重ねる泊建設強行に対して、父を殺したこの個人的エピを援用したことにビックリこいた。
伏線回収がーの大安売りはやめて、こういうのをザ・伏線と呼んで欲しい。 今日のブラタモリ比叡山回、平清盛のBGMを多用している。
なぜか塚原卜伝も使っているが。 >>56
辺野古は関係ないだろう。
何でもぶっ込むな。 ああもちろん、辺野古の公共性と大輪田泊の公共性との間には天地の隔絶がある。
両者を比肩した自分は愚かだった。 ハイテンションの中にシリアス信西的な面を見せてきたな田畑サダヲ。
迫り来る危機の時代感を表出しつつ、ナショナリズムに押し潰されながらも
勝利を掴んだ一人の女性=前畑をドラマ化した今回は、歴史大河に相応しい素晴らしい出来。
(そうするといよいよ落語の存在理由が消え去る) 家盛と重盛って似たところがあるからね
清盛と基盛も同じ >スカーレット で戸田恵梨香(30歳)がセーラー服の15歳を演じようとも
>平清盛 で武者丸(6歳)を演じた玉木宏を知っている私の心には
>さざなみひとつ立たぬゆえ…(お約束)
お約束とはいえ、おばさんたちいい加減止めて欲しいな。自虐だが達観だか知らんけど。
長いスパンで必ず生ずる役年齢と実年齢との齟齬をどう乗り切るか?
これは古より制作陣が直面して悩み、あれこれ工夫してきたテーマの一つであり、
他作品でもいくらでも確認できる通常運転の試行錯誤、あるいは誤魔化しに過ぎない。
だから我々は、せせら笑ったりからかったりする前に、どうしてこういうムリをせざるを
得なかったのか、作り手に寄り添って理解することに努めるべきなのだ。
そうして見れば、ほとんどの「ムリ」は破茶滅茶ではなくて合理的であることがわかるだろう。
にしても、
たった1分ばかりの玉木武者丸6歳が、年齢破茶滅茶の代表例とされなければならない謂れはない。
どうしてもそうせざるを得なかった立派な理由があったのだから。
なんで清盛おばさんたちは、最高に変な「ムリ」の代表例として、武者丸玉木を
事あるごとに蒸し返しアンチに塩を贈るのだろうか?ワケワカメ。 武者丸玉木、ダメさんと仲良しで玉木でよかったよ
その後の二人の運命を考えると、よりドラマチックになる 忘れてないよ、あれも十分許容範囲内。
ってかサダヲかわゆかったw 清盛との年齢差をシカトする方向で史実の方を改竄して、
清盛が石清水八幡の晴れ舞台で剣舞を披露したその時、元服済みの義朝にすべきだったのか?
清盛はそうした捏造よりも、1分程度元服前武者丸ー玉木6歳の道を選択した。
元服前の「小学生」であったにもかかわらず、年齢をサバ読んで本能寺に安土に出っ張って活躍した
真田信繁殿のような扱いを義朝は受けなかったのだ。
どちらが歴史上の人物をリスペクトしているだろうか?俺とって答えは自明である。 それは一つの選択肢というか、役者交代を認める場合の唯一の選択肢だろう。
白河への反逆児清盛は、治承クーデターで国の頂点に立つや【白河そのもの】と化してしまった。
このパラドックスもまた、いくつかある清盛物語のキモなのだから。
(大輪田泊における強硬姿勢は白河化に向けたステップ2〜「殿、それは父を殺した白河院のやり口と
同じではありませんか」と盛国が諫言)
とはいえ、どこでだれとどのタイミングで交代するか考えるや、役者交代は絶望的に不可能であると
直ちに観念するしかない。 無頼の高平太と闇堕ち清盛は、双方同一の人格と外形によって統合されない限り、
その醍醐味は9割方消失してしまっただろう。
初期のアイツが「同じ人格と顔を持ちながら」ああなってこうなったことに、
我々は感慨と戦慄を覚えるのだから。 だから、どんなに仲代氏や渡氏の清盛が素晴らしかろうと迫力があろうと、
すべてのステージを演じ切った松ケン清盛が、個別ステージ特に晩年を演じる
年齢ー若さを論われて(むしろ晩年演技に冴えを見せたのだが)腐される事態は
放置できない。 煽りじゃないが長文が何を言おうとしてんのかわからない 橋本治の双調平家物語を読もうとしているが
その前に大河を見始めた
まだ十話だけど御所内の絡み合った人間関係が深くてすごい
独特の雰囲気の中で各人が持つ苦悩が心に沁みてくる
御所内の役者さん達うまいなあ あれがつまらなく感じてしまった人もいるらしいけど
とてもおもしろかった ホモっ気たっぷりの頼長が気持ち悪かった(褒めてる) 松田美由紀、心筋梗塞で入院
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190924-00000147-sph-ent
この訃報はエビ中ファンでなくとも「18歳アイドルの突然死」として大きく報道されました。
翌日早朝5時になって、容体が急変してご両親がすぐ119番通報。
://ceskylove.com/ebichu-rinanan-funeral-reason-2323
芸人の「ルサンチマンよしお」さん33歳は「睡眠中の突然死」だった
寝てる途中で苦しがり、そのまま亡くなったそうです。
://twitter.com/2ch_NPP_info/status/528180856360169473
【6月11日(火)20時30分〜NHK】 心不全! 爆発的拡大に備えろ
ちょ、凄いタイトルだなぁ!
なぜ爆発的に心不全が増えるのか、ちゃんと説明してくれるのだろうか?レベル7の日本で、NHKで
://twitter.com/kanariasusume/status/1138070413076910080
心不全や突然死は、爆発的に増えてる、ありふれた病気だからね!と刷り込…
爆発的拡大の根本原因には触れない、考えさせないのは、この国のいつものやり方なんでしょうね。
すぐ忘れるし疑問も持たないように飼い慣らされた国民だから…
://twitter.com/kanariasusume/status/1138445540453171203
【世堺教師マITLーヤ】
マITLーヤの提唱する線に沿って変化を要求する人々と、おびえて何をしていいか分からない人々に分かれるでしょう。
r63ukg/45wbdy/xchu67.html
自分が無欲であり、世界のためにすべてを行っているような錯覚を持っている人々がいます。
しかし、彼らの生活の根本には貪欲と利己主義があります。この偽善を暴き、人々に彼らの本性を示します。
rwhnd8/c6gix5/apf40p.html
Q 放射能の有害な面は、いつ明らかにされるのでしょうか。
A それを口から摂取すべきではありません。実際、一切摂取すべきではありません。
私はそれを何年間も言い続けてきました。人々は耳を傾けようとしないのです。
ですから、非常に多くの事柄と同様に、それはおそらくマITLーヤにかかっています。
マITLーヤがどれだけ早く現れるか分かりません。それまでの時は非常に、非常に短いでしょう。
ahwpdf/0do3qy/9dyu66.html
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>78
長文さんの言わんとするところは分からんでもないぞ。
闇落ちしていく晩年の清盛を初めてみたとき「日本の特撮技術はここまで来たあww」って舌巻いた。
そして松ケンはその清盛もしっかりと演じきっていた。しかし、評価されなかった。これは悲しい事件。
清盛以降の大河で、青壮年期のあと老年期にさしかかった主人公を、その醜さや愚かさをも含めて、
ちゃんと撮ることをNHKはあきらめてしまったような印象がある。 >>82
双調平家物語から入るか、双調平家物語ノート(I 権力の日本人、II 院政の日本人)から入るかで
読後感が変わるかもしれない。まあいずれにせよ、あれはとんでもない本だと思います(良い意味で)
橋本治は格闘するに値する偉大な文学者です。あの人が亡くなってから、日本はつまらなくなった。 平安時代を描くのに魑魅魍魎の類は欠かせない要素だと思うけど、清盛はそこが上手く描けてたと思うわ >>90
一番の魑魅魍魎は、藤本一座の禿と化した長文さん。
ろくなジジイにならん。 >>89
アドバイスに感謝です
ノートも二冊古本探しました(高かった)
本編は「遠く異朝をとぶらへば」で秦の話から始まるようで
日本も蘇我氏かららしく清盛登場まで時間がかかりそうです
なのでノートを先に読み頭を整理してからにするか迷いました
とても楽しみです
声をかけていただきありがとうございました 魑魅魍魎は彼岸ではなく、人々の日常世界の内で蠢いていた。。。
この視点が重要だね。
「物の怪」の強調に誇張はあっても、実在性から離れた空虚な虚仮威しでは決してないのがミソ。
繰り返せば、崇徳怨霊は平安の末世に確実に「出現」した「実体」である。 >>91
オタクも立派なババアなんだから、40後半〜50初頭で
婆さん呼ばわりされないように努めよや(頼長風)
いかん完全に酔っ払いの永田町 【悲報】大河歴代ワーストランキングで栄華を誇った平家が滅亡寸前。お前ら何で大河見ないんだ? [489551734]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1569374519/ >>96
大笑いして、周囲の人間にドン引きされたよ。なんじゃこれはだ。 >街が汚いのは別に構わなかったが
>殿上人になった人間が汚い格好で街を走るのが受け付けなかった
>暴れん坊将軍とかじゃないんだから、その辺線引きはしろと
>細かい時代考証や話の筋は悪くなかったのに大枠の大事なとこがダメダメだった
何のスレだコレ?芸スポより遠くまで遠征できないよw
しかし、批判は事実に基づいて欲しいね、改めて。
清盛での衣装替え戦略(地位上昇に比例して豪華絢爛としていく)なんて、
初めから完璧に練られ整えられていた事柄に過ぎない。 >演出の陰鬱さ、暗さ重視のリアルさと、
>脚本に時々入る寒いギャグがあんまり合ってなかった
>海賊王がどうのこうのとか
>元々コメディ系の脚本家なんだな、ちりとてちんとかのひと
たった2秒の海賊王がーでテンパってしまったこいつらの与太はすっかり飽きたけど、
緩急やシリアスコミカルのバランスに対する考慮はどの大河でもあるし、必要な作劇手法だろう。
ふざけてると非難されるいだてんだって十分シリアスではないか。
むしろ、シリアス一辺倒の武田信玄のような大河を、「重厚歴史劇」と褒めることは
個人的にはできない。その点はジェームス、三谷はさすが。
清盛はコメディ得意の藤本とはいえ、どう見てもシリアス劇が本質であり、
その中でコミカル要素は、緊張を緩める局面で巧みに用いられていた。 >平治の乱の前にはもう四位になってる
>てか清盛はほぼ元服と同時に殿上人だから
>ガキの頃から貴族の中でもエリートに入る部類なんだけどその辺の描写がねぇ
全部読んだら、アンチより支持派が多いという珍しいスレだったw
何度読まされたかしれないコレ。ババアこんなところにも出張してるのね。
後の体制破壊者そして交易国家開拓者清盛は如何なる経験を積んで誕生したのか?
この問いを突き詰めたのが青年清盛の造型だった。
散々書き散らしたように、その解にとって形式的な官位は重要ではない
(厳島と最初の接点をもった安芸守から官職名を併用し始め、最初の歴史的業績となった
高野山造塔にきちんとスポットを当てた)。
もっともそれ以前においても、清盛は無頼の高平太としてヤンチャしつつも、
れっきとした平氏の御曹司にしてコネで北面に採用されたエリートであった。
このことを等閑視してはいなかった。
さらに、父忠盛が超えられなかった公卿の壁を突破したのは保元の乱の戦功によるものだ。
あんなに軍事力を頼られた清盛は軍事エリートではなかったのか?しかも、
強調されるべきは、十分エリートであった以上に父が越えられなかった公卿という
スーパーエリートにようやくなれたことだろう。
さらにさらに、奥手の政治家清盛が真の意味で歴史の前景に踊りでたのは、太宰大弐という
大官(コレはテーマ化さえしたのに「もう四位なのに」よ。。。)を獲得して臨んだ
平治の乱後のことだなのだ。
貴族の一員でぬくぬく育ったことより、貴族体制の壁に阻まれたこと、そして宮廷では
叶わない広い世界で様々な経験を積んだことの方が、「清盛誕生」にとって遥かに重要なのだ。 思い出すに
どうでも良いお遊びギャグは、杏の爪切りギャグぐらいだなー。
海賊王については、兎丸のそれとこれをきっかけとした清盛との問答、
及び、松ケンのあのアドリブがもった意外な重要性について長文した。
サダヲ通憲のギャグが後々もったシリアスな意義は、今や多くの人々によって共有されている。
あと、棟梁就任時で気負った清盛に「皆存じております」と絶妙なツッコミを見せた盛国、
同じく「俺はあやつのように青くはなかった」と嘯いた清盛に、エッーーーーー
と突っ込んだ盛国(言うまでもなく、ふだんは真面目一方の忠臣にして筆頭家人)
などの場面を取り上げて「寒い」と罵る人間を相手に何を言ってもムダです。 >>98
五位や四位にある松ケンの衣装が余りにも薄汚く、糊が効いていないのは不自然だった。 愛知 国際芸術祭への補助金 不交付の方針 文化庁
2時38分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190926/k10012099321000.html
実質反日ヘイトビジネス(例:元は全く違う謎の女像)に乗っ取られたアートに対する行政側の対応。論理に誤謬なし。
一件落着。 ここはセイワ系の妄言を垂れ流すスレじゃないんだよ
とっととバイトに戻りな >>103
服装は人々が有する地位や属性を示すコードであること。それ故、
約束事からの逸脱は、秩序や規範意識、社会常識への反逆を可視化する意味を持ちうること。
これは今も昔も変わらない。
清盛は青年期に無頼の高平太と呼ばれた突っ張りであり、この重要史実を未来の体制破壊者
清盛の原点とみなして、旧貴族体制への反逆を可視化したのが「汚盛」に他ならない。
(私見は、意図はわかるがやりすぎと評した。しかし、公卿直前の段階の清盛が
汚かった?俺の目には武家の棟梁らしくフツウに見えた)
とはいえ、ドラマ初期の平氏が、宮中と同じ意味で貴族化した服装と生活様式で暮らしていた
はずもなく、質素な服装に邸宅は武家平氏の有り様をリアルに伝えるものだった。 ケツモブたちなんて雰囲気満点だろ。
しかし彼らは、平氏が上昇し貴族化していく過程でいったん六波羅の屋敷から消えた。
そして、頼朝挙兵によって清盛が再度武士の魂を点火させた最後の最後の段階で、
再登場した。
つまりケツモブたちは、ささやかなながらも武家平氏が放つ活力の象徴だったのだ。
こんなところまで、いちいちいちいち画面に意味を充満させ主張してきたのが
大河清盛である(鬱陶しさを感じる人がいて健全ながら、ほとんどの場合、
騒ぎ立てる人間に対してはメッセージは伝わらない・・・のに大騒ぎ...)。 武家政権の成立=公家による文民統制の崩壊
清盛信者は改憲論者。 おいおい24時間ぶりに見たら何て言い種を。
鎌倉政権を支え安定させるにあたって、大江と三善、中原のような
京ではうだつが上がらなかった中級官人の働きを無視する訳にはいかない。
東国武士政権にとって、京の公家はなくてはならない存在だったんだよ。
制度化と権威づけなしに裸の実力が永続した試しはない。
で、日本会議アベ一派による絶望的にまでに無知蒙昧な改憲志向と、
唖然とするばかりの改憲案を前に、何ゆえ「清盛信者」はこいつらと
土俵を同じくしなきゃならんのだ? 衣の下の鎧=改憲による再軍備
結論:清盛信者は軍国主義者 保元の乱まで見終わり
父と子 母と子の壮大な物語だと思った
主演男優賞 三上博史 助演男優賞 山本耕史
主演女優賞 松雪泰子 助演女優賞 和久井映見
と勝手に感じたが叱られそう
堀河局のりょうが六条御息所みたいで印象的だった >>108
武士の心なんて、とうに無くなっているんだがな。
単なる猟官、知行国狙いに血道を上げる新興権門。 保元・平治の乱の歴史的意義がこのドラマ見ててすごく分かりやすかった。 清盛は「おもしろう」生きたが、平家一門はそうではなかった
それが一代で滅亡した理由ってことなのかなこのドラマ的には >>118
ま、そうでしょうな。
巨人に怯え続けていた人もいたし。 結局、清盛を超える息子たちが一人も現れなかったってことだろう。
賢人重盛が長生きしてたら平家滅亡はなかったのにー、と残念がられるのが平家物語流重盛の定番。
しかし大河の清盛は、素晴らしい人間性と窪田の名演技で魅せた重盛を顕彰しつつも、
政治面では決して有能でなかったことを遠慮なく炙り出した。
生煮えの新学説に飛びつくのではなく、こういうのをドラマ内在的「新解釈」と言って欲しい。
(典型的には、平治の乱で信西救出に意味を見いだして平家の将来を委ねるかについての問答。
長中期的展望のもとに決断した清盛と比べて、重盛の視野狭窄ぶりは明らかだ。
あの忠孝dilemmaの名場面も、見方を変えれば確固たる自分を持たない重盛の有り様を示した。
成親の「小物めが」に至ってはかなり残酷)
現代人の我らも、あれこれバランスとろうと悩む人生をやめて、清盛みたいに面白き人生を突っ走りたいね。 清濁併せ呑んだ父清盛による政治家重盛に対する皮相なまでの残念評価・・・
それが
「あやつは清すぎる」。
そして時忠の口を借りた名言「正しすぎるはもはや誤り」だったのでした。。。 ライバルであるはずの頼朝が気持ち悪くてしょうがない
何年間も茂みをウロウロ徘徊してただけでなんで武士を束ねる器になれたのかなんの過程も成長要素もないし意味不明すぎる 重盛は家盛が死ななかったらああなってたんだろうなーって像を反映させたようなキャラ付けしてる気がする
適当だけど お前も頼朝のような過酷体験を経験してみるこった。オレはしたことないゆえ、逆に
とてもじゃないがそんな言いがかりはできない。
親を殺され助命されたといえども、遠く伊豆の僻遠の地で再出発を余儀なくされた元京貴族頼朝。
当初は、父母を追悼し笙を吹いて暮らす孤独な日常に明け暮れた(本籍は都を懐かしむ京貴族頼朝
〜義朝が一身で獲得した東国武士と京貴族との二元性→義平と頼朝への分裂
→未来の鎌倉殿流人頼朝による再統合。このプロセスはホントにホントに重要)。
藤九郎始め支援者がいようといまいと、全てを失い流人となった当初の頼朝の心象風景は
あのようなものだったに違いない(山本「頼朝の天下草創」は、自己省察の時代となった
孤独な流人生活こそが後の幕府創設者頼朝を生んだとする)。もっとも、
希望を失いつつもその生活に慣れれば、適度のスローライフを楽しむこともあっただろう。
しかし、せっかく掴んだ八重姫との幸せのひと時も、千鶴丸の悲劇によって奈落の底に突き落とされた。
頼朝はグランドゼロから上昇するどころか、彼が位置する地平はさらに急降下したのである。
生気を失い蝕まれた頼朝の造型で正解だろう。
以上の推移について、絶頂へと突き進む清盛平家の上昇と頼朝の低徊をシンメトリーのように
対比して描いたことを指摘した。それは、源平の力関係の推移を執拗に追ってきた大河清盛後半
の本筋の一つをなしている(もう一筋は言うまでもなくvs後白河)。
次に底辺からの上昇について。
野生児政子によって生のパワーを注入されて頼朝した急上昇(頼朝にとっての「遊びをせんとや」
は、まさに北条政子の叱咤激励)もまた、清盛平家の凋落と対で描かれた。
これについても散々語ってきたので委細省略。
これらのシンメトリーは、遠く離れた2つのパートを緊密に連結するためにロジカルに構成されたものだから、
当然史実そのものではないデフォルメを含んでいるものの、
総体を俯瞰すると、そこには実に着実な歴史展開を見いだすことができる。
(鹿ヶ谷で清盛平家に暗雲垂れ込めたその時、頼朝は政子と結ばれた。史実の上でも同時期とのこと)。 もし頼朝大河をやるのならば、如何なる経緯を辿って、青白き京貴族頼朝が
東国武士を束ねる鎌倉殿へと成長したのか、もっと綿密にトレースする必要があるだろう。
しかし、毎度意地悪言ってすまんが、草燃えるとか源平合戦そのものが見どころであった
義経から、「鎌倉殿誕生」へ向けたそのような頼朝成長物語を窺うことは皆無であった。
今後やるとしても、平家大河にもかかわらず源氏方描写にも秀でていた大河清盛での頼朝描写
(何しろ、上西門院殿上始めから長い頼朝物語は始まった)を抜きに何かをやろうとしても、
おそらく恥をかくしかない。 清盛が「おもしろう」生きられたのは清盛の上の世代が「おもしろう」生きてたからでもある
清盛を助けに来た家貞が「何故?われら平氏にござりますゆえ!」とだけ答えるだけでみんなが納得するのもそういうことだよなあ >>127
誰を主人公にしてどんな話にするかや尺の関係があり、頼朝成長話を稠密にするのは一概には難しいかもしれん。
近作だと「義経」に出て来た頼朝がある。
髭切一件で清盛らから一本取り、伊豆での韜晦と政子との出会いを経て、在庁土豪らを糾合。
やがて平家と異母弟義経、奥州藤原氏を自ら葬った先に、既に時政や政子らに実権を乗っ取られているかのような描写がなされた。 尺を取れないサイドストーリーに、説得力を持たせるのは並大抵のことではない。
鎌倉殿誕生にあたり、伊豆の野生児にして未来の尼将軍政子の存在と役割は決定的であった。
頼朝助命は、平治の乱一騎討ちでの義朝をクロスオーバーした髭切突き刺しによってなされた。
驚くべきことに、それは1話ラストで「死にたくなければ強くなれ!」と宋剣を突き刺した
忠盛のリフレインでもあったのだ。
源平ドラマを意味的に連結させる強靭な意志とハイテクにここでも降参。
こういうのは良かったーに皆無なんです、スンマセン。 >>130
おたくの冷静な分析に学ばせていただきたい。しかし、
助命時からして模造髭切を狡猾にも提出。善良な清盛を騙し、流人時代も
初めから清盛への復讐誓って隠忍自重。その時を期して企み続けた大河義経における頼朝が、
それなりスローライフを送った史実上の頼朝に近いとは到底思えない。
源平ドラマではこれもありと述べたが、これからは大河清盛で描かれた少年、青年頼朝が
基盤となるべきだ。 復讐→復讐を
それなり→それなりの
頼朝の青少年期、そして挙兵に至った覚醒過程を、大河清盛ほど説得的に描いた
大河は他にない(もっと分厚くと無い物ねだりはできても、核心描写において)。 清盛の無謀な軍拡、危険を承知しながら阻止できない重盛。
伊勢平氏は結果的に1185年に悲惨な終戦を迎えた。 >『平清盛』は毀誉褒貶が激しかった。通常の大河は長編叙事劇だけど
>『清盛』は心理劇だったので、壮大さを期待してたむきには、緊密な心理描写を見せられて
>つまらなかったろうと思う。でも私は大好きだった…最高でした…
>もし他の時間帯に長編時代劇の枠を企図してその幕開けとしてやってたら
オウム並みのアホウヨやババアたちが元気をなくしてる清盛アンチ界隈にあって、
最近は、清盛おばさんたちが発するこの種の無理解に戸惑ってしまう。
コインの表と裏を切り離して見てしまうと、清盛の醍醐味の多くは雲散霧消してしまうからだ。
清盛は紛うことなきシンドイ心理劇かつ長編叙事詩なのである(少なくとも源平大河でこれほど
歴史叙述が豊かでダイナミックな大河はない)。
こういう主張をする人は、こじんまりとまとめた結果失われた歴史描写は何なのか、
きちんと述べてもらいたい(毎度済まぬが、例えば、新平家の祇園社や徳子入内。義経の
鹿ヶ谷や、そもそも何もやらなかったに等しい平治の乱後の清盛の上昇過程などと比べて)。 しかし、あのように長大なスパンで描いた保元の乱や鹿ヶ谷。
綿密にそして多元的にフォローした王家、摂関家、源氏との軋轢、協調、破綻、戦いなど。
これらで描かれた人間ドラマは、歴史と接続融合しない小さな世界における
心理劇止まりなのだろうか? >>138
> こじんまりとまとめた結果失われた歴史描写は何なのか、
彼らは戦国時代みたいな合戦シーンを期待してたんじゃないですか?
もちろん源平合戦期に、戦国期と同じような合戦は、そもそも存在しない。 それはそうかもしれない。保元の乱の「合戦」に戦国のそれを、下手をすると、
近代戦というかハイテク兵器による現代戦の様相をも帯びてきた日露戦争を扱った
坂の上まで持ち出して、「清盛ショボーい」の大合唱だったからね。
では、以仁王の乱で宇治川合戦を簡略化したり、有名な以仁の死の場面(新平家では
北大路欣也による見せ場とされた)をスルーして、それよりも以仁王が決起した謂れと経緯を
分厚く描く方に集中した作風はどうだろうか(プロセス描写と呼んでいる)?
軍記物の創作よりも歴史のプロセスを丁寧に描く方に力点を置く作劇の方が、自分には遥かに
「長編歴史叙事詩」となりうると思うのだが、おそらく一般的には逆なのだろう
(あの名シーンをなぜカットした?ー怒)。 やはり、悪い奴(本人は善行をなしていると思っていることも)ばかりの大河は面白いね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています